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封神草紙  作者: 野中
第二部/第一章
38/87

第一撃 火花

「答えろ、女」


問う声は苛烈。






「てめぇに神は殺せるか」






言外に、青年は容赦なく突きつけた。

生死の選択を。


対峙する少女の答えは迷いない。






「殺せる」






挑むように。

誓うように。


氷雪の上、退くことを知らない二人の視線が、真っ向から火花を散らした。











× × ×








小鳥の囀りに、ゆるやかに浮上する意識。

目蓋を、微かに刺す、陽光の気配。


ああ、朝か。


「…ん」

無意識に喉を鳴らし、少女は未だ夢見るように目を開けた。

その目に映ったのは。

「…ん?」



瓶子が林立する光景。



一本・二本ならどうということもなかった。が、数が尋常でない。しかも、そのすべてから、酒精が漂っている。その上、どうやら彼女は畳の上で横になっているようだ。布団も敷かず。


だがなぜか、背中は温かいような…、と知覚するなり、状況を悟った。


正確には、昨夜何があったかを思い出す。刹那。

がばと起き上がった―――――心の中で。


と言うのは、いつの間にか背後から身体に回っていた腕の拘束に、再度畳に突っ伏す羽目になったからだ。背後にはおそらく、憎ったらしい男が眠っているに違いない。拘束する腕の持ち主は、その男だ。


少女にとって、非常に不本意な状況だった。

どうやら、昨夜から、状況に変化はないらしい。昨夜もこの腕の檻に捕まって、抜け出そうと彼女は頑張った。しかし。

現状から察するに、途中で疲れて眠ってしまったようだ―――――まったくもって、乙女にあるまじき事態である。

とりあえず、自由になる目と頭を動かし、できる限りの範囲で現状の把握に努める少女。


確か昨夜、この房には他にも人間がいたはずだ。三人。しかも、男ばかり。思い出しながら見渡せば、

(…いる)


全員、彼女たちの周囲で、いかにも無防備に横になり、しずかな寝息を立てていた。

丸くなったり大の字になったり、死んだように突っ伏している相手もいる。無防備、ではあるものの、壁を背にした二人の周囲にいる彼らは、少女たちを守護するように見えなくもない。


彼女の背後にいる青年の身分を思えば、それも不思議ではなかった。が。


思わず、ため息をつく少女。非常に嘆かわしい。

この面々が、東州の中枢に位置する男たちだと知っていればなおのこと。

昨夜を思い出し、少女は、つい、ボヤく。



「なんでいきなり酒盛りなんて事態になったんだろ…」



彼女にとって、酒とは、神に捧げ、成人した男たちしか口にすることを許されない神聖な飲み物だ。そんな認識は古い、と言われ、半ば強引に勧められた挙句、昨夜はじめて口にした。

勧めた男たちは一人、また一人、と夢の世界へ旅立ち、結局最後に残ったは、少女一人。

とりあえず片付けようと、瓶子を壁際へ寄せたところで、眠っていた男の腕に捕まったというわけだ。

真冬と言うのに、布団にも入らず、寝こけてしまうとは。


背後の男が、彼女を腕の中に包みこんだのは、暖をとるためだったということは、明白。それ以外のなにものでもない。

好い仲でもなければ、互いにそういうつもりもないのだから。

わかっていても、この状況は、どうにもよろしくなかった。

少女が、頭を抱えたくなったとき。


頬に、なにやら冷たいモノが触れ、彼女は目を瞬かせる。


ちょんちょん、それはノックでもするように、少女の頬を一定の間隔を空けて叩いた。上から垂れてきている何かが、動く弾みに彼女の頬に触れているような。

触れて確かめようにも、彼女は腕をろくに動かせない状況だ。

ひとまず天井を見てみるか、と顔を向ける直前、触れられた頬から顎にかけて、何かが伝い落ちるのを感じた。




(…水、滴?)




