第二撃 犯罪的に隠しごとが巧い
何が楽しいのか、月子はにこにこおとなしい。
さっきの、息苦しいほど濃密な嵐の前触れに似た気配は、長い睫の影ほども残ってない。
マガホロガミだなんて、どうして思ったんだか。
頭の中に花でも咲いてそうな呑気さは、僕が知る姪っ子のものだ。
確か、今年で十六。
六年ぶりに会った月子は、美しさばかりでなく間抜けさに磨きがかかっている。
北斗が、大きく伸びをした。
「じゃ、オレ様、蘇芳呼んでくるぜっ」
「待ちなさい、北斗」
すかさず僕は、駆けだそうとした北斗の背中を蹴っ飛ばす。
華麗に決まる回し蹴り。
キョトンとした月子の目が、宙を飛んだ北斗の軌跡を追う。
――――ズザザザザザッ!!
顔から雪に突っ込む北斗。一拍後、跳ね起きる。
犬みたいに身体を振って、雪を飛ばした。
「何しやがる! 毎度毎度石ころみたいに簡単に蹴ッ飛ばしやがって…っ。オレ様は鞠か!?」
「そんなこと思ってないですよ。鞠に失礼ですから」
鞠以下かよ! 叫ぶ北斗。
僕は、色々面倒な気分で手を振る。
野良犬を追い払うよりやる気なく。
「どうでもいいことはともかく、説明をしていきなさい。なぜ月子がここに?」
「…そりゃ姪っ子が叔父貴に会いに来るのは普通だろ?」
「普通?」
僕は微笑んだ。
北斗は警戒に毛を逆立てた猫みたいに身構える。
「月子は、ヒガリ国東州王御堂義孝と、僕の姉白鞘清音の間に誕生した、第一子です。即ち、東州王の継嗣。上臈の中の上臈ですよ?」
言葉が巨大な岩みたいな重圧で、周囲を圧した。鉛みたいな沈黙が落ちる。
僕はいい加減、北境辺土の人間になったつもりでいた。
が、それでも、首輪を嵌めて引き立てられる心地になる。条件反射で跪きそうだ。
北斗はもっとひどい。
鞭で打ち据えられたみたいに竦む。
押し出した声は、無理に絞ったのが丸分かりのシロモノだ。
「えーっと、だからぁ! 北境辺土に来ようと思ったら、簡単じゃないか、じょ、上臈ならさ!」
「子供でも納得しない言い訳ですね。上臈だからこそ、行きたいと立ち上がった瞬間に軟禁されるか、発狂なさった、と地下牢につながれるか。よくて無視されるのがせいぜいです」
「そ、そりゃぁ…」
「蘇芳がこの数日不在だったのは、月子を出迎えに行ってたんですか。ならなぜ、事前に僕に話がなかったんでしょう?」
胸の内、不安が闇色の翼を広げてく。
実は、月子は弟の陣ほど、東州王に可愛がられてない。
辛く当たられるわけじゃないが、無視に近かった。理由は知らない。
それが不憫で、月子が生まれてから十年間、僕は全力で可愛がり倒した。
六年前以上に関係がこじれたのか?
たとえば、長子相続が通例の世に、東州王が、弟の陣を、次代に望んだ、とか。
とは言え、跡目争いでも起きたのか、と月子の前で聞くのは憚られる。
僕を睨み、みるみる北斗の唇がへの字になった。
「だーっ、もう!! 蘇芳が説明するからそれでいいだろっ。すぐ連れてくるから!」
喚き、命懸けの勢いで、雪を蹴散らし駆け去る。その背を見送り、考えた。
騒がしい子供を落ち着いた人間に成長させるには、どんな躾が必要なんだ?
僕は、月子を見下ろす。
無心に見上げてくる目は昔と違わず、曇りを知らないかのようだ。
思えば月子は、北斗と正反対で、昔からものしずかだった。
とは言え、今浮かべる表情が、それか?
…話を、聞いてたはずだが。
何も考えてないというより、深すぎて読めない。
ああ、畜生。僕は乱暴に頭を掻いた。
これが、十六の子供の顔かっ?
滅多にないきれいな顔には、老人の老獪と赤子の無垢が同居してる。
僕は月子に手を貸し、適当に崩した雪山から引っ張り出した。
問い詰めることはできない。僕は月子に後ろめたいことがある。
六年前、一方的に別れを告げ、ヒガリ国を後にしたことだ。
当時十七の僕は、それが一番いいと思ってた。北斗の短気は責められない。
それでも月子が、危急の際に僕を頼ってくれたというなら、これほど嬉しいこともない。
僕にできることなら、なんでもしてあげたいが、情けないことに尋ねる勇気がなかった。
当たり障りないことから訊いてみる。
「皆、変わりないですか?姉上と、陣、それから、東州王は」
六年ぶりだ。
背が伸びている。四肢もすんなりとしなやかで、まとう空気は、上臈でも滅多にない気品。
つい、うっとり。
「きれいになりましたね」
微笑む月子。どこか嬉しそうな、いつもの、気抜ける笑顔。…なのだが。
僕は、ふと真顔になる。月子の笑顔は嘘でない。
なのにそれが、懸念の雲を胸に広げてった。
なにか、おかしい。理由は説明できない。勘だ。
「…ここにくることを、よく、お許しになりましたね? 姉上はともかく…東州王が。アナタは大切な次代なのに」
気もなく月子は、地面を向いた。
自然、僕の顔が曇ってく。
俯いた月子は、土を蹴る。
「うん。…清貴は、近々、旅に出るって北斗から聞いたけど、本当?」
「…はい。十日後出発します。不確かな伝承を追う旅なので、いつまでかかるか分かりません。一週間かもしれませんし…一年、十年以上かかるかもしれない」
「そ…っか」
「月子」
僕は話を逸らしたがる姪っ子の肩を掴む。顔を上げさせた。
「遊びに来たのではないでしょう。僕に、何か伝えたいことがあるのではないですか?」
ごく自然に、首を横に振る月子。
犯罪的に隠しごとが巧い。
僕は半眼になる。
「嘘ですね」
たちまち、度肝抜かれた顔する月子。バレバレだ。
じっと見てると、月子は途方に暮れる。両手を胸まで上げて、下げた。
その間、視線が振り子みたいにウロウロ。
最後に俯き、貝みたいに口を閉ざした。
月子は、おとなしいようで、石頭だ。言いたくないことは、絶対言わない。
さて、どうやって口を割らせるか。