第八撃 従順たるを知らない
「殺しちゃえよ、紅緒。こんな簡単に術にかかるヤツ、一捻りだよ」
「蔵代のそばで、そうもいかないだろ、鷹矢」
背には、少年の気配。目の前には、紅緒。さて、どうするか。
いや、彼らは僕をどうするつもりだ?
腹の探り合いは面倒だ。苦手じゃないけど。
真っ向から斬り込む僕。
「蔵代から引き離したところで、殺すつもりですか」
「期待はずれで悪いけど、殺さない。餌になってもらうよ、月子様との取引で」
「取引。引き換えが月子の死なら、僕は自害しますよ」
紅緒は、寝耳に水って顔で、目を剥く。
「あの方に対して、そんなおそれ多いことできるもんかいっ、月子様は国守の血統だよっ」
驚いた。殺すつもりがないとは初耳だ。
僕は、追っ手は全員、暗殺者と思ってた。
「そりゃ、惚けた性格の方だから、腹立つことも多いけどね。外見も中身も、あれだけきれいで純粋な方に、黒羽ごとき、触れることすら許されないよ。…まあ、殺害目的で派遣された相手もいるだろうけど…気の毒に、気は進まないだろうねぇ」
「へえ。刺客は、役割分担された上に、互いの目的は秘されてるんですか。面倒ですね」
雇い主も、まだ月子をどうするか、決めかねているということか、それとも月子にばかりかまっていられない事態にでもなったか。
いずれにせよ、向こうが態度を決めかねているなら、僕としても臨機応変にやっていくしかない。
(これは、厄介だな)
態度を決めてくれたなら、こんな会話もしないですむのに。容赦なく叩きのめせばいいだけなんだから。
しれっと物騒なことを考えた僕の前で、それに気付くはずもない紅緒は、気を取り直したように言った。
「これでいい、楽だよ。とにかく、己の仕事は月子様がお持ちの懐剣を回収することさ」
懐剣。目を瞬かせる僕。初耳だ。
姉が持ってた残雪のことじゃないだろう。あれは陣が継いだはず。なら?
わざわざ、追っ手をかけてまで回収するほどの懐剣。何だ、それは。
分からないなりに僕は挑発。
「そう簡単にいきますかね」
「いくさ。月子様は、アンタに懐いてる。たとえその懐剣が、国守の血につながる唯一の証だとしても、アンタの命と引き換えになら差し出すだろ」
僕は瞠目。
なるほど、確かにそんなものがあれば、国守の元へ辿り着く道程での、余計な争いは減る。…はずなのに、一方で、争いの種にもなるってわけか。
思わず、尋ねる。
「そんなものがあるんですか?」
「そうさ、国守が月子様の母君にお与えになった一振り――――」
言いさした紅緒を前に、しくり、胃が痛くなる僕。
(月子の、母君、…ですか)
きっと、姉のことじゃない。
そのことが、やたら僕の気を重くする。
あんまりそれを、他人の口から言ってほしくなかった。情けないけど。
もちろん、血の繋がりがいっさいなかったとしても、僕にとって、月子は月子だ。が。
(血の繋がりがなかったら、)
…じゃあ、なにを絆にすればいいのか分からなくなる。
落ち着かない。
蘇芳には、月子は月子、と断言したものの、心の底で、僕はそこから目を逸らしてる。
複雑な気分になった僕の視線の先で、紅緒が、はた、と我に返った。
「ちょいとお待ちよ、知らなかったのかい」
互いの食い違いによる違和感に、気付く紅緒。柳眉をひそめる。
とはいえ、蔵代での長い問答は好まなかったようだ。それとも短気なのか、会話を切り上げる。
「まあいいよ。とにかく、そんなわけだから」
彼女は不敵に笑い、掌を、間近な僕にかざした。
「己は、汝、白鞘清貴を支配する」
紅緒の言葉に、指の間に挟んだ小柄が震えた。従順な獣のように。その震動が、僕の腕から足まで雷の勢いで抜けてく。
僕は、冷静に理解。掌握された。
勝ち誇った紅緒が告げる。
「己の言葉に従え」
微笑む僕。
残念ながら、僕は都合よく操られるのが嫌いだ。一部を除いて。
従順たるを知らない僕の心が、嘲笑しながら牙を剥く。
紅緒が、ハッと顎を引いた。双眸に、怯え。
そうだ、キミは間違った。
僕を従えたいなら、鎖を用意しろ。この程度のぬるい束縛、
「――――無意味」
僕が、どうでもよい気分で呪縛を振り払おうとした刹那。
