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封神草紙  作者: 野中
第一部/第二章
22/87

第十一撃  誰でもできること

× × ×









翌日。

日が昇る前に、辰巳の家を後にする。

慌しい出立だが、起きてた辰巳はしかめっ面で見送ってくれた。

僕はこうなるつもりはなかったけど、辰巳は予測してたようだ。

さすが、と感心すれば、諦めの入った顔で友人は言った。


「そろそろ自分のことくらい理解したらどうだ」

自分のことなんてこれ以上知りたくない。

無言で微笑む僕。辰巳はため息をつく。

「行くのはいいが、できれば連絡くらい寄越せよ」

できれば、と条件をつける辺り、やはり辰巳はひとがいい。

そして、きっと分かってる。

僕がそれをしないってこと。

無頓着っていうのもある。けど、それ以前の問題があるのも本当だ。


僕の立場は危うすぎる。これ以上、友人を巻き込むわけに行かない。

今ならまだ、白を切り通せばどうにでもなる段階だ。

でもこれ以上はだめだった。


「お世話になりました、辰巳。使わせていただいた部屋は、キレイにしておきましたから」

「…てめぇらの痕跡ひとつのこらないように、かよ?」

お互い、それ以上は言わない。月子が、困ったように身じろぐ。

見下ろし、僕は既に被衣をかぶった月子の頭を撫でた。

「喧嘩じゃ、ありませんよ」

「…ん」

とたん、照れたように目を伏せ、肩の力を抜く月子。

僕らになにやら呆れた目を向け、辰巳はぼそり。

「おっ前…、ヤメろ、その甘ぇ声」

鳥肌立ったぞ、と野太い職人の腕を、ぐいと見せ付けられた僕は目をぱちぱち。

「声がなんですか? いつもと同じですよ。美里や子供たちに対する辰巳こそ、見られたものじゃないと思いますが」

「無自覚かよ…困ったヤツだな、コイツ」

なぁ、同意を求めた相手は、月子だ。

不思議そうに首を傾げる月子。

辰巳はまたもや、盛大なため息。

「こっちも無自覚か…。お前が犯罪者にならなかったことを、心の底から祝福してやる」

祝福どころか、心の底からいやそうに言って、犯罪とは何か僕が尋ねる前に、手を振る辰巳。

「用が済んだなら、とっとと行けよ。機会があったら、また会おうぜ」

「――――ええ、また」


言うなり、僕は月子と駆け出した。

別れは、このくらいがいい。会おうと思えば、また明日も会える、そんな気楽さが。

斎門たちも聞いてたろう。

でも、皆知ってる。


僕が、ウソツキだってこと。






梵鐘の音が、駆ける背を追いたててくる。


「千白川だったっけ」

「はい。手紙で指示されてた場所は、その中流…央州へ向かう途中ですね」


夏も盛りの東州。

昼は炎熱地獄かと思うほどだが、この時間帯はまだ涼しい。


濃い緑に囲まれた長屋の群れを抜け、僕らは土手に出る。

雑草生い茂る中を滑り降り、風を巻いて川岸を駆けた。

あまい水のにおいが鼻腔をくすぐる。




「あ。あれだ」




一歩先を走ってた月子が、川の中ほどに浮かぶ屋形船を指差した。岸から跳躍するには、距離がある。

僕は視線を巡らせた。


「橋へ」


川の流れにあわせ、たゆたう船を追い抜き、僕らは行く先の橋へ駆け上がる。中ほどまで進んだところで、跳躍、欄干の上に立つ。


刹那、僕と月子はおもむろに、その欄干を蹴った。


宙で一回転したときには、屋形船の屋根の上に立ってる。

そこまで近付いて、分かった。地味さが覆面みたいに覆ってる船だけど、贅沢で豪奢な造りだ。

一瞥するなり、ひねた感想をもった僕の隣で、月子の身長が低くなった。


違う、足を滑らせたんだ。


はっし、と腕を掴むと、背から胸の中に転がり込んできた月子は照れ笑い。

彼女が姿勢を直そうとするなり、足元で上がる妙な音。咄嗟に僕は、動かないよう言い含める。借りてきた猫みたいになった月子を抱えて、甲板に降りた。



月子のことだ、屋根を踏み抜くくらいはするに違いない。



いきなり屋根に降って湧いた僕らに、船頭は目と口で三つの丸を作って硬直。

構わず、にこやかに問いかける僕。






「こちらに、多田羅重光殿は乗っていらっしゃいますか」


「その声、清貴殿か」






返事は、屋形船の中から返される。

僕が答える前に、錆びた声がしずかに促す。


「入られぃ」


僕は驚かせてしまった船頭に会釈し、障子を開けた。

杯を傾けていた初老の男が、目が合うなり、重く笑う。




