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封神草紙  作者: 野中
第二部/第一章
41/87

第四撃 たからもの

宗親が真摯に続けた。


「オレが探したのは、神殺しの能力を持ったものだ。過去・現在・未来問わず、オレは星に問うた。星の答えは、―――――白鞘村の御神刀」


よって、宗親は星々に、重ねて尋ねた。



白鞘村の神剣と、それを振るう能力を持つ者の行方を。



彼らと、清音たち姉弟の出会いは、偶然ではない。意図的。清音は嘆息。

関わりの求め方は、ほとんど脅しだった。けれど。

「引き受けたからには、きちんとやるよ」

当たり前のように言った清音に、宗親は苦笑。

「真面目だな」

「…そうかな?」

首をひねる清音。宗親はやりにくそうにボヤく。


「お嬢ちゃんが、もっと打算的だったり、欲にまみれた人間だったら、やりやすかったんだけどな」

清音は、目をパチパチ。

「ださんって? たとえば、どんな?」

「あー…東州王とお近づきになれる、とか、うまくいけば一攫千金、とか」

「命懸けで、そういうこと望む人っているの?」

心底不思議そうに、清音。つまり清音は、こういう人間なのだ。

宗親は、嘆息。


「ほんと、罪悪感わくな、お嬢ちゃんと弟君には」

「いまさらじゃないの」

皮肉ではなく、清音はきょとん。


もう、巻き込まれたのだ。あとは、なるようになるだけ。


「その通り、いまさらだけどな。…お嬢ちゃんは、肝が据わってるな」

頼もしい、といつものニヤけぶりはどこへやら、宗親は真剣に低く言った。

「巻き込んだのは、悪かった。けど、約束する。ぜんぶ終わったら、ちゃんと自由にする。神を退けられたなら、報酬も渡す…てか、王サマなら、お嬢ちゃんにとって、最高のモンくれるだろうぜ」


果たしてそれまで、清音は生きているだろうか。


どちらも同じことを考えた。だが、それについて清音は何も言わない。

それに、承知していた。



こんなふうに、親しく接しても、気遣ってくれても、おそらく、…逃げ出したら殺される。いや、神への対策がどうにかならない以上、殺されることはないのだろうが、無理やりにでも拘束される。清音の意思を奪う手段など彼らはいくらでも持っているはずだ。



それは清音にとって、単なる事実。いまさら、動揺することでもない。

覚悟なら、とうに決めていた。

(清貴)

思うのは、弟のこと。

まだ、たった五歳。


炎の中、運良く逃げ延びて、後の二年間。寄り添うように、生きてきた。

銃工たちに追われる悪夢に魘されながら、人里を離れ、流れ着いた故郷から離れた洞窟で。




清音の根幹をなすもの、帰るべき場所。村が滅んだ日、いっさいは失われた。もう戻らない。残ったのは、ただひとつ。


弟の、清貴。




だから清音には、ただ、…ただ。

弟を守り、育てることがすべてなのだ。


導いてくれる大人たちがいなくなったとき、どこを向いて歩けばいいのかも分からなくなった。けれど、弟がいる。清貴だけが、彼女の生きる理由だった。


ところが。

つい最近。そう、この二ヶ月あまりの間だ。

潜んでいた森近くに藩府があり、不穏なまでの騒がしさが、無視できないほどになっていた。そこは、東州の三つの藩の一つ、飛鳥井藩。

そこで、藩主の跡目争いが起こったのだ。


血で血を洗う骨肉の闘争が、清音たちが潜む森へ舞台を移した日、行き過ぎが目に余った義孝も、争いの平定のため、手勢を引き連れ、森へ姿を現した。

無論、このとき、目的のひとつに、清音たちの身柄の確保もあったろうが。


悪いことに、近くには蔵代があった。

蔵代への刺激を避けるためにもこれ以上武力をひけらかすことをよしとしない三つ巴の拮抗は、三勢力の頭を一堂に会させたものの、長く続いた。

清音は、弟の清貴とともに、息を潜めてその光景を見守った。無関係だから、無視すればよかったのだろうが、残念ながら、そういうわけにもかなかったのだ。


冬場、でき得る限り多くの薪を蓄えておこうと、天気の良いその日も二人で洞窟の外に出ていた清音たちは、帰り道で彼らに遭遇した。洞窟へ続く道は、彼らの向こう側にあった。