「はーい、はいはいはいっ! そこまでやっ」
ぱん、と手を打つ音がして、僕の手首に衝撃。呆気なく、小柄が落ちる。
掌握の均衡が崩れた。目の前に降った人影が、賑やかに喚く。
「清貴さん、力づくで拘束抜けるつもりやったやろ! あかんて、それっ。呪還しの風いうんは、確実に蔵代に影響与えてまう」
「風丸っ?」
喘ぐ紅緒。風丸は片手を挙げて挨拶。
「お互い、居るんは知っとったけど、会うんは久しぶりやな、紅緒! ついでに忠告、こういう無理強いはあかんて、この人。取り扱い注意の、危険人物としちゃ一級品や」
「どうして邪魔すんだよ、風丸。ぼくらの立場は同じだろ。主人が違っても、あの方たちの目的はひとつだ」
「でもな、鷹矢。目的へ向かう道が一つとは限らんやろ」
「割り込んですみませんが、風丸」
最初からここにいたみたいに、ごく自然に場へ馴染んだ風丸に、僕はわざとらしく作った笑顔を向ける。
「僕は、月子たちの護衛を頼んだはずですが」
音を立てて青ざめ、風丸は泳ぐように両手を上下した。
「…かっ、堪忍してぇな、清貴さん!ちょっと好奇心うずいたゆうか…今の状態なら、月子様方は安心やろうって確信あるし…っ」
「何かあったら、アナタの命程度で責任取れると思わないでくださいね」
僕は黒羽三人を見渡した。
「紅緒と鷹矢は宰相の息がかかっているんでしょうが。二人と知り合いのアナタはなんでしょうね、風丸?おそらく、国守の周辺にいる誰かの手の者…ですね?」
「この状況でいきなりその質問ってぇ事は…ボクが失敗したら、主人ごと抹殺するいう意思表明なんかな…?」
「それ以外の何に聞こえましたか」
風丸は元来、感情表現が大袈裟だが、今度ばかりは演技の余裕もなく震え上がる。
「ほんま、勘弁! それだけは許してぇな…っ」
「まさか、月子の目が届かないところにいる僕に、常識が通じるなんて、思ってたわけじゃないでしょう?」
「いやそこ、爽やかに言うとこ違うし…!」
風丸を見るのは面白いが、ふと目を逸らし、僕は顔を上げた。
「仕方ありませんね。追及している暇もなさそうですから、もういいですよ。今は、ね」
黒羽たちも、顔を上げる。とたん、周囲を見渡し、本能的な所作で、気配を消した。
退いたわけじゃない。残っては、いる。
顔を前へ戻す僕。
黒羽たちが姿を闇と同化させるなり、葦野を渡る風みたいに、そこへ現れた人影の一群がある。先頭の人物が、はた、と足を止め、後方の者たちを押しとどめながら口を開いた。
「貴様、――――いえ、アナタは」
「…へえ、キミも追ってきたんですか。宇津木蓮」
北境辺土で剣を交えた男だ。彼は、数人の藩軍兵と州軍兵を連れてる。
精鋭だろう、彼らは無駄なく的確な足取りで僕をしずかに取り囲んだ。洗練された動きに、我が身の危機ながら感心する。よく訓練されてる。
褒めようと蓮を見るなり、僕の脳裏で、蓮に会ったなら、確かめておかねばならなかったことが閃く。
僕は別のことを口にした。
「アナタがここにいることを、宇津木将軍はご存知なんですか」
「私の行動は、家とは…父とは無関係です。私は軍人ですので、命と身体と忠誠は、既に国へ捧げております。…より優先すべきは、刀術士としての自分ですが」
先日と異なり、礼節を形にしたみたいな態度で、蓮は答える。
「今日は黒羽から、ある人物の護送の手勢を用意して来るように指示されました」
それが僕だとは思わなかった様子で、蓮は口ごもった。
彼の真横にいた、州軍兵らしい将兵は面倒がる様子を隠さない。ところが、胡散臭そうに僕を見るなり、彼は目を剥く。
僕はその間抜け面に見覚えがあった。はて。
僕が思い出す前に、
「お前…っ、白鞘清貴! ――――…成り上がり者が…戻ってきてたのかっ」
相手のダミ声が、記憶の蓋を跳ね飛ばした。
封を切って溢れ出た過去に、目を見張る僕。
「へえ、よりによってアナタと再会するとは思いませんでしたね」
その将兵は、六年前、僕が東州を出奔するきっかけを作った男だ。上臈と言う自身の血筋くらいしか自慢できない男だが、名門の生まれには違いない。
