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封神草紙  作者: 野中
第一部/第二章
16/87

第五撃  莫迦なのか大物なのか

美里は聡明だ、多くを語らずとも、事情を了解した顔で、胸を叩いた。

「わかった。任されるわ。その間、アナタはどうするの?」

「辰巳を、説得します」

「彼、頑固よ?あんなふうに怒ったら、なかなか冷静にならないわ」

「なってもらいます。いえ、なりますよ。信用しています。でなければ」

月子を美里に預け、僕は障子に手をかける。



「時雨を預けたりしません」



障子を開いた。

自宅に上がりこむ自然さで足を進め、僕は廊下から右の部屋を見遣る。

畳を踏みしめ、顔を巡らせると、縁側で胡坐をかき、庭を見ている大きな背中があった。

部屋の棚に、木彫りの梟や折り紙の兜があるのを見て、声をかける僕。


「子供が産まれたんですか?」


辰巳は、無言。広い背中にあるのは、拒絶と葛藤だ。

僕は神妙に正座した。辰巳の背中に向かって。

「どうすれば、許してくれますか?土下座しろと言うなら、しますよ。殴るというなら、好きなだけ」

「やめろ」

辰巳は、奥歯ですり潰すみたいに、声をこぼす。

彼独特の、何か堪えてるみたいな低い語調。

向こうを向いたまま、辰巳は項垂れた。


「勝手なヤツ」

「はい」

「殺してぇって本気で思うのも、今日で何度目だろうな」

「――――全部終わるまでは、その決定、保留にしてください」

ぬけぬけ言う僕の目の前、広い肩が、小さく揺れる。

「…全部?」

底抜けに懐が広く寛容な上に、辰巳は繊細だ。どんな言葉も、細かい変化も見逃さない。

なにか悟った風情で、変化する語調。


「今度はなにが、はじまった」



「…遊びですよ。ヒガリ国の上臈の、…酔狂な、ね」



沈黙が落ちた。辰巳の、頑なな意地そのものの、硬い静けさだ。

辰巳が、何度か息を呑む。吐き気を堪え、苦い薬を飲み下してる感じに近い。

やがて、引き止める何かに抗するぎこちない動きで、辰巳は右腕を伸ばした。人差し指で、何か指す。


「黒い、棚、――――上から二段目だ…開けてみろ」


敗北したみたいな、悔しげな語調。おとなしく従って、僕は目を見張った。

「え」

棚の中、無造作に放り込まれたものには、見覚えがある。


鞘、柄、鍔、ハバキ、目釘――――一言で、太刀を構成する部品。

ただし、肝心の刀身のみ、見当たらない。




「分解したんですか、時雨を」




戸惑った僕が、目を向けると、辰巳はきっぱり言い切った。

「ああ。時雨を取りに来たんだろうが、ここにはない」


僕の目的を、言わなくても察するなんて、さすがだ。


時雨ってのは、僕が使ってた太刀の名前。

一族の形見で、戦場で時雨以外に命を預ける気は起きなかった。僕が、まっすぐ国府へ行かず、東州に戻った理由は、この時雨である。


本気の戦いになるなら、時雨でないと。


辰巳は振り向きもせず、鼻で笑う。

「ヒガリにもう戻るつもりはない、処分しといてくれって誰かさんに言われたもんでな」

返す言葉もない。そう、預けた、とは言っても、僕はそういう言葉も付け加えていた。

なら、時雨はもう。

諦めかけた僕の耳に、吐息同然の辰巳の言葉が届いた。




「鋳潰そうとも思ったんだが、なにせあの、白鞘村の太刀だからな…」




声に、信仰に似た尊敬が溢れた。

辰巳は刀工である。若いながら、職人として右に出るものはいない。先ほどの台詞は、その才が純粋にあげさせた称賛だ。


僕は、一瞬、瞑目。






白鞘村。


そこは、当代でも随一を誇る、刀工たちの村だった。






現在は、伝説的な存在に祀り上げられている。

それは、二十年前、一夜にして滅んだ、僕の故郷だ。

白鞘村の血に反応するのか、刃に意思があるのか。白鞘村で鍛えられた刃が、僕と姉を傷つけたことは一度もない。

中でも、僕が持つ時雨と、姉が持っていた残雪は、白鞘村で鍛えられた中でも神剣と呼ばれる刃である。その鋼は、村の『御神体』として祀られていた、特別に上質の鉄鉱石を削り取って造られたもの。白鞘村でも長の家系の血統の者に、それは受け継がれる。


