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封神草紙  作者: 野中
第一部/第三章
31/87

第八撃  言い訳を与えた

見渡せば、見慣れない部屋で、僕は夜具に横たわってた。感じからして、宿の一部屋のようだが。

灯明の橙のひかりが、淡く室内を照らしてる。


「…気付いた? 清貴」


抑えた声に目を上げれば、つめたく濡れた手拭いが額に触れた。月子の、心配そうな顔が覗き込んでくる。

「もしかして、また同調した?」

「…はい」

「なら、話は早いね。宇津木が、頑張ってくれたみたいだ。何事もなく、碧翔郭へ渡れそうだよ」

手拭いを僕の額に乗せ、月子は屈託なく笑った。

だが、違う。その笑みは、僕にいつも見せる笑い方じゃない。

僕にはわかる。

距離が、あった。


…不安になる。

「…月子?」

言いたいことがあるなら、と促す僕に、月子はひとつ頷き、いつもの調子で、一言。




「清貴はここまででいいよ」




衒いなく、月子は言い切る。


僕は答えられない。

咄嗟に、月子の言葉をどう考えればいいのか分からなかった。

黙り込む僕になにを思ったか、月子はあっけらかんと続ける。

「これ以上一緒にいるのは良くない。学習院の裏庭で、清貴がひどい目にあったのは、私の力のせいだ。このままだと、もっとひどいことになるかもしれない。なにより、清貴の死の気配が、強くなってる。刻一刻」


そう言えば、あれからどのくらい経った?

一日は、過ぎてないはずだ。

血が詰まったみたいに鈍い思考をどうにか手繰りながら、尋ねる。

「あれ、から。どのくらい経ちました?」


「今は、同じ日の夜だよ」

「ここは?」

「流行らない宿。宇津木のトコに泊めてもらうつもりだったけど、清貴に赤闇が出てたから、こっちにした。騒がれたら面倒だからね」

「まあ、土産の猪もありませんでしたしね…」

申し訳なく思う僕。月子は一拍、沈黙。


「…えーと、そう、赤闇だけど、怪我を塞いだら消えたよ。毒にも影響受けてたみたいだね? 呪いは、そっちも浄化してったよ。やっぱり、赤闇の呪いは」






「…待ってください。さっき、月子の力のせいで、僕は怪我をした、と言いましたか?」






ようやく、月子の言葉が頭に浸透してきた。霞がかった意識を正気づかせるため、僕は頭を振る。濡れた手拭いが額から落ちた。

月子がそれを拾い上げ、軽く答える。


「言ったよ」


深い意味なんかないって態度で。


なにを考えてる?

灯火の影に隠れた表情と相俟って、僕が知る月子とは別人がそこにいる気がした。

意識は雲の上にあるようなのに、身体は地に沈みそうだ。

朦朧とする。

ぼんやり、口を開いた。




「…僕を、殺したかったんですか?」




それもいいか、と気のない声で尋ねれば、月子は苦笑。

「逆だよ」

「逆?」






「引き止めたかった、はなれて欲しくないと思った。願ってしまった」






混乱する。月子のやさしい指が僕の髪をかきあげた。

所作と裏腹に、月子の声は、淡々。

「怪我をして傷ついて、動けなくなれば、清貴は私を頼るしかない。だから」


思考が鈍い。

月子の言葉の意味を理解するのに、僕は全力を要した。

(引き止めたかった…?)

動けない、時雨を振るえない僕に、価値などないだろうに。

はなれてほしくないと言いながら、月子は僕からはなれたいのではないのか。

そのとき、ふと、思い出す。

学習院で、紅緒を僕が追ったとき、背後から月子が僕を呼んだ声を。


…大事なことは目の前にあるはずなのに、見過ごしてしまっている感覚があった。

何をどう判断すべきかわからなくて、僕は混乱する。

随分、疲弊していた。発熱もしているらしい。

おそらく、赤闇の呪いが発動したせいだ。


僕はどんな顔をしたんだろう。

月子は気まずそうに笑って身を起こす。

「だからさ。はなれたほうが、いいと思う。私は清貴をひどい目に合わせる。気をつけてるけど、私の力は、思うだけで、もう、ダメだから。うまいこと捻じ伏せられたら、…いいんだけど」

