第一撃 猪泥棒
「へえ!じゃ、央州の学習院に、お母さんがいるんだ」
「はい。女の身で働くなどみっともないと世間では言われますが、わたしには誇りですの」
「生涯学び、教鞭をとるのが妻の夢でした。五年前、とうとう情熱が報われ、我が国はじめての女性教師となりましたよ。運営者のお一人である宇津木将軍が強く推して下すったのです」
「素晴らしい奥方ですね。彼女に学べる生徒は幸福です」
央州の大路を行きながら、僕と月子は商人の父娘を挟んで和やかに微笑んだ。
「おい」
不機嫌な呼びかけに振り向けば、将棋の駒のような男が、後ろからついてくる。
夜逃げみたいな大荷物を背負い、猪の四足を縛る丸太を担いでた。
なんで自分はここにいるんだろうって顔。
「どうかしましたか、伊吹」
「東州から央州までの道案内って話だったろうが。オレはもういいだろ?」
そう、この男は、伊吹。僕の銃剣を盗んだ男。
同道者になったのは、成り行きだ。
先日、重光の船から降りた後、人もまばらな早朝の道を、すたこら逃げてる、いや、走ってる彼とぶつかったことは記憶に新しい。
「どうしたんです、こんな朝早くから? 夜逃げみたいな格好ですね」
「こ、これはその…っ。あ! アンタらこそ、人のこと言えんのかっ?」
「僕らは旅人ですよ」
「おおおオレは、その、…仕入れ! 仕入れに出かけるんだよ」
「へえ、どちらまで」
「え?ああ、そりゃ…そう、央州の志月藩だ。流通の点では、ヒガリ国一番だからな!」
「それは好都合です、行き先が同じですね」
「ああ?」
「道案内してください」
「じょっ、冗談じゃねえ! なんでオレが…!」
「僕の銃剣をひったくったでしょう。その詫びですよ」
「ひったくられる隙があるほうが悪いじゃないか!」
「そのとおり。つまりは、捕まったひったくりも自業自得というわけですね」
袖触れ合うも他生の縁、伊吹はその役目を快く引き受けてくれた。
行き方は分かるが、道案内がいた方が確実だ。僕らに道に迷う暇はない。
「ついでですから、学習院まで案内してくださいよ。ああ、その後は宇津木将軍邸まで道案内をお願いします」
「なんでそこまで付き合わなきゃならねえんだよ! 大体、そっちの親子は山ん中で賊に襲われてるの助けたんだから、謝礼がほしいくらいだってのに」
とたん、父親は恐縮し、ぺこぺこ頭を下げた。
「本当に感謝しております。謝礼は、学習院につきましたらすぐ用意させて頂きたく」
「気にしなくていいよ、おじさん。伊吹は隠れてただけだし。私と清貴なら、通り道ふさいだ丸太を脇に放った程度のことだから」
月子の微笑みに、張り詰めかけた空気が一挙に和む。
爽やかな春風が通り過ぎたみたいに。
例の、間抜け面寸前の笑顔とは違う。
瞳を和ませ、口元を緩めるだけだが、月子の笑顔は絶対的な安心感を見る者に与えるのだ。
いつも思うが、これは才能だろう。
感化された娘が微笑む。が、すぐさま彼女はきりっと顔を引き締めた。
「それだと、わたしたちの気がすみませんわ。少ないけど、受け取ってください。ね」
この父娘、娘の嫁入りのために東州から央州へと出立したそうだ。その途中、運が悪いことに、賊と遭遇した。最初雇った用心棒も奉公人たちも殺され、彼らもあわや、と言うところで通りがかったのが僕たちというわけだ。
賊どもにとっては、人生で最悪の日になったろう。
殺さず、追い払っただけだが、あの負傷からしてしばらく悪さはできまい。
仕上げに、僕らは奉公人たちの墓を作った。
伊吹は念仏ではなく文句ばかり唱えてた。その尻を蹴飛ばして働かせたことが、彼の中で尾を引いてるのかもしれない。
僕はこだわりがないんだが、こうまで言われて固辞するのも、逆におとなげない。
頑固な生真面目さで見つめてくる娘さんに、僕は降参の微笑を見せた。
