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封神草紙  作者: 野中
第一部/第二章
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第七撃  我、汝に挑戦す

話題を元に戻す僕。

「それにしたって、とんでもないところに隠しましたね」

時雨のことだ。

これから僕は、懐かしい相棒に会いにいく。

肩を竦める辰巳。


「納めたって感じだな。最強の刀術士様の刀剣だ。守護のご利益覿面だろ」


「誰も考え付きませんよ、こんなの。さすが、僕の友人殿です」

「それ以上の侮辱もねえぞ」

唸った辰巳を尻目に、僕はとっとと出発した。



向かうは、西。本気で駆ければ、往復でも短時間で済む。



ちょっとした散歩ってとこだ。

二回の跳躍で屋根の上に立ち、僕は独り言みたいに呟いた。

「いますか、風丸?」

「…いるで。けど、あんま、声かけんといて。斎門の目厳しいねん」

「そこをうまくやるのが黒羽だと思ってたんですが」

「皮肉キッツいわぁ、清貴さん」

「月子は勿論のこと、辰巳たち家族のことも頼みましたよ」

聞く耳持たず、言いたいだけ言って、僕は屋根の上を駆け出す。

「って、ちょぉ待ってっ、どこ行くんやっ?」

風丸の問いを置き去りに、僕は疾風と化した。

切ってもらったばかりの髪を、風が梳って後ろに流れ去る。




実のところ、北境辺土は広大に見えて、うっかり全力疾走はできない。雪に深い地裂が隠されてるから。よって、そんな警戒なしに駆けるのは、僕にとって、本当に久しぶりのことだった。


六年ぶりに力の限り駆けてみれば、童心に返るくらい爽快だ。

あっという間に、その感覚に夢中になった。


最中、追っかけてきた斎門の何人かが脱落してく。




月下、思いのままに僕は快足を飛ばした。




それでも、解放感は中途半端に塞き止められる。

姉のことが、心の片隅にこびりついて離れないから。

(墓参りしたいんだけど、無理かな、やっぱり)

分かってる、のに、諦めきれない。月を見上げ、幾度も思う。




せめて花の一輪でも、と。




ため息ついて、顔を戻した。

だめだ。時雨を手にすれば、即刻、央州へ向かう。

国都は、央州、志月藩内にあった。



険しい山岳地帯を背景に、国守の城、碧翔郭が聳え立つ。そこへ伸びる鉄橋を、過去、僕は一度ならず、渡ったものだ。



国守と目通りかなったことも、少なくない。


国守、久世周。みるからに温雅で、所作ひとつひとつがハッとするほど優美な、目を引く男。

やさしく、慈悲深い双眸は、魅了の力に溢れて、容易に他者を傅かせる。


けれど、どこか、傷だらけの足で必死に立ってるみたいな痛々しさがあった。


ふ、と空気のにおいが変わる。

僕は、道へ飛び降りた。否、ここから先に道はない。

広がるのは、茫々とした葦野。

中央には、しずかな蔵代。

その名称を、






――――――――灰垣塚。






葦野の中央には、取り残されたみたいに場違いな祠があった。


吊り下げられているのは。




巻き付く龍めいた溝を掘り込まれた、梵鐘。




ざっ、と、遥か向こうから吹き抜けた風が、僕の頬を撫でていった。

数歩離れた位置で立ち止まり、僕はそれを眺めやる。

ここへ来るのは、七年振りだ。懐かしさはない。ひたすら忌まわしい。と言うのに。

大地は早や、人や獣、血のにおいなど、素知らぬ顔で存在してる。


僕は複雑な気分で立ち竦んだ。

(喜ぶべきこと、…なんでしょうね、この現実は)