「これは、驚いた。本物ではないか」




老いてなお精悍な彼には、向き合う相手の襟を正させる威厳があった。そのわりに、腰軽く、ひょいひょいどこへでも鳥より気楽に赴く。護衛官泣かせの男だ。

「相変わらず、無用心ですね。東州の重鎮が、護衛もなく一人でぶらつかれるのはいかがなものでしょうか」

「言えた義理かな、おぬしが」


僕は後ろ手に障子を閉め、「よろしいですか」断りを入れ、月子と並んで重光の前に座る。

応じて、重光は杯を脇へ押しやり、姿勢を正した。




「…まずは、お久しぶりでございます、多田羅殿」




改まって畳に手をつき、僕は深く頭を下げる。

重光は、東州で、敵だらけの白鞘姉弟を、得もないのに後ろ盾してくれた恩人だ。


昨日、蘇芳に渡された手紙に書かれてあったのは、彼が会いたいと望む旨と、この場所と時間である。



拒絶は思いつかなかった。



「ご無事で何よりだ、清貴殿。月子様も。ご存知のとおり、蘇芳から逐一連絡はもらっていたが」

鷹揚に頷いた重光の、沈着ながら子供みたいにきらきらした目に、痛ましさが掠めた。

「清音様のこと、申し訳なかった。報せるべきか否か、迷ったのだがな」

「お気になさらず。責は、僕自身にあります」

「…今回呼びたてたのは、そのことよ」

「は」

「清貴殿の心持ちを直に聞いて、はっきりさせておきたくてな」

面食らう僕に、重光は微かに身を乗り出す。


「六年前の出奔の理由を教えてもらいたい」


思わぬ話題転換と意外事に、僕は咄嗟に言葉もない。

過去は、僕の中ですべて決着がついてた。今更彼から問われるとは思ってなかったのだ。

しかも、現状にはまったく関係がない。

僕の言葉を止めるように、重光は片手を上げた。

「ある程度の事情は察している。断片的な情報を組み合わせ、推測と言う域でならば、な」

順を追って確認しよう、と寛ぐ重光。

どうやら、簡単に解放してくれそうにない。

彼相手に、無視などできるわけがなかった。

とたん、ちら、沈黙した僕を見上げる月子。

目が合うなり、なぜか慌てて重光に目を戻す。


「六年前、斎門を輩出する家系でも名門と言われる一家で、名器と名高い法具を巡り、諍いが起こった。武力闘争にまで膨れ上がった争いを鎮圧するために、州府は軍を派遣した。その中の将兵の一人が、清貴殿、お主だ」

間違いはないな、と言いたげに、柔和ながら厳つい目が僕を見る。促されるまま、頷いた。

隣で、月子が僕を真っ直ぐ見上げる。表情の変化一つ見逃すまいとする、視線。今度は、凝視。

無表情だが、興味津々の態。

先を続ける重光。


「事態は見事鎮められたが、州軍の戦死者の数も、相当数に上った。一家系の争いを鎮めただけにしては、考えられないくらいの数だ。その理由は、清貴殿、アナタが采配を致命的に誤ったためだと言われた」

僕は沈黙。重光は畳み掛けるように続けた。




「ただし、従軍した兵たちに個人に話を聞いていくと、おかしなことになった」




「どういうことだ、多田羅」

月子が声を潜める。重光は月子へ丁寧に向き直った。

「はい。将兵以外の兵士たちは皆、清貴殿を庇うのです。あの方はむしろ我らを救ってくださったのだ、と」

「噂と事実は違うのか」

「ええ。采配を誤ったのは、他の将兵で、混戦の中、一部隊が指示も届かないところへ孤立することになりました。それを救いに馳せ戻った一騎が、白鞘清貴だと。彼が居らねば、かの部隊は全滅、指揮系統の混乱に、連鎖的に煽りを食う部隊も出たでしょう」

重光は、手にした扇子で、ぽん、と掌を打った。僕を見る。


「清貴殿」

「はい」



「筋を通し詮議すれば、事実は明るみに出た。なにより、お主は灰垣塚の騒乱の立ち役者だ。一言もなく濡れ衣を引っかぶり、隠遁するような必要はなかった。それでも、その道を選んだ理由を、某は知りたい」



これが狙いか。月子の視線を感じながら、僕は心中舌打ちした。

僕は、月子が望めば、本音を沈黙で隠すことも、嘘をつくこともできない。


そして、彼女は興味を持っている。


それを知って、重光は月子が同席するこの場で、風化した出来事を話題にしたのだ。

「言いにくいか?それでも、某、お主の口から聞きたいのだよ」

苦し紛れに言う僕。

「多田羅殿ならば、お分かりなのでは?」


「推察は推察だ。出奔の理由は、七年前の騒乱で、夢蔵にまで踏み入るほど勇猛な戦いを見せたことと、根はひとつだろう…とは思っている」


(ほら、分かってるじゃないですか)

