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封神草紙  作者: 野中
第一部/第三章
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第二撃  知らないことばかり

「あのっ、お久しぶりでございます、宇津木将軍!」




商人の父親が、地面を叩き割る勢いで頭を下げた。

「…ぬおっ? …お、ああ、お前さんらは」

意表を突かれ、仰け反った宇津木は、顔を上げない父親ではなく、淑やかに控えた娘を見て彼らを思い出したようだ。


「そう言えば、娘さんが嫁入りすると聞いたな。ふむ、相手はこの志月藩の男か」

「いえ。真柴藩ですわ。斜黒山を越える道程ですと、一旦志月に入りますので、そこで母にも挨拶を、と思い立って訪れました」

「そりゃいい。喜ぶだろう。にしても斜黒山を通ったか。あそこは碧翔郭の裏にある咆牙嶺ほど険しくないが、その分、賊も多い。轟谷もあって、身を隠すにはもってこいだからな。無事で何より」

商人の父親は、感涙を浮かべながら顔を上げた。


「勿体無いお言葉…っ。ええ、実際危うかったのですが、こちらのお二人に救っていただいて事なきを得ました」

「ふぅむ」

歳のわりにつぶらな宇津木の瞳が、僕らを見下ろし、ぱちぱち瞬く。

「やはり、どこかで会った気がするな。そっちのちっこいお嬢ちゃんも」

月子を見遣った。


月子は、入道雲を見上げる子供みたいにぽかんとしてる。まあ、宇津木から見れば誰でも小さい。

僕は愛想よく微笑み、顔を隠す笠の端を上げた。


「光栄です。覚えておられましたか。いつだったか、国軍の訓練を、末席で受けたに過ぎない僕を」




目が合う。たちまち、宇津木は絶句。




見張った目の奥で、脳細胞が竜巻みたいに全力で回転してるのが分かった。

意思と程遠いところで、彼は僕の台詞を咀嚼。



三秒、四秒。――――ドッと脂汗。



「う、うむ。太刀筋は良かったが、射撃の腕が練習量のわりに報われなかったな、キミは」

大根役者だが、勝手に設定を作る辺り、ノリがいい。

僕はにっこり。

「ええ。なので、軍人になる道は諦めました。さりとて、刀術士も向かず…今では用心棒などやっています」

「そ、そそそうか。で、…そっちのお嬢ちゃん…違う、もしやその…子、は」

「僕の姪っ子です」


「こんにちは」

「こ、んにちは」

反射で畏まる身体を必死で抑える宇津木の前で、月子は深く頭を下げた。

宇津木は苛められた犬みたいな目になる。今にも、勿体無い! と叫び、這いつくばりそうだ。

僕はそ知らぬふりで、おのぼりさん的発言。

「央州へは、仕事を探しにきたんです。国都が、物流の面でも一番と聞きましたし」


「よ! よかったら、ワシが世話をしようかっ」

「そんな。そこまでご迷惑をかけるわけには」

「いや、これもなにかの縁だ! ま、まあ、立ち話もなんだな、とりあえず、学習院の中へ」

懇願され、僕と月子は身元証明もなしで、学習院に入った。

普通は、面倒な手続きが山ほどあるんだが。

入口で草鞋を脱ぎ、手に持って廊下を進む。

途中、謝礼も受け取り、商人父娘と円満に別れる。


とはいえ、迂闊に会話もできず、宇津木は、僕と月子を大きな背中に隠すような格好で、空いた教室に案内した。

扉を閉めるなり、案の定、宇津木は月子の前で、べたと蜘蛛みたいに這いつくばる。

と見るや否や、床に砲弾をぶち込む勢いで叫んだ。






「宰相の行動を知りながら、止められぬ我が身の非力、償いようもございません!」






あとは一言の弁明も説明もなしに、じっと動かない。

月子は不思議そうに小首を傾げる。

ややあって、膝を落とすと、宇津木の分厚い肩に手を置いた。

「顔を上げてくれ、宇津木。この状況は、誰のせいでもないんだから。それに、如月が私を殺そうとするのも仕方ないと思う」

「それは」



「…久世の血が伝える、回天の力。これは野放しにしていいものじゃない」



宇津木の巨体が震える。驚愕じゃない。恐怖の震えだ。


僕は目を見張る。

この男が、こんな形で怯えを見せるとは。

かつて、灰垣塚の騒乱の折、尽きず湧き出る蔵虫にすら、望むところとばかりに、不敵に笑った人物だというのに。


後回しにし続けてきたが、そろそろ尋ねておくべきだろう。

ひっそり、口を挟む僕。




「回天の力というのは、なんですか?」




宇津木は答えない。月子は振り向かない。

火花が散ったように、空気が張り詰めた。


禁忌が犯されたような重い沈黙の中、月子は穏やかなほどしずかに答える。






「願いを叶える力…星を読むのではなく、――――動かす力、だよ」






なんだって?


