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封神草紙  作者: 野中
第一部/第二章
19/87

第八撃  従順たるを知らない

「殺しちゃえよ、紅緒。こんな簡単に術にかかるヤツ、一捻りだよ」

「蔵代のそばで、そうもいかないだろ、鷹矢」

背には、少年の気配。目の前には、紅緒。さて、どうするか。


いや、彼らは僕をどうするつもりだ?

腹の探り合いは面倒だ。苦手じゃないけど。

真っ向から斬り込む僕。

「蔵代から引き離したところで、殺すつもりですか」


「期待はずれで悪いけど、殺さない。餌になってもらうよ、月子様との取引で」

「取引。引き換えが月子の死なら、僕は自害しますよ」

紅緒は、寝耳に水って顔で、目を剥く。


「あの方に対して、そんなおそれ多いことできるもんかいっ、月子様は国守の血統だよっ」


驚いた。殺すつもりがないとは初耳だ。

僕は、追っ手は全員、暗殺者と思ってた。

「そりゃ、惚けた性格の方だから、腹立つことも多いけどね。外見も中身も、あれだけきれいで純粋な方に、黒羽ごとき、触れることすら許されないよ。…まあ、殺害目的で派遣された相手もいるだろうけど…気の毒に、気は進まないだろうねぇ」

「へえ。刺客は、役割分担された上に、互いの目的は秘されてるんですか。面倒ですね」

雇い主も、まだ月子をどうするか、決めかねているということか、それとも月子にばかりかまっていられない事態にでもなったか。

いずれにせよ、向こうが態度を決めかねているなら、僕としても臨機応変にやっていくしかない。

(これは、厄介だな)

態度を決めてくれたなら、こんな会話もしないですむのに。容赦なく叩きのめせばいいだけなんだから。

しれっと物騒なことを考えた僕の前で、それに気付くはずもない紅緒は、気を取り直したように言った。

「これでいい、楽だよ。とにかく、己の仕事は月子様がお持ちの懐剣を回収することさ」


懐剣。目を瞬かせる僕。初耳だ。

姉が持ってた残雪のことじゃないだろう。あれは陣が継いだはず。なら?


わざわざ、追っ手をかけてまで回収するほどの懐剣。何だ、それは。


分からないなりに僕は挑発。

「そう簡単にいきますかね」

「いくさ。月子様は、アンタに懐いてる。たとえその懐剣が、国守の血につながる唯一の証だとしても、アンタの命と引き換えになら差し出すだろ」

僕は瞠目。

なるほど、確かにそんなものがあれば、国守の元へ辿り着く道程での、余計な争いは減る。…はずなのに、一方で、争いの種にもなるってわけか。

思わず、尋ねる。

「そんなものがあるんですか?」


「そうさ、国守が月子様の母君にお与えになった一振り――――」

言いさした紅緒を前に、しくり、胃が痛くなる僕。

(月子の、母君、…ですか)

きっと、姉のことじゃない。

そのことが、やたら僕の気を重くする。

あんまりそれを、他人の口から言ってほしくなかった。情けないけど。

もちろん、血の繋がりがいっさいなかったとしても、僕にとって、月子は月子だ。が。

(血の繋がりがなかったら、)




