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封神草紙  作者: 野中
第二部/第三章
49/87

第一撃  不穏の予兆

「どこ行くんだ、石頭小僧」


八雲を、そう呼ぶ人物は、この世でただ一人。

いい加減慣れた八雲は、無駄のない所作で振り向いた。

「和泉殿」


へらり、軽い笑みを浮かべ、のらりくらり近寄ってきたのは、斎門最高位の御門さま。


この寒空に、大きくはだけられた胸元。垂れ下がるのは、汚らしいと評される寸前の長髪。肩に引っ掛けただけの黒い羽織が、かろうじで、彼にも少しは、聖職者としての意識があると教える。ちなみにこの御門さま、酒好き・女好き・博打好きの三重苦だ。



―――――ただし、それらすべてを吹っ飛ばすほど、有能。



よって、八雲は彼に敬意を払う。丁寧に答えた。

「これよりしばらく、わたしの仕事はありませんので、中庭の一角で休憩でも、と」

「ま、このあたりで女遊びもないからな」


もっと知的な回答がほしいものだ。


八雲は正直すぎる自分の目を伏せ、沈黙を保った。

直後、黙ることは正解でなかったと悟る。

「ん、いや。もしかして独りになりたいって遠回しに言ってるか? …まさか、神が具現化して襲ってきた晩のこと、まだ気にして落ち込んでるとか言わないよな?よせよせ、忘れろ、あれは仕方ない」


無駄に察しがいい男だ。


ならば、八雲が言ってほしくない、と思っていることも察してほしかった。

図星に、言葉を失った八雲を見下ろし、宗親は呑気に続ける。

「固ぇな、相変わらず」

言う宗親は緩すぎる。…だからこそ。


八雲は探るように、ひょろりと長身の斎門を見上げる。

「なぜ、別邸までついて来られたのですか。本山から、帰山の催促はひっきりなしのはずです。和泉殿はお忙しい身の上だ」

宗親は面倒そうに、頭をかいた。




―――――ここは、王母の別邸。




先日、義孝が、近いうちに訪れる、と宣言してから、今日で七日。

慌しいが整然とした準備ののち、数日の滞在を予定し、州府近くの山頂にあるこの別邸を、義孝は訪った。

つい先ほど、彼らは到着したばかり。


運ばれる荷物、慌てて紐解く侍女たち、用意されていた部屋の確認に、護衛などの人員配置。元々、この別邸に配置されている者たちとの折り合いもつけて、考えねばならない。

やることは盛りだくさん。

まずは、主に刀馬がそれを請け負い、割り振られたそれを、鬼彦がさらに細かく決めていく段取りだ。

何も考えていないようで、鬼彦は人事に関して優れた才能を持っている。人を見る目があるのだ。

護衛の人員配置については、鬼彦の目が通ったあとで、八雲が詳細を決定する。


それまでの短い間、彼はどこかで時間を潰さねばならない。

東州王は、おそらく、ここまで持ってきた仕事に取り掛かっている頃合だろう。

王母との対面は、後日。

対面は落ち着いてから、というのが、形式上では礼儀、ということになっている。

家族であるにもかかわらず、他人行儀だ、となっとく行かない顔で不満をこぼしたのは、清音。


彼女の反応はいつも健全で、当たり前のように形式に慣れてしまっている自分たちの不自然さに、時折ひどく驚く。


刀馬は義孝の近くに控え、雑務もこなしているはずだ。

鬼彦も、時折そこに顔を出しているだろう。

その周囲は、もともと別邸で勤める護衛たちが固める。

城から連れて行った信頼できる部下たちも、その間で目を光らせていることだろう。


八雲自身がついていたいのはやまやまだ。

だが、職務熱心とはいえ、過剰な対応は、部下や別邸の護衛たちを信頼していない、と取られかねないことも八雲は知っていた。




―――――肩の力を抜け、八雲。




生真面目で不器用な子供の彼に、それを教えてくれたのが、…目の前にいる斎門の友人だった男。

八雲が視線を逸らさないことに気付き、宗親は肩を竦めた。

「…オレがやることもそれほどないのに、こんな、ただの遊山についてくる暇はないだろうって?」

「ばかりではありません」

実直に、八雲は告げる。


「この別邸へ訪れるのは、手間がかかる。山あり、谷あり。真っ直ぐ辿ればそれほど時間はかかりませんが、この時季は迂回せねばなりません。なにせ、近道は厳しい峡谷になっており、あそこを通れば、降雪のため、雪崩が起きかねないからです」

