第二撃 負けた気持ち
× × ×
「…で、こうかよ」
目の前の状況に、仏頂面で唸る義孝。
戸口付近で出迎えた八雲は、申し訳なさそうに頭を下げた。
夜。
東州王に、と用意された寝室。
広い寝台の上に埋もれるように、ぐったり横になっているのは清貴。
そばには、いつもの男装で、しかし見るからに精神が不安定な状態で看護している清音。動かない弟の側で、姉は子供のように泣きながら、弟の額を冷やす布巾を絞っている。
看病するのはいいが、なぜここなのか。
思うなり、すぐさま解答は義孝の中で出た。
清音が義孝についていなければならないからだ。だからと言って、清貴を放ってもおけない。
よって、連れてきたのだろう。
ぐすぐす、鼻を鳴らしながら、無意識に同じ言葉を繰り返す清音。
「し、死なないで清貴。おねえちゃん置いてかないで…」
「あーもー、だからな、お嬢ちゃん。弟君は、ちょっと知恵熱でただけだって。少し休めばすぐ治る」
寝台の側にいた宗親の声も、清音には正しく届かないようだ。
弱った弟の姿に、清音は心底動揺している。
彼女を尻目に、義孝は宗親に尋ねた。
「知恵熱? 環境が変わったせいか」
清貴一人を城へ置いてくるわけにもいかなかった。不穏が多すぎる。だから連れてきた。間違ったとは思わないが、弱った子供を見ると、罪悪感がわく。
眉を潜めた義孝に、宗親は首を横に振った。
「いや、弟君の体力は、なかなかのもんだし、その程度なら問題なかったんだろうと思う。ただ、ほら…、猫とかでも、構われすぎると病気になるだろ」
義孝は合点がいった。
「ああ、侍女たちか」
思えば、子供が珍しいのか、別邸に辿り着いてから、清貴は侍女たちに構われていた。城では放ったらかしにされていたようなのに、唐突な変化だ。
清貴は、太刀を抱え、無表情で近寄り難いが、見た目は非常に愛らしい。それに、基本的に性根がやさしいのだ。逃げたり、いやなことをいったり、生意気なことをしたりしない清貴は、愛玩にはもってこいだったのだろう。
ただ、清貴はそれまで、姉の清音と二人きりだった。城でも、放ったらかし。
突如周囲に人が増え、可愛がられるとはいえ、構われすぎれば調子も狂う。
納得し、宗親を横目にする義孝。
「診たのはお前か、チカ」
「まぁね」
宗親は欠伸まじりに返事。
医術は、優れた斎門の嗜みだ。宗親はこう見えて、義孝の主治医でもある。
「ふん、なら間違いないな」
「そんな事情だから、侍女に面倒みてもらうわけにいかないだろ? 他人が心の負担になってんだから。と言って、熱ある時にひとりにさせるのはかわいそうだし。ついでに王サマもひとりにさせられないし。ってわけで、ここに連れてきたんだよ」
「俺はついでか」
言い捨て、寝台に近付く義孝。
泣きながら呆然として、機械的に手を動かしている清音の姿に舌打ち。
大きな寝台に埋もれるように横になっている清貴に、そっと手を伸ばす。
こんなときでも、への字口。何かを堪えている表情。
ふんわりした頬に、おそるおそる触れた義孝は、意外な熱の高さに気付き、黙っていれば見る者の背筋を凍らせるほど整った美貌を心配げに曇らせる。
「…倒れる前に言うべきだ。ったく」
「それを王サマが言うか?」
側に来た宗親が言うのに、誰にも苦痛を訴えずに倒れた前科もちの義孝はムッとなった。
「俺とコイツじゃ立場が違う」
「あ、…しー」
少し大きくなった義孝の声に、宗親が慌てる。
揃って子供を見下ろせば、
「き、清貴…っ」
うっすらと目を開けた弟に、清音が縋るように呼びかけた。
「おねえちゃん」
応じる清貴に、清音は涙を拭いながら、矢継ぎ早に問う。
「お姉ちゃんが分かる?どこか痛いところはない?何かほしいものは…」
「待て待て」
苦笑気味に清音を止める義孝。
「そういきなりじゃ、コイツも頭が回らねぇだろ」
おろおろしながら、それでも清音は素直に頷いた。
