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封神草紙  作者: 野中
第二部/第二章
46/87

第五撃  困った王さま

先に行っていた八雲が急かす。


宗親は清音の頭を軽く撫で、すぐさま踵を返した。

そのまま、振り向かず行く三人を見送った後、清音は寝室に入る。


秘密を吐露したのは清音のはずなのに、逆に宗親の秘密を垣間見た気がして、妙に胸が騒いだ。


そんなつもりはなかったのだが、宗親には、変に律儀なところがある。清音が胸の内を明かしたのなら、自分もそうせねばならないとでも思ったのだろう。

そういう、男だ。

寝台に近付けば、八雲が灯しておいてくれた燭代の焔が、小さく揺れる。

近くの机に盥を置き、布巾を絞った。

薬箱を手に、布を広げながら寝台に近付く途中、義孝と目が合う。

「傷、痛む?」

「痛みがあっても、どうにもならねぇよ」

「さすってあげるとかはできるよ。気休めだけど。誰か、してくれたこと、ないの」

返事を拒絶するように、ふぅ、と義孝は目を閉じた。

清音も、それ以上追及しない。無言で、傷を手当て。

義孝の汗を拭う。額。こめかみ。頬。首筋。


…ずいぶんと、火照っている。


(平気なわけ、ないのに)

毒を身に受けたまま放っておいて、本当に大丈夫だろうか。

不安を押し殺しながら、義孝の看護をしているうちに、清音は気付く。

義孝は、慣れている。こういった、看病に。


義孝は東州王だ。それも当然だろう。だが、侍女たちの世話は、所詮、仕事、だ。

そうでなく、肉親の触れ合いめいた、気心が知れて、気遣いに溢れた世話焼きの接触に、慣れている、ような。

そんな、気がした。


彼から、肉親のことは聞いたことがない。清音も聞いていない。

今朝の様子から、母親には弱いようだが、その人にしても、いるのは別邸だ。何か、距離を感じる。

だが、義孝には。

(たくさん、いるよね)

既に亡くなった、と聞く征一朗と言う男。彼も、きっと思いやり深い人物だったに違いない。


湯を張った盥で再度布巾を絞りながら、清音はぽつり。

「ここのヒト、皆やさしいよね」

ここにいると、村とはまったく違うのに、もう取り戻せないあの場所を、ふいに思い出してしまう。

感傷的になった清音の耳に、義孝の尖った声が突き立つ。


「やさしいヤツは嫌いだ。弱い」


毒で弱っているせいだろうか。いつもの威勢はない。それに、言い様が子供めいている。

そのためか、いつもほどに腹は立たなかった。

寝台に近付き、清音は義孝の首筋を拭う。

「皆やさしいじゃない」


無論、中には先ほどの侍女のような存在もいる。やさしいだけの場所ではない。

…それに、諏訪秀嗣。義孝の、実の叔父。清音は、ぽつり。

「…そりゃ、諏訪さんみたいな人も、いるけどね」

清音は事前に聞かされていた。

秀嗣もまた、義孝の命を狙っている、と。

州王の地位を得るために。

(そのために実の甥を、なんて、ある?)

