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封神草紙  作者: 野中
第一部/第三章
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第一撃  猪泥棒

「へえ!じゃ、央州の学習院に、お母さんがいるんだ」

「はい。女の身で働くなどみっともないと世間では言われますが、わたしには誇りですの」

「生涯学び、教鞭をとるのが妻の夢でした。五年前、とうとう情熱が報われ、我が国はじめての女性教師となりましたよ。運営者のお一人である宇津木将軍が強く推して下すったのです」

「素晴らしい奥方ですね。彼女に学べる生徒は幸福です」


央州の大路を行きながら、僕と月子は商人の父娘を挟んで和やかに微笑んだ。




「おい」




不機嫌な呼びかけに振り向けば、将棋の駒のような男が、後ろからついてくる。

夜逃げみたいな大荷物を背負い、猪の四足を縛る丸太を担いでた。

なんで自分はここにいるんだろうって顔。

「どうかしましたか、伊吹」



「東州から央州までの道案内って話だったろうが。オレはもういいだろ?」



そう、この男は、伊吹。僕の銃剣を盗んだ男。


同道者になったのは、成り行きだ。

先日、重光の船から降りた後、人もまばらな早朝の道を、すたこら逃げてる、いや、走ってる彼とぶつかったことは記憶に新しい。






「どうしたんです、こんな朝早くから? 夜逃げみたいな格好ですね」

「こ、これはその…っ。あ! アンタらこそ、人のこと言えんのかっ?」

「僕らは旅人ですよ」

「おおおオレは、その、…仕入れ! 仕入れに出かけるんだよ」

「へえ、どちらまで」

「え?ああ、そりゃ…そう、央州の志月藩だ。流通の点では、ヒガリ国一番だからな!」

「それは好都合です、行き先が同じですね」

「ああ?」

「道案内してください」

「じょっ、冗談じゃねえ! なんでオレが…!」

「僕の銃剣をひったくったでしょう。その詫びですよ」

「ひったくられる隙があるほうが悪いじゃないか!」


「そのとおり。つまりは、捕まったひったくりも自業自得というわけですね」






袖触れ合うも他生の縁、伊吹はその役目を快く引き受けてくれた。


行き方は分かるが、道案内がいた方が確実だ。僕らに道に迷う暇はない。

「ついでですから、学習院まで案内してくださいよ。ああ、その後は宇津木将軍邸まで道案内をお願いします」

「なんでそこまで付き合わなきゃならねえんだよ! 大体、そっちの親子は山ん中で賊に襲われてるの助けたんだから、謝礼がほしいくらいだってのに」


とたん、父親は恐縮し、ぺこぺこ頭を下げた。

「本当に感謝しております。謝礼は、学習院につきましたらすぐ用意させて頂きたく」

「気にしなくていいよ、おじさん。伊吹は隠れてただけだし。私と清貴なら、通り道ふさいだ丸太を脇に放った程度のことだから」

月子の微笑みに、張り詰めかけた空気が一挙に和む。

爽やかな春風が通り過ぎたみたいに。


例の、間抜け面寸前の笑顔とは違う。

瞳を和ませ、口元を緩めるだけだが、月子の笑顔は絶対的な安心感を見る者に与えるのだ。

いつも思うが、これは才能だろう。


感化された娘が微笑む。が、すぐさま彼女はきりっと顔を引き締めた。

「それだと、わたしたちの気がすみませんわ。少ないけど、受け取ってください。ね」




この父娘、娘の嫁入りのために東州から央州へと出立したそうだ。その途中、運が悪いことに、賊と遭遇した。最初雇った用心棒も奉公人たちも殺され、彼らもあわや、と言うところで通りがかったのが僕たちというわけだ。