僕はこの、牧歌的な光景を守った者の一人なのだ、と。

胸を張っても、いいのかもしれない。

だが、それは恥知らずな気がして、僕は息を吐いた。

細く、長く。






七年前、ここで死体の山が築かれた。




僕の目は、過去の幻を今もはっきり映してる。

かつて身につけていた具足の重さも生々しく、全身に蘇った。


かつてこの、灰垣塚と呼ばれる蔵代から、蔵虫があふれ出した。


普通、決まった刻限に鳴らされる梵鐘と、国守の血に連なるものが施した楔のおかげで、蔵代が破綻することはない。




あり得べからざる事が起きた原因は、二つ。


一つは、楔が古くなり、打ち直しが必要だったこと。


一つは、葦野が広がるうら寂しい灰垣塚は、夜盗等の賊たちにとって格好の隠れ家であり、餌場になっていたこと。




周囲に血が流れ、人間たちの興奮、生臭い息に掻き乱される時、静謐を好む蔵代は、地震が起きたように揺らぐ。


よって、ヒガリ国が自国の和を保つ作業は、命懸けだ。

少しでも乱れたなら、蔵代と言う破滅が、すぐさま破壊の牙を剥く。ゆえに、支配者はいつの世も高潔な姿勢を保ち、民草はどのように貧しくとも、高い精神の在り様を損なわず、受け継いできた。そうでなければ、生きていけなかったからだ。この国は一見平穏のようで、住む人間に要求することは、いささか厳しい。

それでも、人の世、盗賊が蔓延ってしまうのも仕方がないことで、厳しいように見えながら、そういう輩の取り締まりが励行されたことは一度もない。要はうまくやればいい、という意識も、表面上のお堅さの裏側に見え隠れしている。

あまり厳しすぎても、人の鬱屈はたまるものだからだ。




だが、七年前、灰垣塚をねぐらにした夜盗どもは、何も配慮していなかった。一時の自分の欲望を満たすことだけを、血眼になって実行した。


灰垣塚が綻んだのは、賊を退治しようと藩軍・州軍が結成され、楔の強化に国守が招かれた直後のことだった。



一切が、遅すぎた。



堤防が決壊した勢いで、蔵虫は溢れ出してしまった。

ソマ人なら、マガホロガミの災いと厳しい顔で気の緩んだヒガリ国の人々を責めたろう。

僕ら兵士は灰垣塚に打って出、危険を承知で、国守もその場に立った。


先陣を切ったのは、僕。


死に物狂いで夢蔵へ至り、そこで、僕は出会った。明らかに別格の蔵虫と。

白焔の毛皮を持つ、双頭の狼だ。

それまで遭遇した蔵虫の毛皮は闇を塗りこめたような漆黒だった。突如それを見た時は、かがやきの鋭さに目がくらむ思いをした。




月子が言ったのは、あの蔵虫ではないのか。




(…なら、)

月子が言ったとおりなら。

呪いを解きたければ、…即ち、死の運命と戦うつもりなら。

僕はあの蔵虫といつか再び対峙しなければならない。


怖くはない。そうか、と淡々とした納得が、胸に落ちたとき。


思わず、口元が緩んだ。…微笑の形に。




今まで見たことがない種類の、その蔵虫は、神々しいとすら感じられた。

けど、僕にとっては、打ち倒すべき敵以外のなにものでもない。

相手の神々しさに感じたのは、畏れではない。

昂揚だ。

(強い)

びりびりと皮膚を痺れさせる気迫に、今までの蔵虫を超える桁違いの強さを、確信できたから。

昂揚に、僕は清々しい気分で微笑み、宣言した。



――――――――我、汝に挑戦す!



この、やや古めかしい物言いは、刀術士の作法のひとつ。

乗り越え難い困難や、自分より強い敵に向かって宣言する文句だ。

正確には、作法と言うより、強者を前に、自分を鼓舞する呪文ではないか、と僕は感じる。

誇りを持って、高らかに告げる、あの昂揚。

懐かしい。

僕が他者に告げなくなって、もう何年になるだろう?

