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封神草紙  作者: 野中
第二部/第二章
44/87

第三撃  気にしたら、負け


おそらく。


残った三人を見遣る清音。

…それを、彼らは知っている。知り合って間もない清音などより、はるかに深く正確に。

(そう、なら)

まだ、義孝は大丈夫だ。独りでないなら。…大丈夫だ。


ホッと気が緩むなり、別の心配がわいた。そう、心配、だ。


義孝は、ひどく強気でわが道を行く人間だ。ゆえに、清音は近寄り難く、反発を覚えてしまう。だが、不思議と単純なところに隙があった。たとえば、

「ところで…東州王、ちゃんとお食事、してくれるのかな?」

これだ。


なぜこういう普通の日常生活がまともにできないのか、清音は理解に苦しむ。子供でもないのに。


無論、清音の村に困った大人がいなかったわけではないが、それにしたって義孝は極端だ。

清音は、義孝が先ほど口にした量を思い出す。


…心もとない。


眉根を寄せた清音に、そうですわね、と梓も深刻な顔。

「あの方は本当にお仕事人間ですから…ぎりぎりになっても、まだ堪えてしまわれるのです。八雲くんでは、氷炎の君に強く出られないでしょうし―――――そろそろ夕食の時間ですけれど、わたくし、これから厨房へ向かって、せめて食べやすい軽いものを見繕って参ります」