ヒガリ国では血筋が重要視される。この場において彼だけが精鋭と言えないのに、将兵であるという現実が、それを物語ってた。彼は唾を飛ばして叫ぶ。
「な、何をしにきた」
まともに相手をするのは面倒だった。正直に事態を話す義理もない。
ちょっと気絶してほしいな、と僕は足に力を込めかけ、寸前、思い直す。
適当にあしらうことに決めた。
僕だって大人になったのだ。
「何を怯えているんです?僕が故郷の土を恋しがるのはそれほど不自然ですか?」
「戻ってくるはずがない…っ。姉のことも姪のことも、連絡は行かなかったはずだ」
「連絡」
僕は繰り返した。相手が失言に気付く前に、指摘する。
「僕への手紙を握り潰していたのは、アナタですか」
前言撤回。
いつか生まれてきたことを後悔させてやる。
一瞬だけ、膨れ上がった僕の殺気に当てられたか、相手は、声もなく口を開閉した。無論、一瞬だけだ。ここは、蔵代の近くなんだから。
周囲がざわつく。会話の内容に、じゃない。
兵士たちは、彼らの将兵が口走った名に、動揺している。
白鞘清貴。僕の名に。
蓮は眉間を押さえた。
こうなると予測したからこそ、蓮は丁重に対応しながらも、僕の名を口にしなかったのだ。
なるほど、蘇芳が言ったとおり、僕の名は最終兵器なみに威力があるらしい。軍人限定だろうが。
とは言え、あくまで他人事だ。
「僕のことはお気になさらず。すぐ、東州から出て行きますよ」
僕は踵を返した。行く先にいた兵らが、風に吹かれた木の葉みたいに避ける。
本物か、偽者か。敬意半分、疑惑半分の眼差しに、僕は、ありがとう、と微笑んだ。
半信半疑が丁度いい。彼らだって、信じた偶像に裏切られずにすむ。
言葉より、刃の応酬が好みだが、僕だって飢えた獣みたいに、誰にでも突っかかっていくわけじゃないし、避けてくれるならそれに越したことはない。
僕は足を梵鐘へ向けた。
何をしている、と部下の不甲斐なさを罵る将兵を、厳しい蓮の声が抑える。
「だめだ、ここは蔵代の近くだぞ。心を乱しては、障りになる」
僕が、梵鐘を撞く撞木の下へ辿り着いた瞬間。
僕の右腕が、乱暴に後ろへ引かれた。
見れば、肘に黒い蛇が絡み付いてる。
黒い蛇?
違う、鞭だ。
その先を流し見る僕。いたのは、鷹矢。黒羽の片割れが僕を引き止めてた。
そこではじめて、黒羽の存在に気付く兵士たち。
無表情の中、針みたいに鋭い視線を向け、鷹矢。
「アンタを…それ以上、行かせたらいけない気がする。厄介なことになりそうだ。戻れ」
「いい勘です。でも僕も、目的を果たさないまま、月子のところへ戻れないんですよ」
「なら、一生戻るな。アンタを月子様の元へ置いとくと、あの方が傷つきそうな気がする」
一時だけ、僕は唇を引き結ぶ。
僕の真剣さに驚いた様子で、言葉をなくす鷹矢。失礼なヤツ。
鷹矢が言ったことは、間違いじゃない。それでも。
僕なりに、守りたい。
本音だ。
自制する間もなく、心が叫び出すんだ。抑えきれない衝動に、突き上げられて。
僕は鷹矢を無視。僕が従うのは、自分の心。
足を止め、撞木を見上げた。
いる。
だから僕は、呼んだ。
「時雨――――」
刹那。
撞木の中央が、腹を裂くように縦に割れた。拍子に、半ば千切れかける綱。
そこからきらめき落ちた水みたいなひかりが地に届く寸前、掴みとる僕。
間髪入れず、ひかりを右に跳ね上げる。
糸を切るより容易く、鞭は断たれた。
手にしたそれが羽みたいに舞う。共に、踊るように振り向く僕。
僕が持つむき出しの刀身に、居合わせた全員の視線が吸われた。
誰かが、のどをつまらせたような声で、呻く。
「そんな…あれは、時雨…」
柄もなく、鍔もなく、僕が直に茎を掴んでる刀身のかがやきは、誰が見ても見誤るものじゃない。
苦悶するように迸る、嵐めいた気配。
それでいて、ぎらつく太陽とは程遠い、草原のような清爽感。
これが、時雨。僕の。
命を預けるに足る、相棒。
言葉で愛撫するように囁く僕。
「まさか、また手にするとは思いませんでしたよ、時雨」
そのとき背後で響いたのは、吊り下げるべき撞木の重みで、綱が完全に断ち切れる音。
直後、撞木が轟音立てて転落した。