夕飯の献立でも口にするみたいに消えた言葉は、日常からかけ離れてた。

それは、咄嗟に聞きなおしたい衝動に駆られるほど荒唐無稽で、そのくせ、一瞬で心臓を射抜く。

僕は無意識に拳を握った。




月子の言葉は、言い換えれば、この世を思い通りに動かせる力、と言うことだ。




そんな夢みたいな話、あるはずが。

――――いや。

一拍、調子外れの鼓動が跳ねる。


心当たりなら、ある。思い出せ。


北境辺土で、夜中、カラーダの群れと遭遇したとき。

東州の市場で、月子が金貸しに取り囲まれたとき。

それより先に、蓮が白鞘の太刀を持っていたことも、もしかすると。


ありそうで、あり得ない事態だった。自然なようで、妙な違和感が微かに残った。


なにもかも、まるで別の意思が働いたように、うまく片付きすぎた。

「…それも、国守・久世家が伝える血の力ですか?そんな話、聞いたことが」

月子はなんでもないふうに頷いた。嘘を嘘だと指摘され、悪びれなく肯定するように。

「ないだろうね。上臈の血筋にしか知らされないから。ゆえに、久世の血の者は、己自身で血に楔を打ち込む。血で、血を縛るんだ。力を暴走させない枷として」

「楔を、人の身に? それは…」


生まれながらに、自由を取り上げられると言うことか。

久世家の血が生み出す楔の本質は、あらゆるものの封印。

即ち、楔を打ち込む対象が、生身の人間となれば。

(普通に考えれば、成長が、)

…止まる、はずだ。

だが、彼らは普通に歳をとっている。

ならば、と僕は思考を転換。

封じられたものはなんだ?

回天の力だ。

それがどんなものかを考えれば、自ずと答えは見えてきた。

私心で何かを変えようと思うのは、…何かを感じるから、だ。ならば、感じないようにすればいい。即ち。

…彼らが封じたのは、

(彼らの精神…、心)

そこまで思い至れば、なっとくできることもある。

国守にしろ、月子にしろ。

穏やかで物静かだが、――――心が遠い。

別の次元に存在するような、奇妙な距離感があった。


これは、ひどい報いだ。僕の胸に、刺すような痛みが走った。

僕は、筋金入りの莫迦だ。まったく知らなかった。なんにも分かっちゃいなかった。

この子について、知らないことはないと思ってた。




知らないことばかりじゃないか。




「欲してはならない。望んではならない。すべて、あるべきものをあるがままに」




擦り切れるほど繰り返したのか、月子の唇に、その言葉は馴染みきってた。


諦めることは容易いという。

だが、心の底から諦め切ることは、途方もなく難しい。


「こうやって、久世の血の継承者は、自分に暗示をかけるんだ。…完全ではないにしろ。最上の策は、幽閉。久世の者に刺激を与えてはならない。できうる限り、無に近い状態に保たせる。でなければ、この世の理が、法が、消滅する。蔵代の破裂どころじゃない」

ゆえに、東州王は月子から人を遠ざけたのか。


楔が、回天の力を…その原動力となるこころを、押さえ込んでいるとはいえ、その封印も、完全ではない。

それは不幸だ。

完全であったなら、彼らは本当に何も感じずすんだのに。だが。


何も感じない者は、最早人間とは言えない。

そうなれば、国守・久世家は単なる化け物だ。早々に、周りから見捨てられるに違いない。かなしいが、おそらくそれが事実だ。なにせ、


(…人間は、人間にか治められない)

僕は、国守の危うさを、はじめて悟る。

淡々と告げる月子を見つめる僕の耳に、ふとガズの言葉が蘇った。




――――適当に積み上げた積木みたいに脆い国。




そのとおりだ、ガズ。でも。


僕は、月子の小さな背中を見つめた。

(なんで、この子だった)


その力ゆえに、この子は。

常に、なにかを堪えているのだ。

それでも。

既に幾つかの出来事を、月子は無意識に変えてしまっている。

あまりに些細な結果になったのは、かろうじで、自制が働いているからだろう。

なにより、楔の力が彼女を縛っている。


そのすべてを、月子は誰より強く自覚しているに違いない。


「人の手に余る力だ。なのになぜ、人の手に入ってしまったんだろう」

呟く月子の声は、底知らずに深い。たまらず、僕は言った。

「手に入ったのは、月子のせいではないでしょう」

「清貴」

「辛くないですか。そんな力、なければいいとは思いませんか」

月子の答え如何では、僕はなんでもしたろう。


一言、いやだと言えば、地の果てまでも消し去る方法を探しに行くつもりだった。

どれほど時間がかかっても、必ず。


ところが、月子は戸惑ったように首を振った。




「この力がなかったら、ここにいたのは今とは違う自分だ。それだけのことだ。たいした違いはない。だから、なければいいと思ったことはないよ」


月子はけろりと言い切った。本気だ。






たいした違いはない、と本気で言ってる。






僕は、雷に撃たれた気分で愕然。宇津木も、突っ伏してるけど、唖然とした気配。

それも一瞬、僕は苦笑。そうですか、小さく呟く。

そうだ、これが、月子だ。

月子は国守とは違う。


事実を鏡映しにまるごと受け入れても、取り乱さず、折り合いをつけて歩いていけるのだ。


あきらめてるわけじゃない。月子は強い。非常識なほどしなやかで、剛毅。

だから、不都合を、誰かや、何かのせいにしたりしない。

気負いなく、ごく自然にそう考える。



――――まだ、十六。



僕は瞑目した。

月子は、投げやりでなく、困ったふうに言葉を続ける。

「私は面倒くさい生き物だ。分かってるんだ。自分でも持て余す。でもさ。だいじな人が願ったから、私はここへきた」




「…清音様、ですか」










読んで下さってありがとうございました!

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