…じゃあ、なにを絆にすればいいのか分からなくなる。




落ち着かない。

蘇芳には、月子は月子、と断言したものの、心の底で、僕はそこから目を逸らしてる。

複雑な気分になった僕の視線の先で、紅緒が、はた、と我に返った。

「ちょいとお待ちよ、知らなかったのかい」


互いの食い違いによる違和感に、気付く紅緒。柳眉をひそめる。

とはいえ、蔵代での長い問答は好まなかったようだ。それとも短気なのか、会話を切り上げる。

「まあいいよ。とにかく、そんなわけだから」

彼女は不敵に笑い、掌を、間近な僕にかざした。


「己は、汝、白鞘清貴を支配する」


紅緒の言葉に、指の間に挟んだ小柄が震えた。従順な獣のように。その震動が、僕の腕から足まで雷の勢いで抜けてく。

僕は、冷静に理解。掌握された。

勝ち誇った紅緒が告げる。

「己の言葉に従え」


微笑む僕。




残念ながら、僕は都合よく操られるのが嫌いだ。一部を除いて。


従順たるを知らない僕の心が、嘲笑しながら牙を剥く。




紅緒が、ハッと顎を引いた。双眸に、怯え。

そうだ、キミは間違った。

僕を従えたいなら、鎖を用意しろ。この程度のぬるい束縛、



「――――無意味」



僕が、どうでもよい気分で呪縛を振り払おうとした刹那。






「はーい、はいはいはいっ! そこまでやっ」






ぱん、と手を打つ音がして、僕の手首に衝撃。呆気なく、小柄が落ちる。

掌握の均衡が崩れた。目の前に降った人影が、賑やかに喚く。


「清貴さん、力づくで拘束抜けるつもりやったやろ! あかんて、それっ。呪還しの風いうんは、確実に蔵代に影響与えてまう」


「風丸っ?」

喘ぐ紅緒。風丸は片手を挙げて挨拶。

「お互い、居るんは知っとったけど、会うんは久しぶりやな、紅緒! ついでに忠告、こういう無理強いはあかんて、この人。取り扱い注意の、危険人物としちゃ一級品や」


「どうして邪魔すんだよ、風丸。ぼくらの立場は同じだろ。主人が違っても、あの方たちの目的はひとつだ」

「でもな、鷹矢。目的へ向かう道が一つとは限らんやろ」


「割り込んですみませんが、風丸」


最初からここにいたみたいに、ごく自然に場へ馴染んだ風丸に、僕はわざとらしく作った笑顔を向ける。




「僕は、月子たちの護衛を頼んだはずですが」




音を立てて青ざめ、風丸は泳ぐように両手を上下した。

「…かっ、堪忍してぇな、清貴さん!ちょっと好奇心うずいたゆうか…今の状態なら、月子様方は安心やろうって確信あるし…っ」



「何かあったら、アナタの命程度で責任取れると思わないでくださいね」



僕は黒羽三人を見渡した。

「紅緒と鷹矢は宰相の息がかかっているんでしょうが。二人と知り合いのアナタはなんでしょうね、風丸?おそらく、国守の周辺にいる誰かの手の者…ですね?」

「この状況でいきなりその質問ってぇ事は…ボクが失敗したら、主人ごと抹殺するいう意思表明なんかな…?」


「それ以外の何に聞こえましたか」


風丸は元来、感情表現が大袈裟だが、今度ばかりは演技の余裕もなく震え上がる。

「ほんま、勘弁! それだけは許してぇな…っ」

「まさか、月子の目が届かないところにいる僕に、常識が通じるなんて、思ってたわけじゃないでしょう?」

「いやそこ、爽やかに言うとこちゃうし…!」

風丸を見るのは面白いが、ふと目を逸らし、僕は顔を上げた。

「仕方ありませんね。追及している暇もなさそうですから、もういいですよ。今は、ね」

黒羽たちも、顔を上げる。とたん、周囲を見渡し、本能的な所作で、気配を消した。

退いたわけじゃない。残っては、いる。

顔を前へ戻す僕。


黒羽たちが姿を闇と同化させるなり、葦野を渡る風みたいに、そこへ現れた人影の一群がある。先頭の人物が、はた、と足を止め、後方の者たちを押しとどめながら口を開いた。


「貴様、――――いえ、アナタは」


「…へえ、キミも追ってきたんですか。宇津木蓮」

北境辺土で剣を交えた男だ。彼は、数人の藩軍兵と州軍兵を連れてる。

精鋭だろう、彼らは無駄なく的確な足取りで僕をしずかに取り囲んだ。洗練された動きに、我が身の危機ながら感心する。よく訓練されてる。

褒めようと蓮を見るなり、僕の脳裏で、蓮に会ったなら、確かめておかねばならなかったことが閃く。

僕は別のことを口にした。

「アナタがここにいることを、宇津木将軍はご存知なんですか」


「私の行動は、家とは…父とは無関係です。私は軍人ですので、命と身体と忠誠は、既に国へ捧げております。…より優先すべきは、刀術士としての自分ですが」


先日と異なり、礼節を形にしたみたいな態度で、蓮は答える。

「今日は黒羽から、ある人物の護送の手勢を用意して来るように指示されました」

それが僕だとは思わなかった様子で、蓮は口ごもった。


彼の真横にいた、州軍兵らしい将兵は面倒がる様子を隠さない。ところが、胡散臭そうに僕を見るなり、彼は目を剥く。