「なにを言って」

「だいじな人、痛い目に遭わせたくないなら私は。独りでいたほうがいいんだと思う」

立ち上がろうとした月子に、僕は。




手を伸ばした。


箍の外れた力で、袖を引く。




月子の膝が滑った。僕も均衡を崩す。

夜具ごともつれ合って、身体が床に叩きつけられた。

「い…痛…」

呻いたのは、下に引き倒された月子だ。眩暈に、僕は顎を引く。

息がうまく吸えない。息を整えながら、ゆっくり顔を上げた。

月子は、ぼんやりして見えて、なにかを堪える気配を湛えてる。


いつもそうだ。


改めて見直せば、本当にきれいな少女だった。悩ましいくらい。

熱が出てるんだろう、燃えるような息を吐き、僕は月子の顔の両脇に手を突いた。

見下ろし、喘ぐように言う。

「…で、いい」

「え?」

目を瞬かせる月子。

次は、ちゃんと聴こえるように、僕は言った。

「それで、いい。ください」

「なに」






「痛みを、ください。思考なんか消える、激痛を、戦いを。――――ください」


月子が離れたがる理由が見えない。それを考えるのは怖かった。

考えないには、これが一番だ。

痛みや戦いに気を取られてる間、他ごとを考える余裕なんかなくなる。


それがいい。それでいい。






月子は一瞬、言葉に詰まった。すぐさま、うろたえた声で囁く。

「あのね、ちょっと清貴…自分が今、どんな顔してるか自覚、ある?」

「なんです、それは」

いやなら、嫌だといえばいいのに。僕は自嘲気味に吐き捨てる。


身体の下にあるのは、月子の身体。血の繋がりがない身体。

絆を断ち切られ、突き放された気分だ。これで、終わりなのか。

終わらせたくない。

なら、どうすればいい。

逃がさないうちに、なにか、理由を。


北境辺土へ僕を迎えに来たのは、月子だ。

それがもし、血のつながりによるものでないのなら。

共に過ごした時間が嘘にはならないと言うのなら。


月子は僕を深い目で見上げてくる。




月子は僕に、なにを願う?




「望みを、言ってください。命令で、構いません。どうぞ、月子の、好きに」






「――――…清貴は、どうしたい?」






月子は、僕の唇に指先で蓋をして、掠れ声で囁く。

月子は、強制の力を持ってる。だから彼女は、何も言わない。願うことも禁じてる。

そして、今。


言っていいのに、拒絶した。


(言いたく、ない?)

なぜ。僕は許したのに。

月子は僕に、望むことすらないのか。

ふと僕は、思考を止めた。

考えすぎてる。複雑に掘り下げるな。

もっと、単純に。

理由なんか、どうだっていい。月子が何も言わないのならそれでいい。その上で、




僕は、どうしたいんだ?




熱い息を、吐いた。指先を撫でた感触に、月子が小さく身を震わせる。

真下に見える瞳が、慄くような、貪欲なひかりを宿した。

瞬間、望みは同じ気がした。月子と僕と。

でもきっと月子は、僕に言わせたがっている。

そう望むことすらきっと、自制しているのだろうが。

察すれば、ためらいは消えた。




「置いて、いかないでください」




目を閉じ、言いたい言葉を拾えた安堵に、肩の力を抜く。疲れた。

おかげで、気付いたこともある。僕は、月子から離れたくないんだ。どうあっても。

かつてはあんなに簡単に離れられたのに。

もう、できない。

「なら、清貴」

月子の両手が首に回った。引き寄せられる。

咄嗟に僕が肘を突いた間で、彼女は鮮やかに笑った。




「一緒に、行こう。母上が、望んだとおりに」




それは、はじめて見る笑顔だ。太陽みたいな、強い生命力そのものの。

拍子に僕の中から、いやな憑きものが、根こそぎ抜けてった。

目が覚めた気分になる。

(あ)

