第五撃 困った王さま
先に行っていた八雲が急かす。
宗親は清音の頭を軽く撫で、すぐさま踵を返した。
そのまま、振り向かず行く三人を見送った後、清音は寝室に入る。
秘密を吐露したのは清音のはずなのに、逆に宗親の秘密を垣間見た気がして、妙に胸が騒いだ。
そんなつもりはなかったのだが、宗親には、変に律儀なところがある。清音が胸の内を明かしたのなら、自分もそうせねばならないとでも思ったのだろう。
そういう、男だ。
寝台に近付けば、八雲が灯しておいてくれた燭代の焔が、小さく揺れる。
近くの机に盥を置き、布巾を絞った。
薬箱を手に、布を広げながら寝台に近付く途中、義孝と目が合う。
「傷、痛む?」
「痛みがあっても、どうにもならねぇよ」
「さすってあげるとかはできるよ。気休めだけど。誰か、してくれたこと、ないの」
返事を拒絶するように、ふぅ、と義孝は目を閉じた。
清音も、それ以上追及しない。無言で、傷を手当て。
義孝の汗を拭う。額。こめかみ。頬。首筋。
…ずいぶんと、火照っている。
(平気なわけ、ないのに)
毒を身に受けたまま放っておいて、本当に大丈夫だろうか。
不安を押し殺しながら、義孝の看護をしているうちに、清音は気付く。
義孝は、慣れている。こういった、看病に。
義孝は東州王だ。それも当然だろう。だが、侍女たちの世話は、所詮、仕事、だ。
そうでなく、肉親の触れ合いめいた、気心が知れて、気遣いに溢れた世話焼きの接触に、慣れている、ような。
そんな、気がした。
彼から、肉親のことは聞いたことがない。清音も聞いていない。
今朝の様子から、母親には弱いようだが、その人にしても、いるのは別邸だ。何か、距離を感じる。
だが、義孝には。
(たくさん、いるよね)
既に亡くなった、と聞く征一朗と言う男。彼も、きっと思いやり深い人物だったに違いない。
湯を張った盥で再度布巾を絞りながら、清音はぽつり。
「ここのヒト、皆やさしいよね」
ここにいると、村とはまったく違うのに、もう取り戻せないあの場所を、ふいに思い出してしまう。
感傷的になった清音の耳に、義孝の尖った声が突き立つ。
「やさしいヤツは嫌いだ。弱い」
毒で弱っているせいだろうか。いつもの威勢はない。それに、言い様が子供めいている。
そのためか、いつもほどに腹は立たなかった。
寝台に近付き、清音は義孝の首筋を拭う。
「皆やさしいじゃない」
無論、中には先ほどの侍女のような存在もいる。やさしいだけの場所ではない。
…それに、諏訪秀嗣。義孝の、実の叔父。清音は、ぽつり。
「…そりゃ、諏訪さんみたいな人も、いるけどね」
清音は事前に聞かされていた。
秀嗣もまた、義孝の命を狙っている、と。
州王の地位を得るために。
(そのために実の甥を、なんて、ある?)