僕はその間抜け面に見覚えがあった。はて。

僕が思い出す前に、




「お前…っ、白鞘清貴! ――――…成り上がり者が…戻ってきてたのかっ」




相手のダミ声が、記憶の蓋を跳ね飛ばした。

封を切って溢れ出た過去に、目を見張る僕。


「へえ、よりによってアナタと再会するとは思いませんでしたね」


その将兵は、六年前、僕が東州を出奔するきっかけを作った男だ。上臈と言う自身の血筋くらいしか自慢できない男だが、名門の生まれには違いない。

ヒガリ国では血筋が重要視される。この場において彼だけが精鋭と言えないのに、将兵であるという現実が、それを物語ってた。彼は唾を飛ばして叫ぶ。

「な、何をしにきた」

まともに相手をするのは面倒だった。正直に事態を話す義理もない。

ちょっと気絶してほしいな、と僕は足に力を込めかけ、寸前、思い直す。

適当にあしらうことに決めた。


僕だって大人になったのだ。


「何を怯えているんです?僕が故郷の土を恋しがるのはそれほど不自然ですか?」

「戻ってくるはずがない…っ。姉のことも姪のことも、連絡は行かなかったはずだ」

「連絡」

僕は繰り返した。相手が失言に気付く前に、指摘する。




「僕への手紙を握り潰していたのは、アナタですか」




前言撤回。

いつか生まれてきたことを後悔させてやる。


一瞬だけ、膨れ上がった僕の殺気に当てられたか、相手は、声もなく口を開閉した。無論、一瞬だけだ。ここは、蔵代の近くなんだから。

周囲がざわつく。会話の内容に、じゃない。

兵士たちは、彼らの将兵が口走った名に、動揺している。




白鞘清貴。僕の名に。




蓮は眉間を押さえた。

こうなると予測したからこそ、蓮は丁重に対応しながらも、僕の名を口にしなかったのだ。

なるほど、蘇芳が言ったとおり、僕の名は最終兵器なみに威力があるらしい。軍人限定だろうが。


とは言え、あくまで他人事だ。


「僕のことはお気になさらず。すぐ、東州から出て行きますよ」


僕は踵を返した。行く先にいた兵らが、風に吹かれた木の葉みたいに避ける。

本物か、偽者か。敬意半分、疑惑半分の眼差しに、僕は、ありがとう、と微笑んだ。


半信半疑が丁度いい。彼らだって、信じた偶像に裏切られずにすむ。


言葉より、刃の応酬が好みだが、僕だって飢えた獣みたいに、誰にでも突っかかっていくわけじゃないし、避けてくれるならそれに越したことはない。


僕は足を梵鐘へ向けた。

何をしている、と部下の不甲斐なさを罵る将兵を、厳しい蓮の声が抑える。

「だめだ、ここは蔵代の近くだぞ。心を乱しては、障りになる」

僕が、梵鐘を撞く撞木の下へ辿り着いた瞬間。


僕の右腕が、乱暴に後ろへ引かれた。

見れば、肘に黒い蛇が絡み付いてる。

黒い蛇?

違う、鞭だ。

その先を流し見る僕。いたのは、鷹矢。黒羽の片割れが僕を引き止めてた。

そこではじめて、黒羽の存在に気付く兵士たち。


無表情の中、針みたいに鋭い視線を向け、鷹矢。

「アンタを…それ以上、行かせたらいけない気がする。厄介なことになりそうだ。戻れ」


「いい勘です。でも僕も、目的を果たさないまま、月子のところへ戻れないんですよ」

「なら、一生戻るな。アンタを月子様の元へ置いとくと、あの方が傷つきそうな気がする」

一時だけ、僕は唇を引き結ぶ。

僕の真剣さに驚いた様子で、言葉をなくす鷹矢。失礼なヤツ。


鷹矢が言ったことは、間違いじゃない。それでも。

僕なりに、守りたい。

本音だ。

自制する間もなく、心が叫び出すんだ。抑えきれない衝動に、突き上げられて。


僕は鷹矢を無視。僕が従うのは、自分の心。

足を止め、撞木を見上げた。


いる。


だから僕は、呼んだ。






「時雨――――」






刹那。

撞木の中央が、腹を裂くように縦に割れた。拍子に、半ば千切れかける綱。

そこからきらめき落ちた水みたいなひかりが地に届く寸前、掴みとる僕。


間髪入れず、ひかりを右に跳ね上げる。


糸を切るより容易く、鞭は断たれた。

手にしたそれが羽みたいに舞う。共に、踊るように振り向く僕。

僕が持つむき出しの刀身に、居合わせた全員の視線が吸われた。

誰かが、のどをつまらせたような声で、呻く。




「そんな…あれは、時雨…」




柄もなく、鍔もなく、僕が直になかごを掴んでる刀身のかがやきは、誰が見ても見誤るものじゃない。

苦悶するように迸る、嵐めいた気配。

それでいて、ぎらつく太陽とは程遠い、草原のような清爽感。

これが、時雨。僕の。


命を預けるに足る、相棒。


言葉で愛撫するように囁く僕。

「まさか、また手にするとは思いませんでしたよ、時雨」


そのとき背後で響いたのは、吊り下げるべき撞木の重みで、綱が完全に断ち切れる音。




直後、撞木が轟音立てて転落した。










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