その刃の特別さは、見れば分かる。時雨が放つ気配は独特のものがあった。夢蔵に棲む神とは違うが、時雨もまた、神と呼ばれる存在の欠片だ。うつくしいばかりでなく、そのものに意思あるかのごとく、荘厳の中にも時に、血が通い、呼吸しているかのような生々しさを感じていた。ただ、刃自身が意思を持っているがことには、血族の者なら感じ取っていただろう。意思と言っても、思考ではない。原始的な感情に近い何か、だ。


ばかりでなく、白鞘村が鍛えた鋼の中でも、特にこの神剣には、素材ばかりでなく特殊な事情がある。触れたものが長の血族以外であれば、相手を殺すのだ。村の中にあっても、長の許しなく長の血族以外が触れれば、相手は必ず、触れた刃によって命を落とした。

今回、辰巳が時雨に触れて無事だったのは、持ち主の僕がそれを許し、なにより、時雨自身も納得してのことだったから、問題ない。


その、白鞘村が滅びた理由。


不倶戴天の敵であった、隣山の銃工たちとの諍いがこじれた結果だ。

夜襲を受け、生き残ったのは、当時三歳の僕と十三歳の姉だけだった。

異常に気付いた姉が、僕を負ぶって村を駆け出したときには、既に火の海だったと聞く。僕は、覚えていない。幸か不幸か。



刀工と銃工は同じ職人ながら、まるで別の生き物みたいに仲が悪いが、こうまで凄惨な結末を迎えた例は、ついぞない。



逃げるとき、我が身を守るため、姉が持ち出した刀剣の一振りが時雨、もう一振りが、懐剣の残雪だ。この二つは、実際、長く僕らを助けてくれた。東州王・御堂義孝と、僕たち姉弟を引き合わせたのも、時雨と残雪だ。


逃亡後の、二年間。

故郷から離れた森の奥の洞窟で、僕と姉は過ごした。姉は白鞘村の生き残りと知られることを恐れ、人里に入らなかったのだ。追っ手を警戒し、仔猫を守る母猫みたいに、彼女は常に周囲に気を配ってた。

と言っても、その辺り、僕の記憶は曖昧だ。幼かったのだ、仕方ない。


ただ、東州王との出会いはよく覚えてる。


あの頃、潜んでいた森近くにあった藩府が騒がしかった。

東州の三つの藩の一つ、飛鳥井藩だが、そこで藩主の跡目争いが起こったせいだ。


血で血を洗う骨肉の闘争が、僕らが潜む森へ舞台を移した日、行き過ぎが目に余った義孝も、争いの平定のため、手勢を引き連れ、森へ姿を現した。

近くに蔵代があったため、刺激を避けるためにもこれ以上武力をひけらかすことをよしとしない三つ巴の拮抗は、三勢力の頭を一堂に会させたものの、長く続いた。


僕と姉は息を潜めてその光景を見守った。無関係だから、無視すればよかったのだろうが、残念ながら、そういうわけにもかなかった。冬場、でき得る限り多くの薪を蓄えておこうと、天気の良いその日も二人で洞窟の外に出ていた僕らは、帰り道で彼らに遭遇した。洞窟へ続く道は、彼らの向こう側にあった。迂回する道はない。だから、息を潜めて事態が動くことを待つ他方法がなかった。出くわしたあとで去ろうと考えはしたが、へたに動いて音を立てれば、すぐにのど笛に食らい疲れそうな緊張感があった。


が、そのうち僕は退屈した。

むずむずしながら子供なりに考えた。




時間が止まったみたいに皆動かないが、あの三人のうち、誰かがいなくなれば、事態は流れ出すんじゃないか?誰でもいいってわけじゃない。あの一番偉そうなヤツは止した方がいい。


