第一撃 亡霊が死者と共に
碧翔郭の、左右には山門。鉄橋は、碧翔郭の正面にある。
夕陽が紅蓮に燃える中、僕は月子と鉄橋を並んで渡った。
物見高い旅人が、ふらっと立ち寄ったふうに見えたろう。
物珍しそうに、月子は彼方に見える碧翔郭と咆牙嶺を眺める。
いつもの、何を考えているか分かりにくいボンヤリした横顔に、僕はなんとはなしに尋ねた。
「大丈夫ですか」
言うなり、何もないところでつんのめる月子。
前にのめってった身体が、手すりの隙間から落ちかける寸前、僕は片手で抱き止めた。月子は臆した顔で、
「あ、…うん。平気」
目を前に向けたまま答える。
なんだか、今さっき目が覚めたって顔だ。
「だったらいいんですが」
深くこだわらないでほしいって態度に、僕は身体を離して月子の手を握った。
放置は危険だ。
月子はにこにこ、振り払うでもなく、恥ずかしがるでもない。
僕は月子の間抜けにもいい加減慣れて、これがなければ月子の体調不良を心配してしまう。
今日は絶好調らしい。
「でも清貴、勝手に来てよかったの?」
「宇津木将軍ですか」
「うん。夜になったら宿に迎えを寄越すって言ってたよね」
今朝、僕と月子は学習院での騒動のせいで泥のように眠りこけてた。
心地いい夢を破ったのは、宇津木の謹厳な声だ。
彼は、国守と義治に何が起こったか簡潔に述べ、月子に代役を依頼した。
何も聞き返さなかった月子の快諾に安堵し、夜に迎えを寄越す、と宇津木は先に碧翔郭へ向かったのだ。
けど、夜が来る前に僕は宿を引き払った。
用意できる一番上等の服を着て、僕は笠をかぶり、月子は被衣を身につけている。
ちら、と時雨を見下ろす僕。
宇津木を待たなかった理由は、数え切れないほどあるが。
「はい。宇津木将軍は、夜、山門から碧翔郭へ入れるよう手配を整えると言ってましたね」
僕は嘆息。
宰相と交渉し、最大限の譲歩案を整えた宇津木には悪いと思うが、そんなことには従えない。
なぜなら、
「僕自身のことなら、おとなしく従いましたが、これは月子に対する侮辱です」
「えぇ?そうかなぁ」
面食らう月子に、僕はにっこり。
「こそこそ、罪人みたいに人目を忍んで動かなきゃならない理由はありませんよ」
月子は目を瞬かせた。
間を置いて、間抜け面寸前の笑顔。
「うん、分かった」
碧翔郭へ近付くにつれ、門番や見張りの視線が鋭くなっていく。
途中、物見櫓にいる見張りの方から、気配が幾つか消えた。
報告に走ったか。
外門まであと十歩、と言ったところで、
「止まれ!」
射抜く勢いで、門番が声を張り上げた。
立ち止まると、厳しい声が続く。
「笠を取り、顔を見せ、用件を述べよ!」
微笑む僕。月子を見下ろす。
同時に被り物を背中へ落とした。
二人いる片方の門番が僕を見るなり、遠い記憶を見定めるような目になる。
直後、その目がこぼれ落ちそうなくらい見開かれた。
僕は腹の底まで息を吸い、高らかに告げる。
「私は東州の刀術士、白鞘清貴! 国守の命により、我が姪にして、東州王一の君・月子さまを伴い、まかりこした。開門願う!!」
口上が壁や岩肌に反響し、茜色の空へ吸い込まれた。
見える顔すべてが、呆気に取られてる。当然だろう。
六年前に消えた刀術士が、先日亡くなった上臈の一の君を連れてきたと告げたのだ。
亡霊が死者と共に碧翔郭に現れた。
にわかに信じられることじゃない。
真っ先に我に返った門番が、いきり立つ。
「ば…っ、痴れ者が!悪戯はよそでやれ、死者を愚弄するにもほどがあるっ!」
「僕が偽者だと?」
「本物の証拠でもあるのかっ?」
僕は微笑む。怯む門番。
顔に、夢を現実と信じてしまいそうな恐れが過ぎった。
構わず、僕は抜刀。
門番は、緋色のかがやきの中、天へ突きつけるように掲げられた刀身に怖気づいた。
次いで、顔の部品全部振り落とす勢いで目を剥く。
「し、…時雨」
時雨は一度目にすれば、見誤るような太刀じゃない。
運がいいことに、門番は見たことがあったようだ。
くる、と切っ先を地面に向け、僕は人の悪い笑みを見せた。
「いかが」
「と、盗品と言う可能性も…!」
「よせ」
足掻く門番を、もう一人が止める。
「何年か前、清貴殿を拝見した記憶がある。幼さが抜けておられるが、まさしくあの方は清貴殿だ」
「しかし…っ、東州王一の君は先日お亡くなりになられた。清貴殿が、そんな悪趣味な冗談を仰られるかっ?」
「東州王一の君については知らんが…、あの娘が国守に関わりあることは確かだろう」
「なんだって?」
「かつて国守の寵愛を受けた花陽さまと言う女性が居られた。あの方そっくりだ」
門番たちは、地獄に迷い込んだ顔になった。これ以上突付くのは気の毒になる。
しかし、彼らに動いてもらわなければはじまらない。
口を開きかけた僕は、ふと思い留まる。
外門が内側へ開き始めた。
門番たちは縋るように振り向く。どうにか、日常へ戻れるって顔。
すぐさま脇へ退くと、畏まった。
開いた隙間から、慇懃に頭を下げる文官の姿が見える。
物見櫓をちらと見上げ、僕は時雨を鞘に収めた。
鍔鳴りの音に合わせ、初老の文官が顔を上げる。
見覚えがあった。どうやら、これ以上モメる必要はなさそうだ。
「ようこそお越しくださいました。さ、こちらへ」
僕は周囲を一瞥。怪しい動きはない。
文官は、無防備に背中をさらして碧翔郭へ向かった。
月子の背を押し、僕は碧翔郭の敷地に入る。
背後で何かを断ち切るように門が閉まった。
追いつくと、前を向いたまま文官が言う。
「相変わらずですな、清貴殿。無用な騒ぎを起こすのは、もう卒業なさい」
「有用ですよ。それに、いつでも、それなりの理由があります」
文官はため息。月子をちらと見遣り、姿勢を正す。
「本当に、花陽様と瓜二つでいらっしゃる」
「なら、栞って人には会わない方がいいね」
懐っこい口調に、面食らった文官は僕を睨んだ。月子が頭を掻いて言い直す。
「ああ、御正室様だった」
「月子、そういうのは心の中でこっそりと」
「そうではありません。下々と同じ語調とは…話し方にも作法と言うものが」
小言を聞きながら、碧翔郭に入った。文官が僕の意を汲んだか、真正面からだ。
廊下に控えていた女官・文官が、一斉に頭を下げる。
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