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封神草紙  作者: 野中
第二部/第二章
45/87

第四撃  闇は異形の領分

× × ×











とっくに太陽が落ちた時間。

その日、二度目の騒動が起きたのは、東州王の執務室、畳の上。

暗闇の中、清音は咄嗟に、残雪で刃を弾いた。


逃げろ、と怒鳴られた気がする。


聞かなかったのは、清音だ。結果。

執務室にとどまった清音は、賊と対峙することになった。



朝は、蛇体の化け物。

夜は、暗殺者の群れ。


清音とて、賑やかさが嫌いなわけではないが、こんな物騒さは御免被る。




無論、相手は清音の都合などお構いなしだ。


清音は、この城へやってきたからというもの、夕刻には、義孝のそばに侍るようになっていた。闇は異形の領分。ゆえに、神を殺すべく呼ばれた彼女が、夕刻後、義孝と共にあることは既に慣例となっていた。

もちろん、側にいるだけではない。

知っても支障のない仕事や、彼女でもできる簡単な作業の手伝いをしていた清音は、そろそろ手際もよくなってきていた。

自分が城に呼ばれた理由も忘れそうなほど、順調に馴染んできたな、と清音が苦笑気味に考えたときだ。



音もなく複数の人影が、執務室へ飛び込んできた。


―――――何が起こったか、清音はすぐに理解できなかった。



最初、何が執務室に入り込んだのかすら、分からなかったほどだ。

真っ先に反応したのは、残雪。

懐剣が命じるまま、清音は抜刀。頭上に振り下ろされた刃を弾く。




白鞘村の御神刀、…その性質は、ひどく特殊だ。


鋼には、今までそれを扱ったものの経験が蓄積されており、扱う者を導く。

御神刀を持つ者が、剣士としても熟練者となるのは、幼い頃から、こうして指導を受けているからだ。のみならず、毎日の鍛錬も欠かさない。ゆえに。


生半な者相手では、引けを取らない自信が、清音にはあった。




とはいえ、清音は普通の娘だ。


当たり前のように、人を傷つける恐怖は拭えない。だが、あえて踏みとどまった。

その判断が正しいか誤っているか、彼女には判別できない。

しかし、ここまで関わっておいて、自分だけ安全なところに逃げるのは、なにか、間違っている気がした。いや。それより、彼らに、無関係だ、と放り出されるような感覚が、清音に意地を張らせたのかもしれない。


彼女の立場は、あまりに中途半端だ。


義孝たちにしても、どこか、決めかねている節がある。ならば。

せめて、自分できっちり線引きをしなければ、後悔することになるのは、清音だ。

―――――ここは、関わるべきところ!

