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封神草紙  作者: 野中
第一部/第二章
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第六撃  神の求婚だよ

辰巳は背後に手を突いた。


「それで?どうする、取りに行くか」

時雨のことだ。頷く僕。

「はい、今夜にでも」


「なら、泊まってけ」

「いいんですか」

「清貴一人なら追い出すが、子供が一緒だったろ。しかも、てめえがあんな目向ける相手って事は…身内だな。ああ、皆まで言うな。聞いちまったら、今、家を取り囲んでる気配が黙ってねえだろ」

「ああ、斎門ですね。なるほど、だから聞かれないように小声で教えてくれたわけですか」

今頃気付くな、と辰巳は疲れた声で主張。続けて、独り言みたいに呟く。


「おれは、てめえはとっくにくたばっちまってると思ってたぜ」


「同感です。どういうわけか、生きてますよ」




「身体に赤い花が咲いて、七年も生き延びられるとはな」




そう、七年だ。生き延びた。赤闇の呪いにかかっても。


小さく笑ったそのとき。

「赤い花?」

しずかな第三者の声に、僕らは弾かれたように振り向いた。

障子の向こう側に、立ち尽くしてたのは。


「月子」


被衣を脱いだ少女だ。

障子が開いたことに、僕も辰巳も気付かなかった。


辰巳は、僕が呟いた名に、聞いたこと取り消したいって顔で息を吐く。

廊下から覗き込んでた美里が、片手を拝むみたいに立てて、謝罪してた。月子も謝る。

「勝手に入ってごめん。でも心配だったから」

「…ええ、分かってます」

そこのところは、子供を不安にさせる僕が不甲斐ないだけであって、月子のせいじゃない。




「赤い花って?」




誤魔化しを許してくれない月子の問いに、僕は無言。


とたん、きれいな月子の顔に、険が走った。

同時に、室内の空気が鉛みたいに重くなる。

辰巳と美里が息を呑んだ。水中みたいに、身体が重く、息苦しくなった。

僕は臍を噛む。失敗した。


月子を、怒らせた。


月子の、表情も口調も態度も変わらない。ただ、瞳の奥の色、が。

容赦なく、苛烈。

月子は視線を、辰巳に向けた。

同じ言葉を繰り返す。

「赤い花って?」


「…清貴が、話していないことを話すわけには、いかん」


月子は、耳がないみたいに首を傾げた。






「答えて」






「…っ」

辰巳は月子にがばと向き直った。動けたのは、そこまでだ。よろけるように、片手をつく。おそらく、猛獣に前足で押さえつけられた気分のはずだ。


咄嗟に、二人の間に飛び込む僕。


命令に慣れた支配者の顔で、月子は僕を見下ろす。腫れたように感じる喉から、僕は震える息を吐いた。




「言いたく、ありません」




月子は、何かに耐える顔。我慢する目で、僕を見た。目が合う。刹那。

月子の中で、理性の戒めが振り切れる。


「ごめん、教えて。知りたい。清貴の星に影みたいにまとわりつく死の気配と、無縁じゃないかもしれないし…心配、なんだ」


堪える顔で、それでも月子は追及を止めない。

言いたくない。知られたくない。ただ、その意地以上に、僕は。




月子に、かなしい顔をさせたくなかった。




…降参だ。


観念して、肩を落とした。重い口を開く。






「――――赤闇の呪い、です。七年前の灰垣塚の戦役で…僕は感染しました」






自然と、顔が歪む。

しっかり言葉にすると、余計、心の底まで汚く腐った気分になった。

赤闇の呪いは神の呪い。

いくら僕でも、堂々と告げられることではない。


知られたくなかった。


情けないことは承知だが、泣きたい。

よく人でなしと言われる僕だって、傷つけば泣きたくなるし、苦しければ立ち止まってしまいたくなる。


だけど月子のほうが、僕より痛そうな顔してるから、責められない。


月子が手を伸ばす。僕の頬に、触れた。

呪いが、あるのに。忌避もなく。



「ありがとう、教えてくれて」



月子が僕を苦しめた当人なのに、その温もりに癒される。

矛盾を当然みたいな気持ちで受け入れ、細い息を吐いた僕は、安堵に震える。

やさしい月子の目が、不意に怒りの火種を宿した。


「でも…赤闇だって?他の兵士でそうなったのは聞かない。清貴だけ、選ばれたんだ」


「夢蔵にまで踏み込んだのは、僕だけだからじゃないですか?」

「蔵代でも感染例はあるよ。確実に、清貴は選ばれたんだ。神に。…それって」

座り込んだ僕の顔を上向け、覗き込み、少し怒ったように言う。




「神の求婚だよ」




「…すみません、どこをどうすればそういう結論に」

突拍子もない。

と、思うのに、月子は、空はなぜ青いのか、と聞かれたみたいな顔で、首を傾げる。


「もしかして、知らないの?赤闇の呪いって、毒に触れたって一部では忌まれるけど、実際、神の求婚なんだ」


「そうなの?」

食いついたのは、美里だ。


既に旧友みたいな気さくさで月子は頷く。

「うん。どこから話せばいいのか…。そうだな…この国に住むなら、この国の神がどういう存在か、皆知ってるよね」

それは、改めて口に出すまでもなく当然の質問だった。

皆、頷く。今更考えるまでもない、といった表情で。


神は、夢路の奥に住まうモノ。夢路――――即ち、異界。


かの存在に、意思はない。ただ、在る。

植物のように、無言で成長し、無言で朽ちるような、そんな存在。植物と違うのは、肉体と呼べるものを持たず、総じて、荒らぶる気性を兼ね備えているということ。

放置すれば、甚大の被害を地上にもたらす。

人々が、神を畏怖し、崇め、敬う理由は、丁重にもてなすことで、むしろ、荒らぶる神の気性を鎮めようとしてのことだ。

確かに、その神々が棲まう夢蔵を持つヒガリ国は、いつだったかガズが言ったように、一見ひどく脆い国だ。しかしだからこそ他国は豊かなこの国に迂闊な手出しはできず、危険と隣り合わせだからこそ、国民と支配者の結束は強い。


