第四撃 生かす意味
「なのに、…なのに、だ。オレはアイツの最後を見た。それを止めたいって願って、…けどオレは、このとき、―――――もし、何も知らなかったらオレはどうしたろうって考えた。…きっと、アイツをちゃんと『生かして』やりたいって思うだろうって、結論が出た。それでも、まだ苦しくなるまで考えた。悩んだまま、時は過ぎ、その瞬間が、来たとき―――――オレは、アイツを行かせた」
そう、今を見れば、結果は一目瞭然。
宗親の親友は死に、義孝は生きている。
清音は慎重に尋ねた。
「和泉さんが出した答え…その人を『生かす』って意味は、なんだったの?」
宗親は寂しげに微笑んだ。
「さあ。答えはまだ出ない。けど、…アイツがアイツらしく生きるためには、ああするしかなかった。これは、断言できる。あのとき死ぬことで、アイツはきっちり『生きた』んだ。―――――それが分かってて、…止められるはずが、ないよなぁ…」
清音の胸に、しずかに、納得が落ちた。
―――――和泉宗親とは、こういうヒトか、と。
同時に宗親が、最初の質問をはぐらかしたことにも気付いている。だが、言及する気は起きなかった。
きっと。
彼が親友を失ったときと同様の、どうしようもない何か、が。
ここで、起きようとしているのだ。ゆえに。
宗親の行動の不自然さに気付きながらも、義孝は何も言わない。
ともすると、彼自身、何か察するところがあるのかもしれなかった。
だが、神に執心される理由までは、心当たりがないらしい。
「ね、和泉さん。ぜんぶは見通せないとしても、神が東州王に執着する理由は、分かる?」
宗親は腕を組んだ。骨ばった指で、自分の顎を撫でる。
「神の心理までは分からないけどな、…推測ならできるぜ」
宗親は、少し疲れたように嘆息。
「まず、だ。お嬢ちゃんは、神とはなんだと考えてる?いや、まぁ、どんな知識持ってるか、だけでもいい」
「世界のかけら…強大な力を持つ存在」
自信なさげな清音に、宗親はひとつ頷く。
「その通りだ。詳細を理解する必要はない。知ろうとするな。危険だからな。大まかにだけ、とらえていればいい。そう、神は、世界から剥がれ落ちた世界の片鱗。それが、偶然意識を持った存在。神が閉じこもる夢蔵は、つまり、世界が見てる夢だ。そこに生まれる蔵虫という獣は、神の排泄物」
清音には、説明の半分も理解できない。宗親も、理解を望んでいるわけではなかった。
「片鱗とはいえ、神は、『世界』と根は同じものと言える。違うのは、『世界』は意思をもたないが、神はもっている、という一点。そして、神と人間が同じものだと考えるつもりはないが、造りがまったく違ってもアレらも同じ生命体だ。感情がない、とはいえない」
「…つまり?」
清音は首を傾げる。宗親はあまり緊張感のない顔で、腕を組んだ。
「そこで最初の質問だ。神とは、なんだ?なんのために生まれた存在だ?」
「知るわけないよ」
相変わらず、あまりに漠然とした質問に、清音はむくれる。というのに。
得たり、とばかりに宗親は微笑んだ。
「その通りだ。神とて知るわけがない。だが、存在する。そして、感情がある。人間も、そうだ。オレらの存在理由なんて、知ってるヤツはいない。…ってのに。人間には仲間がいて、たいした力を持っていないから、触れ合うことも可能だが、―――――神は、孤独だ。その力ゆえに」
だからこそ、触れ合い方も知らない。分からない。
「ただ、人間のように、その凍えるような孤独感が感情として爆発することはない。それらの現れ方は、獣に似ている。神は、―――――連中は、…飢える」
「かつえる…って?」
意味は分からないなりに、おぞましさを感じた清音に、宗親は肩を竦めた。
「食欲に転換されるのさ。神は、孤独とか寂しいとかいうことが分からない、というより、突き詰めて考えようとしない。だから、心の不足・欠落感を、食うことで補おうとする。ただし通常、神は閉じこもっているから、相手がいない以上、それはかなわない。かなわないとき、蔵虫が生まれる。連中は動くからな、捕食にはもってこいだ。とはいえ、その生まれから分かるように、神の孤独の象徴でもある。そうそう、赤闇の呪い、というのがあるだろう。あれは、神がその孤独から救ってくれそうな相手につける目印だ。同時に蔵虫の捕食の対象となり、―――――蔵虫に負ければ、相手の胃の中」
―――――なんて無茶苦茶な存在だ。
神を、その意味も分からず、巨大な存在として畏怖していたが、宗親の言うとおりの存在ならば、単純に傍迷惑というだけではないのか。
見透かしたように、宗親。