判断し、清音は逃げない。


足手まといにならないていどの力なら、ある。それさえ分かっていれば、十分だった。


ただ、灯火を消されたあとが、彼女にとっては大変だった。

闇に目が慣れるまでは、時間がかかる。それに。

下手に動けば、同士討ちの危険があった。

必死に、明かりが消える前の状況を思い出す。


義孝は机あたり、八雲は入口付近。味方はこの二人だけ。


三人で複数を相手取らねばならないわけだが、少人数であることは、逆に有利に働いたようだ。

その間、…全員、無言。

それが一番、清音の精神に堪えた。

―――――幾太刀を凌いだ頃だろう。



きっと、それほど長い時間ではなかった。



廊下の彼方から、足音と声が近づいてくる。とたん。

乱刃が遠ざかる。暗殺者たちの気配が、潮が引くように、消えていく。

しかし、清音はすぐに動けなかった。構えを解かず、慎重に房内の気配を探る。やがて。


ポゥ、とやわらかな明かりが、執務室の角に灯った。


照らし出されたのは、八雲の顔。

「…王。北の御方、ご無事ですか」

二人が応じれば、一瞬、八雲の厳しい顔が、安堵に緩む。

だが、すぐに引き締められた。


踵を返し、執務机の方へ向かう。義孝の声がした方向。

本棚近くにいた清音も、慌ててそちらへ足を向けた。


八雲が手にした燭台の明かりが、義孝を照らし出す。いつもしゃんと立っている彼らしくなく、壁にもたれかかっていた。


義孝は二の腕を押さえ、舌打ち。

清音はそこに、血が滲んでいるのを見た。視線に、薄く笑う義孝。

「やられた。毒だ」


「そんな…っ」

残雪をおさめ、清音は慌てて義孝に手を伸ばす。

彼女自身の、気が遠くなるような緊張と疲労など、どこかに吹き飛んでしまった。

「えっと…、ど、どうしたら、そうだ、吸い出せば、」

「大丈夫だ。どんな毒か大体、見当がつく」

「解毒薬があるってこと?」

「違ぇよ」

おろおろしながら、そっと壊れ物のように腕に触れる清音の頭を、思いの外やさしげな所作で撫で、義孝。

「ガキの頃から、身体を毒に慣らしてある。そのうちの、どれかには当たる」

口調は、いつもどおりの彼だ。だが。


清音の目は、義孝の額に浮かぶ汗の粒を映した。

やせ我慢。

そんな言葉が脳裏に閃く。

義孝が言うなら、確かに毒は彼の命を脅かすものではないだろう。

だが、確実に、身体は苛まれている。


義孝を睨む清音。


まったく怖くなかったが、気圧され、顎を引く義孝。なぜだか、清音の表情は、自分が悪いことをした気分になるものだった。

言いたいことがあるなら、言え、と目で伝えた義孝に、清音は抑えた声で、

「慣れてるからって…毒に慣れてるからって、苦しさが、まったくないわけじゃないでしょっ?」


言うなり、腕を伸ばし、手拭いで義孝の額に浮いた汗を慣れた手つきで拭う。目を見張った義孝に、清音は更に言い募る。

「苦しかったら、座っててよ。お願いだから、無理しないで。…不知火さん」

義孝を支えるようにしながら、八雲を振り向く清音。

「この城で、解毒薬とかある場所って、どこかな」

決然とした清音に、八雲は、苦渋に満ちた顔。


「北の御方をお一人で行かせるわけには参りません。わたしが取って参ります。ですが、お二方を、護衛のわたしが放って行くわけにはいきませんので、今しばらく…」

言いつつ、出入り口に目を向ける八雲。同時に、

「東州さま、何事ですかっ?」

「王!」

「御無事ですか、氷炎の君っ」

数人の護衛官・侍女たちが、執務室に押しかけてくる。今朝の光景を彷彿とさせるが、城に来て、清音はこの状況に慣れてしまった。