感覚からして、どうもそのようだ。

ついでに言えば、生臭いにおいもする。少女は一気に青ざめた。

「…」


―――――この数日間の、経験からして。

よくないもの、が天井にいることは明白。

見ないほうが精神衛生上、きっと少女のためになる。だが。

彼女の立場上、顔を背けて逃げ出すことはできない。いくらいやでもすぐに対面せねばならないのだ。それが、それこそが。


背後で眠っている男と取り交わした約束。


すぅ、大きく息を吸い込み、―――――首をねじって天井を見上げた。と、そこには。




…青白い、女がいた。




少女は息を呑む。

女の肌に、生気はない。死人めいている。

目玉はなく、空洞の眼窩は、しかし夜光虫じみたひかりを明滅させていた。

着物から見える肌は、気味が悪いほどぬめったように濡れひかり、濡れそぼった漆黒の髪は藻のように天井を覆っている。

少女に触れたのは、床に垂れ落ちた髪だ。

そこまでなら、もうそれほどの驚愕を彼女は感じなかったろう。慣れてしまった。かなしいことに。

それでも、天井を見上げるなり、少女は目を限界まで見開いていた。


―――――天井を覆っていたのは、女の黒髪ばかりではない。

彼女の肉体のうち、両脚に当たる部分。




それは、おそろしいほど毒々しい緑の鱗をもった、蛇体だった。




呼吸するように起伏する蛇の腹。天井に張り付いた蛇体が、ぬちり、蠢くなり、



「…ぅっきゃああああああああぁぁぁぁぁっっ!!!」



恐怖と言うより、おぞましさに悲鳴を上げる少女。

たちまち、四人の男たちが跳ね起きる。同時に、牙を剥いた女の顔が畳に降り落ちた。目指すは、少女の細い喉首。


刹那、甲高い音が天井に跳ね上がる。同時に巻き起こる旋風。


殺意に満ちた牙は、寸前、太刀によって防がれていた。

少女を胸に抱きこみ、それを成したのは。

「と、東州王…っ」

それまで、彼女を包みこんで寝こけていた青年。御堂義孝。


東州王・東州さま・東州守とうしゅうのかみ・氷炎の君。数多の呼び名を持つ男。今年、十九。


整いすぎて、見るなり身体の芯まで凍えそうになるつめたく見える彼の顔立ちを、咄嗟に見上げる少女。皮肉をにじませた眼差しで見下ろし、鼻で笑う義孝。

「腑抜けてんなよ、女。役に立て」

彼が言い捨てるなり、


―――――ド、ンッ!!


蛇体の女を脳天から顎にかけ、天空から貫き、畳に縫いとめたのは。

一本の、槍。


その由緒は、と思わず尋ねたくなるほど重ねた戦歴を思わせる勇ましさと、真逆の典雅さを兼ね備えた清冽な一振り。

それを自在に操る腕の持ち主は、


「き、気をつけてね、八雲くん…っ。そいつの牙、毒がある!」


十七になったばかりの少年。

不知火八雲。東州で高名な武門出身。生真面目で勤勉な天才。彼は声をかけた相手を一瞬、横目にした。


視線の先、丸眼鏡をかけ、青ざめた顔を引きつらせているのは、楠木刀馬。

州府で、上臈の子らに教育を施す学者。年長者に引けを取らない物識り。

太刀を帯びているが、非常にお人好しな二十歳の青年は、逃げ出さないのが精一杯の態。震えている。


刀馬の台詞に応じるように、縫いとめられた異形の女は、その体勢でなお、牙を剥いた。牙の先端から、茶色の液体が滴り、受けた畳が白煙を上げる。


清音を抱え、飛び退く義孝。

二人を追って、蛇体が跳ね上がる。寸前、何かに吹き飛ばされたように、奥の襖に叩きつけられる蛇体。


柔らかな白い腹に、赤い房をつけた飛針が、数本突き立っていた。


拍子に、畳の上に並べていた瓶子が音を立てて割れ砕ける。

廊下側へさらに後退する義孝。その隣で、ぼそり、抑揚のない声。

「あぶない」

「言うなよ、あれでぎりぎりだ」

吐き捨てる義孝。彼の腕の中、清音は顔を上げる。


隣にいたのは、童顔の男。年齢不詳。

先ほど、突っ伏して寝ていた相手。前髪が跳ね上がっているのは寝癖か。額に畳の痕をつけた彼の名は、鬼彦。

この場で唯一、身分をもたない商人。

城にまで上がっているのだ、やり手か、と問われれば、しかし誰もが首を横に振る。


混乱の収まった冷静な顔になった清音に向かって無表情で頷き、視線を転じる鬼彦。

「もう準備できたよね、ぐーたら御門さま」

ジャラン、数珠の音と共に返ってきたのは、吐息まじりの怠そうな声。

「当たり前だろ、無気力商人。ついでだ、そこの本の虫、退けてくれ」

言うなり、刀馬に顎をしゃくったのは、場で一番、だらしない格好をした男。


大きく胸元を開け、黒い羽織りを肩に引っ掛けている。

汚らしいと評される寸前の、長い髪のせいか、地味な出で立ちのわりに、派手な印象の彼は、斎門。中でも、御門さまと呼ばれる最高位に就くと見た目で判断するのは困難だ。名を、和泉宗親。これでも二十七。