迂回する道はない。

だから、息を潜めて事態が動くことを待つ他方法がなかった。

穏便に立ち去ろうと考えはしたが、へたに動いて音を立てれば、すぐにのど笛に食らいつかれそうな緊張感があった。


場を打開したのは、清貴。




あろうことか、まだ五つの清音の弟は、跡目争いでもめていた一方の勢力の頭を、一太刀で殺してしまった。


相手の頭上、太刀を構えて木の上から飛び降りる、という離れ業で。




命を奪ったのは、白鞘村の御神刀・時雨。

あとで清貴に、なぜ殺したか理由を問えば、答えは無造作に返ってきた。

―――――皆、時間が止まったように動かなかったが、三人のうち、誰かがいなくなれば事態は動くと思ったから。

邪魔だから、と目の前のものを、右から左へのけるような、無頓着さで。


清音は青ざめた。

このときはじめて彼女は、弟の心が何かを決定的に損なっていることに気付き、愕然とした。おそろしいことだ、二度とそんなふうに考えないでくれ、と必死に言い聞かせたが、彼がどこまでその言葉を理解したかは分からない。

なんにしろ、かわいい弟は、人を殺した。しかも、上臈を。

命の価値に、貴賎はない。だが、現実は、そういうわけにもいかない。


ばかりでなく、その場には義孝がいた。

突如現れ、問答無用で大の男を殺害した清貴の存在に、彼が子供とは言え、咄嗟に危機感を抱かない方が、どうかしている。

反射の動きで、義孝が太刀を抜き払った。


次いで、とんぼを切った刃が、清貴の喉首にきらめき落ちる。


それを残雪で弾いたのは、奇跡だ、と、今でも清音は思う。






あの日。

頭上には、青空。世界の果てまで見せてくれそうな、広さ。

降り注ぐ、天の恩寵めいた健やかなあかるさに照らされる樹海。その片隅。

雪の上、湯気を立てる赤い泉があった。血潮の海。

雪を赤い氷菓子に変えていく中心には、ひとつの遺体。男。遺体の側には、状況を未だ理解しかねた男が、呆然と広がる血潮を見下ろしている。


それを視界の隅に収めながら、清音はゆっくり、懐剣を構えた。

背後に庇ったのは、幼い弟。この幼子こそが、もっとも血まみれで、抜き身の太刀をちいさな両手でぶら下げていることが、奇異と言えば、奇異だった。

清音の前には、一人の青年が立っている。轟然と清音を見下ろして。


青年―――――義孝の手には、太刀。


切っ先は、ひた、と清音の眉間に据えられている。

だというのに、清音は怯えもしない。敵愾心もむき出しに、義孝を見上げる。

だがそんな姿すら、どこか可憐な少女だった。無垢と言えるほど澄んだ気配をまとっている。


凄惨な場所にあって、弟ごと。


薄汚れた姿の清音は、格好に似つかわしくない誇りを双眸に閃かせ、物怖じひとつなく口を開いた。


「この子は見逃して。罰なら、私が受けるから」


地味だが高価な具足を無造作に身につけた義孝の冷酷な眼差しに、好奇が掠める。

余興を愉しむ皮肉げな笑みが、唇の端に浮かんだ。

「てめぇらが持つ刀、尋常じゃねえ気配を感じるが…、それは、白鞘村の刀身か」

予想外の問いと言わんばかりに、面食らう清音。今ここで、白鞘の名が出るとは思いもしなかった。

慎重に首を振る。縦に。

「…そうだよ。でも、だから、―――――譲れと言うなら、不可能、」

「んなこたぁ承知だ。だが、そんな太刀を持って、平然としてるてめぇらは――――」

突きつけた太刀の切っ先を、清音の眉間から引く義孝。次いで、断じた。



「白鞘村の生き残りか」



清音が返したのは、沈黙。それこそが、答えだった。

にやり、笑う義孝。今度は、さも痛快げに。それでいて、いや増す殺気。息苦しくなるほど濃密に。

鞭打たれたように、離れた場所で突っ立っていた男が顔を上げる。

全身が、重くなった心地に、呻く清音。しかし、決して逸らされない、目。

「答えろ、女」


清音の健気な強情を愛でるように、義孝は目を細めた。

彼がまとうのは、支配者の絶対的な存在感。猛毒に似た苛烈さで、対峙する相手の意思を打ちのめす。

それらの効果をいっさい承知の上で、義孝は相手を貫く言葉を吐いた。



「てめぇに、神は殺せるか」



大きな目を見張る清音。瞳に宿るのは、驚愕。

鉄の意思が宿る義孝の双眸を見返した。手の内の懐剣を、強く握り締める。

清音は、過たず理解した。

―――――ここで答えを間違えれば、きっと殺される。この男は、冷酷だ。そして、無駄を嫌う。合理的。彼の望みに添わないと悟れば、即刻、清音たちの首をはねるだろう。欠片の躊躇もなく。