内心、歯噛みする僕。

わかっていて、それでも僕に言わせたがる理由は何だ。

僕の不満を読み取ったか、重光は、口調を変えた。

「…ふむ、では質問を変えようか。六年前ではない、七年前、なぜお主はあんな無茶をした」

引く気はないらしい。僕は嘆息。






「無茶とは思いません。やろうと思えば、誰でもできることです。結果、…白鞘の名を上げ、姉上の地位を固めるのに役立ちました。功績を残せた。その後に生まれた、ちょっとした悪評など、問題にならない程度の」


「できんよ、普通」






重光の呆れた声に、月子の静かな声が重なった。

「そこまで想ってくれるなら、どうして母上や私たち姉弟から離れたんだ」

目を伏せる僕。畳を見つめた。

他人事の気分で答える。

「六年前…命令を誤ったのは、同じ将兵でしたが、上臈でした」

昨夜顔を合わせた男を思い出す。彼は、どうやらまったく変わっていないらしい。だとしても、僕にはもう、関係のないことだ。


「今はどうか知りませんが、当時の多田羅殿では、些か相手取るには厳しい相手で…僕を守ろうとすれば、逆に姉上たちの立場が危うくなります。だから、離れました」


標的が僕だということも、分かってた。彼は、多少なりとも名を立てた僕が気に食わなかったんだ。だから、僕さえ消えれば、他には何も影響しない。


しばらく、場の誰も、何も言わない。


しん、落ちたのは、岩のごとく硬く重い沈黙。

それほど長い間同じ姿勢を取っていたわけでもないのに、いっきに張る首の筋肉。

(…これは、)

――――まず僕が何か話せ、と言う圧力でしょうか…。


仕方なく、そろり、顔を上げ、月子を見遣る僕。

刹那、心臓が止まるかと思った。

「…月子…っ?」


この旅の間に多少日焼けしたが、白桃みたいな月子の頬を、透明な水がいくつも筋を作っている。







涙。







反射的に謝りそうになる僕。寸前、思いとどまる。

…月子が泣いている理由も分からないくせに。

さすがにそれは卑怯な気がした。

いや僕はその気になればいくらだって卑怯なことができる。けど、今回ばかりは。


僕の視線に、頬に手をやった月子は、面食らう。

両手で頬を押さえ、「あれ?」顔を背けた。

「ごめん、違う。ごめん、清貴」

(あ)

その反応に、鈍いようやく僕は思い至った。


自分の望みを、月子は押し潰そうとする。時に、凄惨なほどの自制心で。

今までだって、そうだ。幾度も僕は、それを目にしてる。

何かが、彼女を縛っていた。

今もおそらく、そうしているのだ。

ただ、そう確信が持てるというのに、言わないのではなく、言えない・望むことすらしてはならない、…月子に感じたのは、そんな、強制的な禁忌だ。

とたん、脳裏に閃いた言葉があった。


(回天の力…)


月子が持つという、得体の知れない、それ。

彼女が抱える禁忌は、その力となにか関わりがあるのではないだろうか。


いや。


息を詰める僕。

そんなの今はどうだっていい。

大切なのは、月子が口にしなかった言葉だ。

同時に、彼女が押し殺した感情。


月子の態度に、思い出したのは、別れ際の姉の姿。

六年前、最後に見たその人の、言葉。


――――そんなくだらないことで、私たちを捨てるね。


言って、泣いた。




往復ビンタを五回繰り返した後で。




捨てる?

そんなつもりは、毛頭なかった。

でも、僕が踏ん張らなかったのは事実だ。

残りたいと望めば、理想的な形で残ることもできたかもしれない。その道を、最初から僕は切り捨ててた。一番楽な道を取った。まつりごとのいざこざをあらたにはじめるのは、もうウンザリしてたから。

…つまり、頑張らなかった。努力しなかった。そして、逃げた。

姉も月子も、それを見透かしてる。

(ああ、もう)

姉がしたように、いっそ殴ってくれたら、気が楽になるのに。


大事な相手に泣かれるってことほど酷い拷問も、僕にはない。

しかも、こんなふうに傷つけた格好で。

でも自業自得だった。

簡単に謝ることもできず、かといって、肩を抱いて慰めることもできず、黙って苦痛に耐えるしかない僕の耳に届いたのは、錆びた声。


「すまない。喧嘩をさせるつもりはなかった」


戸惑った重光は謝罪。

揉め事の気配に、船頭が不安げな声をかけてくるのにも、如才なく対応。

咳払いをし、月子が泣きやむのを待って、仕切りなおす。

「それにしても、やはり幼い頃から一緒にいると違うものだな。月子様が感情をここまで露わにしたところを、某、はじめて拝見する」




「というより、僕が利口でないんでしょう」


「自覚はあったのか」




「そう思っていたなら、年長者がうまく立ち回ってくださいよ。多田羅重光ともあろうお方が、一刀術士の動向に、好奇心ですか」


「それもあるが、それだけではない」









読んで下さってありがとうございました!

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