実際、この季節はよく、道が埋まる。八雲は、淡々と続けた。

「面倒くさがりのアナタが、よく付き合う気になりましたね?」

宗親は困った顔で微笑む。


「もしかして、オレを疑ってるか?」


裏切り者として。

言外の言葉に、躊躇わず頷く八雲。

「可能性のひとつとして、考えてはいます」

「はっきり言うな」

「アナタだけではありません。疑っているのは、わたし以外の全員」

「とかいって」

宗親は、微笑を崩さない。

「…もう、だいたい知ってるんだろ?」

八雲は答えなかった。聴こえないふりで、

「ですが、それより」

八雲は声を低める。


「アナタが斎門として、ここで何かが起きる、と予見しているのでは、とわたしは考えています」


宗親の顔から、感情が消えた。八雲は畳み掛ける。

「王の行動からして、今回のことは不自然です。これほど急な訪問を決定されるとは。…ここで、決着をつけよう、と考えていらっしゃるのでは」

「不自然、な」


項に手を当て、宗親は大きく嘆息。

「他の連中は、王サマの気紛れ、程度にしかとらえてないぜ。ほんと、王サマのことよく見てんのな、石頭小僧。それに」

どこか達観したように、宗親は付け加える。

「王サマの言った、裏切り者が身内にいるって言葉。お前は否定するかと思ったんだが、しないんだな。…主人の言葉は、絶対か?」

「―――――自分で判断して、同じように感じただけです。それより和泉殿、わたしの質問への答えがまだですが」


やはり、はぐらかされるか。


問いかけながら、八雲は最初から宗親の答えをあきらめていた。

深く追求する気もなく、場を辞すために頭を下げかけた八雲の前で、宗親はぼそり。

「…他のヤツらも、王サマと同じように見てやってくれ」


顔を上げたときには、宗親は踵を返し、背を向けていた。

ひらり、手を振り、何ごともなかったように去っていく。

なにか、やり込められた心地になる八雲。


昔から、そうだ。


宗親は、八雲を完全に子供扱いしている。

不満に思うものの、八雲とて、己の幼さを自覚している。

なにせ、周りの人間がデキすぎる。

毎日、自分の不足を感じるばかりだ。だが。


―――――今の、言葉は。

少しは、八雲のことを認めてくれたのだろうか。

以前の宗親なら、はぐらかしたまま、本音を欠片だろうと漏らしはしなかったはずだ。




八雲も踵を返す。中庭に向かった。




不穏の予兆は、まだある。

別邸へ訪れることが決定した直後、重臣の多田羅が執務室へ訪れ、告げた言葉。

―――――諏訪さまの動向が気にかかる。


諏訪秀嗣。

前東州王の弟。

諏訪の姓を賜り、臣下に下ったが、王位を諦めきれていない言動を取る男。


(ばかなことを)