なら、残る、二人。




子供の手には余る太刀・時雨を抱いて、僕は姉から離れた。

彼女は周囲に気を配っていたが、聞き分けよくおとなしい弟は絶対言いつけを守ると信じて安心しきってたから、気付かれないよう離れるのは簡単だった。

僕は時雨を背負い、近くの樹に音もなくよじ登った。僕にとって時雨は空気みたいに軽い。他には普通の太刀以上に重く感じるらしいが、僕には、時雨を手にして木登りするくらい、幼くてもわけはなかった。


ふと見下ろせば、枝の真下に誰かいた。さっき決めた、二人のうちの、一人。




コイツでいいか。




ためらいもなく、僕は標的を定めた。

直後、その男が抜刀。僕に気付いたわけじゃない。いい加減、彼も痺れを切らしたんだ。間髪入れず、男は義孝に腕を伸ばした。

斬りつけると言うより、人質にしようとする動き。

僕は飛び降りた。よく考えたわけじゃない。


単純に、相手があんまりにもいい位置に来たから、咄嗟に動いてた。


気付けば、僕はまっ逆落としに、背から引き抜いた時雨を相手の脳天に突きこんでた。




この一刀が、以後のすべてを決した。


おそらくは、僕ら姉弟の運命をも。




詳細は、これも僕は覚えていない。だが、東州王が問答無用とばかりに、僕を斬り捨てようとしたことは、覚えてる。その殺気と共に。しかし彼の切っ先は僕の身体に届かなかった。僕を庇った姉の懐剣・残雪が、弾いたからだ。


…世間では、このとき、東州王がうつくしい姉を見初めた、という物語が出来上がってるけど、そんな甘い雰囲気じゃなかったことは、確かだ。

どうやらこのとき東州王は、飛鳥井藩のいざこざを調停しにきたのみならず、白鞘村の生き残りを捜していたらしい。斎門の星読みによって、白鞘村における生存者の存在は明らかだった。

僕らの刃から、彼は白鞘村との関連を読み取り、殺すよりも、州府の城へ招くことを決めた。その背後には、何か取引があったようだが、白鞘村の生き残りを捜していた理由も含めて、姉も東州王もはっきりとは語らない。それでいい。

僕にとって大切なのは、ふたりの出会いではない。きっかけはともあれ、共に過ごすうちに、あの二人が愛し合い、慈しみあっていたことだ。


のちに、姉に尋ねられたことがある。

僕があの時、どうしてあんなことをしたのか。

素直に答えると、彼女は深刻な顔をして諭した。


恐ろしいことだ、二度とそんな風には考えないでくれ、と。


生き残った、現在の飛鳥井藩主は、話を聞くなり、化け物を見る目で僕を見た。

それも仕方ない、僕はどちらが死のうと構わなかったんだから。


あの木の下にいれば、彼の方を殺してた。


いずれにしろ、五歳の幼子がやったこと。厳しい咎めもなく、騒動は落着した。

とはいえ、飛鳥井藩の後継者の一人が亡くなった成り行きには、別の筋書きが書かれ、いかにも真実と言う顔をして世間に流布されている。白鞘清貴の名は影すら出てこない。


ほどなく、州府に身を寄せていた姉と義孝の祝言があげられた。婚礼の儀で見た姉は、文句のつけようもなくうつくしかった。

これについても古参の家臣は汚物に群がる蝿よりうるさく騒ぎ立てたが、身分違いにも関わらず、はじめて会ったときから姉に魅了されたという義孝は、――――『魅了』という言葉が真実か嘘八百かはともかくとして――――彼女以外の女には見向きもしなかったことは、事実だ。

こうなると、小うるさい家臣たちも認めざるを得なかった。

当然だ、姉ほどうつくしく情の深い女性は二人といない。


僕が白鞘の姓を賜ったのは、このときだ。


僕ら姉弟の事情を知った義孝は、僕らを保護すると同時に、白鞘の名を残した。

ヒガリ国のあらゆる名刀は、白鞘村で鍛えられたものだと言われる。その名を。


とは言え、直系の僕は、刀術士なんてものになってしまったが。






「なら、時雨は無事なんですね。…どこにあるんです?」

背を向けたまま、辰巳は無言。

肩越しに手を動かし、来い、と手招き。

僕は棚をしめ、辰巳の横顔をうかがいながら隣に膝を落とした。胡坐をかく。とたん。

項を、乱暴に引き寄せられた。

倒れそうになり、手をついた僕の耳元で、低い声。紡がれた、言葉に。

僕は跳ね起き、限界まで目を見開いた。




「――――な…っ、んですって!」




これだけ度肝抜かれた経験は、滅多にない。

愕然。って言うのも生易しいくらい、気絶しそうな自失に陥り、呼吸困難になる。


今、時雨をどこに隠したと言ったんだ、この男は?