「神は危険な存在だが、そこに存在するだけで、土地に恵みをもたらす。ヒガリが豊かなのは、神のおかげだ」
宗親が語ったのは、基本的なことだけなのだろうが、現状を理解するには、それで十分だった。
いや、それ以上は聞きたくないと言うのが、本音だ。
「つまり、神は…、東州王を、食べたいの?」
宗親は項に片手を押し当て、ぐるり、凝りを解すように首を回した。
「おそらく、だがな、あの神は、勘違いしてる」
「勘違いって、なに」
「王サマを、仲間だと思ってる」
「仲間…って、え?―――――同じ、神だと思ってるって、こと?」
ギョッとなった清音に、宗親は頷く。迷いなく。
「神々の孤独は深い。かなしみは、…深い。―――――東州王も、なぁ。おんなじだけのかなしみを背負ってても、おかしくない生い立ちなんだよ。…そのかなしみの深さが、同類だ、と神を惹き付けるんだ」
清音は息を呑んだ。時に、彼女も感じる。
義孝の抱えた、やたらと痛ましい深い亀裂を。
あの奥に、何があるのか。
見えずとも、感じるから、つい、放っておけないと思うのだろう。
あの日。
義孝が毒を受け、神とはじめて相見えた夜。
彼は当然のように、一人で神と対峙した。
最初から、清音など当てにしていないように。無性にかなしかった。
あのとき、悟った。彼はきっと戦場でも、真っ先に危険へ飛び込んでいく人間だ。
そして、清音の言葉が、義孝に届きにくい理由に、思い至った。
清音が、義孝と同じ場所に立っていないからだ。
無論、それが当たり前。それで、いいのだ。だが。
―――――一度だけでいい、清音の声が、言葉が、義孝に届いてほしい、と願わずにはいられない。
義孝はひとりではないのだ、と。
ここに、清音がいる、と。
知ってほしい、とあのとき切実に願った。その願いは、未だ消えない。
義孝に、認めてもらうには、守られるだけではだめなのだ。隣で戦えなければ、その力を認められなければ、…きっと清音の言葉も、本当の意味では彼に届かない。
「…東州王を、死なせるわけにいかないね」
力強い呟きに、宗親は目を見張る。
「本当に変わったな、お嬢ちゃん。あんなに王サマのこと嫌ってたのに」
「嫌っては…いたの、かな。でも今は、できるなら、力になりたいと思うよ。きっと、東州王のそばにいたら、誰だってそう思うんじゃないかな」
考え考え言葉を紡げば、宗親は微笑んだ。
「いじらしいもんだな」
「…い、じ? ごめん、意味が分からない。…頭、悪いから、私」
いつも話の腰を折ってしまう自分を恥じ、落ち込む清音。
「そうだな、学はねぇか」
ズバリ、宗親。清音は正直に肩を落とす。宗親は苦笑。
「言っとくけどな、頭は悪くないぜ、お嬢ちゃんは。言い切ってやろう、勉強すりゃ、アンタは全部モノにする。聡いからな。勉強程度なら、見てやるから、頑張んな」
宗親は、こういうことで嘘はつかない。
ぱっと顔をかがやかせた清音の頭を宗親は無造作に撫でた。
「ところでお嬢ちゃん。アンタこれが終わったら、どうする気だ?将来のこととか…弟君のこともあるしな。住むなら、やっぱ東州だろ。西州は今不穏だし、央州は施設が充実して安全だが、富裕層と貧困層の差が激しい。その点、東州は抜きん出たところがないにしても、平穏だ」
「うん…そうだね」
清音が気がかりなのは、なんと言っても、清貴のことだ。
弟のためなら、なんでもできる。
「西州もいいかと思ってたんだけど。…不穏って?」
「―――――西州王は愚物でな」
とんでもないことを、からり、と大声で言って、宗親は陽気に片目を閉じた。
「いくら州王や藩主が絶対と言っても、州民も、そろそろそれに気付きはじめる頃だろう。暮らしづらくなってきてる。実際行ったオレも感じたことだし、西の御門も苦い顔だ。すぐに、でなくとも、…すくなくともあと十年の内に国守をはじめ、上の連中がなんとかしねえと、民が暴動を起こす。―――――その先頭に立ちそうなヤツと、幾人か顔を合わせたことがある。中でも、西の御門が贔屓にしてた隻眼の男が面白くてなぁ…」
「隻眼?」
「ああ、いつも布で顔の半面を覆ってる。醜いから人目にはさらさないってな。職人なんだが、頭がいいヤツで…ふむ、まぁ、アイツに預けるなら、お嬢ちゃんのことも安心できるが…だめだ、やっぱり、西州は危険だな」
懐手になり、宗親は低く唸った。
「東州でも、城下や州府付近の町じゃ、刀工やってるところも多い。良かったら、今度つれてってやるよ」
「ほんと?ありがとう」
「弟君も、やっぱ、刀剣に関わるなら造り手の方が安全だろうしな。同い年のガキも多いから、友達もできるだろ。…っと、友達と言えば」