あまりにも、日常的なのだ。


侍女の一人が、義孝の怪我を一瞥。すぐさま、懐から何か取り出した。


「北の御方、こちらを、氷炎の君に。…解毒薬です。効くかどうかは、毒の種類にもよりますが」

古参、と聞いていた見慣れた侍女の言葉に、清音は安堵の息を吐く。

「ありがとう」

駆け寄ろうとするなり、――――――八雲の槍が壁のように、清音の進路を塞いだ。


それにぶつからずにすんだのは、…傷を圧迫していた手で、義孝が清音の肩を強く抱き寄せたからだ。

強く掴まれた肩が軋み、清音は小さく悲鳴を上げた。痛みに震える彼女の耳元で、




「行くんじゃねぇ」




義孝の、冷酷な囁き。次いで、

「逃がすな、チカ!」

身体の芯まで痺れるような、怒声。応じ、

「ほいよ」

清音の視線の先、身を翻した侍女の前に、いつ現れたのか、宗親が立ち塞がる。


彼目がけ、侍女は躊躇なく短刀を突き込んだ。


視界が闇に塞がれていることもあり、次の瞬間、何が起こったか、清音にはよく見えなかった。

分かったのは、結果だけ。

いつものだらしない格好とにやけ顔の宗親の腕に、どういう手段でか気絶させられた侍女が支えられていた。


「和泉殿」

いつもと同じ、生真面目な口調で、八雲。

「解毒薬をお願いできますか」

その態度は、何ごとも起こらなかった、といわれたらそのまま信じてしまいそうなものだった。肩を竦める宗親も、同様。


「いや、オレがこっちにきたのは、そのことなんだよな」

「…あぁ? そっちでもなんかあったのか」

不機嫌に、義孝。

既に、その腕から力は抜けている。だが無意識か、義孝は清音にもたれかかるように、体重を預けていた。

堪え、支える清音。彼女が静かに奮闘している中、気もなく、宗親。


「ああ。…折角調合しといた薬、大半が床にぶちまけられてた」


宗親は斎門。しかも、最高位の御門さま。医術は、優れた斎門の嗜みだ。

宗親の場合、義孝の主治医でもある。薬の調合も彼に一任されていた。

義孝は舌打ち。清音は眉根を寄せた。

「ぜんぶ、その人がやったの? 古参の侍女って聞いてたんだけど」


宗親は肩を竦める。心底、どうでもよさそうだ。

彼は面倒見がよさそうだが、その実、何にも興味がないような、そんな冷たさがある。

「知らない。けどな、お嬢ちゃん。こういうのに、古参も新参もないぜ?ヤル奴ぁ、やる。そんだけだ」

「…どうして分かったの。どうやって、見分けたの?」

清音はまったく分からなかった。

だが、義孝と八雲はすぐさま怪しいと見破った。その違いはなんなのか。

微笑む宗親。その微笑に、わずかに寂しさが混ざる。




「さぁてね、―――――経験?」




清音の顔が曇った。幸いにして、宗親は気付かない。

勘のいい彼に察せられないよう、清音は俯く。


日頃の、彼らの明るさを思った。

だが、こうして彼らのすぐ側に潜んだ闇の濃さを知るたび、思い知る。


あの明るさを支える根底には、容易に折れはしない強さが潜むのだと。


宗親は、すぐさま周囲に顔を巡らせ、面倒そうに声を飛ばした。

「…おい、お前ら、ここはもういいから、持ち場に戻れ。大勢詰めてても邪魔なんだよ。あ、何人か、こっちに来い。この女、牢に入れるの手伝え」

刀馬がいれば刀馬に任せただろ役目を、仕方なさそうに自主的に行う宗親。


さすがの彼も、この状況は気詰まりらしい。

宗親は大勢で騒ぐことが好きそうに見えて、その実、一人でいるほうが好きなのではないか、と清音は思う。まぁ、日常的に女性を口説いているが、あれにしたって、一対一の会話だ。

