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封神草紙  作者: 野中
第一部/第三章
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第四撃  いざ

途中、日が翳った。

あ、と思ったときには、網が僕の動きを封じてる。紅緒がちらと振り向く瞳に、乱刃のかがやきが反射。

当然だが、僕に殺す気がなくとも、相手はそうじゃない。

僕の周囲に、逃れるべくもない刃の雨が人体と共に降り落ちる。黒羽。複数。

(さすが本拠地。人的資源は豊富。だとしても)


「無駄遣いです」


次の瞬間、落ちた刃が貫いたのは、誰もいない大地。いや、網だけ残ってる。

引き摺り、芋虫みたいに転がった僕はその先にいた。

動きに合わせて、網の繊維が弾け飛ぶ。

僕は、襲撃者を、無視。付き合う義理はない。

時雨で微塵にした網ごと地を蹴った。足元は足袋だけだが、少し気をつけてさえいれば、この程度の相手なら切り抜けられる。

背後で閃く刃は、僕に届かず空を切る。


紅緒との差は、先刻と寸分違わない。


追いすがる先、僕と紅緒の間、やおら槍を持った黒羽が数人、立ち塞がった。

それぞれ、二本。と思いきや、各々一本の切っ先を左右に向け、木々に突き立てる。

整然とした動き。一部の隙もない。

その向こう側に並んで立ち、残った槍を構えた。凶器の壁だ。


避けようと思えば避けられた。ただし、迂回も停止も、付け込まれる隙を生む。手間取ってる暇はない。なら。




正面突破。




時雨。

相棒の名を心で呼ぶ。猛るように、刃が唸った。

真っ先に、突き出た槍を薙ぎ払う。それらが半ばから断たれたのに目もくれず、僕は地を蹴った。瞬く間に、僕の身体は連中の頭上にある。


生え揃った木の枝が、中天の太陽が、いい具合に障害物になる。


かろうじで対応した槍を数本、割り箸より軽く切り飛ばし、肩口を峰打ち。

着地するときには、障害はなかった。

すぐさま地を蹴り、一陣の疾風と化す僕。

紅緒を見れば、その背は先刻より近い。

視線に気付いたか、振り向き僕を認めた紅緒の白い皮膚が、粟立った。




「無傷だって!? 化け物…っ!」


「アナタたちより、猪の方が手強いですよ」




挑発。カッとなった紅緒の集中が切れる。

足が乱れた。すかさず距離を詰め、僕は手を伸ばす。

捕らえた。手応えを感じたとたん。

「鷹矢!」

紅緒の手から、懐剣が飛んだ。


――――斜め後ろ!


