第四撃 いざ
途中、日が翳った。
あ、と思ったときには、網が僕の動きを封じてる。紅緒がちらと振り向く瞳に、乱刃のかがやきが反射。
当然だが、僕に殺す気がなくとも、相手はそうじゃない。
僕の周囲に、逃れるべくもない刃の雨が人体と共に降り落ちる。黒羽。複数。
(さすが本拠地。人的資源は豊富。だとしても)
「無駄遣いです」
次の瞬間、落ちた刃が貫いたのは、誰もいない大地。いや、網だけ残ってる。
引き摺り、芋虫みたいに転がった僕はその先にいた。
動きに合わせて、網の繊維が弾け飛ぶ。
僕は、襲撃者を、無視。付き合う義理はない。
時雨で微塵にした網ごと地を蹴った。足元は足袋だけだが、少し気をつけてさえいれば、この程度の相手なら切り抜けられる。
背後で閃く刃は、僕に届かず空を切る。
紅緒との差は、先刻と寸分違わない。
追いすがる先、僕と紅緒の間、やおら槍を持った黒羽が数人、立ち塞がった。
それぞれ、二本。と思いきや、各々一本の切っ先を左右に向け、木々に突き立てる。
整然とした動き。一部の隙もない。
その向こう側に並んで立ち、残った槍を構えた。凶器の壁だ。
避けようと思えば避けられた。ただし、迂回も停止も、付け込まれる隙を生む。手間取ってる暇はない。なら。
正面突破。
時雨。
相棒の名を心で呼ぶ。猛るように、刃が唸った。
真っ先に、突き出た槍を薙ぎ払う。それらが半ばから断たれたのに目もくれず、僕は地を蹴った。瞬く間に、僕の身体は連中の頭上にある。
生え揃った木の枝が、中天の太陽が、いい具合に障害物になる。
かろうじで対応した槍を数本、割り箸より軽く切り飛ばし、肩口を峰打ち。
着地するときには、障害はなかった。
すぐさま地を蹴り、一陣の疾風と化す僕。
紅緒を見れば、その背は先刻より近い。
視線に気付いたか、振り向き僕を認めた紅緒の白い皮膚が、粟立った。
「無傷だって!? 化け物…っ!」
「アナタたちより、猪の方が手強いですよ」
挑発。カッとなった紅緒の集中が切れる。
足が乱れた。すかさず距離を詰め、僕は手を伸ばす。
捕らえた。手応えを感じたとたん。
「鷹矢!」
紅緒の手から、懐剣が飛んだ。
――――斜め後ろ!
完全に意表を突かれた。易々、懐剣は僕の真横を掠める。
紅緒から手を離し、速度を殺しながら、振り向けば。
樹にもたれた、無表情の少年が見えた。手には、懐剣。
ところが鷹矢は、逃げるどころか。
僕の目の前で、地面に焦げ付いた影みたいにへばりつく。
「アンタは、危険だ」
迷いなく呟き、低い姿勢から、音もなく僕へ突っ込んだ。莫迦正直に我武者羅な突進。
その手甲から刃が飛び出す。左から、薙ぎ払う姿勢。
僕は時雨を引き寄せた。斬ろうと思ったわけじゃない。単なる威嚇。
よりによって、その軌道に。
「逃げな、鷹矢!」
紅緒が飛び込んだ。
気付けば、時雨がその脇腹から胸部まで、斜めに斬りあげてた。
あと少し力を込めれば、時雨は紅緒の肩に抜ける。その程度、僕には草を刈るより容易い。けど。
脳裏を、月子の顔が掠めた。僕は思わず動きを止める。
読んだように、紅緒の白い美貌が嘲笑った。
「…っアンタが、己を、殺すんだ」
僕は悟った。彼女はわざと、時雨の軌道に飛び込んだ。その理由は。
紅緒は鼓膜に粘つくような声で言った。
「月子様は、どう思うかなぁ…!」
瞬間、僕の顔から一切の表情が削ぎ落ちる。
僕は動いた。柄を捻る。
紅緒の身体が痙攣した。肺が潰れ、血を吐く。
最後まで息を吐かせず、刃を一気に肩まで引き上げた。
草いきれの中、ムッと血のにおいがこもる。
崩れ落ちた紅緒の向こう側、彼女の血を浴び、微動だにせず短刀を構える鷹矢の姿があった。
紅緒の死にも、ごく淡々と、捨て身の構え。猫を噛む窮鼠。いや。
北境辺土の支配者たる、獣たちに似た誇り高さが、確かにあった。
その、姿に。
ふいに、かなしくなる。
「あわれですね。使い捨てとは。獣でなく、ヒトであるのに」
彼ら自身が、己を使い捨てるのだ。
鷹矢が返したのは、いつもの無表情。ところが。
僕を凝視した瞳から、堰を切ったように、涙が溢れた。同時に。