人が増えると、宗親はふいっと姿を消すことが多い。


それを尻目に、八雲は思案顔。

「ならば、鬼彦殿の商品の中には」

「無気力商人なら、さっきの暗殺者ども追ってった。適役だろ?どうせ、連中は黒羽だ。アイツが解毒薬持ってたとしても、今晩中は無理じゃないか」

耳聡く聞きつけた宗親の言葉に、義孝は首を横に振る。


「構わねぇ。一晩もすりゃ、毒は抜ける。俺はもう、寝る」

歩き出そうとする義孝。直前、清音からふっと身を離す。

彼女の頭を軽く撫で、すれ違い様、



「…悪かったな」



謝罪。執務室を出て行く。

もたれていたことに対する謝罪か。

気にしなくてもいいのに、と後ろに続く清音。八雲もついてきた。そのとき、清音に耳打ち。

「我々では、王の気を煩わせてしまいます。お任せしてよろしいですか、北の御方」

言われ、やはり、と思う。


どれだけ苦しくとも、義孝は黙って一人で耐えようとする人間だ、と確信。


薄々気付いてはいた。

だがここまで意地っ張りだとは思いもしなかった。

「…うん、分かった。でも私でいいの?どっちかっていうと、東州王が警戒する側の人間と思うんだけど」

「そんなはずはありません。いつも、その、夜を共になさっていらっしゃるではありませんか」

「まぁ、そうだけど」

そこに致命的な誤解を感じながら、それが何か分からないまま、清音は首をひねった。

八雲は重ねて言う。

「…王の寝顔を見られたことは?」

「あのひと、いつも熟睡してるよ?」

なぜか、八雲は満足そうに頷いた。彼がいいのなら、いいのだろう。


八雲たちで無理なら、清音に素直になるとも思えないが、本来、部外者の清音だからこそ、言えること・できることもあるかもしれない。


再度頷き、義孝の看護を引き受ける清音。

寝室に入り、義孝が寝台に背から倒れこむところまで確認し、八雲は戸口で一礼。

「それでは、わたしはこの付近で控えております。何か御用がございましたら、いつでもお声掛け下さい」



「あ、よかった、間に合ったね」



声に顔を上げれば、慌てて飛び起きたといった風情の刀馬が、丸眼鏡を押さえて立っていた。

「楠木殿」

「はい、こんばんは」

二人に、おっとり微笑み、刀馬は後ろに控えていた侍女を振り向く。

「義孝さまが、毒を受けたって、宗親さんに走らされた護衛官から聞いてね。お湯沸かして、盥に張って、手拭いも新しいの持ってきたんだけど」

しずしず進み出た侍女を、八雲が遮った。


「今、王を刺激するのはよくありません。それは、北の御方にお渡しください」

「ああ、そうだねぇ。…清音ちゃん、悪いけど、お願いできる?」

刀馬の指示に、侍女はおとなしく従う。

態度だけでは、周囲のやり取りに彼女が何を思ったかは推し量れない。

目で感謝の意を示し、素直に受け取る清音。


「君、ありがとう、もうさがっていいよ」

刀馬の指示に、やわらかな微笑を浮かべたまま、侍女は一礼。音もなく踵を返し、立ち去る。

「彼女は、気が利きますね」

「うん、たすかるよー。こんな時間にも、当番でないのに、嫌な顔ひとつせずに動いてくれる」

八雲の言葉に、ボサボサの頭髪を押さえながら、刀馬。学者先生は、苦笑。

「おれが用意してたら、絶対なにか間違うからさ」


「お前、勉強はできるくせに変なところで不器用だからな」

懐手で現れたのは、長髪・はだけた胸元・女好きの、型破りの斎門。

「あとは本の虫に任せる。オレはもう寝るから」


「えぇっ?もうちょっと詳細に、状況の説明くらいしてくれないかな」

丸眼鏡を押し上げ、途方に暮れた声を出す刀馬の応援のつもりで、清音。

「そうだよ、朝の騒動の後、二度寝したんでしょ」

「…呟いただけなのに、よく覚えてんのな、お嬢ちゃん」

宗親は、バツが悪そうに刀馬から目を逸らす。彼を責める目で見て、刀馬は嘆息。


「―――――件の侍女は、牢にひとまず入れたんだよね」


問答無用とばかりに促し、先に立って歩き出した。

寝室から少し離れるつもりか、八雲もついていく。


肩を竦め、さらにあとから続こうとする宗親。それを見たとき。




思わず、清音は盥の下から伸ばした手で、宗親の袖を掴む。




驚いた顔で、宗親は立ち止まった。振り向く。

彼を真剣な顔で覗き込み、清音は単刀直入に、


「和泉さんは、神を殺す方法を知っている?」


低い声で尋ねた。

さらにギョッとした宗親が何かを言う前に、清音は早口で続ける。

「ごめん、私、神を殺す方法なんて知らない。東州王には、殺せるって言ったけど…、知らないんだ」

あのとき。

弟を助けたいいっしんで、清音は嘘をついた。


口から出まかせを言った時は、どうにかなると思っていた。が、実際やってみれば、それは思いのほか難問で。白鞘村の神宿る刃、御神刀さえあればなんとかなる、というものでもないはずだ。

そんな、簡単な話では。

調べようと思っても、どこから何をすればいいのかさえ、分からない体たらくだ。字すら、ろくに読み書きできない。


やれる、といった以上、努力するつもりはある。しかし。


現在の清音は、八方塞だった。お手上げ、なのだ。だが。

宗親は斎門で、しかも最高位の御門。なにか、知っているのではないか。

…藁にも縋る思いで、尋ねた。

義孝にこれを告げ口されれば、清音たちは終わりかもしれない。それでも。



―――――先ほどの件を、思う。



義孝たちの敵は、神ばかりではない。いつまでも、清音への依頼が長引くのは困るはず。

必死の清音に、何かを察する宗親。

素早く、先を行く二人に視線を向ける。次いで、義孝の寝室の入口を。

宗親は声を低め、真剣に告げた。

「悪い、オレも知らない。けど」


―――――神と意思を通じ合わせる方法なら知っている、と。


その意味を詳しく考えることなく、ただ、一言も聞き漏らすまい、と耳に意識を集中する清音。

宗親は小声で早口に続けた。

「魂を同調させるんだ。そうすれば、言葉を通じ合わせることならできる『かもしれない』。いいか、確実じゃない。もしできたとしても、同調させた魂は、蝕まれる。…神の巨きさに耐え切れず、な」

「…どういうこと」




「寿命が削られる」




清音は質問後はじめて、目を瞬かせた。同時に、納得。


だからか。


確実でなくとも、方法を知っていながら、宗親がそのやり方を取らなかった理由は。

そんな代償を、義孝は望まない。

ゆえに、探した。

代償なしに神を葬る方法を。

「御門は、その代償なしに、『門』の中の神と接触できるが、…正確には、それが可能な斎門が御門になるわけだが、他の神にまで通じるわけじゃない」

一瞬、宗親は声を詰まらせた。次に押し出された声は、彼らしくない、苦渋に満ちたもの。



「――――――だが、本来、方法を知っているオレがそれをやるべきだった。なのに、オレはアンタを捜し、コトの後始末をアンタに押し付けようとしてる。できれば話し合いで解決ってのが理想だが…いや、最低だな」

刹那、宗親の顔を、強い後悔が掠める。

その意味も知らず、清音が、必死で首を横に振ったとき、




「和泉殿、お早く」




読んで下さってありがとうございました!

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