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封神草紙  作者: 野中
第二部/第一章
39/87

第二撃 ウワバミと一騎打ち

まだああいうことに慣れない清音を気遣っている。

(…特に守るわけでもないくせに)


どころか、最中はいつも、はっぱをかけられる立場だ。

半端なやさしさは、困る。

清音に、彼女の立ち位置を分からなくさせる。

だからと言って、やさしさを突っぱねるほど彼らが嫌いなわけでもなく、必要ないと言い切れるほど清音は強情でもなかった。

結局、何にも気付かなかったふりで、話題を変える。


「和泉さん、顔色悪いけど、邪気祓いってそんなに法力使うわけ?」

「ん?」

眉根を寄せる宗親。

彼は、斎門。だが、酒好き・女好き・博打好きの三重苦。

それでも、星を読んで吉凶を占い、先を見通し、厳しい鍛錬を積み重ね、精神を磨き、徳を重ねるという斎門の最高位。今更、病弱、の一文字が増えたところで清音は驚きはしない。

ところが。


信じられないものを見るような目を相手に向けたのは、宗親の方だ。


清音から距離を取り、彼女を見つめる。まじまじ。

「…確かに呪還しよかめんどくさいけど、これでも俺、一応御門さまだからどってことねーよ。…にしても、お嬢ちゃんは元気そうだな…」

含みある語尾に、清音はきょとん。脇から顔を出す鬼彦。無表情。



「そう言えば、昨日は誰が最後まで残ったの。やっぱり、ぐーたら御門さま?一番に潰れたのはいつものごとく、刀馬くんだったけど」



「おれは下戸だっていつも言ってるのに、もー…」

力なく眉間を押さえる刀馬。けろりとした顔で、義孝。

「最後まで残った三人は、俺とチカと、この女だったぜ。チカとこいつが残って、―――――さて、結果は知らねぇ」


「…東州のウワバミと一騎打ちなさったのですか、北の御方」


低い声で言って、わずかに目を見張ったのは八雲。

北の御方、とは、表向き東州王である義孝の妻である清音の呼び名だ。呆れる清音。

「一騎打ちって…そんな壮絶なものじゃないよ。ただ呑んでただけじゃないか」

とたん、肩を落とし、首を横に振る宗親。

「この言い様…。しかも、酔いが一片も残ってないしっかりした態度。いくらオレでも、昨夜ほど呑んだら気分悪いってのに…負けた。惜しいが、ウワバミの名前、お嬢ちゃんにやろう」


「野郎がこんだけ揃ってて、呑み比べで女一人に負けたのか。すげぇな、てめぇは漢の中の漢だ」


ゲラゲラゲラ、声を上げて笑う義孝。

顔も所作も見惚れるほど洗練されているのに、口は裏路地のチンピラも真っ青の柄の悪さを誇る王さまだ。


「まぁね、…って言いたいところだけど、褒めてないでしょ」

胸を張ろうとしてやめるなり、清音は頬を膨らませる。

「褒めてる褒めてる」

「心の底から褒めてる」

しみじみした義孝と宗親に、鼻の頭に皺を寄せる清音。

無表情で清音を見遣る鬼丸。だが、盛んに瞬き。驚いているのかもしれない。

「へぇ、清音ちゃんが勝ったのか」


「王」

他愛ない会話を断ち切る生真面目な警句を放ったのは、八雲。気付けば、護衛たちの気配が近い。


彼らが遅いわけではない。城内が、広すぎるのだ。


とたん、廊下から清音の姿を隠すように立つ義孝。

同時に、廊下に殺到する護衛官の群れ。

「王っ」

「東州さま、なにごと、で…」

口々に言っていた声が、途中で消えた。先頭近くの護衛官たちが、思わず、と言ったように口元を押さえる。大方が、半歩後退。


―――――酒臭いのだ。


委細承知で、義孝は皮肉げに、にやり、笑って、

「ご苦労。が、なんでもねぇから、退がれ」

説明もへったくれもない。出会い頭に容赦なく追い払う。

清音は呆れるが、意外なことに義孝は人望も信頼もある。


護衛官たちが反発を覚えた様子はない。

なにしろここには、近侍の八雲・斎門の宗親がいる。この二人がいれば、まず問題はない。


義孝がそういうなら、と彼らは踵を返そうとしたのだが。




「これは、何事ですかな、義孝さま」




響きのいい声に、鋭利な視線をますます凍えさせる義孝。


視線の先、護衛官たちの間から顔を見せたのは、壮年の男。

一級品の織物で縫われた着物を位負けすることなく着こなし、きちんと髪を撫で付けた姿には、一部の隙もない。

男の渋い容貌が、言い訳など許しはしない、と威圧を宿して義孝たちの方を向く。

義孝は動じない。そよ風のごとく受け流し、不敵に笑う。


「ご心配なく、秀嗣叔父上。昨夜、こいつらと酒盛りしてましてね。寝入っているところに賊が入った。我が妻が起こしに来たとき、ちゃんばらに驚いて悲鳴を上げたってだけだ」