「わかった」

視界の中から鬼彦が消えた、と見えたときには、彼は低い姿勢で刀馬の襟を引っ掴んでいる。刀馬が面食らう暇もあればこそ、廊下側の障子へ無造作に放り出す鬼彦。

小柄な鬼彦の怪力に、彼より長身の刀馬が面白いように振り回され、悲鳴を上げ、畳の上、放物線を描く。

彼の身体は、終着点にあった障子を折り倒しながら、廊下へ飛び出した。

自身もそちらへ駆けながら、八雲に声をかける鬼彦。

「退く」


「承知」

口で涼やかに応じ、足で女の頭部を蹴潰す八雲。粗暴な所作。

というのに、槍を抜き戻す姿勢は至極端正。潰されながらも牙で噛み付く相手から、うしろざまの一っ跳びでさらりと逃げ遂せる。


がちり、空で噛み合わされる、太い牙。


瞬時に、響く数珠の音。脅迫的に厳しく高まる、低い声。宗親。

「言結い、真調―――――旋・破・空、…縛!」


凍りついたように動きを止める、異形の女。

蠢こうとしていた蛇体が、畳に突っ伏す。目に見えない巨大な錘が突如、圧し掛かってきたように。

宗親が成したのは、呪縛。否、成ったと思えた、刹那。

畳に落ちた女の長い黒髪、その一房が、鎌に似た鋭さで、真横に薙ぎ払われた。

その先には東州王・義孝。寸前、

―――――ザンッ!


三日月を描いたひかりが、黒髪を束で断ち切った。


真下から斬り上げたのは、懐剣。神速で抜刀し、義孝の前に立ちはだかるなり、一太刀で髪を束で斬り払うという離れ業をやってのけたのは、

「…役に立ったでしょ」


清音。


未だ油断なく身構えながらも、未だ幼さの残る可憐な容貌に浮かぶ、得意げな表情。

ふん、鼻を鳴らす義孝。

「どうにか及第点、だな」

辛い上に、素っ気無い物言い。

だが腹を立てることもなく、清音は一瞬、照れた顔。その合間にも続く、宗親の声。


「祓い、祓えや、祓いませ」


おや、と首をひねったのは、八雲。生真面目に、一言。

「呪還しかと思ったが…、邪気祓いか」

「呪還しだと、どこかでまた誰かが死ぬよ。呪還しの風は、容赦ナシっていうし」

しきりに頭をさすりつつ、廊下で座り込んで呟く刀馬。放り出されたとき、廊下で頭を打ったようだ。頷く義孝。

「妥当だな」


規則的に響く、数珠の音。これもまた、邪なるモノを祓う。

異形の女の前に立つ宗親。反らせた指先で、女の眉間を突く。

「解法咒、成就。散!」


たちまち、たまりかねたように何かが破裂する気配。


だが、音も風もない。

透明な生臭い何かが、身体を掠め、外へ飛び出していく。脱兎のごとく。

構えを解かない清音が一度瞬きした直後。


蛇体の女の姿は、房内から消えていた。


周囲を見渡す清音。汚れも残り香も、皆無。

戦闘の痕跡は、穴の開いた畳と倒れた襖と障子、そして、砕けた瓶子の山。それだけ。

他の男たちから力が抜けたことを感じ取り、清音は、全身の強張りをゆっくりと解く。

刹那、




「東州さま!」

「御無事ですか、東州王っ」




廊下の果てから駆けてくる気配に、慌てて懐剣を鞘に入れ、帯に戻す清音。

彼女を横目にする義孝。

「護衛どもかよ…面倒くせぇ、てめぇが起き抜けに大声上げるからだぞ」


「わ、私のせいっ?」


目を見張る清音の顔を横から覗き込んだのは、宗親。

「当然だろ?朝から何事かと思ったぜ、お嬢ちゃん」

朝一から法力を放ったためか、少し顔色が悪い。

宗親が気怠いのはいつものことだが、今日は日頃に輪をかけている。


ぐっと言葉に詰まる清音。

通常なら、護衛がきたところで、それが職務なのだから当然だ、と返す。清音は言われっぱなしの少女ではない。

だが義孝には、信用する人間以外に、先ほどあったようなことを知られたくないと思う理由がある。

知っている以上、


「…ごめんなさい」

素直に謝る清音。少し面食らった後、宗親は苦笑。義孝は肩を竦めた。

「あぁ、ちょっとからかっただけだ。気にすんな。…調子が狂うな、いつもみたいに反発するかと思ったのに」

「私だってなんでもかんでも突っかからないよ」

言ったあとで、気付く。


つまり、彼らは清音をいつもの調子に戻そうとしたわけだ。
















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