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封神草紙  作者: 野中
第一部/第四章
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第四撃  舞えよ、我がかなしみ、絶望の神楽


――――オオオオオオォォッ!!






地鳴りを誘発しそうな咆哮と共に、白炎の獣が、躍り上がった。

闇色の鎖はあえなく粉砕、灰塵と化す。


抜き放った時雨が、鋭い爪と重なり猛烈な火花を散らした。


双頭が伸びる。

牙が、がちり、と噛みあわされた。間一髪、僕は後退してる。

少しでも遅ければ、頭を食われてた。

距離を取り、時雨を引き寄せる。


油断なく身構えた獣の尾が、左右に揺れた、と見えたときには。

耳元に、生臭い息を吐きかけられていた。



――――後ろっ!



だが、避けるより、後ろ殴りに刃を叩きつける。

当たるか、逸れるか。

気配を頼りに、めくら斬り。

避けるのは間に合わない。相手が、速すぎる。

なら、少しでも削いでいく!


捨て身の僕は、次の瞬間、横転した。

右の首筋が燃え上がる。

鼻を突く鉄錆のにおい。爪にやられた。


大丈夫。致命傷じゃない。


転がった、途中で跳ね起きる。

蔵虫を見た。思わず、会心の笑み。

時雨は、片方の首を半ば以上、斬り落としてた。


相討ち。


ぶら下がる首は、行動を阻害する。思うなり。

無造作に、蔵虫の前足が動いた。ぶら下がった首を引っ掛ける。

何を、と思う間もない。

なんと、そのまま引き千切り、踏み潰した。

頭は果実のように割れ砕け、体液が散る。


皮膚が粟立った。狼は、釣り合いが悪そうに、ぶるんっ、と残る首を振る。

両眼、残ってる方だ。

とたん、喉を反らせ、咆哮。痛覚すら美酒と言いたげに。

戦いに酔いしれ身震いする。

体躯を覆う毛皮が、まぶしくかがやいた。


僕は笑う。こんな状況なのに、今までで一番、死と縁遠い場所にいる気分だ。

僕の耳に獣の怒号が届く。




――――舞えよ、我がかなしみ、絶望の神楽を!




双方、同時に、床を蹴った。

技巧も仕掛けもない、真っ向勝負。一合、二合。

まっすぐ打ち合い、飛び退り、応酬の合間に、隙を突く。

爪牙と刃を重ねるにつれ、次第に動きが滑らかに加速をはじめる。


終わりない円環を辿るように。


雷に似た剣戟の苛烈さは、広間の崩壊を予兆させる。

斜めに突っ切り、空中ですれ違った刹那、僕はふと気付いた。

たましいを八つ裂きにせんとするこの咆哮。

そこに泣いている子供が重なる。

夢蔵の奥に棲むという神。

これは、その絶叫だ。

ああそうか。蔵虫が何か、僕は手触りで知る。

ひどく寂しい気分になった。



この怪物の名は、孤独だ。



それも、ぶつける当てのない。

恨みながら、罵りながら、かなしみながら、生まれたことに疑念を抱き、それでも必死で生きている。

耐えられなくなったそのときに、蔵虫が生まれるのだ。

神とは何だ。僕は純粋な疑念を力の限り、叩きつけた。

たちまち、嘲りが返る。

――――無知! 無知、無知っ、既知の事実を知らぬとほざく!


ソマ人の友人も、よく似たことを言った。

祈りに似た横顔が過ぎり、火花に消える。

打ち合いが、何合目に至ったときか。

牙を一髪の差でかわした刹那、獣の身体が目の端に映る。

それまで一度も捕らえられなかったのに。


いま!


僕は燃える毛皮を恐れず、身を投げ打った。

胴の側面へ時雨を突き込む。身体ごと押し入るように。

とたん、全身に衝撃。

身体が、それでも進む持ち主を非難するように、皮膚がめくれ、血が沸騰するなり固まった。


獣は、愕然と硬直。

僕は、反射で逃れ去ろうとしたその肉体に引き摺られかける。

意地でその場に踏みとどまった。

噛み締めても、僕の歯の隙間から、声がもれる。それなら。

―――――っ!

