第六撃 ぐてい
失礼致します、と控えの間の中へ声をかけ、梓はそっと戸布を引き上げる。
倣って、逆側の戸布を引き上げる鬼彦。
入れ、ということだろう。
鬼彦を見遣れば、促すように彼はひとつ頷いた。
彼の中ではもう、気分が切り替わっているらしい。
清音は深呼吸。
彼女も、気持ちを切り替えた。
清貴の手を引き、ゆっくり控えの間に入る。
―――――せめて笑われませんように…
心の中で深刻に繰り返しながら、ぎくしゃく、顔を上げれば。
「―――――いいねぇ。やぁっぱ、可愛い女の子がいれば、場が華やぐな」
清音を見るなり、真っ先に口を開いたのは、宗親。
控えの間には、義孝をはじめ、刀馬、八雲、宗親が勢揃いしていた。
その、光景に。
…がくり、肩を落とす清音。
すぐさま回れ右しなかったのが精一杯だ。
姉が唐突に背負った重力すら発生させる暗雲に、清貴は無表情ながら驚いたようにおろおろ清音の顔を覗き込む。
ついにしゃがみ込み、弟の身体を抱きしめる清音。わけが分からないなりに、慰めるように懸命な様子で姉に身を寄せる清貴。
「…おい」
来るなり、いきなり落ち込んで丸くなった清音に、不機嫌な義孝の声が投げられる。
「なに丸くなってんだ、しゃんとしろ」
「…だって…っ」
いやいや顔を上げ、四人を見遣る清音。
鬼彦を見たとき、大体予想していたが、
「―――――私がいなくたって、東州王たちだけで、じゅうぶん華やかじゃないの…」
王を筆頭に、控えの間にいた男たちの存在感は、日頃に輪をかけて、おそろしいほど豪勢だった。着飾ったはずの清音も霞む。肩身が狭い。
あの中に混ざれというのか。
憂鬱だ。全力で。
全員、顔より性格の印象が強いため、このごろではあまり意識もしなかったが、元はいい。
特に義孝は、普段ですら問答無用に人目を攫うのに、飾り立てられた彼は、見ただけで息詰まる。まぶしい。死ぬ。
丸眼鏡を押し上げながら苦笑した刀馬も、一見地味にまとめているが、知性が前面に押し出され、まろやかな性格を知っていても、近寄り難い雰囲気がある。
生真面目に控えている八雲は、武官の正装。基本的に端正な着こなしなのだが、若さゆえにか、時に表面に現れる不可思議な野性も相俟って、神秘的な奥深さがある。
心の中で、清音はもう一度繰り返した。
…ここに、
(混ざれって?)
勘弁してほしい。帰りたい。
半泣きの清音に、義孝はわけがわからない、と言った顔。
苦笑気味に見守っていた刀馬が、清音に近寄り、にっこり、手を差し出した。
「あのね、清音ちゃん」
清音に手を伸ばし、彼女を立ち上がらせる刀馬。
拗ねた気分で、清音は彼を上目遣いに見上げる。
「どんな格好したって、結局、男は男だよ。女の子が天性兼ね備えてる華はそれだけで別格。だから、ね」
こちらにおいで、と刀馬は促すように、清音を義孝の方へ軽く引っ張った。
清音はあらゆる意味で負けた気分になって嘆息。
宗親が言えば、下心が含まれそうな台詞も、刀馬が言えば、やたら誠実で思いやりある言葉に響く。
つい比較し、ちら、と宗親を見遣った。
鬼彦もそうだったが、彼が一番、日頃との落差が激しい。
なにしろ、―――――一般的斎門の格好をしている。
というのに、これまで見た姿の中で、もっとも艶がある。
いつもザンバラな髪は、きちんと梳られ、白い結い紐でひとつに束ねられている。
墨染めの衣に、紫の袈裟。漂うのは、落ち着きある、汚れない清廉さ。
詐欺だ。
「楠木さんも、そういうこと言うんだね…ちょっと意外だったな」
「そういうこと? …あぁ」
清音の視線に気付き、刀馬は宗親を見て、苦笑。
「女の子の口説き文句なら、和泉さんが一番だよ」
「当然だろ」
言うなり、宗親がそれまでまとっていた透徹した空気が消え、いつもの、軽薄さに塗り替えられた。
清音の視線に、袈裟をちょんとつまみ、悪戯っぽく笑う。
「王母さまの前に出るんだ。中身は変えようがないから、せめて格好には気を配っとかないとな」
真理だ。
導いていた刀馬の手が、清音から離れる。その時には、清音の真正面に義孝がいた。
目が合うなり、義孝は満足そうに、にやり。
「普段からそういう格好してろよ。もったいねぇぜ、せっかく、それだけ可愛いんだから」
やはり、褒められると、嬉しさが心をくすぐる。
義孝は、声にどれだけからかう響きがあろうと、基本的に嘘はヘタな人間だ。
―――――ちゃんと、褒めてくれている。
少し赤くなり、小さな声で清音は一言。
「…ありがと」
その、反応に。
一瞬やりにくそうに、目を逸らす義孝。
「おう」
目を逸らした、先で。
足元から見上げてくる大きな目に気付いた。