「アナタがお嫁に行って、しあわせになってくださることが報酬、と格好つけたいところなんですが」
「格好つけでメシが食えるかよ」
伊吹の足の甲を踏みつけ、黙った隙に頷く。
「ありがたく受け取らせていただきます」
「ありがとうございます」
父娘は、ホッと顔を見合わせる。伊吹が諸手を挙げて喜んだ。
一人、前を向いてた月子が、僕らを振り向きながら前方を指差した。
「学習院て、あれじゃないか?」
顔を上げると、鉄の花を絡めたみたいな柵が見える。
柵で区切られた中は、楽園か牢獄か、判断に苦しむところだ。
時間を厳格に支配される学習院の空気は、窒息しそうなくらい息苦しい。
僕にとっては。
「月子は、来たことなかったですよね」
「うん。勉強は、教授が複数で教えてくれたから」
「おや、もしかしてご実家は富裕層なのですか?」
清貴と月子、と正々堂々本名を名乗っているが、彼らには、噂の人物とは同名の別人と思われてる。まあ、普通はそうだろう。第一、その方が気楽だ。
悪気ない商人に、僕は好意的に答える。
「昔の話ですよ。没落したんです」
「…こ、これはこれは」
「お父様ったら、失礼よ。あの、先ほどの仰りようだと、アナタは学習院で学ばれたことがあるのですか?」
「残念ながら、機会がありませんでした」
すらすら嘘をついて、さも残念そうに、肩を竦める僕。
「そうですか。残念ですね。お話させていただいて思ったのですが、学習院に通えば、きっと、優等生になられましたよ」
「それにきっと、お二人とも人気者になったのでは」
その真偽はさておき、もし通ってたら、問題児として即刻叩き出されただろう。
「そろそろ正門ですね。おや、あれは…」
進む先に、見上げるほど大きな、栗毛の馬が見えた。無骨だが、整った姿をしている。その隣に、馬に負けないくらい、大きな背中が壁みたいに立ちはだかってた。
「どなたかしら…上臈のようですけれど…おそらく武門の方、ですわね」
「あ…っ」
娘より先に、父親の方が何かに気付く。僕は月子と素早く視線を見交わした。
騒ぐ門番たちを見なくても、その他大勢と明確に一線を画する存在感で、僕は相手が誰かを悟る。
ヒガリ国髄一の大将軍、宇津木修平。
と、正体を悟ったわけでなさそうだが、
「じょ、冗談じゃねえっ。軍人、いや、頭イカれた刀術士になんざ、オレは関わりたくねえ!あばよっ」
宇津木の軍装に、突き飛ばされたように伊吹は反転、僕が振り向いたときには、商人父娘の荷物を投げ出したその背は小さくなっていた。叩けばいくらでも埃が出る身らしい。
刀術士が嫌いとは初耳だ。
なんにしろ、逃げ足にだけは感心する。あとで、謝礼のことを思い出して地団太踏むに違いない。
「あ、猪泥棒」
月子がのんびり呟いた。
そう言えば、猪は投げ出さなかったが、よくよく考えれば、あれは僕がしとめた猪だった。土産に丁度いいと思ったんだが、まぁ仕方がない。
その言葉に意外な人物が反応する。
「なに、泥棒?」
門番たちと話していた宇津木だ。馬の轡を預け、大股にやってくる。
体躯、声、手、存在感、何もかも大きい。
「さきほど、泥棒と聞こえたが、この国都の治安下、そのような不届き千万な不埒者がどのあたりに現れたのかな」
僕は丁重に頭を下げた。
「お心遣い、感謝致します。けれど、お気になさらず。親しい仲間に対する軽口に過ぎませんので」
「おや、そうかね。すまんな、過剰に反応してしまった」
ぴしゃり、と額を叩いた表情は飄然として見えて、僕に向ける双眸が鋭くひかった。
笠を被ってるから、僕の顔はよく見えまい。
声で、気付いたかな。
宇津木は、親指で顎を押さえ、身を屈める。
「ところでお前さん、どこかで」
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