最初は、疑問を感じた。だが今では、信じざるを得ない。
なのに、表面上は何食わぬ顔で互いに会話する。寒気がするような白々しさ。
だが義孝は、そんな相手も力づくで追い出したり問答無用で殺したりはしない。できる立場だというのに。
結局のところ。
彼は、一度懐に入れれば、どんな人間も見捨てられないのではないか。
未だ反発は消えないが、最近は、そんな気がしてならない。
「東州は西州に比べて平和だし、央州ほど貧富の差が激しくなくて住みやすいって聞いてたけど…、お城はこんな状態だなんて、ね」
清音の呟きに、投げやりに義孝。
「どこも同じだ」
「でも」
「俺の危険と引き換えに東州が平和だってんなら、いくらでも受けるんだがな」
義孝は、じっと天井を見上げる。
清音には視線すら向けようとしない。それでいて、清音のなすがままだ。信用は、されているのだろう。
夜中が近付くにつれ、さらに冷えていく空気に、清音は別のことを尋ねた。
「着替えなくていいの?」
「…面倒だ。今日はこのまま休む」
「じゃ、少しだけ帯、緩めるよ」
「ん」
本当は着替えた方がいいとは思うが、無理に動くのもよくない。
清音は譲歩。帯を緩めてやりながら、言う。
「なんでそんなに突っ張ってるのか分からないな。ね、東州王。好きでしょ、皆のこと」
とたん、眉間にシワが刻まれた。ジロリ、清音を横目に睨む。だが今は怖くない。
…きっと、義孝は好きなのだ。口でなんといおうと、皆のことが。
それに。
今朝、義孝が言った言葉を思い出す清音。
―――――俺のことを信じる必要も、ない。
思いついたまま、清音はしずかに尋ねた。
「…信じられることが、重い?」
目を見張る義孝。
しかし、清音が答えを読み取る前に、彼はそっぽを向いてしまった。
本当に清貴なみの子供のようで、清音はつい苦笑。
義孝の身体が冷える前に、上掛けをかけてやる。と、彼の肩が小さく揺れた。宥めるように軽く叩き、囁く。
「苦しくなったら、言ってね。そりゃ、私は何もできないかもしれないけど、東州王は、堪えすぎ」
義孝は、嘆息。
根負けしたように、清音を見る。なにやら、バツが悪そうだ。
義孝は、裏に企みごとがある言葉は簡単に見破ってせせら笑うくせに、自分を思い遣った言葉には―――――弱い。
やりにくそうな、困った義孝の表情に、清音は小さく微笑んだ。
きっと、他の皆も、義孝のこういうところに弱いのだ。
しかし、清音はできるなら。
義孝には、傲慢なら、傲慢なままであり続けてほしかった。人間臭いところを見せられたら、情も湧く。
(…なんだか、可愛い)
遠い存在のはずなのに、身近にすら、感じてしまう。
困った王さまだ。
清音の顔から、反発らしいものを感じ取れなかったせいだろう。義孝も、困惑。
困った顔を見合わせているうち、義孝がぼそり。
「殺されかけた相手の世話を焼くなんてな…物好きなヤツ」
嘲りとも挑発とも取れる台詞だった。が、実際の義孝と言えば。
彼が、心の底から不思議がっているのが分かった清音は、ため息をこぼす。
とりあえず、どんなときでも憎まれ口を忘れない根性は称賛に値する。
黙って寝ていろ、というべきか、少し悩み、口を開く清音。
「そうだよ、物好きなんだよ。私が東州王を心配するのも看病するのも側にいるのも私の勝手」
高飛車に見えるように腕を組み、顎を逸らす。
「文句つけられる筋合いなんてないの」
二人揃って、まるで子供の言い合いだ。
義孝は目を丸くした。しばし、絶句。
清音からしてみれば、彼が何にそれほど面食らったのか、分からない。
やがて、義孝は。
―――――気の抜けた笑顔を見せた。
清音は目を瞬かせる。彼のそんな表情ははじめて見た。
(き、貴重…貴重―――――っっ)
思わず、まじまじ見つめる。
なにせ義孝は、いつも気を張り詰めている。
無論、痛々しい、と思わせる弱さは、彼にない。いつも仏頂面で、笑うとすれば、皮肉で不遜な笑い方。ついでに、清音の名を、まともに呼ぶ礼儀すらない。
だが、時に、少し休めばいいのに、とはらはらする。
独り言のように呟く義孝。
「…そうか、勝手、か…」
命じられてもいないのに、やはり物好きだな。
続けられた言葉に、清音はやはり、カチン。悪い人間ではないのだが、義孝は言い方がいけない。
…だが、そろそろ自分が慣れてきたことにも清音は気付いた。