最初は、疑問を感じた。だが今では、信じざるを得ない。

なのに、表面上は何食わぬ顔で互いに会話する。寒気がするような白々しさ。

だが義孝は、そんな相手も力づくで追い出したり問答無用で殺したりはしない。できる立場だというのに。

結局のところ。

彼は、一度懐に入れれば、どんな人間も見捨てられないのではないか。

未だ反発は消えないが、最近は、そんな気がしてならない。

「東州は西州に比べて平和だし、央州ほど貧富の差が激しくなくて住みやすいって聞いてたけど…、お城はこんな状態だなんて、ね」

清音の呟きに、投げやりに義孝。

「どこも同じだ」

「でも」

「俺の危険と引き換えに東州が平和だってんなら、いくらでも受けるんだがな」


義孝は、じっと天井を見上げる。

清音には視線すら向けようとしない。それでいて、清音のなすがままだ。信用は、されているのだろう。


夜中が近付くにつれ、さらに冷えていく空気に、清音は別のことを尋ねた。

「着替えなくていいの?」

「…面倒だ。今日はこのまま休む」

「じゃ、少しだけ帯、緩めるよ」

「ん」

本当は着替えた方がいいとは思うが、無理に動くのもよくない。

清音は譲歩。帯を緩めてやりながら、言う。


「なんでそんなに突っ張ってるのか分からないな。ね、東州王。好きでしょ、皆のこと」


とたん、眉間にシワが刻まれた。ジロリ、清音を横目に睨む。だが今は怖くない。

…きっと、義孝は好きなのだ。口でなんといおうと、皆のことが。

それに。

今朝、義孝が言った言葉を思い出す清音。


―――――俺のことを信じる必要も、ない。


思いついたまま、清音はしずかに尋ねた。

「…信じられることが、重い?」

目を見張る義孝。

しかし、清音が答えを読み取る前に、彼はそっぽを向いてしまった。

本当に清貴なみの子供のようで、清音はつい苦笑。

義孝の身体が冷える前に、上掛けをかけてやる。と、彼の肩が小さく揺れた。宥めるように軽く叩き、囁く。

「苦しくなったら、言ってね。そりゃ、私は何もできないかもしれないけど、東州王は、堪えすぎ」


義孝は、嘆息。

根負けしたように、清音を見る。なにやら、バツが悪そうだ。

義孝は、裏に企みごとがある言葉は簡単に見破ってせせら笑うくせに、自分を思い遣った言葉には―――――弱い。

やりにくそうな、困った義孝の表情に、清音は小さく微笑んだ。


きっと、他の皆も、義孝のこういうところに弱いのだ。


しかし、清音はできるなら。

義孝には、傲慢なら、傲慢なままであり続けてほしかった。人間臭いところを見せられたら、情も湧く。

(…なんだか、可愛い)

遠い存在のはずなのに、身近にすら、感じてしまう。

困った王さまだ。

清音の顔から、反発らしいものを感じ取れなかったせいだろう。義孝も、困惑。

困った顔を見合わせているうち、義孝がぼそり。


「殺されかけた相手の世話を焼くなんてな…物好きなヤツ」

嘲りとも挑発とも取れる台詞だった。が、実際の義孝と言えば。


彼が、心の底から不思議がっているのが分かった清音は、ため息をこぼす。


とりあえず、どんなときでも憎まれ口を忘れない根性は称賛に値する。

黙って寝ていろ、というべきか、少し悩み、口を開く清音。

「そうだよ、物好きなんだよ。私が東州王を心配するのも看病するのも側にいるのも私の勝手」

高飛車に見えるように腕を組み、顎を逸らす。


「文句つけられる筋合いなんてないの」




二人揃って、まるで子供の言い合いだ。




義孝は目を丸くした。しばし、絶句。

清音からしてみれば、彼が何にそれほど面食らったのか、分からない。

やがて、義孝は。


―――――気の抜けた笑顔を見せた。


清音は目を瞬かせる。彼のそんな表情ははじめて見た。

(き、貴重…貴重―――――っっ)

