表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
封神草紙  作者: 野中
第一部/終章
37/87

終章  梵鐘の音

少年は、端正な姿勢で座し、書物に向いたまま黙っている。

ぱらり。頁をめくった。


報告はとっくの昔に終わっている。

残るは退出するのみ。

ところが、蘇芳はその場に畏まっていた。


察しのいい彼らしくない。

否、察しがいいからこそ、主が何を望むか、言われなくとも悟ったのだろう。

十四になる少年は、思い出したように呟いた。

「ならば、姉上と叔父上は、南へ出立されたのだな」

「はい、陣さま。公路を辿って」




先日、清貴が月子を伴い、ヒガリ国を去った。




国境まで案内をしたのが、陣の命を受けた蘇芳と北斗だ。

陣の指先が頁にかかり、ふと止まる。

「叔父上は、北境辺土にやり残したことがあったのではないか?」

「それはまた、後日の楽しみに取って置くそうです。今は、南へ向かいたい、と」

「あの方は、誰の手も届かないところへ行きたがる。必要とされることを恐れるように」

「…幼い頃、故郷を失ったせいか、誰も知らない場所こそが、故郷のように感じると本人は言っていました」

故郷、呟き、陣が頁を繰った。


「…赤闇の呪いはどうなった?」

「見事、失せましてございます。ただ、古傷が痛むような、幻痛のみ残っているとか」

陣が、顔だけ振り向く。

垣間見えたのは、冷たい水に触れた心地になる、冴えた美貌。

父に、よく似ている。一見、そう見えるが、よくよく見れば母や叔父と似たところもあるから不思議だ。

似ているはずなのに、なぜか叔父の清貴は、雲みたいにつかみ所ない惚けた味わいが強い。

陣はまた別のことをたずねた。


「灰垣塚が跡形なく消えたというのは、本当か」


「事実です。蔵代が消えるなど、前代未聞ですが…、あのお二方のおかげでしょう」

蔵虫がいなくなったから閉じたのか、月子の楔の影響かは、分からない。

それが、あの二人が行ったことによる結果だと、おぼろに悟るのみだ。

北斗は、その報酬が国外追放か、といきり立っていたが、蘇芳はそう思わない。

この処置は、二人をしがらみから解き放つ、最高の褒美だ。

そういう北斗は、このたびの帰国の後、東州の斎門の中でも最高級の武の遣い手と認められている。

清貴に蹴られてばかりと思っていたが、清貴には師としての才もあったらしい。

「…そうか」


陣は、書物に向き直った。

清音の死以後、陣と月子はほとんど口を聞いていなかった。だが、蘇芳と北斗を派遣したことで、陣の意思は伝わっただろう。

陣はそのことについて、何も尋ねない。

無言ながら、蘇芳の目に映るのは、孤独と、次期東州王の地位が、重い鎧を被せた背中だ。




「もう、いい。さがれ」




深く頭を下げ、蘇芳は退室した。

ふと、嗚咽を聞いた気になるが、幻聴だ。

陣は泣くまい。

それが分かっていたから、清貴は陣と関わろうとしなかった。

己の行動が、見限ったつもりもなく、裏切りや、薄情だとすら、清貴は思っていないだろう。

一人で歩いていける相手には、じゃあ、自分は必要ないな、と笑って手を引く。


そんな男だ。そういう、わけがないのに。


唯一の例外が、月子だった。

「だから、人でなしだというんだ」

清貴が最悪なのは、相手をひどく振り回しながら、二度と関わりたくないとは絶対思わせないところだ。

証拠に、彼らを思っても、悪態どころか、浮かんでくるのは案じる心ばかり。

悔しさに、蘇芳は彼らしくなく、荒い息を吐いた。


先日見送ったばかりの背中を思い出し、小さく呟く。


「どうぞ、御無事で」




南、ではなく。

西を見遣って。



はるかな蒼穹を、梵鐘の音が、やさしく吹き渡っていった。







読んで下さってありがとうございました!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