「東州王が勝手なんだし、丁度でしょ」
「違いねぇ」
楽しそうに笑うなり、義孝は起き上がる。清音はギョッと彼の肩を押さえた。顔を曇らせ、目を覗きこむ。
「もう寝なよ。しんどいんでしょ」
「いや」
義孝が、首を振ったとき、清音はようやく気付いた。
顔色がいい。汗が引いてきている。義孝は、にやり。
「どうやら毒は、ありきたりのものだったらしいな。もうほとんど、影響ない」
「でも」
「着替える」
寝台から立ち上がる義孝。そこまで言うなら、仕方ない。
清音は慌てて離れる。
「じゃ、私、外に出てるね」
「あぁ?」
とたん、なぜか義孝は不機嫌になった。当たり前のように言う。
「八雲は控えてるんだろうが、外は危ねぇ。居ろ」
「え、命令っ!?」
正論のようで、間違っている気がする清音。
清音は義孝の護衛でもあるのだからそこにいろ、というのなら分かる。
けれど先ほどの台詞は、どうもそうではない。
―――――清音の身を案じている。
一瞬、混乱。だが。
―――――リイィン…
残雪が鳴るのが早かったか、二人が部屋の隅を振り向くのが早かったか。
ふたりの視線が向くと同時に。
―――――ぞろり。
部屋の隅の闇が、蠢いた。
錯覚か、と一瞬思う。だが、間違いない。
視線の先、…闇が、鼓動を刻むように奇怪に踊る。
義孝が舌打ち。
「千客万来、ってのぁ、このことか」
枕元の、彼の太刀に手を伸ばす。闇に目を凝らしていた清音は、突如、息を呑んだ。
「だめっ、東州王、動かないで!」
言い様、残雪を引き抜く。とたん。
水が沸騰するような音が弾け、闇がのたうつ。
太刀を手にした義孝が、同じように目を凝らした。しかし、どうやっても、姿は捉えられない。だが、逆にそのことが、相手が『なに』か、を彼らに教えた。
神。
本体か、分身か、それとも幻か。
けれど確かに、そこにいる。
注意深く残雪を構えながら、義孝を守るように立つ清音。
彼女の背後、不敵に笑いながら、義孝。
「―――――…どうやら、よほど俺にご執心らしいな。神は」
…確かに。
闇から、おぞましいような執着を感じ取った清音は、納得しかけた。が。
「ご執心って…どういう、こと」
清音が、宗親から教えられていた、義孝の状況。それは。
義孝が連日、眠れないほどの悪夢を見ていた。
ゆえに、最終的に彼は睡眠を拒絶。
調べたところ、悪夢を彼に見せているのは、神の力を借りた紡ぎ人と分かった。
十中八九、義孝への敵対勢力の雇われ者。
よって、早急に処断すべきは、紡ぎ人。
義孝に悪夢を呼んだ紡ぎ人を見つけ出し、処分するまでの間、清音は御神刀で、紡ぎ人に操られた神の力から義孝を守るのが役目。そして。
もし危険が迫れば、御神刀で、神を殺すべし。
これで、ぜんぶ。
先程の義孝の呟きは、それだけでは説明がつかない。
義孝の言い様では、紡ぎ人ではなく、まるで神自身が己の意思で行動しているようだ。
「…意外と、耳聡いな、てめぇは」
「余計な言葉はいらない。答えて」
できるだけ正しい情報を知っていなければ、対処を間違う危険がある。
清音の真剣さに、義孝は声を低めた。
「最初は悪夢だけだった。ところがそのうち…、神そのものが訪れるようになった」
一瞬、何を言われたのか、清音には理解できなかった。構わず、義孝は続ける。
「夢路がつながったんだろう。つないだのが、紡ぎ人か神自身かは、分からねぇ。俺の勘じゃ、後者だ。―――――紡ぎ人は、神の力を利用するつもりが、俺に対する好奇心を煽って、暴走させちまったってところじゃねえのか」
清音は青ざめる。
となると、敵は紡ぎ人ではなく。
清音は、つい、唸った。
「…そうだね、最初から、言ってたよね。―――――神を殺せるかって」
こういう、ことか。
…とんでもない状況だ。
清音は闇を見据える。どうやら、確かに残雪の刀身に効果があるのは救いだが。
背を、嫌な汗が濡らした。
世界に存在する数多の神は、人間に無関心だ。ただ、在るように、在るだけ。
こうして、具現化してまで、個人に執着するなど、聞いたことがない。
神は、夢路の奥に住まう。夢路の奥、夢蔵に。でてくることは、滅多にない。
獣の姿をした、自らの依り代たる蔵虫を、蔵代を通じて遣わすことはあっても、本体は異空間にとどまったきり、動かない。というのに。
義孝には興味を示し、しかも、残雪が夢路を断ったか、彼が夢に訪れない現状に業を煮やし、具現化してまで本来の居場所でない、ここにやってきた。