思わず、まじまじ見つめる。

なにせ義孝は、いつも気を張り詰めている。

無論、痛々しい、と思わせる弱さは、彼にない。いつも仏頂面で、笑うとすれば、皮肉で不遜な笑い方。ついでに、清音の名を、まともに呼ぶ礼儀すらない。

だが、時に、少し休めばいいのに、とはらはらする。


独り言のように呟く義孝。

「…そうか、勝手、か…」

命じられてもいないのに、やはり物好きだな。

続けられた言葉に、清音はやはり、カチン。悪い人間ではないのだが、義孝は言い方がいけない。

…だが、そろそろ自分が慣れてきたことにも清音は気付いた。

「東州王が勝手なんだし、丁度でしょ」

「違いねぇ」

楽しそうに笑うなり、義孝は起き上がる。清音はギョッと彼の肩を押さえた。顔を曇らせ、目を覗きこむ。

「もう寝なよ。しんどいんでしょ」

「いや」


義孝が、首を振ったとき、清音はようやく気付いた。


顔色がいい。汗が引いてきている。義孝は、にやり。

「どうやら毒は、ありきたりのものだったらしいな。もうほとんど、影響ない」

「でも」

「着替える」

寝台から立ち上がる義孝。そこまで言うなら、仕方ない。

清音は慌てて離れる。


「じゃ、私、外に出てるね」

「あぁ?」

とたん、なぜか義孝は不機嫌になった。当たり前のように言う。

「八雲は控えてるんだろうが、外は危ねぇ。居ろ」

「え、命令っ!?」


正論のようで、間違っている気がする清音。


清音は義孝の護衛でもあるのだからそこにいろ、というのなら分かる。

けれど先ほどの台詞は、どうもそうではない。

―――――清音の身を案じている。

一瞬、混乱。だが。


―――――リイィン…


残雪が鳴るのが早かったか、二人が部屋の隅を振り向くのが早かったか。

ふたりの視線が向くと同時に。




―――――ぞろり。




部屋の隅の闇が、蠢いた。

錯覚か、と一瞬思う。だが、間違いない。

視線の先、…闇が、鼓動を刻むように奇怪に踊る。

義孝が舌打ち。

「千客万来、ってのぁ、このことか」

枕元の、彼の太刀に手を伸ばす。闇に目を凝らしていた清音は、突如、息を呑んだ。


「だめっ、東州王、動かないで!」


言い様、残雪を引き抜く。とたん。




水が沸騰するような音が弾け、闇がのたうつ。




太刀を手にした義孝が、同じように目を凝らした。しかし、どうやっても、姿は捉えられない。だが、逆にそのことが、相手が『なに』か、を彼らに教えた。


神。


本体か、分身か、それとも幻か。

けれど確かに、そこにいる。

注意深く残雪を構えながら、義孝を守るように立つ清音。

彼女の背後、不敵に笑いながら、義孝。



「―――――…どうやら、よほど俺にご執心らしいな。神は」



…確かに。

闇から、おぞましいような執着を感じ取った清音は、納得しかけた。が。

「ご執心って…どういう、こと」




清音が、宗親から教えられていた、義孝の状況。それは。


義孝が連日、眠れないほどの悪夢を見ていた。

ゆえに、最終的に彼は睡眠を拒絶。

調べたところ、悪夢を彼に見せているのは、神の力を借りた紡ぎ人と分かった。

十中八九、義孝への敵対勢力の雇われ者。

よって、早急に処断すべきは、紡ぎ人。

義孝に悪夢を呼んだ紡ぎ人を見つけ出し、処分するまでの間、清音は御神刀で、紡ぎ人に操られた神の力から義孝を守るのが役目。そして。

もし危険が迫れば、御神刀で、神を殺すべし。


これで、ぜんぶ。




先程の義孝の呟きは、それだけでは説明がつかない。

義孝の言い様では、紡ぎ人ではなく、まるで神自身が己の意思で行動しているようだ。

「…意外と、耳聡いな、てめぇは」

「余計な言葉はいらない。答えて」

できるだけ正しい情報を知っていなければ、対処を間違う危険がある。

清音の真剣さに、義孝は声を低めた。


「最初は悪夢だけだった。ところがそのうち…、神そのものが訪れるようになった」

一瞬、何を言われたのか、清音には理解できなかった。構わず、義孝は続ける。

「夢路がつながったんだろう。つないだのが、紡ぎ人か神自身かは、分からねぇ。俺の勘じゃ、後者だ。―――――紡ぎ人は、神の力を利用するつもりが、俺に対する好奇心を煽って、暴走させちまったってところじゃねえのか」