壮年の男の名。諏訪秀嗣。義孝の叔父。前東州王の弟。

甥の言葉を聞くなり、彼の冷徹な雰囲気に磨きがかかる。


ざわつく護衛官たち。

さもありなん、賊が入ったとなれば彼らの責任問題になりかねない。そちらに話が飛び火する前に、刀馬がため息をつく。

「気兼ねなく呑みたかったので、人払いをしてたからね。賊に、そこを突かれたってところかな。君らの職務怠慢ではないよ」

「追い払い、事なきを得ました。この顔ぶれでは、賊の方が災難だったかと」

無骨に目を伏せ、冷静に言う八雲を冷ややかに見遣り、秀嗣。


「追い払っただと?なぜ殺さない。王の身を脅かしたものだぞ。―――――衛兵ども」


轟然と周囲を見渡し、姿勢を正す彼らに、命令。

「捜せ。必ず、仕留めよ」

「もう遅ぇよ、叔父貴」

がらり、口調を変える義孝。丁寧に話す忍耐は、叔父相手だと長続きしない。

「とっくに城の外へ逃げてるさ。もしまだ潜んでるような間抜けだったとしても…、城内で血を流すなんざ、俺は許さねぇ」


「なんだその口の聞き方は」

反射めいて言った後、自制、首を横に振る秀嗣。

合間に、次の行動を取りかねた護衛官たちに、持ち場に戻るよう、指示を出す刀馬。

散っていく護衛官たちを尻目に、秀嗣は声を潜める。


「アナタがそんなだから、…賊が侵入することになるのですよ」

「何言ってんだよ。俺が生まれたときから、ずっとこうだ。刺客は日常茶飯事。つまり、刺客が俺を狙うのは、俺が俺だからって理由じゃねえってこった」

「義孝さま」

秀嗣は、咎めるような声。


秀嗣を気にしながら、なんとなく、背後から義孝を窺う清音。義孝の言葉に、含みがあるような気がしたのだ。


「そのようなことを言っているのではありません。賊が、人払いをしたところを襲ってくるなぞ、偶然とは思えない、と言っているのです」

「つまり?」

「―――――この場に、アナタのお命を狙い、手引きしたものがいるということです」

目を見張る清音。その言葉の意味は、考え込むまでもなく理解した。


(裏切り者がいるって、こと?)


清音は、彼らとそれほど長い付き合いはない。

だが、すぐには信じられなかった。彼らには、確かな信頼関係がある。

秀嗣の方が間違っている気がした。


義孝も、きっとそう思っている。


清音はごく自然にそう考えた。と言うのに。

鼻で笑う義孝。眼差しは、暴君めいた苛烈さ。




「だから何だ」




ぎょっとする清音。

秀嗣の言葉より、なにもかもいっさい承知していると言わんばかりの義孝の言葉のほうがショックだった。それこそ、裏切られた気分。

慌てて周囲を見渡す。

刀馬は苦笑し、宗親は肩を竦め、八雲は直立不動、鬼丸に至っては、猫のように宙の一点を見つめたまま、無表情でぼんやり。


誰も彼も、まったく動じていないようだったが、清音は居たたまれない。


思わず、義孝の着物の背を引っ張る清音。

「ちょっと、そんな言い方…っ」

小声で咎めるなり、秀嗣の鋭い視線が清音を貫く。

気付き、ぱっと清音は義孝の衣を手放した。馴れ馴れしい、と叱られた気がしたのだ。


「…仲がよろしいようで、なによりですな」

疑いもあからさまな声音。へたに動くことは得策でない。黙り込む清音。

振り向かず、彼女を再度背後に隠す義孝。

「そっちだって、頑張ろうと思や、まだまだ頑張れんじゃねえのか」

「義孝さま」

冷ややかな叱咤に、冗談だ、笑う義孝。


肉親ゆえの気兼ねないやり取りと言うには、二人には棘が多すぎる。


秀嗣は嘆息。

「そこまで気に入りならば、婚礼の儀を早く挙げてはいかがです」

清音は青ざめた。

義孝は、唇の端を皮肉げにゆがめたきり、何も言わない。


言えないのだ。


清音は義孝が城へ連れてきた娘だが、彼が彼女に望むことは、女としての役目ではなかった。

だが、東州王として、世継ぎを残す義務が、彼にあるのも、事実だ。




義孝が治める東州は、ヒガリという名の、大国の領地の一部に当たる。


ヒガリ国は東州、央州、西州の三つの州に分割され、さらにそれぞれの州はいくつかの藩に分割される。藩を統治するのが藩主。藩主を束ね、州を代表するのが州王。

その頂点、即ち国を治めるのが、国守だ。


だが、国守は象徴であり、実質国政にて辣腕を振るうのは、三人の州王である。


内の、東州。

王家は御堂家の血統によって世襲される。

…そう、世間的には世襲とされるが、州府に入って、間もない頃に清音は相伝される王の儀の存在を耳にしたことがある。

実質それがなんなのかは知らない。聞く気もない。清音には関わりのないことだ。

現在の東州王は、御堂義孝。五年前、弱冠十四歳で当主の座に就いた、若き王者。世間に流布するふたつ名は、氷炎の君。


御歳十九。早く世継ぎを、と望む声が煩わしくなってきた年頃だ。

まだ若いとは言え、忙しいことを理由に、正室ばかりか側室も迎えない王に、気を揉む近侍や臣は多い。昨今でこそ、あまりに年若い王に対する不安を口にするものは少なくなったが、皆無ではないのだ。即位前後に関係なく、刺客の類は少なくなかった。