月子は、考え考え、口を開く。

「蔵代に充溢してる蔵虫だけど――――七年前、灰垣塚に溢れ出た炎の毛皮を持った獣たちだね、あれは、夢蔵の神の排泄物なんだ」

「けど蔵虫は、神って姿には程遠いし、垢って言うには有害すぎるわ」

美里の素朴な言葉に、頷く月子。


「神に肉体はないからね。排泄物って言っても、精神的なものだよ。同時に、神そのもの。その蔵虫が多いほど、神は疲弊してるんじゃないかって、古き人々は推測してた。蔵虫はある種の歪みで、退治すればするほど、神は苦しみの鎖から解放される」

「疲れるの? 神が?」

美里が頓狂な声を上げる。僕も驚いた。初耳だ。

周囲の驚きにこそ驚いた様子で、少し尻込みする月子。おずおずと、

「書物にはそうある。神が助けを求めて、救ってくれそうな相手につける印――――それが、赤闇の呪い。呪いって呼ばれるのは、命懸けでコトに挑むことになるから。でも神は、嫌いだからその印を相手に刻むんじゃない。その逆だよ。だから、求婚。実際に婚礼が行われるわけじゃないけどね。赤闇の呪いを刻まれたことは、武の誉れともいえる。もしかして、巷では違った伝承でもある?」


助けを、求めている?

聞いたことのない説だ。州府に、そんな書物があるとは知らなかった。

しかしそれが真実なら、なぜ、赤闇の呪いは疎まれ蔑まれるようになったのか。

思うなり、すぐさま答えは出た。

あれほど見た目がおぞましく、苦痛しか生まないのなら、不吉と断じられるほうが自然だ。

(ま、当然の成り行きでしょうね、その方が)


なんとはなしに、身を乗り出す僕。つい、確認しないではいられない。

「罰、ではないんですか? 夢蔵に踏み入ったことへの」

月子の、とんでもない言葉に、僕は惑乱していた。


あの激痛が、救いを求める声だというのか?

おいそれとは信じられない。惑う僕に、月子は断言。




「罰? 罰なら、呪いなんてまどろっこしい真似はしないよ。夢蔵の神は、苛烈だ。その場で、殺してる」




他の誰かが言った言葉なら、僕は信じなかった。でも、言ったのは、他ならぬ月子だ。

僕は、月子の言葉を疑う方法を知らない。

僕だけじゃない。月子の言葉を跳ね除けられる相手を、僕は知らない。


それだけ、月子の言葉はこころに響く。




「赤闇の呪いは、解けるよ」




僕は目を見張った。月子は力強く頷く。

「蔵虫を殺せばいい。でも、蔵虫ならなんでもいいわけじゃないと思う。おそらく、七年前の戦役に縁がある蔵虫じゃないかな。心当たりはない?」


あった。僕は息を呑む。無意識に、唇が動いた。






「――――双頭の、狼…」


脳裏に、白い炎の毛皮が過ぎる。そのとき。






「…おかー、さん?」


眠たげな声が響いた。美里の顔つきが、突如変わる。母親の顔だ。

「あ、目が覚めた?」

「んー」

屈んだ彼女の胸元に甘え、小さな姿が現れた。子供だ。五歳くらいか。


濁りなく澄んだ大きな目が、室内にいる僕と月子を映す。

目を見張り、その子は、ぱっと美里の影に隠れた。


そこから興味津々で僕らを覗き込む。


僕は三日徹夜したみたいな疲れた顔になった辰巳を横目にした。

「可愛いですね。息子さんですか?娘さんですか?」

「息子だ」


「ごめんなさい。おとーさん。おきゃくさま?」

しっかりしている。

辰巳が何か言う前に、美里が砂糖でできたみたいな声を出す。


「お客様よ。ほら、ご挨拶」


僕は子供好きだが、この出会いで、意外な事実も知った。

月子もかなり子供に甘い。しかも、あしらいが堂に入ったものだ。

思えば、月子は『お姉ちゃん』である。二つ下には、陣って弟がいる。

陣の面倒も、よく見ていた。周囲は、姉と弟を引き離そうとまではしなかった。


そう言えば、陣はどこまで事情を知っているんだろう?

痛ましい気持ちになる。


辰巳の息子は、すぐ月子に懐いた。子守をしてくれて助かると美里は笑う。

家の奥には、二人目の子供が眠っており、一歳になったばかりの娘は小さな拳をぎゅうと握り締めて、世の苦痛一切と無縁の無垢な寝顔を見せてくれた。

汚れきった僕も浄化された気分になる。

月子は兄妹のどちらも、嫌がるどころか喜んで面倒をみた。


そんな状態だから、

「ちょっと出てきますね」

夕飯の後、僕がそう言いだしても深く追求されずにすんだ。


簡単にいかなかったのは、辰巳だ。

「行くのか」

「はい」

「いくら遅くなってもちゃんと帰ってこいよ」

「分かりました」

「てめえの返事はどうしてこう、信用できねえんだろうな」

「まあ、ウソツキの前科は星の数ほどですから」


「胸を張るな。褒めてねえ。…そうだな、すくなくとも、ちゃんと玄関から入って、ただいまって言え。このくらいはできるだろ?と言うか、子供でもできることだから、やれ」




僕に対する信頼は、子供の半分もない。








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