完全に意表を突かれた。易々、懐剣は僕の真横を掠める。

紅緒から手を離し、速度を殺しながら、振り向けば。

樹にもたれた、無表情の少年が見えた。手には、懐剣。


ところが鷹矢は、逃げるどころか。

僕の目の前で、地面に焦げ付いた影みたいにへばりつく。

「アンタは、危険だ」

迷いなく呟き、低い姿勢から、音もなく僕へ突っ込んだ。莫迦正直に我武者羅な突進。

その手甲から刃が飛び出す。左から、薙ぎ払う姿勢。

僕は時雨を引き寄せた。斬ろうと思ったわけじゃない。単なる威嚇。

よりによって、その軌道に。



「逃げな、鷹矢!」



紅緒が飛び込んだ。

気付けば、時雨がその脇腹から胸部まで、斜めに斬りあげてた。


あと少し力を込めれば、時雨は紅緒の肩に抜ける。その程度、僕には草を刈るより容易い。けど。


脳裏を、月子の顔が掠めた。僕は思わず動きを止める。

読んだように、紅緒の白い美貌が嘲笑った。

「…っアンタが、己を、殺すんだ」

僕は悟った。彼女はわざと、時雨の軌道に飛び込んだ。その理由は。


紅緒は鼓膜に粘つくような声で言った。




「月子様は、どう思うかなぁ…!」




瞬間、僕の顔から一切の表情が削ぎ落ちる。

僕は動いた。柄を捻る。

紅緒の身体が痙攣した。肺が潰れ、血を吐く。


最後まで息を吐かせず、刃を一気に肩まで引き上げた。


草いきれの中、ムッと血のにおいがこもる。

崩れ落ちた紅緒の向こう側、彼女の血を浴び、微動だにせず短刀を構える鷹矢の姿があった。

紅緒の死にも、ごく淡々と、捨て身の構え。猫を噛む窮鼠。いや。

北境辺土の支配者たる、獣たちに似た誇り高さが、確かにあった。


その、姿に。



ふいに、かなしくなる。




「あわれですね。使い捨てとは。獣でなく、ヒトであるのに」






彼ら自身が、己を使い捨てるのだ。






鷹矢が返したのは、いつもの無表情。ところが。

僕を凝視した瞳から、堰を切ったように、涙が溢れた。同時に。

黒い奔流が、僕らを中心に、周囲から押し迫る。黒羽だ。

捨て置いた連中か、新手かは分からない。


その勢い、そして一撃必殺の苛烈さは、鷹矢を巻き込む危険など思考の埒外にある。


僕は反射で腰を落とした。

四方の刃が、宝冠のように、僕を貫く寸前。

独楽のように回転。


時雨を手にすれば、重力も、我が身の重さも遠くなる。


一拍置いて、周囲で、人体と血の雨が降った。

いずれも頭部と胴体が分かれてる。


最初、誰も殺すつもりはなかった。本当だ。なのに。


その自制の糸が、紅緒の死で断たれてた。


無感動に、時雨の血糊を振り捨てる。鷹矢が、涙を拭わないまま呟いた。

「あわれと言いながら、虫けらみたいに殺すんだな」

「僕は、塵芥のように殺されたくないですから」

僕は、淡々。

そうだ、結局、これが僕って人間だ。ちゃんと自覚してる。それでも。

「月子と再会してから、折角いい子でいたのに…台無しじゃないですか」

言って、にこり、微笑む。

恨み言めいたことを口にしながら、あくまで穏やかに。

実際、こころは静かに凪いでいた。


わずかに怯み、肩を引く鷹矢。

薄気味悪い男だ、と顔に書いて。


どうでもよかった。


彼を殺すことより、月子に嫌われるかもしれないことのほうが、重要な問題だ。

(…まぁ、ここまでくれば、もう、ついでです)

動かない鷹矢に僕が切っ先を向けた、その瞬間。

「ひゃあああぁっ!」

悲鳴と共に、誰かが座り込む気配。

僕の目が逸れたとたん、鷹矢は弾かれたみたいに距離を取った。

鷹矢のことは気にも留めず、意外な気分で呟く僕。

「…伊吹?」

そこには、先ほど逃げ去ったばかりの銃工がいる。

なぜここに。


息吹の目にあるのは度を越した恐怖。


異様なくらい怯え、竦んだ目を時雨に向けてた。




「し、時雨…白鞘村の…? だ、だったら清貴、アンタは、あの、清貴、なのか」




時雨が恐怖の元だと分かっているのに、努力しても目が離せないと言ったような、悪夢を見る顔。

その、異常なほど張り詰め、強張った伊吹の態度に、はじめて不審を覚える僕。

先ほどの態度からして、刀術士が嫌いなのかと思ったが、彼が疎んじるのは、刃の方なのだろうか。

そう言えば、コイツの前で時雨を抜くのは初めてだ。

だとして、その理由は。

だが、尋ねる余裕はなかった。




座り込んだ伊吹のその後ろから、意外な相手が現れたからだ。

国軍の軍装。

僕は時雨を下げた。

「こんにちは、清貴殿」


「…宇津木蓮」


呼べば、彼ははにかんだ顔で微笑む。

「私は一旦、任を解かれることになりまして、碧翔郭へ戻ることになりました。途中、この銃工を見かけ、いかにも不審で職務質問したところ、アナタを知っているというので、…案内させたんですよ。どうやら、本当にここまで辿り着いたようですね」

殺伐とざわめいてた僕の心がしずかになった。

口にせずとも、分かった。

やろうとすることは、一致してる。蓮は毅然と告げた。

「お手合わせ、願います」


思わぬ申し出、とは思わない。

刀術士とはこういうものだ。

思考の表層は乾き、蓮の出現をどう判断することもなかったのに、身体が勝手に動く。

身を捌く僕。時雨の切っ先が蓮を向いた。固定。


黒羽たちは、闘気に当てられたように動かない。鷹矢も例外じゃない。


彼らから見れば、この状況で、正気の沙汰じゃないって気分だろう。

理解してるが、いちいち黒羽に合わせる理由もない。

僕は僕自身に忠実に動くまで。

懐剣をもった鷹矢を逃すわけにいかないが、蓮の相手をしている間くらいは、おとなしくしているだろう。正確には、…動けないはず。


蓮は笑みを消す。

何事にも全力で向き合う姿勢の現れた表情で、柄を握った。

「いざ」

双方、凝然と睨み合い――――、蓮は苛烈に告げた。

「我、汝に挑戦す!」

蓮の腰から閃光が迸り、猛然と僕を薙いだ。

神速の抜き打ち。それは僕の髪を数本攫った。


からくもかわし、すれ違いざま、蓮の首筋へ白刃を叩き込む。












読んで下さってありがとうございました!

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