宗親はすこし、苦い顔になる。
「本山にな、捨て子とか、…家に色々問題があって、オレが養うことになった子供ってのが、まぁ何人かいる。本山から、帰山の催促が頻繁なのは、そのせいもあるんだが」
言いにくそうな宗親に、清音は目を瞬かせた。
宗親は色々問題がある男とは思うが、人柄はあたたかい。愛嬌もあるから、子供にはなつかれやすいだろう。
養う、と聞いて、意外には思ったが、存外に本人も子供好きなのかもしれない。
自然に受け入れ、それで?と先を促した清音に、らしくないことを言っていると思っていたのだろうか、すこしホッとしたように、宗親は続ける。
「その中に、…本人には告げられてないが、次期御門って見做されるほど力を持ったヤツがいる。ソイツが石頭小僧なみに頭が固くてな。しかも変に浮いてて、同い年のガキに混じって遊ぶこともしない。子供のクセに妙に割り切ってて、頭の回転も早いし、本山にいるよか、城で学ぶのもひとつの手かもしれないから、一時多田羅のオヤジに預ける手も考えてる。今度連れてくるから、よければ弟君と引き合わせてもらえないか?あの子は、なんか懐でかい気がするんだよ」
「…褒めたって、何もでないよ?」
自分に対する褒め言葉より、弟に対するものの方が、清音には効果がある。
嬉しそうに言って、清音は頷いた。
「その程度なら、別に構わないよ。名前、なんていう子?」
「蘇芳。ありがとな、助かる」
真摯に案じているのだろう、宗親は安堵の息を吐いた。
直後、ふっと我に返った、醒めた顔になる。面食らう清音から顔を背け、自嘲するような笑みを浮かべた。
「…したくなかったら、別にいいから」
その言葉に対して、清音が何か言うのを拒絶するように、宗親はすぐ続ける。
「子供時代を一緒に過ごす相手ってのは、特別だよな。オレにとっては征一朗がそれで…、王サマや本の虫は、お互いがそうなんだよな。なんだかんだで、オレも征一朗と一緒にあいつらのこと見てきて…色々、わかるんだよ」
宗親は苦笑。
「本の虫。アイツな、嘘ついたり、隠し事したり、…誤魔化したりするとき、―――――笑い方が完璧になる。いつも、なんか、…不器用に笑うくせにな」
清音は思わず、後ろを振り向いた。刀馬と別れて随分経つが、つい、そうせずにいられなかった。
「…和泉さん?じゃ、楠木さんはさっき、いったい」
「―――――そのうち分かる」
宗親は密やかに、早口で告げる。そしてまた、別のことを言った。
「もう王サマの房だな」
独り言めいた呟きに重なって、戸口から、ひょい、顔を出したのは鬼彦。二人を交互に見遣り、ひとつ頷く。道を開けるように、横に避けた。
そのまま「お疲れ様です」通り過ぎようとする清音に、ふと、わずかに焦った宗親の声がかけられる。
「ちょっ、待ったお嬢ちゃん、中に入る前に羽織を、」
「え?」
清音が振り向いたときには、もう彼女は室内にいた。
寝台の側にいた義孝が顔を上げる。
「よう」
ぺこり、頭を下げ、足早に寝台に近付く清音。
と、なぜか彼女を見た義孝の表情が、隠しようもない不機嫌さに染まっていく。
房を出て行く前は、ご機嫌だったはずだ。戻ってきたときも。
房に入り、寝台に近付くまで、清音は、何も悪いことをした覚えはない。
「…東州王?」
うつらうつらしている清貴を覗き込んだ後、清音は首を傾げ、義孝を見遣った。
彼は立ち上がるなり、無言で清音の襟首を引っ掴む。
直後、乱暴に宗親の羽織が引っぺがされた。
「???」
突然のことに、目を白黒させる清音。
房に入って、あちゃぁ、と顔を押さえた宗親に、義孝は彼の羽織を放って返す。
「感謝する」
言いつつ、霜が降りたような双眸は、「余計な世話だ」と如実に語っていた。
羽織を受け取り、宗親は肩を竦める。状況を理解していない清音に言った。
「お嬢ちゃん。アンタ、何より先に、男心を勉強してくれ」
さらに、意味が分からない、という顔になった清音にそれ以上の説明はなく、苦笑しながら宗親は鬼彦と共に房を出て行く。
おそらく宗親は就寝、鬼彦は房の外で控え、護衛の仕事をはじめるのだろう。
二人を見送り、義孝に目を戻す清音。だが、義孝も何も言わない。
不機嫌なまま、清貴を見下ろし、その頬を突付く。
構われるのが嬉しいのか、夢うつつに義孝の指を追いながら、笑う清貴。マヌケ面寸前の笑み。
その笑顔に、清音は寸前の出来事を忘れた。
義孝も似たようなものだったのだろう、先ほどの不機嫌はどこへやら、感心したように呟く。
「やっぱ、姉弟だな。笑顔が似てる」
「え」
読んで下さってありがとうございました!