見下ろせば、相変わらず時雨を両腕に抱いた子供が、嬉しそうに笑う。
つられて笑いながら、しゃがみ込む義孝。
「よ、愚弟。てめぇも容赦なく飾り立てられちまったなー」
ぐしゃぐしゃ、清貴の髪をかき回せば、
「ちょ、ぐていぐてい言わないでよ! 梓さんに意味聞いたんだからねっ」
清音が清貴の肩を引き寄せると同時に、八雲が、しゃがみ込んだ主に遠慮がちに指摘した。
「王。衣装に皺が」
舌打ちして、仕方なく立ち上がる義孝。
途中、清音から警戒が抜けるのを見計らって、
「―――――よっ、と」
「あっ」
清貴を抱き上げた。
目を丸くする子供は軽い。だが、時雨と合わせるとけっこう重いはずだ。
と言うのに、義孝は軽々片手に抱くと、もう片方の手で清音の手を掴んだ。
他の仲間を一瞥し、悪企みするように、義孝。
「これで俺の両手は塞がった。ちゃんと守れよ」
「義孝さま」
困ったように、声をかけたのは刀馬だ。
「…今、諏訪さまもお見えになられてるんだよ。もっと警戒しておくべきじゃ」
清音は目を丸くした。
諏訪秀嗣。先代の弟。
彼は、今回の別邸行きに参加しなかったのではなかったか。
義孝は、さらに驚くことを告げた。
「呼んだのは、俺だ。叔父貴は乗った、…そんだけの話さ」
―――――このとき。
曖昧だった予感、が。
全員の中で、確信に変わった。
今日、ここで。
ひとつのしがらみに、決着がつく。
義孝の幼い頃から、頻繁に刺客を送りつける相手は、幾人も存在する。その中の、ひとり。
諏訪秀嗣。
神に関わる障りのすべては、彼、だと。
聞かされては、いたが。
張り詰める緊張感の中、無言の内に、他の者たちが義孝たちのうしろに続く。
清音も気を引き締めた。
これから何が起こっても、すぐさま対応できるように。とはいえ、
「…どうするつもり?東州王」
隣に並び、清音は小声で義孝に尋ねた。
秀嗣は、義孝の叔父だ。肉親。
事態にどう始末をつけるにせよ、苦く重いものが残るだろう。
控えの間から出る義孝。右へ曲がり、奥の間へ。
独り言のように呟く。
「さぁて。…実のところ、その時がこねぇと、俺にもわからない」
いい加減な、とは、清音は思わなかった。
実際、それが正直なところだと感じる。
頭で考えたところで、どうにもならない。きっと、なるようにしかならない。
ただ。
―――――宗親は、どうだろう。
ふと、背後の斎門の存在を意識した。
彼の目には、すべてが見えているのではないか。
だが、それを誰よりよく理解しているだろう義孝は、宗親になにも尋ねない。
おそらく、それでいいのだろう。
義孝はただ、終わらせることだけを決めている。
どうなるにせよ、それだけは確かな彼の決意に清音は従うだけだ。
―――――護衛官たちに整然と取り囲まれ、数人の侍女たちに先導され、奥の間に踏み入る一同。
が、そこはただっ広い広間があるだけで、椅子も何も用意されていなかった。
一瞬清音は面食らう。
義孝は驚くこともなく、心当たりがある様子で、広間のさらに奥を見遣った。
心得ている侍女たちも、そちらへと清音たちを誘う。
…そのとき、侍女たちの中に、梓の姿はない。
先ほどの件を優先して調べているのだろう。
向かった先には、天井から、分厚い布が垂れ下がっていた。
孔雀の姿が鮮やかに染め抜かれたそれを、侍女たちが丁重にかき分ければ、
「うわぁ…っ」
それまでの覚悟も緊張も吹き飛び、清音は小さな歓声を上げる。
目に映ったのは、きれいに整えられた庭。
つまり、外。
風は冷たいが、あまり強くなく、降り注ぐ太陽の陽射しが肌にぬくもりを届けてくれる今日の天気なら、寒さもあまり気にならない。それに、着飾ることで、厚着している。防寒対策なら十分だった。なにより。
行儀よく剪定された庭の木々。
その合間合間に、冬の花が咲いている。
白、赤、黄、橙。
自然界の配色は、いつも奇跡のような鮮やかさで人の目を射る。
野性の伸びやかさはないが、落ち着いて、やさしい空間。
目をかがやかせ、義孝に手を引かれる清音に、穏やかな声がかかる。
「気に入ってもらえたかしら」
やさしげな響きの、のんびりした口調。
聞いたことのない声に、清音は、しかし、緊張しなかった。木々のおかげだろうか。
「はい、素敵です。とっても」
声のほうを見遣り、清音は迷いなく答えた。
備え付けの机と椅子のそばで、一人の貴婦人が佇んでいる。
少し肥り気味の、小柄でまろやかな雰囲気の女性。
間違いない。彼女が、王母。義孝の母。
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