ならば。

答えは、すぐに決まった。背後の、弟を意識する。唯一の肉親。


この子だけは、護りぬく。




できる・できないが問題ではない。問題は、ここで生きるか死ぬか、だ。それに。




(できないなら、方法を探せばいい)

生きていれば、なんとでもなる。だから、清音は答えた。

「殺せる」


迷いない声で、誓うように。






―――――未だ、神を殺す方法など、見つからないけれど。

もしもあのとき、清貴を失っていたら。

想像だけで、息が苦しくなる。


あの後、跡目争いの真相は葬られ、結果、どのように処理されたのか。

清音は知らない。正直、どうでもいい。だが。

清貴は。…弟は。

清音にとって、かけがえのない存在だ。


義孝は、そんな清音のたからものを殺そうとした。確かに、清貴にも非はある。何より彼は、ごく無造作な心理で、人を殺した。それでも。



清音の心はどうしても、清貴を庇う。義孝を責める。



なにより、先ほどの物言い。

やはり、あの男は好きになれない。

不快を吐息で逃がし、清音は別のことを口にした。

「…でも関わった紡ぎ人って、どういう人なわけ?なんの理由があってこんな争いに加担するの」


「それについては、調査中。まだ、どんな相手かもわからない」


鬼彦が、ぼそぼそ。鉄壁の無表情。

懐手になり、首を傾げる宗親。

「鬼彦の情報網の下をかいくぐるなんて、とんでもねえ相手だよな。…ま、なんかあんだろ、理由が」

そのとき、清音が与えられた房の前までたどり着いた。

清音は二人に礼を言う。

「送ってくれてありがとう」

「このあたりから奥は大丈夫だろうが、近頃城内も物騒だからな。お嬢ちゃんもちゃんと警戒しといてくれ」

素直に頷く清音。そのとき、彼女の房の扉が、内から開いた。現れたのは、

「あら、清音さま」

清音の姿に、ホッとしたように微笑む女性。その姿は、ひたすら上品。


名を、春日梓。

聞いた話では、上臈の娘。だが、身分に反発、社会勉強と称し侍女として城で仕えている。

風変わりだが、快活で細やかな気配りのできる女性。

義孝たちからも信頼され、すべてを明かされた上で、清音の側付きになってくれた。

隠し事の苦手な清音には、ありがたい。気さくで面倒見のいい彼女には、清音も随分救われている。

一方、義孝側の人間であることも、忘れてはいないが。

「おはようございます」

挨拶をするなり、ようやく『普通』を実感。

朝からあんな化け物に襲われることに、慣れたくはない。

「おはようございます」

どんなときも挨拶を忘れない清音に、梓は微笑ましげににっこり。


「おかえりなさいませ。朝、房へやってきて、お姿が見えないから、もう少し経ってお戻りにならなかったらお捜ししようかと」

言って、すぐさま清音の左右へ目をやる。

「あら、宗親くん、鬼彦くん。どうして清音さまと一緒に?そう言えば、朝から騒動があったようですけれど」

梓は微笑んでいる。と言うのに、妙な凄みを感じて、宗親はやりにくそうに頭を掻いた。鬼彦は、相変わらずぼんやり無表情。


「オレらは何も悪いことしてないからな。…例の刺客が現れたんだよ」

宗親の小声に、梓の顔が曇る。

「清音さまに?」

「いや、狙いは王サマだろ、いつものごとく」

「…つまり、氷炎の君と清音さまは御一緒だった、と判断していいのかしら」

目を見張り、口元を押さえる梓。

「お招きやお渡りは、ほとんど毎夜ですね。うふふ、仲のいいこと」

梓は心底から微笑ましげ。何も偽っているふうでない。

なんとはなしに、微笑み返す清音。が、

(…知って、いるんだよね?)

