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封神草紙  作者: 野中
第二部/第二章
42/87

第一撃 出口を失った疑問

「―――――まったく、アナタ方ときたら」


空が茜色に染まる頃。

清音が清貴の手を引いて訪れたのは、刀馬の工房。

州府で、上臈の子らに教育を施す学者の彼は、そのためか、面倒見がいい。なにより、子供好き。時に、自分こそが子供のような態度で、なんだかよく分からない発明品の説明をしてくれる。

出身は国の端の貧しい村落ながら、文官の資格を持つと聞くが、刀馬はなぜかそれを固辞し、教師の座にとどまっている。

彼の発明品の中に、時に清貴の遊び道具に丁度いいものがある。本来は、妹の要請でつくりはじめたものが、いつの間にか趣味になった、と刀馬は笑って言った。その妹は、随分前に亡くなった、と聞く。

今日も、それを目当てに来たのだが。

片手に時雨を抱いた清貴の手を引いた状態で、工房の中の状況に清音は面食らう。


「…ナニゴト?」


清音は、いつものごとく、授業を終えた刀馬が一人で黙々、作業を続けていると見当をつけてきた。と言うのに。

「…よぅ」

刀馬の作業台に腰かけ、行儀悪く片足で胡坐をかいているのは、東州王。

ぺこり、会釈する清音。

彼女を尻目に、ちらり、義孝は手を引かれた清貴を見遣る。深くなるしかめ面。身体が固くなる。だが、義孝の表層に現れたのは、嫌悪より、緊張。

清音が知る限り、彼は子供嫌いということだが…、


(もしかして、単純に苦手なだけ、とか?)


清貴は周囲の状況など気にも留めず、相変わらずのへの字口で、目を伏せ、姉に従っていた。

義孝を見上げ、刀馬は丸眼鏡の奥の瞳に苦笑を浮かべる。


だからと言って、今更場所を移動するのもわざとらしい。それに、清貴はおとなしい子だ。いつものように、どこかに力が入っているような弟の手を引き、房へ入る清音。

さらに嫌そうな顔になる義孝を無視し、ふたりの逆側に視線を転じる。

彼女の興味は、そちらにあった。


様々な生薬の並んだ木棚の前で、正座させられている男が二人。

斎門の最高位・御門たる和泉宗親と、商人の鬼彦。


彼らの前には、腕を組んで二人を見下ろす不知火八雲。

東州で高名な武門出身の、槍の名手。

生真面目な彼が漂わせる空気は、いつも禁欲的で潔癖。

どういう理由か、今は額に青筋を浮かべている。そして、くどくどくどくど、言わずもがなのことを懇切丁寧に言い含めていた。何を言っているかは知らないが、右から左へ聞き流す清音。


ちなみに、宗親・鬼彦・八雲の中で、八雲が一番年下。


いたのは、彼らのみではない。

「梓さん」

離れて八雲たち三人を微笑ましげに見ていた女性に近付き、清音はそっと声をかけた。

思えば、彼女は彼らと仲がいい。ここにいても不思議はない。

が、彼らと梓が揃っているところを見たのははじめてなせいか、少し、意外だった。


少なくとも人前では、梓は彼らと一線を引いている。


「今日はどうしてここに?」

寛いでいる彼女の様子に、彼らとの親しさを感じながら、清音は純粋に疑問を口にした。

清音の質問の意図を正確に察し、頷く梓。

「刀馬くんに、清音さまご使用のお道具の修理を頼もうと…」

「えぇっ? 私、そのくらいやりますよ?」

驚きに、言葉の途中で清音は思わず口を挟む。

すぐさま、作法違反に気付いた。ぴたり、口を閉ざす。

無言で、お先に、と目配せ。梓は苦笑。


「構いませんよ、いくらわたくしが作法の教師とはいえ、このような私事でまで、そう固くなられずとも」

前置きし、清音の緊張を解したのち、梓は頬に手を当て、嘆息。

「…そう、修理を依頼しようと思ったのですが、急ぎの用事が刀馬くんにはあるようですので、次回に持越しですね。それで、世間話に花が咲いているうちに、こちらの方々が入ってこられたのです。居合わせたのは、あくまで偶然なんですよ」

黙々と作業を続けながら、ボヤく刀馬。

「ここってどうも、溜まり場にされやすいんだよねぇ」


「それがいやなら、あんまり居心地いい造りにしねえこった。にしても、どうすっかな」

義孝は、八雲の背をちらり。

「アイツに用事があんだが、終わんねぇな…」

「なにがですか?」

義孝の小声につられ、小声になる清音。きょとんとした彼女に、義孝は、にやり。

声に出さず、唇だけ動かして、言う。

――――――説教。

清音は面食らう。

そう言えば、と先ほどから聞き流している八雲の言葉を、しっかり耳でとらえてみた。


「二人揃って、イイ歳なんですから、そろそろ分別くらいつけて頂けませんか。和泉殿に至っては、ご自身の身分を考慮され、もう少し御自重ください。鬼彦殿もですよ、あのように目立っては、お役目に差支えが出るのではないですか。お弁え下さい。目の前の楽しみだけを優先させるのではなく、もっと先のことを…、って、聞いていらっしゃいますかっ?」