王の儀は、既に義孝を選んでいるのに。



彼は、今回のことに同行していない。だが。

今は、何がどう転んでも、不思議のない気がした。

八雲のこういう勘は、やたら当たる。

と、いうのに。

早足で回廊に辿り着き、別邸の主の性格をうかがわせる庭に面した階段を半ばまで降りたところで、八雲はそこに腰かけた。



槍を抱え、大きく息を吐き、項垂れる。


落ち込んでいる暇はない。



ない、が。

―――――失敗を気にしてしまうのは、性格だ。

完璧主義のつもりはないが、失敗をいつまでもこうして引き摺ってしまう理由は、…そういうことなのだろう。


周囲は八雲を天才と評する。

だが、実際はこうして、自分が至らないことに落ち込んでばかりだ。とはいえ。


神相手に、八雲に何ができるのか。


刃など、届くまい。

それに。

あのあと、義孝が語った新たな事実は、八雲には絶望的なものに思われた。




紡ぎ人の手を離れ、暴走した神が、義孝に興味を示し、つけ狙っている。最終的な目的は、義孝を食らい、一体化することだろう、と彼は平静に告げたが。


…とんでもないことだ。


ならば、敵は神か。




だが。

話だけですら自失するというのに、直接神と相対し、直前に事情を告げられた清音は、その細い身体で、心を折られることもなく立ち向かったのだ。

義孝に、神に狙われている事実を、もう皆に話してしまえ、と言ったのも、清音。


可憐でうつくしいだけの少女なら、探せばまだいるだろうが、この、清音という少女に代わる者はいない、と八雲は骨身にしみて感じた。


聡明で、いじらしく、健気、という気質は感じていたが、その芯の強さとあかるさには感服する。なにせ。

彼女はいつも、敵を怖がっている。

震えも怯えも、清音は隠しきれていない。なのに。



…決して、逃げない。



話の直後、気死したように静まり返った八雲たちに気付きながら、清音はあっけらかんと言い放った。

―――――神が、なにさ。


このとき、彼女にはかなわない、と誰もが思ったはずだ。


義孝の置かれた状況は絶望的。と言うのに、神がなぜ、まどろむ夢蔵から出て具現化するほど、義孝に執着するのか、それすら理由が分からない。

現実逃避しかけた男どもの横面を、清音は一言で叩き、前を向かせた。


彼女は、能天気と言うわけではない。聡明だ。

ばかりでなく、実際に神と相対した。状況の厳しさは、誰より理解している。

それでも、彼女が楽観的な言葉を言い放つことができるのは。


清音が、強いからだ。


皆が唖然とする中、ゲラゲラ、腹を抱えて笑ったのは、義孝だ。

―――――てめぇが言うと、程度が子供の喧嘩に落ちるな。

そう、言いながら。


きっと、義孝が一番、清音の強さに救われている。


清音が城に来てからの義孝は、目に見えて柔和になった。

氷の炎にたとえられる厳しさや鋭利さは相変わらずだが、…やさしくなった。いや、元々彼は気性がやさしい。一見、ガラが悪いが、面倒見はいいのだ。誤解されやすいだけで。


その、彼の本質を、義孝は素直に出せるようになった気がする。


征一朗がいなくなった後、城中ではやたら肩肘を張って、ぎすぎすしているようだったのに、それがなくなった。

清音の影響だろう。

ふと、思う。


(北の御方が)


清音が、本当に義孝の妻になればいいのに、と。

思うなり、八雲は嘆息。

今の二人の関係はお芝居だ。

そんなことを考えている場合ではないと分かっていても、二人を見ていると、そう願わずにいられない。清音がいれば、義孝はずいぶんと楽になるだろう。


無論、八雲とて、義孝を支えるつもりでいる。

たとえこれから何が起ころうと、義孝が八雲を疑っていようと、八雲の忠誠は、義孝のものだ。

だが、八雲は根っからの武門。


信じた主に従い、ついていく。そういう無骨な方法しか、守り方を知らない。


自分の不器用さに、ほとほと嫌気がさしたとき。




顔に、影が落ちた。




ギョッと顔を上げれば。

…いつからそこにいたのか。

清貴が、八雲のそばにしゃがみ込み、彼の顔を覗き込んでいた。


(気配を、…感じなかったが)


内心冷や汗をかく八雲。どうもこの子供は、獣めいたところがある。

到着早々、別邸の侍女たちに物珍しげに囲まれていたようだったが、いつ一人になったのか。

清音はどこに、と思ったが、彼女は奥へ、梓に引き摺られて連れて行かれていた。

王母と会合するための準備をしていただかなくては、と微笑んでいるのに怖かった梓を思い出し、八雲は今、清貴が一人だと確信。

だが、困った。

八雲とて、子供の相手が得意なわけではない。どう扱えばいいのか、解らない。


一瞬固まった八雲に何を思ったか、時雨を抱えた清貴は、ずい、右の拳を八雲に突き出す。

「…?」

その下で、八雲が掌を上向ければ、ころころ、明るい色彩が落ちてきた。

同時に広がる、あまい香り。


「金平糖…」


侍女たちの貢物だろう。

八雲の掌に、握っていた分をぜんぶ落とし、彼をじっと見上げる清貴。

食べろ、と言うことか。

「…あ、ありがとうございます、弟君」

戸惑いながら、思い切って口に放り込む八雲。


甘味は苦手ではないが、得意でもない。だが、口に放り込めば、意外と甘さが身体にしみた。


八雲の表情から強張りが抜けるのを待っていたように、ホッとする清貴。

無論、清貴は相変わらず鬼彦に匹敵するほど無表情だ。

だが、八雲には、彼が安堵したように見えた。

面食らった八雲に、くっつくように座る清貴。

(…もしかすると)