清音は青ざめる。



となると、敵は紡ぎ人ではなく。



清音は、つい、唸った。

「…そうだね、最初から、言ってたよね。―――――神を殺せるかって」

こういう、ことか。


…とんでもない状況だ。


清音は闇を見据える。どうやら、確かに残雪の刀身に効果があるのは救いだが。

背を、嫌な汗が濡らした。


世界に存在する数多の神は、人間に無関心だ。ただ、在るように、在るだけ。


こうして、具現化してまで、個人に執着するなど、聞いたことがない。

神は、夢路の奥に住まう。夢路の奥、夢蔵に。でてくることは、滅多にない。

獣の姿をした、自らの依り代たる蔵虫を、蔵代を通じて遣わすことはあっても、本体は異空間にとどまったきり、動かない。というのに。


義孝には興味を示し、しかも、残雪が夢路を断ったか、彼が夢に訪れない現状に業を煮やし、具現化してまで本来の居場所でない、ここにやってきた。

「神、にも。…意思が、あるんだ」

呆然と呟く清音。

考えてみれば、当然だ。が、あまりに遠い存在過ぎて、当たり前のことに、現実味がわかない。

義孝は、残雪の刃を見下ろした。

「てめぇの御神刀にだって、意思はあんだろ? ハッキリしねえまでも。それと同じじゃねぇ?」


―――――同じ。残雪と。


指摘されても、清音はすぐには頷けなかった。

根本は同じなのだろうが、やはり、アレと残雪は別物だ。

「でも、東州王は、赤闇の呪いにかかってないんだよね?」

「あれは、神の空間に行った場合の話だろ。俺はかかってねぇ。舞台は、あくまで、…俺の夢だ」

忌々しげに、闇を睨む義孝。


「悪夢が終わったと思ったら、次は神の来訪だ。いくら自分の夢つっても、一晩中戦い続けるってのは、けっこう、骨だったぜ?」


現実なら、体力が尽きれば終わり。それ以前に、力の差は歴然としている。だが、夢の場合。

見ている者の精神力が勝負だ。


義孝が一度でも、耐えることを放棄していれば、彼は今生きていまい。


ヒヤッとしながら、清音は慎重に尋ねる。

「このこと。和泉さんには、言った?」

宗親は、意図的にこの情報を隠したのだろうか。

清音の言葉に、義孝は平然。

「言ってねぇ」


「ちょっとぉ?」

すかさず抗議の声を上げる清音。義孝は不貞腐れ、ぼそぼそ。

「アイツはヘラヘラして見えて、抱えてるモンが半端ねえんだよ。鬼彦も刀馬も八雲も、な。言えるか」

清音は、大きく嘆息。

それで、義孝の身に何かあったら、宗親は自分自身を責める。それは考えないのだろうか。否。


義孝のことだ、隠し切るつもりだったのだろう。

相手が知らなければどう感じることもないさ、と彼なら嘯く。

そして、死んでも、バレるようなヘマはしない。彼はそうと決めたら、やり抜く人間だ。

ならば、ここで清音には誤魔化そうとせず、真実を語った理由は。

―――――清音には分からない。

「なんで、私には教えてくれたの」


「さぁ。…ただ、聞かれなけりゃ、答えなかった」

それだけの話だ、と義孝は流す。

誤魔化された、とは感じない。清音は、逆に納得。

義孝の行動を見ていれば分かる。彼は結構、直感的に動く。

彼の行動の些細なことに、たいした意図はないのだ。


―――――なんとなく、そうしたかったから、そうした。


それだけのこと。深く考えているわけではない。

「そう。なら、…ひとまず、」

清音は視線で、蠢く闇を真っ直ぐ射抜く。


このままこうしていても、埒が明かない。残雪がある限り闇は動かないが、それだけだ。近付くべく、様子を伺っている。

朝になれば消えるかもしれない。

しかし、悠長に付き合うのも、不快が募るだけ。ならば。


清音は、手元の残雪に、意識を集中。馴染んだその感覚に、怖さを誤魔化す。

いつもの鍛錬と、なんら変わらない、と。

闇に、目を凝らす。

―――――アレを、追い払う、方法は。


思うなり、脳裏に解答が閃く。

これが、残雪の意思と言うなら、意思なのだろう。

会話を交わすわけではないが、清音には慣れた感覚。


それを理解してくれるのは、今では清貴しかいないけれど。


思考の残滓を振り払い、清音は床を蹴る。

狙うのは、壁際。凝った闇。一気に、ケリをつける。

低い姿勢で、残雪を振りかぶった。刹那。


思わぬほど素早く、清音の斜め下をかいくぐる、意思持つ闇。


清音は息を引く。立ち止まり、振り向いたときには。




―――――闇は、義孝の、目の前。




至る寸前、闇は顎を開く。獣のように。

影絵のように見えたそれは、義孝を喰らおうとしているように見えた。

迎える義孝は。


逃げない。


真っ直ぐ、背を伸ばし、太刀を構える。

轟然と闇を見下し。

―――――不敵に笑った。まるで、挑戦するように。

見る、なり。

ひどくたまらなくなる。

それは、置いてけぼりを食らった気分に似ていた。

誰も頼りにしていない、―――――そんなふうに言われた心地になって。


(くやしい)


いる。清音が、ここにいる。

守ってみせる。否。

(まもりたい)


身をひねり、再度残雪を振りかぶる清音。とたん、閃く理解。絶望的。




間に合わない。





奥歯を食い縛る。だが。…まだ!

―――――やらせて、

(…なるか!)


叫んだ。御神刀の名を。乞うように。




「ざん、せつっ!!」









読んで下さってありがとうございました!

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