八雲の、声も口調もあくまで冷静。だが、額に増える青筋。

反して、目の前にいる二人はといえば。


おざなりに頷いたのは、宗親。

「あー…、聞いてる聞いてる」

「本当でしょうね?」

「本当本当」

とたん、八雲の目が据わる。口調が変わった。




「…ちなみに、アナタが今まで城で口説いた侍女の人数は?」




「嘘じゃないって」




――――――明らかに、何も聞いていない返事を返す宗親。

八雲の背に、不穏が渦巻く。

鬼彦はといえば。


寝ている。


聞く努力すら、最初から放棄だ。

あまりの堂々っぷりに、腹が立つより、負けた気分になる。


なんとなく、梓を見た。

彼女が清音に見せたのは、キレイな微笑。

状況に対する慣れを感じた。

おそらくこれは、いつもの光景なのだ。


八雲の雷が落ちそうな気配に、清貴の耳を塞いでやろうと思う清音。

だが、彼女が動く直前、


「おいこら、もうそこらへんにしとけ」

痺れを切らし、義孝が割って入る。

唸るように、苛ついた声を放った。

「用事があるつってんだろ。八雲、さっさと執務室へ来い、軍にいる刀術士の編成のことで話が」

と。


突如、ぱちり、目を開ける鬼彦。義孝に目を向け、ぼそり。

「そう言えば、義孝くん、ご飯食べた?」

「あ?」

「お昼ご飯」

いきなりの問いかけに、意表を突かれる義孝。

一瞬、面倒そうな顔になる。それでも律儀に答えた。

「食ってねぇよ。んな暇あるか。それより、」


「暇がなかったら、暇を作れつったろ。何回言ったら覚えるんだろうな、その賢い脳味噌は。ったく、だから誰か見張ってろって言っただろ」

ため息まじりに、宗親。

宗親を叱るかと思ったが、八雲も尻馬に乗る。


「まだしばらくかかりますので、お待ちになられている間に、お食事なさってください、王」

「あ~、それはいい考えだね。食事抜きはだめだよ、義孝さま。春日さん、後ろの棚に固形食入ってるから、出してもらえるとありがたいです」

へらり、笑う刀馬。だが目は真剣に、作業を続ける手元を追っていた。

笑顔で頷き、動く梓を横目に、義孝は低く唸る。



「貴様ら…、こういうときだけは、息ぴったりってどういうイヤガラセだ、あぁ?」



ガラ悪く凄む主に、しかし、彼らが引き下がる様子はない。むしろ、勢いが上がる。

「こうでもしないと義孝くん、言うこと聞いてくれないし」

「燃料入れないと明晰な頭脳もサビつくぜ、王サマ」

「お忙しいなら、逆に機会を逃されてはなりませんね」

「うんうん、さ、ひとまず何でもいいから、腹に」

「そうですわよ、氷炎の君」

矢継ぎ早の言葉に、梓が加勢。そっと米を固めて作った固形食を差し出しながら、


「…まさか征一朗さまのお言葉をないがしろになさることはありませんわよね?」


出された名に、珍しく、言葉に詰まる義孝。

他ならともかく、梓がその名を出した、ということに効果があった気配。

梓は、素知らぬふりで、にこにこ。


しぶしぶ、義孝は梓から固形食を受け取る。

それを突如、まるごと口に放り込んだ。かと思えば、よく噛んだ様子もなく、飲み込む。

ぎょっとなったのは、清音だけではなかったらしい。

口々にまた、賑やかな説教の声が調和。


義孝の食生活に色々問題があることには、清音も気付いていた。

とはいえ、彼女が口を出すのもどうかと思っていたのだ。この様子なら、清音が何を言う必要もなさそうだが。それにしても。


(―――――また、『征一朗』、か)