黒い奔流が、僕らを中心に、周囲から押し迫る。黒羽だ。
捨て置いた連中か、新手かは分からない。
その勢い、そして一撃必殺の苛烈さは、鷹矢を巻き込む危険など思考の埒外にある。
僕は反射で腰を落とした。
四方の刃が、宝冠のように、僕を貫く寸前。
独楽のように回転。
時雨を手にすれば、重力も、我が身の重さも遠くなる。
一拍置いて、周囲で、人体と血の雨が降った。
いずれも頭部と胴体が分かれてる。
最初、誰も殺すつもりはなかった。本当だ。なのに。
その自制の糸が、紅緒の死で断たれてた。
無感動に、時雨の血糊を振り捨てる。鷹矢が、涙を拭わないまま呟いた。
「あわれと言いながら、虫けらみたいに殺すんだな」
「僕は、塵芥のように殺されたくないですから」
僕は、淡々。
そうだ、結局、これが僕って人間だ。ちゃんと自覚してる。それでも。
「月子と再会してから、折角いい子でいたのに…台無しじゃないですか」
言って、にこり、微笑む。
恨み言めいたことを口にしながら、あくまで穏やかに。
実際、こころは静かに凪いでいた。
わずかに怯み、肩を引く鷹矢。
薄気味悪い男だ、と顔に書いて。
どうでもよかった。
彼を殺すことより、月子に嫌われるかもしれないことのほうが、重要な問題だ。
(…まぁ、ここまでくれば、もう、ついでです)
動かない鷹矢に僕が切っ先を向けた、その瞬間。
「ひゃあああぁっ!」
悲鳴と共に、誰かが座り込む気配。
僕の目が逸れたとたん、鷹矢は弾かれたみたいに距離を取った。
鷹矢のことは気にも留めず、意外な気分で呟く僕。
「…伊吹?」
そこには、先ほど逃げ去ったばかりの銃工がいる。
なぜここに。
息吹の目にあるのは度を越した恐怖。
異様なくらい怯え、竦んだ目を時雨に向けてた。
「し、時雨…白鞘村の…? だ、だったら清貴、アンタは、あの、清貴、なのか」
時雨が恐怖の元だと分かっているのに、努力しても目が離せないと言ったような、悪夢を見る顔。
その、異常なほど張り詰め、強張った伊吹の態度に、はじめて不審を覚える僕。
先ほどの態度からして、刀術士が嫌いなのかと思ったが、彼が疎んじるのは、刃の方なのだろうか。
そう言えば、コイツの前で時雨を抜くのは初めてだ。
だとして、その理由は。
だが、尋ねる余裕はなかった。
座り込んだ伊吹のその後ろから、意外な相手が現れたからだ。
国軍の軍装。
僕は時雨を下げた。
「こんにちは、清貴殿」
「…宇津木蓮」
呼べば、彼ははにかんだ顔で微笑む。
「私は一旦、任を解かれることになりまして、碧翔郭へ戻ることになりました。途中、この銃工を見かけ、いかにも不審で職務質問したところ、アナタを知っているというので、…案内させたんですよ。どうやら、本当にここまで辿り着いたようですね」
殺伐とざわめいてた僕の心がしずかになった。
口にせずとも、分かった。
やろうとすることは、一致してる。蓮は毅然と告げた。
「お手合わせ、願います」
思わぬ申し出、とは思わない。
刀術士とはこういうものだ。
思考の表層は乾き、蓮の出現をどう判断することもなかったのに、身体が勝手に動く。
身を捌く僕。時雨の切っ先が蓮を向いた。固定。
黒羽たちは、闘気に当てられたように動かない。鷹矢も例外じゃない。
彼らから見れば、この状況で、正気の沙汰じゃないって気分だろう。
理解してるが、いちいち黒羽に合わせる理由もない。
僕は僕自身に忠実に動くまで。
懐剣をもった鷹矢を逃すわけにいかないが、蓮の相手をしている間くらいは、おとなしくしているだろう。正確には、…動けないはず。
蓮は笑みを消す。
何事にも全力で向き合う姿勢の現れた表情で、柄を握った。
「いざ」
双方、凝然と睨み合い――――、蓮は苛烈に告げた。
「我、汝に挑戦す!」
蓮の腰から閃光が迸り、猛然と僕を薙いだ。
神速の抜き打ち。それは僕の髪を数本攫った。
からくもかわし、すれ違いざま、蓮の首筋へ白刃を叩き込む。
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