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封神草紙  作者: 野中
第一部/第二章
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第九撃  戦いにばかり慣れた男は

肩越しに親指で背後を指し、将兵に告げる僕。

「すみませんが、直しておいてくださいね」

とたん、黙って頷けばいいものを、彼は。


目を血走らせ、腰の太刀を引き抜いた。


通りすがりに蹴り上げた野良犬に、思いもかけず噛みつかれたような激昂が、彼から蒸気みたいに迸る。

すかさず蓮が、将兵の手首を押さえた。

「抑えろ。ここは、蔵代の」


「ええい、聞き飽きた! 蔵代が、なんだっ」


男は、沈痛な蓮の手を振り解く。とたん、引っ込みがつかない顔になった。

太刀を抜いたのは、勢いに過ぎなかったようだ。

とたん。


昆虫の羽音を何倍にも増したような音と震動が、大気を固く震わせた。


全員の目が、梵鐘に突き立つ。音も振動も、梵鐘を中心に波紋みたいに広がってく。

「いかんっ。蔵代が」


割れる、と蓮が切羽詰った声を上げた瞬間。




「そこまで」




空気を凍らせる声が響いた。

とたん、将兵が、ぐるん、と白目を剥く。

贅沢と怠惰に慣れた肉体は、木偶みたいに崩れ落ちた。

代わりに、立っていたのは。

首を傾げ、僕は相手の名を呼んだ。


「蘇芳」


いたのは、昼、別れた斎門の片割れ。

彼は、手刀を将兵の首筋に叩き込み、気絶させた。

彼ならその程度、必要とあらば相手が誰でも、躊躇わずできる。とはいえ。


なぜ、彼がここにいるのか。


髪一筋の乱れもない端正な姿で、ぐるりと周りを見渡す蘇芳。

最後に僕を見た。

そのときには、不吉な震動は消えてる。


「蔵代で未熟者相手に不要な挑発はするな」

「何を言うんです。挑発する価値が、彼にありますか?」

「その態度が、挑発だと言うのだ」

納得する僕を放って、蘇芳はぐるりと周囲を見渡した。




「主からの言葉を申し伝える。この東州において、明日が終わるまで、白鞘清貴と、その連れに手出しは一切まかりならん」




しずかな宣言に、意外にも安堵の空気が流れる。兵士たちだ。

受け入れ難い声を放ったのは、黒羽の鷹矢。

「東州は月子様を守るのか」

「守らない。宰相殿の意向に従う」

「なら」

「自分が語っているのは、白鞘清貴について、だ。この男について、宰相殿は何も仰られていない。この男が何を目的に、誰を伴って行動しているかなど、自分たちが関知するところではない」


歯噛みする鷹矢。

詭弁だ。それでも。

東州が表向き、そう言い張る以上、それを事実と受け取るしかない。


僕は微笑んだ。

「それは、多田羅殿の御意思ですか」

「いいや。東州王だ」

「君命ですか」


少し、苦い気持ちが湧く。

すぐさま押さえ込み、僕は抜き身の刀身を肩に担いで、気楽に蘇芳へ近付いた。

「それでは、今夜はゆっくりさせていただきます」


「…明日になれば、さっさと出て行け。貴様は厄介な男だ」

蘇芳は、微笑み一つ返さない。

「部下の斎門たちだが…月子様は、一命を賭してお守りしたい、と誰もが言う。敵対は心苦しいと。が、貴様に関しては一味違う。殺せというなら殺すが、その後自分も後を追って死ぬという連中が多い。お前が死ねば、どれだけ自害するものが出るか、考えただけで頭が痛い」