「神、にも。…意思が、あるんだ」
呆然と呟く清音。
考えてみれば、当然だ。が、あまりに遠い存在過ぎて、当たり前のことに、現実味がわかない。
義孝は、残雪の刃を見下ろした。
「てめぇの御神刀にだって、意思はあんだろ? ハッキリしねえまでも。それと同じじゃねぇ?」
―――――同じ。残雪と。
指摘されても、清音はすぐには頷けなかった。
根本は同じなのだろうが、やはり、アレと残雪は別物だ。
「でも、東州王は、赤闇の呪いにかかってないんだよね?」
「あれは、神の空間に行った場合の話だろ。俺はかかってねぇ。舞台は、あくまで、…俺の夢だ」
忌々しげに、闇を睨む義孝。
「悪夢が終わったと思ったら、次は神の来訪だ。いくら自分の夢つっても、一晩中戦い続けるってのは、けっこう、骨だったぜ?」
現実なら、体力が尽きれば終わり。それ以前に、力の差は歴然としている。だが、夢の場合。
見ている者の精神力が勝負だ。
義孝が一度でも、耐えることを放棄していれば、彼は今生きていまい。
ヒヤッとしながら、清音は慎重に尋ねる。
「このこと。和泉さんには、言った?」
宗親は、意図的にこの情報を隠したのだろうか。
清音の言葉に、義孝は平然。
「言ってねぇ」
「ちょっとぉ?」
すかさず抗議の声を上げる清音。義孝は不貞腐れ、ぼそぼそ。
「アイツはヘラヘラして見えて、抱えてるモンが半端ねえんだよ。鬼彦も刀馬も八雲も、な。言えるか」
清音は、大きく嘆息。
それで、義孝の身に何かあったら、宗親は自分自身を責める。それは考えないのだろうか。否。
義孝のことだ、隠し切るつもりだったのだろう。
相手が知らなければどう感じることもないさ、と彼なら嘯く。
そして、死んでも、バレるようなヘマはしない。彼はそうと決めたら、やり抜く人間だ。
ならば、ここで清音には誤魔化そうとせず、真実を語った理由は。
―――――清音には分からない。
「なんで、私には教えてくれたの」
「さぁ。…ただ、聞かれなけりゃ、答えなかった」
それだけの話だ、と義孝は流す。
誤魔化された、とは感じない。清音は、逆に納得。
義孝の行動を見ていれば分かる。彼は結構、直感的に動く。
彼の行動の些細なことに、たいした意図はないのだ。
―――――なんとなく、そうしたかったから、そうした。
それだけのこと。深く考えているわけではない。
「そう。なら、…ひとまず、」
清音は視線で、蠢く闇を真っ直ぐ射抜く。
このままこうしていても、埒が明かない。残雪がある限り闇は動かないが、それだけだ。近付くべく、様子を伺っている。
朝になれば消えるかもしれない。
しかし、悠長に付き合うのも、不快が募るだけ。ならば。
清音は、手元の残雪に、意識を集中。馴染んだその感覚に、怖さを誤魔化す。
いつもの鍛錬と、なんら変わらない、と。
闇に、目を凝らす。
―――――アレを、追い払う、方法は。
思うなり、脳裏に解答が閃く。
これが、残雪の意思と言うなら、意思なのだろう。
会話を交わすわけではないが、清音には慣れた感覚。
それを理解してくれるのは、今では清貴しかいないけれど。
思考の残滓を振り払い、清音は床を蹴る。
狙うのは、壁際。凝った闇。一気に、ケリをつける。
低い姿勢で、残雪を振りかぶった。刹那。
思わぬほど素早く、清音の斜め下をかいくぐる、意思持つ闇。
清音は息を引く。立ち止まり、振り向いたときには。
―――――闇は、義孝の、目の前。
至る寸前、闇は顎を開く。獣のように。
影絵のように見えたそれは、義孝を喰らおうとしているように見えた。
迎える義孝は。
逃げない。
真っ直ぐ、背を伸ばし、太刀を構える。
轟然と闇を見下し。
―――――不敵に笑った。まるで、挑戦するように。
見る、なり。
ひどくたまらなくなる。
それは、置いてけぼりを食らった気分に似ていた。
誰も頼りにしていない、―――――そんなふうに言われた心地になって。
(くやしい)
いる。清音が、ここにいる。
守ってみせる。否。
(まもりたい)
身をひねり、再度残雪を振りかぶる清音。とたん、閃く理解。絶望的。
間に合わない。
奥歯を食い縛る。だが。…まだ!
―――――やらせて、
(…なるか!)
叫んだ。御神刀の名を。乞うように。
「ざん、せつっ!!」
読んで下さってありがとうございました!