全身振り絞って、僕は言葉にならない怒号を放つ。


奮い立った肉体に力が漲り、僕は時雨を振り切った。

衰えない刀身のかがやきが、僕を鼓舞する。

距離を取る寸前、僕の身体は吹っ飛んだ。無防備の腹に、獣が頭突きを食らわしたのだ。

肋骨が折れたと自覚しながら、僕は地面を突き飛ばすように立ち上がる。

だが、片方、膝が落ちた。


否、まだ!


あとはないのだ。思うなり、命が、限界を超えて燃え上がる。

しかし、顔を上げた僕の目に。




砂塵を上げて、崩れ落ちる蔵虫の姿が映った。




一秒、二秒…、いくら待っても、起き上がらない。

それでもしばらく身構えて、疑念が確信に変わった刹那、僕はえずくように咳き込んだ。

戦いの中、どうやって息をしてたか思い出せない。

狭くなってた視野が、急激に広くなる。




僕はいつの間にか、外に出てた。




群青の空に、綺羅星が瞬く。月光が、地面を水底みたいに青く染めてた。

麻薬に浸されてたみたいだった全身の感覚が戻ってくる。

あちこちが悲鳴を上げた。熱い。

着物を濡らすつめたさは、汗ではなく血だろう。

息を整える隣に、影みたいに誰かが立つ気配。

顔を上げなくても誰か分かった。


月子だ。


差し出された手を、僕は笑顔で辞退する。

月子が、汚れる。

時雨を鞘におさめ、息を詰め、気合を入れた。

膝に力を込める。

どうにか立てた。


「無茶ばかりする」


月子の声が泣きそうで、恐々見下ろせば、日頃ボンヤリした顔が、眉間辺りで何かを堪えてる。

つまり、ベソかく寸前。思わず硬直。

「す…っ、すみません…」

一時、傷の痛みなんか吹き飛んだ僕は、ハッと顔を上げた。




視界の端で、獣が立ち上がるのが見えたからだ。




考えるより先に、僕は月子の前に立ち塞がる。

けど、僕よりよっぽど、蔵虫のほうが身体を破壊されてた。

起き上がり、四肢を踏ん張るのがやっと、といった態。


致命傷はやはり、最初断ち切った首か。


かなり離れた場所で、斎門たちが成り行きを見守ってる。

静かだ。誰も息をしてないみたいに。

その中に、姿を隠すのを忘れた黒羽や、日が暮れても碧翔郭に残っていた刀術士たち、宇津木将軍の姿も見えた。

女官たちが、愕然と固まっているのも。


蔵虫の碧眼と僕の目が合う。

とたん、全身の血が、一瞬沸騰した。

赤闇が現れる前兆と感じたが、いつもの激痛が生まれることはない。ただ。


「清貴。赤闇が…」

月子の言葉に目を落とせば、僕の身体には、あの、赤い蔦と花がにじむように浮き出てた。

その意味を、なんとなく、理解する。

もう、恐れることはなかった。

「…ああ、そうか」

戦意のない蔵虫に頷いて、僕は背後の月子に囁く。




「呪いが、解けます」




冗談みたいに呆気なく、人々の前で、赤い闇が枯れた。

七年、あれほど強靭に、僕を縛ったものの、なんて脆いんだろう。

感傷が胸を過ぎる。


とはいえ僕は分かってた。

これこそが、赤闇の呪いの真実だ。

この、脆さこそが。神の。


直後。

僕の目に、蔵虫と一人の人間が透明に重なって見えた。あれは。

「国守…っ?」

蔵虫の肉体が、どくん、と音を立てて脈打つ。

獣が、苦悶の咆哮を上げた。

酔っ払った足取りで数歩進み、再び倒れる。

「清貴…、マズいよ」






「どう、なっているんです?」










読んで下さってありがとうございました!

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