その昔、辰巳に向かってボヤいたとき、彼は笑って言った。

――――――人間に手応えある相手がいないなら、もう神に挑戦するしかねえな。

実際、それに近いことになった。


けど、やっぱり、蔵虫は安易な敵でなくて。


僕一人では抑えも利かず、夢蔵から蔵代、蔵代から現世へと飛び出した双頭の狼は、猛り狂った四つの目を一人の女に向けた。

血なまぐさい戦場で、場違いにきらびやかなその女性は、国守の正妻だった。

国守が心配で駆けつけたと後で聞いたが、健気どころか、配慮に欠け、足を引っ張るしか脳のない女としか僕には思えない。


双頭の狼を見るなり、彼女が天高く放った悲鳴が、狼の気を引いた。


蔵虫は、彼女に踊りかかった。

引き倒されたら、か弱い女の四肢など、人形のように千切れ飛ぶ。

誰もが覚悟した瞬間。


彼女を庇ったのが、国守だ。


夫が妻を庇うのは道理だが、彼の身は玉体と称される尊い存在。

その片腕が、蔵虫の牙に貫かれた。




誰にも咎めはなかったが、傷痕は、国守の腕に残ったと聞く。




時既に遅くも、追いついた僕が、双頭の狼の瞳を一つ抉り、蔵代へ追いやることに成功。華麗さも優雅さもなく、ただみっともないほどがむしゃらに。僕ができたのは、たったそれっぽっちのこと。

なのに、世間は僕を英雄と呼ぶ。

(蹴飛ばしてしまいたいですね、そんな名称)

僕が蔵虫を追い払うなり、間髪入れず、国守が大地に楔を打ち込んだ。

悲鳴じみた音を立て、蔵代が閉じた。積み上げられた屍だけ残して。


楔とは、国守の血を用い、高位の斎門たちが作法に従い、一年かけて封具に気を練りこんだ代物。国守の血統の祖は、その血のみで蔵代を封じることも可能だったと聞くが、そんな離れ業ができる者は、絶えて久しい。


国守の血を用いた楔は、梵鐘がなくとも二年は保ちそうなほど強力だったが、一年後、以前の割れた梵鐘に代わって、今ある梵鐘が設置された。器用で、職人たちに顔の広い辰巳が、たまたまそれを手伝うことになったとは聞いていたが。






(まさか、こんなところに隠すなんて)


気を取り直し、僕は足を踏み出しかけた。直後。

反射で、振り向く。


瞳に映ったのは、二条の光流。空を、流星の勢いで突っ切り、僕の眉間に迫る。


寸前、僕は眼前にかざした指の間にそれを捕らえた。

小柄だ。




「さすが、と言うべきかい」




声をかけてきた相手を、予測してた僕は驚かなかった。

闇から、ぬるりと滑り出た白い肌の女が、赤い唇の両端をきゅっと吊り上げる。

「…紅緒、でしたね」

僕は、視線だけで背後を一瞥。

鷹矢と呼ばれた少年が、前触れなく地から生えたように現れたからだ。

樹木のように立ち尽くし、感情のない目で僕を見据えてる。


「蔵代の近くで仕掛けてくるとは思いませんでしたよ」


「よく言う。誘ってただろ」

「意図的な誘惑なら、もっと楽しめる方法を選びますよ、僕は」

手を下ろそうとして、僕は気付いた。動けない。

紅緒は、追いつめた鼠を見る目で笑う。


「動けないだろ?仰るとおり、蔵代の近くだからね。使うにしても、障りない術だけだが、それなりだろ」


黒羽が得意とする仕事は、間諜、呪術、騙し討ち、囮…彼ら本人にとっても、ろくなものではない。

そのうちでも、僕は呪術にかけられたらしい。

媒体は、この小柄か。首から上は例外のようだが。


それでも、猛獣に近付く慎重さで、紅緒は僕へ足を進めた。


「アンタを捕まえたいなら、このときを置いて他になかったからね」

「機会なら、今まで何度もあったでしょう?」

「得物持ってただろ」

紅緒は吐き捨てる。






「アンタが何者か、もう知ってるよ。最強の刀術士相手に、迂闊な真似ができるもんかい。無手の今が、絶好の機会だ」








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