思わず、僕は安堵した。

自分がどうでも、月子が安全だと分かれば、それで事足りる。


「よかった。月子はどこまでも愛されて守られる子ですね」

「貴様は、愛されすぎて殺される人間だ」

「僕のことはどうでもいいんですよ」


分かってる。本当は、僕がいなくても月子は安全だ。

月子に手をかけることを躊躇わない人間はいない。

それでも、僕は月子といたい。

言われなくても理解してるんだ、僕の身の程なんて。

それでも、月子が望んでくれる限りはそばにいさせてほしいと願ってる。


すれ違いざま、珍しく蘇芳は、表情を動かした。呆れたような、怒ったような。

同時に、僕の懐へ、手にしたものを投げ込んだ。一瞬の早業。

僕は何事もなく通り過ぎ、背中越しにその場にいた全員へ手を振った。

「それじゃ、機会があれば、また」


「――――清貴殿!」


駆け出した背にぶつかった叫びは、蓮だ。

「次お会いした時は、是非、もう一度手合わせをっ」

振り向きはしなかったが、僕は感心。

蓮の声にあったのは、ただ生きるより、生死隣り合わせの場所で、刃を合わせることを望む刀術士としての響きだったからだ。

生真面目な軍人と思いきや、一筋縄でいかない。


僕は宇津木将軍を思い出す。

彼は、豪放磊落で、義に厚く、底抜けの明るさを持つ大男だ。

頼りがいある中に、微笑ましいような稚気に溢れているが、時に凄惨なほど厳しく容赦ない。


似ていないようでやはり親子だ、一脈通じるところがある。


足を止め、僕は抜き身をぶら下げたまま、辰巳の家の屋根から通りを見下ろした。

行った時間より、戻ってきた時間の方が、短かったようだ。

時雨が手元にあるほうが、やはり、調子がいい。

だからと言って、抜き身を引っさげた状態で玄関を潜るわけにいかない。


そんなことをすれば、ご近所でよくない噂の的になってしまう。


まずは、人通りがないことを確認する僕。

闇を羽ばたくみたいに降り立ち、家の中へ滑り込んだ。

足元に行灯を置き、背を向け、作業してた辰巳が振り向く。

約束の言葉を、照れながら口にする僕。

「ただいま」


「おかえり」

辰巳の目に、時雨のかがやきが映りこむ。辰巳は全部了承して、頷いた。

灯明皿に油を入れながら言う。

「あの子供は寝た」

片手が、天井を指差した。天井、いや、二階だろう、この場合。

芯を置き、火を灯した灯明皿を受け取り、僕は感謝した。

「ありがとうございます」


「ひとつ聞いていいか」

「なんですか?」

「昼間、お前の連れが言った死の気配ってのは、なんだ」

僕は肩を竦める。

「星読みの結果です。僕は近いうちに死ぬ、と星が語ったそうです」

作業する辰巳の手が止まった。沈黙。

(あ)

沈黙の壁にぶつかってはじめて、失言に気付く僕。

(…しまった)

話さなくていいことを、話してしまった。ばか正直に。

誤魔化そうと思えば、いくらでも誤魔化せたのに。

だが、口にしたことは取り消せない。

落ち着きなく、自分の着物の袖を握りこむ僕。

どうも僕は、辰巳といると、こういう些細なことにうっかりしてしまう。

油断、しているということだが、それにしたって、これは。

俯いた僕の耳に、しばらくして。


低く、そうか、って相槌が届く。


そうする以外に思いつかないって態度だった。すぐさま辰巳は、何事もなかった口調で小さく呟く。

「おやすみ」

解放された僕はホッとする。

辰巳に負わなくていい重荷を背負わせておきながら。

「おやすみなさい」

(こういうところが、最低だって言うんでしょうね、美里なら)


僕は廊下の先にあった階段を登り、一階の作業場の上にある部屋を覗き込んだ。

夜具の上、月子が一人、丸くなっている。明かりを消そうとしたとき、僕は部屋の片隅に置いてあるものに気付いた。


昼、黒い棚の中に見た時雨の部品だ。

確かに、いつまでも抜き身で持ってるわけにいかない。


辰巳に感謝しながら、灯明皿を畳の上に置き、組み立てる。

闇の中に見る時雨のかがやきは、美酒のように見る目を酔わせた。

丁寧に、それぞれの具合を確かめながら、慎重に組み立てていく。

辰巳が、きちんと保管して、時に手入れもしてくれていたのか、不具合は見当たらなかった。


最後、僕は向きを変えて刃の点検をしながら、しずかに鞘へ納める。


持ち歩くには、剣帯が必要だ。

明日、どこかで仕入れなければ、と考えさした瞬間。

「うっ、…あ!」


夜具の上で、月子が仰け反る。

「月子っ?」

時雨を置いて、僕は月子の肩に手をかけた。仰向けになった彼女の顔に、汗が流れる。

目は閉じていた。眠ってる。その眠りを破りそうなほどの苦痛があるのか、月子は歯を軋らせた。

「く、うぅっ」


全身が石みたいに強張り、硬直している。額の汗を拭ってやり、僕はうろたえた。

月子がこんなふうになるのは、はじめて見る。幼い頃から病気知らずの子だった。

こういう場合に、自分にできることは何もない、と言うより、何をすればいいのか分からない。それが、さらに混乱を呼ぶ。


戦いにばかり慣れた男は心底役立たずだ、とソマ人の女性に繰り返された言葉が耳元に蘇った。


真実だと、痛感するのは、これで何度目だろう。

仰け反った月子の喉も、汗でひかってた。




「とにかく、医者を」










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