梓は、清音の事情を。こういう反応をされると、ついそれを確かめたくなる。

とはいえ、尋ねることは、ぐっと堪えた。周りを欺くためだ。

知ってか知らずか、梓は清音をまじまじ。

「それにしても、やはり男装なんですね。動きやすいからと言っても、…氷炎の君のためにも、そろそろ着飾ることに慣れて頂けなくては」


清音はぎょっとなる。

あんな、ごてごてした格好、御免被る。それにきっと、慣れる前に城を出て行くことになるだろう。慌てて話題を変えた。

「それより、梓さん。清貴は、どうしてるかな?」

「弟君なら今日もお一人で冒険に行かれました。…おそらく、目的地は裏かと」

清音は曖昧に微笑んだ。


姉の欲目を引いても、清貴は愛らしい子供だ。その上で、清音にとっては、清貴は可愛い肉親。

だが、彼は滅多に笑わない。ばかりか、太刀の時雨を抱えて離さない。

一見、薄気味悪いと思われても仕方がないが、侍女たちにはほとんど存在していないかのように扱われていた。

侍女たちが遠巻きにする理由は、なにも清貴の行動のせいばかりではない。

清音のせいだ。


金銭を稼ぐために、侍女たちが働いているのは当然だが、そればかりでなく、彼女たちは上臈の目に止まることを目的としている。

最たる相手は、城の最高権力者・東州王だ。

ゆえに、容姿や立ち居振る舞いに自信を持つ者が多い。家柄もそれなりだ。

というのに、白鞘村という聞いたこともない村出身の、山野で育った田舎者が、彼女たちの目的とする地位を横から掻っ攫ったのだ。


好意的になる理由がない。


梓は別だ。事情を知っていることもあるが、本来、子供好きなのだろう。気にかけてくれている。だが清貴は本来、一匹狼の性質。察しのいい梓は、つかず離れず、で見守っていた。

今のところ清貴にまでイヤガラセの手が伸びることはない。ないが。


―――――やはり、心配なものは心配だ。


「じゃ、私様子見てくるね」

「あ、お待ちください、清音さま」

ある程度事情を察した微笑で、梓はそっと赤い実を差し出してきた。

ずいぶんと、酒気が濃うございますので、これを噛んだほうがよろしいかと。臭い消しです」

「うわ、ありがとうございますっ」

慌てて、口に放り込む清音。

確かこれは、飲み込んでいいはずだ。奥歯で噛むなり、口の中に渋みが広がる。だが我慢。押し黙り、神妙な表情で清音はもぐもぐ。

その様子に、何を思い出したか、宗親がこめかみを押さえた。

「あ~…、オレはまだなんか、気分悪ぃわ。房で寝てくる」

「とか言って、先日は侍女の一人をつかまえて、廊下で口説いていたわね」

穏やかな梓の指摘に、宗親は素知らぬ顔。

彼らの間の緊張感など、どこ吹く風とばかりに、鬼彦。

「ぼくは町に出て、仕事してくるよ」


「お前が仕事ぉ?」

鬼彦の呟きに、宗親はうんざり。手を顔の前で振る。横に。

「無駄無駄。…お前、はなから売る気ないだろ、無気力商人」


その言葉に、清音は何度か、耳にした話を思い出した。



曰く、鬼彦は商売に向かない。

なにせ、三拍子揃っている。


無表情・無愛想・無口。



ただ、仕事の成果に関する話はさまざまだ。

まったく売れない、と言うものもあれば、飛ぶように売れる、と言うものもいる。今度、仕事の様子を見物したいものだ。

鬼彦は宗親の物言いに首を傾げる。怒った様子はない。

ただ、言葉の意味を、よく分かっていなさそうではある。


「売る気は、ある。でないなら、そもそも仕事しない」


正論だ。

納得する清音。ただ。

(売る気ってものが、分かってないきがするけど…)


突っ込んで聞いてみたい気もしたが、今は弟が優先だ。渋い実を飲み込む。

三人に会釈して、清音は早足で裏へ向かった。

本音を言えば駆けて行きたいところだが、他の侍女たちの目がある廊下で、そんなわけにいかない。

自分に対するイヤガラセは、悉く真っ向からやりかえしているが、だからと言って、無用に波風を立てたいわけがなかった。




城の奥は、城全体の北側に当たる。ゆえに、清音は北の御方と呼ばれるのだ。

奥の、さらにその裏手の一角には、花畑がある。雑草が生い茂っているだけではないのか、と言われそうな光景でもあったが、きちんと整えられているのは、見れば分かった。特に今は冬場だ、末枯れて物寂しい場所だ。

それでも、冬の花がところどころに咲き、清音たち姉弟にはその空気が馴染んだ。

そこが、城の中で一番、清音と清貴姉弟の気に入りの場所である。


おそらく清貴はそこへ行きたがるはずだ、と見当をつけて、角を曲がった。




すると、渡り廊下があり、すぐに外へ出られる造りになっている。

そこから、伸び上がるように外を見遣れば。

(いた)