―――――いつお命を落とされても不思議はない…。


子を残すことも王の義務の一つ、と口を酸っぱくして言われても、義孝は面倒そうな一瞥を向けるだけで、乗り気ではなかった。かと言って、女の影が皆無だったわけもない。と言うのに、正式な座を与える女性を、と言われると、渋るのだ。


ところが数日前。

晴天の霹靂めいた出来事が起こった。


行き過ぎの観があった飛鳥井藩の跡目争いを平定するため、具足姿で兵を引き連れ、義孝は数日、州府を空けていた。跡目争いが無事落着し、城へ戻るなり、城門前で出迎えた臣たちに、東州王は冷静に告げたものだ。



「山野で見初めた」



彼は、聞く者を嘲るような皮肉るような、いつもの語調で、みすぼらしい娘を片手で乱暴に引っ立てた。十代半ばと見える娘は、歓喜も戸惑いも怯えもなく、ただ真っ直ぐに前を見ていた。その片手で、さらに幼い少年の手を引いて。

臣たちの目を引いたのは、彼女のみすぼらしさもさながら、五つになるかならないかという子供を連れていることだった。

弟、ということだったが。


―――――これはいったいどういう状況なのか。


一刻も早く、側室なり正室なりをお迎えください、と彼らは主人に願ったが、それはこのような事態を望んでのことではなかった。だが。

風呂に入り、きちんと格好を整えた娘は、見違えるほど可憐で愛くるしい容貌の持ち主だった。

不満の声は、その段階でほとんど消えた。毎晩、東州王が彼女を寝所へ伴うとなると、ますます何も言えなくなる。いや、言う必要がなくなる。


ひとまずは、御堂の血を引く子供が生まれるなら、いいのだ。


調べれば、娘の身元もはっきりした。

今は滅びし、白鞘村の長の血統。

身分違いは明白だが、下賤、と言うわけでもない。

王の寵愛を受ける娘に対する視線は、好意的とは言えなかったが、渋々存在を認めるものに変わっていた。だが。


―――――噂と真実は、違う。


おかげで、早く世継ぎを、という視線を前にすると、清音は後ろめたくてたまらない。

秀嗣の小言は続く。

「王母も…、義孝さまの母上も、世継ぎを心待ちにしておいででしょう。そういえば、別邸におられる義姉上に、彼女は紹介なさったのですか」

「…ここで母上を出してくんなよ」


義孝の苦々しげな声に、清音は面食らった。

どうやら、倣岸不遜に見える彼にも苦手なものはあるらしい。

ここぞとばかりに、秀嗣がたたみかけようとしたとき、


「そこまでになされぃ、諏訪殿」


苦笑気味の声が廊下の向こう側からかけられた。

顔を上げた全員の目に映ったのは、人のよさそうな笑顔。

「多田羅殿…」

やりにくそうな声を上げる秀嗣。義孝は、安堵と緊張が半々の態。

「王は、まだお若い」

「…だから、やんちゃに目を瞑れ、と?」

「今から年寄りのように物分りよくなられたら、そちらのほうが某、不安ですな」

近付いていたのは、多田羅重光。


東州における重鎮の一人。

にこにこ、笑みを絶やさないが、腹の底で何を企んでいるか、読みにくい。

彼らの数歩先で立ち止まり、多田羅。

「なに、征一朗が生きていても、説教はこのくらいで終わりましたよ。さぁさ、そろそろ執務と参りませんか」

秀嗣は一瞬、何か反論しようと口を開きかける。が、すぐさま口を閉じた。

失礼、と頭を下げ、悠然とその場を後にする。

彼が廊下向こうの角を曲がると同時に、その場の緊張がようやく解けた。


「たぁすかったぜ、多田羅のオヤジ。あのひと、説教長いんだよな」


真っ先にボヤいたのは、宗親。

言う斎門の格好を、面白そうに多田羅はしげしげ。

「お前は相変わらず、斎門の最高位、御門様とも思えん格好だな、宗親」

「アンタも食えねぇよなぁ、あそこで征一朗の名前だすなんてよ」

征一朗。はじめて聞く名前だ。

清音の不思議そうな表情に気付いたか、刀馬が抑えた声で答えた。


「鷲峰征一朗さま。義孝さまの目付けで、兄代わりだった方だよ。とても厳格な方だったんだけど…、なぜか、和泉さまと仲が良くてさぁ…幼馴染とはいえ、不思議だったなぁ」








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