自身が混乱している自覚があるのだろう。
その合間に、ひょい、清貴の視界に顔を出す宗親。
「大丈夫か、弟君。もう怖くないぞ、兄ちゃんがきてくれたからなー」
適当なことを言って、ぽん、義孝の肩を叩く。
いきなりのことに、義孝は目を剥いた。
「誰が兄ちゃんだ」
「いや、だって」
義孝の反発に本気で面食らった態度で、清音を見る宗親。
まだ冷静になれていない清音を庇うように、義孝は宗親の顔を向こうへ押しやる。
何か怒声を浴びせてやろうとするなり、
「…おにいちゃん?」
目の前のことを確かめるような、幼い声。
寝台を見下ろせば、開かれた子供の目が、義孝の姿を捉えている。
その双眸は、ひたすら、―――――無垢。
何からどういえばいいのか、一瞬分からなくなる義孝。とにかく何か言わねば、と口を開けば、
「兄上と呼べ」
どうでもいい言葉が冷静に飛び出した。
違う。
心の中で激しく動揺。
動じれば動じるほど、仏頂面はひどくなる。というのに。
「あにうえ」
視線の先にある子供の顔が、ほにゃ、と嬉しそうに緩んだ。
マヌケ面寸前の、笑顔。
清貴は、普段の無表情が嘘のような、かなり抜けた笑い方をする。清音には、この上なくあいらしい笑顔だ。
ようやく、本当の意味で安堵する清音。
その視界の隅で、やはり義孝は仏頂面。
彼が子供嫌い、と思い出した清音はふと不安になる。が。
義孝は清貴から目を逸らさず、真剣に言った。
「…ほしいものはないか、何でも言え、なんでもやろう」
瞬間、何が起こったか分からず、清音は盛んに目を瞬かせる。
(あれ? …ほ、絆されて、る??)
義孝は子供嫌いのはずだ。清音の知る限り。
しかし、この反応は。
まともに戸惑う清音の腕を突付き、宗親がそっと耳打ち。
(ほら、ウチの王サマ、いっつも怖い顔してるしあんな言動だから、泣かれっぱなしなんだよ。だから苦手ってだけで、甘やかすのは好きなんだとオレは思うんだけどな)
思わず清音は、義孝の顔をマジマジ。
見れば見るほど、つめたい印象を強める、整いすぎた美貌。
その最高級の美が形作るのは、常に仏頂面。
うつくしいぶん、はっきり言って、怖い。
そのうえで、チンピラ同然の口調で見下されては、…なるほど、子供は泣く。
そして、義孝はおそらく。
泣かれるのが鬱陶しいと言うより、非常に困っているのだ。そうやって固まるから、余計怖がられる。
ところが、清貴は怯えない。
それに、何があったか知らないが、この数日、義孝と清貴の間にあった、妙な壁の存在をあまり感じなくなっていた。…壁、というのか、互いに互いがいないように振舞っている感覚、というのか。それが、消えてなくなった。
清貴の頬を、今度は遠慮なく突付きながら、義孝。
「ふん、泣かなきゃかわいいもんなんだな、子供ってのは」
新しい発見をしたかのように、嬉しそうだ。
清音はまたひとつ、安堵した。
―――――このひとになら、清貴を預けても安心だ。
ちら、寝台の上の弟を見遣る。清貴も、義孝には気を抜いているように見えた。
「東州王。すこし、清貴を任せてもいい? 顔洗って、…落ち着いてくる」
ざわざわと、胸のうちが落ち着かない。
清貴を失うかもしれない。
その、恐怖が。…なかなか、消えてくれない。
―――――清貴を失えば、清音はもう、立ち上がれない。
こんな、負けた気持ちではだめだ。
義孝を守れない。
守るどころか、邪魔になって、足手まといにでもなれば、これまた再起不能だ。
できるなら、力になりたい。
義孝は。
面食らった顔で清音を見た。
なにかに酷く驚いたような表情。
きょとんとした清音の顔をまじまじ見つめ、…ふいに、やさしく微笑んだ。
それは、清音がはじめて目にする笑い方。
目を見張る彼女に、義孝は穏やかに請け負った。
「任せろ」
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