「あ、なら私も一緒に」

「清音さまのお仕事は、別にありますよ?」

梓はにっこり。清音は乾いた笑いを見せる。


梓は、清音のそばでおとなしくしていた清貴に手を差し出した。

「一緒に厨房へ参りません? 甘いものはお好き?」

その手と姉を交互に見遣る清貴。目を瞬かせ、梓に尋ねる清音。

「…いいんですか?」

おずおず。

しょっちゅう預かってもらうことが悪く、困った顔になる清音。

無論、彼女自身が、清貴から離れたくないこともある。が、清音とて、自分がここにきた理由を弁えていた。

頷く梓に、彼女なら安心だ、と清貴を見下ろす清音。

「…なら、お言葉に甘えます。一緒に行ってきていいよ、清貴。また、あとでね」

清貴は、じっと姉を凝視。やがて、こっくり、大きく頷く。

差し出された梓の手を取った。そのとき。


遠くから響き始めた梵鐘の音に呼ばれたように、工房の出入り口から、鬼彦が入ってくる。

「義孝くん、護衛がいっぱいいる区域に入ったから、ぼくはもう一度、町に向かうね」

すぅっと音もなく入ってくるなり、抑揚のない声で告げ、また出て行こうとした相手の襟首を、むんずとつかんだのは梓。

「お待ちなさい」


一瞬、キュッと何かが絞まった音がした。場の全員、何も聞かなかったことにする。


咳き込む鬼彦に、にこやかに梓。

「あとで厨房に顔を出してね。侍女たちは滅多に城下へ出られませんから、お買い物に飢えているの」

鬼彦は、無表情で彼女を振り向く。崩れない、梓の笑顔は鉄壁。

心なしか、鬼彦の双眸が恨めしげになる。

それでも、すなおに、こっくり。

「…わかった」

じゃ、すぐにでも、と踵を返した鬼彦に、清音。


「すぐにって…鬼彦さんは、荷物、いつもどこに置いてるの? 今朝も出かけるって言ったとき、何も持ってなかったけど」

「え」

清音を見遣り、鬼彦は首を傾げる。


「持ってるよ」


清音は鬼彦の、何も持っていない手を見下ろした。再度、頭のてっぺんから足の先まで眺める。

商売道具、といえそうなものがどこかに納まっている気配はない。

結果、至極当然の質問を投げた。

「どこに?」


「え」

また首を傾げる鬼彦に、宗親が噴き出す。

鬼彦の態度がおかしいというより、清音のごく当たり前の疑問が面白かったようだ。

促す宗親。

「まぁまぁ、催促されたんだ。無気力商人さんよ、商品、出して見せてやれば、納得すんじゃねえの」

「ああ、うん」


すたすた、無防備に清音に近付く鬼彦。その途中、背に手を回した。

立ち止まるなりその手が正面に来る。と。

「え、え、…ええぇっ!?」

鬼彦の手には、繊細な簪があった。しゃらり、細かな細工が涼やかな音を立てる。


鬼彦は先ほどまで清音に背中を向けていた。

そこに、そんな繊細なものがしまわれている痕跡は見当たらなかった。清音の深まる疑問など気にした様子もなく、鬼彦。

「この簪とか、清音ちゃんに似合うと思うな。いつかちゃんと正装してさ、つけて見せて」

清貴と手をつないだ梓が、一部始終の様子に、上品に苦笑。

「鬼彦くんが商品をどこにしまっているのか、知っている者はおりませんから、お気になさらず、清音さま」

それでは失礼。

優雅に一礼、清貴を連れた梓は清貴と工房を出て行った。

二人を見送り、そうか、清音は納得。


――――――気にしたら、負けなんだ。


ひとつオトナになった彼女の横顔を見遣り、刀馬は苦笑。

「鬼彦さんはね、元・黒羽だから。今は引退してるけどね。相当の腕利きだったせいか、日常の行動基準が既に奇術なんだよね~…」

「黒羽って…密偵や斥候、暗殺がお仕事の?」

物騒な単語に、清音は面食らう。

無表情にボーッと突っ立つ商人の姿とは結びつかず、脳内がこんがらがる。

斎門も似た仕事を担う場合があるのだが、彼らの場合、修行し、徳を高め、星を読み、吉凶を占う、そちらの印象の方が強い。


察したか、整理するように言う宗親。

「ま、黒羽って、東州じゃ馴染み薄いよな。頻繁に実用で使ってんのは、央州くらいだ。東州と西州じゃ、同じ役目をオレら斎門が担ってるからな。御門の役目があるのも、東と西だけ」

「―――――それは仕方ない。東と西には、実際に、『門』がある。央州にはない」

鬼彦は、ぼそり。頷く清音。

そして、『門』という地獄の蓋があるからこそ、ヒガリ国を他国が狙うことはほとんどない。


―――――神は夢路の奥に住まう。


神が棲む場所を夢蔵と呼び、そこへ至る道を、蔵代と呼ぶ。蔵代は、現実と夢蔵の接点。此の世と彼の世の境、泡沫の場所。


このヒガリは、蔵代が具現化しやすい。

その際、国守が、血統の中に受け継ぐ楔の力で、蔵代を閉じる。のみ、では不完全なため、そこに梵鐘を吊り下げ、再度斎門が封印を施し、はじめて大地は安全になる。だが。


『門』、というものは。


蔵代のように、偶然できた裂け目ではなく、はるか昔から存在する、異質な場所。

直に神に触れられる、と言えばいいのか、それとも、―――――人間より大樹よりこの世のどんな建築より巨大な存在が縁ぎりぎりまで身を詰め込んだ場所、と言えばいいのか。

それもまた神、と分類するほかないが。

その存在を垣間見ることができる穴。それが。

『門』。


穴がそれ以上開かないよう、また、中にいる『存在』と意思疎通の可能なほどの力を持つ斎門が、ゆえに、御門さまと呼ばれ、斎門の最高位に着くのだ。


和泉宗親は、そういった存在である。いくら女好きでぐーたらだろうと。


「なけりゃないに越したことないだろ、『門』なんて。と、まぁそんなわけで」

清音を見遣り、宗親は続ける。

「オレと鬼彦って、ある意味同業だったわけ。だから最初は…―――――殺しあったんだよ」

いきなりの言葉に、清音は、唖然。何がどうしていきなりそうなるのか、まったくつながらない。

脇から付け加える刀馬。


「えぇっとね、清音ちゃん。宗親さんは、昔っから城に出入りしてて、義孝さまの護衛みたいなことしてくれてたんだよ」

「え、まさか、自主的に?」

あり得ない、という響きを言外に滲ませた清音に、唇を尖らせる宗親。わざとらしい。

「なんだなんだ、その言い方。含みがあるな。勿論、とか言い返したいところなんだが」

清音は肩を竦める。

「ないよね、そんなの。だって和泉さん、面倒見はいいけどだらしないし、自分からは動かないもの。誰かに命令されたら、逆らわないけどって、程度で」


「清音ちゃん、よく分かってる」

感心したげに、鬼彦。刀馬は苦笑。

「そのとおりだよ、清音ちゃん。宗親さんが動いたのは『斎門だし、丁度いい』って、鷲峰さまに言われたから」


「偉そうに解説するようになったなぁ、本の虫。お嬢ちゃん、コイツはね、いまでこそこんなデカくなったけど、昔はそりゃもう泣き虫で」

「ちょ、昔の話を出すなんて、卑怯…っ」

うろたえる刀馬に、清音はなんでもない顔で、一言。

「あ、なんとなく想像つくし、さして意外でもないから、そんなに慌てることないよ」

止めを刺した。愛想笑いを引き攣らせる刀馬。

「え、あ、そ、…そう?」

それでもどうにか頷く。落ち込んだか、肩が下がった。

清音のみならず、つい、イジりたくなる人物だ。

にやにやした宗親を恨めしそうに見遣り、刀馬。


「話の続きだけど…丁度宗親さんが護衛してる最中にね、―――――来たんだよね~…、鬼彦さんが」

宗親が、さらりと続けた。

「王サマの暗殺者として、な」

清音はギョッ。鬼彦を振り向く。彼はぼんやり、無表情。他人事、の顔。

一拍後、


「あ、ぼく?」


ようやく視線に気付き、頷いた。

「うん、ぼくは元々義孝くんを殺すために東州にきた雇われ者の黒羽。失敗したしさ、面白そうな話を義孝くんが持ってきてくれたから、黒羽辞めちゃった」


が、鬼彦が口にしたのは、原因と結果のみ。成り行きがごっそり抜けている。


宗親との勝負が気にはなったが、今ここに二人が揃って立っていることが、答えなのだろう。

(それにしたって)