八雲の落ち込みに気付いたのだろうか。


気付くなり、不甲斐なさに、顔を赤くする八雲。しかし、意地を張るのもばからしくなる。

すぐ、妙に気が抜けた。

何を気に病んでいたのか、と自分の落ち込みがバカバカしくもなってくる。

余裕が生まれた状態で、物珍しげに時雨を見下ろす八雲。

同時にふと、この子供の将来が気になった。清音のこともある。


すべてが、丸く収まってくれたとしたら。

この姉弟は、どうやって生きていくのか。


―――――義孝のことだ、突如放り出すような真似はしない、だろうが。

「その、弟君」

清音の剣の腕は、少女にしては、相当だ。清貴にも、油断ならないところがある。

師がいたのか、と清音に聞けば、御神刀の導き、という答えが返った。

だが、導きがあったとしても、相応の鍛錬を積まなければ、身体がついていくまい。

彼らが見せる剣術の冴えは、御神刀のせいばかりでなく、本人たちの努力の成果ともいえる。ならば。


これを、生業とする術があれば、…どうだろうか。


「刀術士、というものに、興味はありませんか」

刀術士。

剣術・体術・流派問わず、ただ強さのみを正義とする存在。

兵が全員、そうである必要はない。ただ、認可をもっていれば、軍では優遇される。

軍に入らないまでも、護衛の仕事を請け負うとき、有利になる。


清貴は刀工集団の、白鞘村の出身だ。

武器を扱うにしても、作り手に回りたがっている可能性も高いし、そちらが安全だろう。八雲の考えを押し付けるつもりはない。

ただ、八雲は可能性のひとつを口にするだけだ。

「もし興味を持っていて、なりたいのなら、方法はひとつです。認可を、受けねばなりません」

八雲は、自分も通った道を思い出しながら続ける。


「認可を受けるには、央州で試験を受ける必要があります。試験は、一年に二回。形式は勝ち抜き戦ですが、負けても、現役の刀術士である試験官の目に止まれば、認可が下りる可能性があります。歴史ある試験ですが、身分や金で、不正が行われる危険性はほとんどありません。本物の刀術士が欲するのは、純粋に武力による強さ、なので…そういったものに見向きしない、というのが正解でしょうが」


己も刀術士である八雲は、つい苦笑。

強い相手と出会えば、怯えるより昂揚する気質は、狂っていると言えなくもない。


「ただ、認可を得たものが悪さをすることを防ぐため、試験を受けるためには、ある程度の身分持つ者の紹介が必要となります。ここでまず、一般常識を持たないものがふるい落とされる。だからこそ、認可に信頼性も生まれるのですが…ああ、認可は直接国守から頂けるので、不埒者を国守に近づけるわけにもいかない、という理由もありますね」


言いつつ、清貴が聞いているかどうか、子供を見下ろす八雲。


聞いていたとしても、理解しているのかどうか。

濁りのまったくない目で、清貴は八雲を見上げている。

思わず真剣に説明してしまった自分が照れくさくなった、八雲は咳払い。


「よろしければ、考えておいてください。その気があるようなら、わたしが紹介者になります」


さて、と空を見上げる八雲。

そろそろ、鬼彦の所へ顔を出した方がいいだろう。

いつも何かを堪え、沈思黙考しているようなへの字口の清貴の頭を軽く撫で、立ち上がる。倣い、時雨を抱いたまま清貴も立ち上がった。よたよた、危なっかしい。


ここで別れて大丈夫だろうか。


清音の元へ送り届けた方がいいだろうか、と悩む八雲の前で、ぴょん、残りの階段を飛び降りる清貴。

時雨を抱いたまま、身軽なものだ。

思えば、残雪ならまだしも、時雨は子供には重いはずだ。それを、清貴は軽々抱えている。その不思議を思いながら、さらに奥へ向かおうとする清貴の背を見送る八雲。と。




―――――ぽてっ。




突如、清貴は顔から地面に突っ伏した。八雲はギョッ。

予想外のことに、硬直した彼の視線の先で、沈黙をまとい、清貴が起き上がる気配はない。その胸元で、時雨がリィン、と疲れたように鳴った。

八雲の顔から血の気が引き、蒼白になる。

次の瞬間、清貴に駆け寄る八雲の声が、青空に跳ね上がった。






「お、弟君――――――――――――――っ!?」











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