とたん、脳裏に閃いたのは、姉の手紙。

彼女の願いを知るなり僕は、血の雨が降る願いだ、と思った。

その上で、姉の心を察して、…察した、つもりでいた。

でもまだ足りてなかった。

もし。

もし誰も、姉と同じ望みを彼女と同じように実行に移そうとしなければ、月子はどうしたか。






――――――――死の運命をおとなしく受け入れた。周りが望むままに。






月子は言った。

月子を始末しようとする如月の気持ちは分かる、と。宇津木に。

彼女が持つ力はそれほど危険だから、と。

今更ながら、僕は確信した。

月子には、死ぬつもりがあったのだ。


姉はそれを理解していた。そして、それをこそ、もっとも恐れた。


(ああ、だから)

姉は月子に言い訳を与えたのだ。

白鞘清音の望みを生きて果たさなければならない、という言い訳を。

それが果たされた後のことは、姉には考えるまでもなかったろう。

僕がいるから。

僕が、月子の死を望むわけがない。

そうである以上、月子は生きる。

誰かが望むなら、彼女は生きることをあきらめたりしない。


しなくて、いい。


不意に、月子が言った。

「私の世界はねえ、清貴なんだよ」

僕と額を合わせる月子。目を閉じる。


「陣はね、何も知らなかった。清貴と同じで。私が本当にお姉ちゃんと思ってて、でも東州を出るとき、全部打ち明けたんだ。そしたら、陣は怒った。怒って…だから、本当のこと話すと、清貴も離れてくと思った。私の、力のこと」

「…ああ。だから、なんだか、怯えてたんですね」

肯定するように瞬いた月子の睫が、僕の顔を掠めた。

距離が近い。だが穏やかで、厳かな空気があった。


「国守の気持ち、分かる気がする。私も清貴なくすとどうなるか分からない」


「あんな…ことにはなりませんよ。月子は、やさしいですから」

「やさしくないって。認めたくないことには、自分勝手に厳しいよ」

「自分勝手では僕のほうが上ですよ」

「自慢できることじゃないよ、それ」

小さく笑い合う。

すぐさま、声を低くして、僕。

「明日は、蔵虫…神とご対面、ですね」

月子は頷き、一言。


「勝とうね」


運命に。

声にされなかった言葉を確かに聞いた気がして、僕は頷く。


僕の赤闇の呪いを考えれば、蔵虫と戦うことは避けられない。そして、如月がどう出るかも予想がつかなかった。国守の元へ向かうということは、敵陣の只中へ飛び込むようなものだ。


でも今、月子は言った。


勝ってくれ、という願いでも、絶対勝つてる、という気休めでもない。

のんびり、何の気負いもなく、勝とうね、と。

肩の力が抜ける。


月子が持つ業のような力を考えれば、そんな言葉しか残されないのかもしれないけれど。


僕は小さく笑った。

「そういうところ、好きですよ、本当に」

目を見張る月子を置いて、身を離す僕。

「え、え?清貴?」

「さて、そうと決まれば、早く眠って明日に備えなくてはなりませんね」

ごく自然体で僕は夜具を整える。

気持ちはあっさり切り替わっていた。

枕元の時雨を確認。

僕が気を失っている間、おとなしくしてくれていたらしい。

「あ、あのね、清貴、さっき」

「はい?」

「………なんでも、ない」

起き上がり、月子は嘆息。

自分の床を延べ、僕の体調を気にしつつ、横になる。


それを見守り、僕は明かりを消した。

夜具に入る前に、月子の頭を軽く撫で、囁く。

「全部終わってから、続き、しましょうね」

一拍置いて、返された頷きに、僕は微笑んだ。


絆はなくなったわけじゃない。

まだここにある。


それを失いたくないのなら、気持ちに素直に手繰り寄せればいい。

横になる直前、時雨の鞘をすると撫ぜ、僕は覚悟を決めた。


――――――――僕は月子を離したくない。









読んで下さってありがとうございました!

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