間近で目を合わせた辰巳は、突如、破顔一笑。

「…くっ、はは、はーはっはっはっははははははは!」

僕から手を離し、仰け反り、さも痛快に笑い転げる。




「その顔!それが見たかったんだよ。すげえ間抜け面っ! …あー、もういい。いいさ、チャラにしてやる」




普段大人びているくせに、笑うと、子供みたいに純真無垢な顔になる。僕は、辰巳のこの顔に弱い。

そうだ、許してほしかったのは、時雨を得たいためだけじゃない。

この顔が見たかったからだ。

微笑むと、たちまち辰巳は不機嫌になった。

「お前が笑われてんだ、何笑ってんだ」


「…すごく懐かしくて。本当にここは、東州なんですね」


ようやく、帰ってきた気になる。

ガラス向こうの光景じゃなくて、ここに至って、ようやくそこに僕自身が混じれた。

辰巳は、何言ってんだ、って顔。


「分からなくっていいですよ。それより辰巳、もうひとつお願いが」

「図々しいヤツだな」

「前からご存知でしょう」

「知ってりゃいいってもんじゃない」


「僕の髪を切ってほしいんです。ちょっと、改まった場所に出る必要がありそうで」

辰巳の言い分をあっさり無視する僕。北境辺土でいるときは散髪など問題なかったが、国府へ向かうとなると、それなりに身だしなみも整えなければならない。いくら僕でも、それは礼儀だと心得ている。緊急事態なら、話は別だが。

今の僕は、けっこう酷いありさまなのだ。ひとまず、清潔さは保っているって程度の状態。

たちまち、嫌そうな顔になる辰巳。

「床屋に行け」

「無理ですよ、僕が、背後に刃物持って立たれて平気でいられる相手なんて、家族か辰巳以外にいないんです」

友人は、口元をへの字に曲げる。

「なぁ、殴っていいか」


「さっきはともかく、今はそんな気分じゃありませんね。なんです、いきなり」

僕は目を瞬かせた。この話の流れで、なぜそんな話になるのか分からない。

おかげで、僕もこの場には関係ないことを思い出した。尋ねる。


「そう言えば六年前、僕が北境辺土へ行く、もうこの国へ帰ってくることはないって伝えに来たとき、一発しか殴りませんでしたよね。もっと殴られるかと思ったんですが、なぜです?」

辰巳は大きく嘆息。がりがり、頭を掻いた。

「よく今、それをこの場で繰り返せるな…。あー、ったく、あのとき、お前既にボコボコだっただろ。さすがにさらにタコ殴りはできなかったっつーか。よく顔が元に戻ったな」

「前からご存知でしょう、面の皮は厚いんです」

胸張って言うな。恥じろ」

辰巳の噛んで含めるような物言いを、右から左へ流す僕。


「…そうか、そう言えば、辰巳への挨拶は最後だったんですよね。東州王と最初で最後の殴り合いの喧嘩をしたあとだったので、確かに、すごい顔だったかもしれません」

「へぇ、東州王と…って、氷炎の君か!――――おっ前、莫迦なのか大物なのか…」

氷炎の君ってのは、東州王のふたつ名だ。

東州王もかなり腕が立つのだが、六年前の殴り合いは、子供じみた兄弟喧嘩の様相を呈していた。僕としてはあまり思い出したくない。話題を変えた。

「なんにしたって、辰巳。僕を許す必要はありませんよ。僕はきっと、同じ事を繰り返します」

「ああ、許したことを、すぐ後悔するだろうさ。でもそれでいい。お前と付き合ってくのはその繰り返しだって、とっくの昔に悟ってんだ」

「崇めたくなる寛容さですね」

「崇めるくらいなら、付き合い方を改めろ」

「改めろって…まだ諦めてなかったんですか?無理ですよ。性格改善なんて、僕はとっくに諦めてます」






「だから進歩ねえんだな、てめえ」










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