今朝も聞いた名だ。

よほど、大きな存在感をそこここで残している人物らしい。


結局は、仲がいいのだろう。

なぜか義孝を肴に盛り上がる男性陣を尻目に、そっと近寄ってきた梓が囁いた。

「鷲峯征一朗さま、というお方は…氷炎の君の目付けだった方です。もう、お聞きになられましたか?」

どうやら、清音が知らないと思って、説明してくれるつもりのようだ。

「…今朝、大まかにだけ、説明してもらえましたけど、詳しくは知りません」

戸惑いがちの清音に、梓は頷いた。

「あの方は―――――本当に、いつも主君を気にかけていらして。食事に関しても、口を酸っぱくして注意されていました」


面食らう清音。

義孝を刺客から庇った、と聞いて、豪胆な男を想像していた。だが、母親めいた世話焼きの面もあるようだ。清音は困惑。


印象が一定しない。戸惑う。それに。


ちら、梓を伺う清音。声が、心なしか、弾んでいる。

無論、彼女はいつも楽しげだ。そこに嘘を感じるわけではないが、『習慣』めいたものを感じていた。条件反射のような。

それが、征一朗のことを語るときだけ、失せる。


本当に、心の底から、嬉しそうにくすぐったそうに、…誇らしげに、梓は征一朗を語る。


清音の戸惑いに気付いているのだろう、それさえ楽しむように、梓はくすくす笑った。

さらに、耳打ち。

「そうですわね…わたくしが、上臈にも関わらず、城で奉公していること、清音さまは不思議に思ってらっしゃいませんこと?」

「…あ。バレてました?」

思わず、清音は両手で、頬を覆う。

清音は根が正直なのだ。素直に、感情が顔に出る。

嘘や誤魔化しができない性格だという自覚もあった。

「お気になさらず、清音さま。アナタは、そういうところがとても魅力的ですので」

直球の褒め言葉には、なかなか慣れない。

照れる清音を微笑ましげに見遣り、梓は続ける。


「わたくしが奉公をしようと思ったのは、少しでも、征一朗さまのお役に立ちたかったからです。昔から、氷炎の君の周辺には敵が多くて…女の身でできることは限られておりますけれど、女だからこそできることってございますでしょう?」

「あ、はい、それは…」

同意を求められ、素直に頷くと同時に、清音の中で疑問がわいた。


梓は言った。征一朗の役に立ちたかった、と。それは。


瞬間、言葉に詰まる清音。

彼女の中で渦巻く、出口を失った疑問など、梓にはお見通しだったろう。

ふ、と。

その時はじめて、梓から、典雅な微笑が抜けた。

艶やかな双眸にたゆたうのは、寂しさと、…深い傷痕。

目を見張る清音。見てはならないものを見た気になる。

直後、真摯な呟き。

「征一朗さまは、…わたくしが、唯一、愛している方です」

清音は目を見張る。言葉はでなかった。

それでも何か言おうとして、…だが結局何も言えない。うろたえ、気遣う眼差しで梓を見守る。

(だって…、)


―――――愛している方。


告げられた言葉は、過去形でなかった。

こんな時に、かける言葉の一つももっていない自分が、清音にはもどかしい。

おろおろする清音に気付いた梓の瞳に、穏やかなものが浮かぶ。刹那。

先ほどの深刻さなど嘘のような、いつもの微笑が彼女の口元に戻った。


「素敵な方でしたのよ。とても厳格でしたけれど、氷炎の君も刀馬くんも懐いてましたし。あ、ですがひとつ信じられないことが…」

まだ騒いでいる男性陣をちらと見遣り、不条理なことを語る顔で、低く囁く。

「宗親くんと、親友、だったのですわ。性格など、合いそうにありませんのに。幼馴染、というのもあるのでしょうけど」

頬を押さえ、嘆息。


清音の中で、一時つかめたと思った征一朗の印象が、また崩れる。そう言えば今朝、刀馬もそんなことを言っていた。

悩む清音の隣で、そうそう、と梓は小さく両手を打ち合わせた。

「あとひとつ、清音さまに告げておかなくてはならないことがございましたの」

天気でも話題にするように、梓は続ける。

「わたくしの実家が奉公を許してくれるのは、氷炎の君の目に止まって、あわよくば側室に、という思惑があるからなんですが」

清音にとっては、衝撃の告白。気付けば、考えなしに口走っていた。

「それって、つまり肉親が、娘を道具扱いか、もしくは生け贄みたいに権力に捧げるってことじゃないですか。そんなの…!」

小声で言いさし、途中である事に気付いて口を閉ざす清音。

いくら腹が立ったとはいえ、これでは梓の家族の悪口だ。

―――――上臈には、上臈の論理があるだろう。何も知らない清音が、偏った視点から、口出ししていいことではない。

語尾を力なく口の中に消し、清音は決まり悪く梓を見遣った。と。

「ありがとう、清音さま。…本当に、アナタのそういった御気性は、得がたいものと、わたくしは思います」

梓のやさしい眼差しに、清音は救われる。


清音がホッとしたところで、小粋に片目を閉じる梓。

「あ、それからもうひとつ。御安心なさってね、清音さま。お互い何も知らなかったころならともかく、わたくしにしても氷炎の君にしても、お互い甘い気持は抱けません。悪企み仲間、というならアリですけれど」

「え」

唐突な言葉に清音は面食らう。何が言いたいのだろう。

構わず、握りこぶしで、梓。

「ですので、心置きなく、氷炎の君といちゃいちゃなさってくださいませ」


「あ、はい…はいっ!?」











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