村や、洞窟での生活のときは考えられなかった上等の着物を着せられた弟が、裏庭の真ん中で時雨を抱いて立っている。その隣には。


―――――見慣れない侍女が一人、座り込んでいる。


身振り手振りも交え、あかるい笑顔で話すのに夢中と言った様子で清貴に話しかけていた。

とはいえ、自分だけの満足のために話しているのではないことは、口調や言葉選びで察することができる。彼女は、目の前の、無愛想で表情のない、無口な子供を気遣ってくれていた。


清貴は、一人で房を出て行ったと聞いていた。のみならず、彼が誰かと共にいる姿は、姉の清音にも意外だ。友達がいればいいのだが、同じ年の子供など、城中では見かけない。

頭の片隅で、そんなことを考えながら、清音は清貴のそばにいる侍女に、一時見惚れた。


―――――美しい少女だった。


年の頃は、清音と同じくらい。儚いような美貌は、風が吹けば簡単に飛んでいってしまいそうな危うさを感じさせるが、双眸のかがやきには芯の強さがあった。

目線の高さを合わせてくれる彼女を、いつものへの字口でじっと見つめていた清貴が、ふいに目を逸らす。

顔を巡らせ、清音を見た。とたん。

その口元のせいか、どこかに力が入って、沈思黙考している風情の顔から、ようやく、わずかに強張りが抜けた。


清音を見つけるなり、もう姉しか目に入っていない様子で、時雨を抱いたまま駆けてくる。



「おねえちゃん」



「清貴」


このときばかりは、清音も弟しか目に入らない。


腕を広げて迎え入れ、ひっしと抱き合う。頭をぐりぐり。

清貴は、声を上げることはない。だが、くすぐったそうに、顔を緩ませ、笑う。

間抜け面寸前の笑顔。


これが、清音のたからもの。


目を合わせ、微笑み合う。それだけで、満たされる。通じ合える。

得難いその感覚のいとおしさを、清音はしっかり噛み締めた。


清貴を気がすむまで撫で回し、清音はようやく顔を上げた。

姉弟を見ている先ほどの侍女と目が合う。

彼女はほっとしたように吐息し、立ち上がった。

一人、ふらふらしていた子供を、気遣ってくれていたのだろう。


慎ましげに深く頭を下げ、立ち去ろうとした彼女に、清音は笑顔で声をかける。

「弟の面倒をみてくれてありがとう。私は清音。アナタは?」

そう、ただの清音。

姓は身分をあらわす。持つのは上臈のみ。平民は姓を持たない。

清音が名乗れば、一瞬、彼女は驚いたような、困ったような顔をした。


清音のような立場の人間は、名を尋ねてはならなかっただろうか、と梓から習った付け焼刃の知識を頭の中で引っくり返している合間に、彼女は微笑んで、答えた。




「―――――花陽、と申します。清音さま」




花陽は、再度一礼。

すぐさま、見惚れるほど可憐な所作で、踵を返す。

儀礼に則った所作と言うより、あくまで自然体の無理ない仕草。清音には、ないもの。

だからと言って、やっかみはわかない。

清音はひたすら感心。



自分と比べたりはしないが、つい、義孝を思う。

義孝は、一見仕事人間で無骨そうだが、彼の女性関係の噂なら、城内でいやでも耳にする機会がある。なにせ、清音の立場上、親切めいた顔で、その手の話を吹き込もうとする相手は、枚挙に暇がない。

現実には、義孝と清音に、そういった関係は皆無なのだが。甘い雰囲気もない。二人きりになれば、とたんに空気がぎすぎすする。おそらく、相性が悪いのだ。

清音は、嘆息。なにせ出会いからして、最悪だった。



いずれにせよ、あのような女性がいるなら、清音に手を出すより、そちらがいいに決まっている。



花陽。

心の中で、清音はその名を呟いた。

彼女の雰囲気は特有のものがある。どこか、自然界の花に似ていた。


無理なく自然に溶け込み、妙に…そう、人間臭さがなかった。



―――――また、会ってみたいものだ。



今は弟の前にしゃがみ込み、清音はにっこり微笑む。

「今日は戻ってくるのが遅くなってごめん。今日も、夜まで一緒にいようね」

とたん、清貴の顔に浮かぶ、嬉しそうな、はにかんだような、笑み。

つられて笑いながら、清音は思う。




このために、自分は生きているのだ、と。










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