賊どもにとっては、人生で最悪の日になったろう。


殺さず、追い払っただけだが、あの負傷からしてしばらく悪さはできまい。

仕上げに、僕らは奉公人たちの墓を作った。

伊吹は念仏ではなく文句ばかり唱えてた。その尻を蹴飛ばして働かせたことが、彼の中で尾を引いてるのかもしれない。




僕はこだわりがないんだが、こうまで言われて固辞するのも、逆におとなげない。


頑固な生真面目さで見つめてくる娘さんに、僕は降参の微笑を見せた。

「アナタがお嫁に行って、しあわせになってくださることが報酬、と格好つけたいところなんですが」

「格好つけでメシが食えるかよ」

伊吹の足の甲を踏みつけ、黙った隙に頷く。

「ありがたく受け取らせていただきます」


「ありがとうございます」

父娘は、ホッと顔を見合わせる。伊吹が諸手を挙げて喜んだ。

一人、前を向いてた月子が、僕らを振り向きながら前方を指差した。




「学習院て、あれじゃないか?」




顔を上げると、鉄の花を絡めたみたいな柵が見える。

柵で区切られた中は、楽園か牢獄か、判断に苦しむところだ。

時間を厳格に支配される学習院の空気は、窒息しそうなくらい息苦しい。

僕にとっては。

「月子は、来たことなかったですよね」


「うん。勉強は、教授が複数で教えてくれたから」

「おや、もしかしてご実家は富裕層なのですか?」

清貴と月子、と正々堂々本名を名乗っているが、彼らには、噂の人物とは同名の別人と思われてる。まあ、普通はそうだろう。第一、その方が気楽だ。

悪気ない商人に、僕は好意的に答える。


「昔の話ですよ。没落したんです」

「…こ、これはこれは」

「お父様ったら、失礼よ。あの、先ほどの仰りようだと、アナタは学習院で学ばれたことがあるのですか?」

「残念ながら、機会がありませんでした」

すらすら嘘をついて、さも残念そうに、肩を竦める僕。

「そうですか。残念ですね。お話させていただいて思ったのですが、学習院に通えば、きっと、優等生になられましたよ」

「それにきっと、お二人とも人気者になったのでは」




その真偽はさておき、もし通ってたら、問題児として即刻叩き出されただろう。




「そろそろ正門ですね。おや、あれは…」


進む先に、見上げるほど大きな、栗毛の馬が見えた。無骨だが、整った姿をしている。その隣に、馬に負けないくらい、大きな背中が壁みたいに立ちはだかってた。

「どなたかしら…上臈のようですけれど…おそらく武門の方、ですわね」

「あ…っ」

娘より先に、父親の方が何かに気付く。僕は月子と素早く視線を見交わした。

騒ぐ門番たちを見なくても、その他大勢と明確に一線を画する存在感で、僕は相手が誰かを悟る。




ヒガリ国髄一の大将軍、宇津木修平。




と、正体を悟ったわけでなさそうだが、

「じょ、冗談じゃねえっ。軍人、いや、頭イカれた刀術士になんざ、オレは関わりたくねえ!あばよっ」

宇津木の軍装に、突き飛ばされたように伊吹は反転、僕が振り向いたときには、商人父娘の荷物を投げ出したその背は小さくなっていた。叩けばいくらでも埃が出る身らしい。

刀術士が嫌いとは初耳だ。

なんにしろ、逃げ足にだけは感心する。あとで、謝礼のことを思い出して地団太踏むに違いない。

「あ、猪泥棒」

月子がのんびり呟いた。


そう言えば、猪は投げ出さなかったが、よくよく考えれば、あれは僕がしとめた猪だった。土産に丁度いいと思ったんだが、まぁ仕方がない。


その言葉に意外な人物が反応する。

「なに、泥棒?」

門番たちと話していた宇津木だ。馬の轡を預け、大股にやってくる。

体躯、声、手、存在感、何もかも大きい。




「さきほど、泥棒と聞こえたが、この国都の治安下、そのような不届き千万な不埒者がどのあたりに現れたのかな」




僕は丁重に頭を下げた。

「お心遣い、感謝致します。けれど、お気になさらず。親しい仲間に対する軽口に過ぎませんので」

「おや、そうかね。すまんな、過剰に反応してしまった」

ぴしゃり、と額を叩いた表情は飄然として見えて、僕に向ける双眸が鋭くひかった。

笠を被ってるから、僕の顔はよく見えまい。


声で、気付いたかな。


宇津木は、親指で顎を押さえ、身を屈める。






「ところでお前さん、どこかで」







読んで下さってありがとうございました!

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