東州王が持ってきた、面白そうな話、とは、なんだろう。

しかし、清音以外には説明するまでもないことらしく、刀馬が話をしめた。


「だから、まぁ。敵とか味方とか、裏切りとか内通者とか、…本当の意味では、義孝さま、全然気にしてないよ。―――――なにか気にして今朝みたいに言ったなら、気にしてるのは、もっと別のことじゃないかな」


言って、困ったように、刀馬は清音を見た。

どうやら、今朝のことを気にしてくれていたらしい。

こういった気遣いは、あたたかい。

思わず清音の頬に、ふわり、微笑が浮かぶ。

「…はい」


面食らう刀馬。意味もなく咳払い。わずかに赤くなって、目を逸らした。

反対に、宗親は楽しげに口笛を吹く。

「やっぱ、そっちがいいな、お嬢ちゃん」

「そっちって」

「女の子は笑顔が一番ってこった。最近いっつもしかめッ面だろ。気ぃ張ってんのは分かるけどよ」

「え、そうだった?」

笑顔云々はともかく、清音は虚を突かれた。そんなに、怖い顔をしていただろうか。

(と、いうより…)


気を張っていると、素直に顔に出してしまう自分の単純さを反省。そして、なっとく。

そのせいなのだ。

ここ最近になって、彼らが内情をぽつぽつ話したり、気遣ってくれるようになったのは。

「…そっか。うん。ごめん、ありがとう」

「だいたい、お嬢ちゃんは可愛いんだし、勿体ねぇよ、ムスッとしてんのは」

「あはは」

照れくささの誤魔化しで、工房内の棚に目を向ける清音。

と、一角に、たくさんの書物が詰まっていることに気付く。だが、清音には難しい。背表紙だけでも、ところどころしか読めない。


以前、義孝のところへ向かう夕刻まで時間が空くから、と忙しそうな刀馬に手伝いを申し出たことがある。

しかし、『その本に手順が載っているからそのとおりにやってくれ』と言われても、読めなければどうしようもなかった。


そして、あとひとつ。重要なことがあった。


清音が城に、…義孝のそばにいる理由だ。

―――――神を、殺すため。

あのとき、義孝に向けられた刃から逃れるため、なにより、上臈を殺した弟を見逃してもらう代わりに、清音はそれを約束した。

だが当然、そんなこと、清音が知るはずもない。だから、調べる必要があるのだが。


いくら城内に書庫があっても、字が読めなければ、いかんともしがたい。

神を殺す方法など、書かれている書物があるとも思えないが、何か、それにつながるものを探そうにも、これではどうしようもなかった。


仕方ないことだが、清音には、学がない。

村にいるときは、これでもなんとか、生活をしていく術はあったが、今はそれでは心もとなくなっていた。既に、村はないのだ。何より、学があって、損はない。それに、清貴のためにも、きっとなる。

思いつめていたせいで、言葉は、ほとんど無意識に唇から零れていた。


「…あのね、字を覚えられる本って、なにかいいの、あるかなぁ? 私でも読めるもの」

やぶからぼうな言葉だったにも関わらず、男たちは「どうしたんだ」と尋ねることもなく、思案顔。ともすると、刀馬が、事前に清音の気にしていることを話していたのかもしれない。案の定、


「それなら一応、…前、刀馬くんに聞かれたあと、それとなく物色してたものがあるんだけど」


無表情に、どこからともなく冊子を数冊手元に取り出す鬼彦。

なぜか掲げるように三人に見せ、どういうわけか満足そうに、清音に手渡す。


「あげる。じゃ、ぼく、梓ちゃんに呼ばれてるから」


ようやく目的を達した、といわんばかりの態度で、鬼彦は音もなく工房を出て行った。早業に、清音は唖然。刀馬も似た反応で固まっている。

宗親はつまらなさそうに頭を掻いた。

「あの態度、いつ渡すか悩んでたんじゃねーの」


「というのか、これって」

冊子を見下ろし、清音。

「…商売道具なんじゃ…?」

はた、と清音の手元を見下ろす宗親と刀馬。彼らの表情に、困った顔で、清音は微笑む。

「あれ、もしかして、今気付いたとか…?」

「あ、いやいやいや。ま、アイツがあげるつったんだから、もらっとけ」

手を横に振る宗親。

続いて、刀馬が苦笑。




「これだからあの人、商売がヘタだって言われるんだよね」










読んで下さってありがとうございました!

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