第四撃 知ってたけど、アナタって最低だわ
同時に、すぐ隣で、あ!と叫ぶ声。
「ちょっと待ちなさいよ、伊吹!」
女が、人込みに紛れてく盗人の背中に怒声を投げた。それで足を縫いとめられる相手でなく、伊吹とかいう銃工は、一目散に逃げ去る。まさしく、脱兎。
「あいつっ…今度会ったら、シメる…っ!」
「あ、美里姐さん…伊吹の野郎とお知り合い、ですか?」
仲間を止め損ねた金貸しの男が、粉だらけの顔の中で、丸い目を瞬かせた。
「違うけど、こんな立ち回りはもう止めなさいよ。言ったでしょ」
「は、すんませんっ。でも、こっちも仕事なんスよ」
「…はぁ、仕方ないわね。わかったわ。とりあえず、滅茶苦茶になった店の後始末はしたげなさいよ」
てきぱき命令し、美里は月子に向き直る。
「アナタもね、刃物持った相手と大立ち回りなんて、これっきりにしなさい?怪我したらどうするの」
「ごめんなさい」
月子は深々頭を下げた。素直だ。返事だけは。
僕も頭を下げる。
「ご助力、感謝します。ご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした」
「こっちこそ。助けるつもりが、結局助けてもらって…」
反射で頭を下げた美里の動きが、ぎこちなく止まった。
その姿勢のまま、上目遣いになった瞳は、時ならぬ雷雲を見た風情。
素知らぬ顔で、僕は目深に被ってた被衣の端を持ち上げる。
「丁度よかった。迷惑ついでに、アナタの旦那さまにお会いできないでしょうか?」
「…アナタ、きよた…!」
か、と叫びかけた美里の口を糊で固めるみたいに、僕は手でふさいだ。
その名を、往来で高らかに告げられたくはない。
美里の目が、僕と月子の間を振り子みたいに高速で往来。
すぐさま、もう叫ばない、と小刻みに頷いた。
手を離した僕を、顎でしゃくる。
「ついてきて」
緊張も露わに、先に立って歩き出した。
僕は月子の手を引き、続く。月子が小声で囁いた。
「さっきのヤツ、逃がしてゴメン。銃剣、盗られた」
「構いませんよ。元々、処分しようと思ってましたし」
「銃剣って、伊吹が持ってたヤツ?」
美里が聞きとがめ、振り向く。
「はい。なので、まあ、盗まれても問題なかったと言いますか」
「大雑把な人ね、相変わらず。売ればそれなりの金子ができるわよ。伊吹が持ってったんじゃ、もう、分解されてるだろうけどね」
その通りだが、こだわる気持ちは起きない。
六年間、相棒として十分働いてくれたが、銃にはこれといった愛着は持てなかった。むしろ、苦手な部類に入る。
なにより、あまり色気を感じない。
と言えば、北斗は武器に色気を求めるな、と呟いた後、僕を「変態」と断じた。言うたびに蹴飛ばしていたら、そのうち黙ったが。
「アナタも相変わらずですね、美里。月子、ここだけの話、彼女は僕より強いんです」
「えっ?」
「いい加減なこと言わないでよ、清貴。いくらわたしだって、刀術士にはかなわないわ」
「ご謙遜を。素手で僕を気絶させたことがあるじゃないですか」
「あ、あれは偶然よ!二度とできないっ」
「へえ。じゃ、美里さんは天才?」
「どっちかと言うと、天災ですかねえ…」
「ちょっとぉ?」
凄む美里。微笑み、僕は口調を変えた。
「正直、アナタが僕を覚えてるとは、思いませんでしたよ」
「忘れるわけないじゃない」
美里は拗ねた顔になる。
「アナタはわたしの恋敵なんだから!」
……………はい?
微笑んだまま思考停止した僕の隣で、月子が困った顔で僕に密着。
なにやら、子供が親を取られるのを嫌がる風情。
美里は気付いた風もなく、憤慨。
「辰巳はいっつも、アナタを気にかけてるわ。分かる?アナタがいる限り、わたしは辰巳の全部を手に入れられないの!」
「まあ、その、…アナタの旦那の辰巳は、僕の友人なわけですから」
「見てなさいっ。そのうち全部アナタから奪ってやるんだから!」
そう言えば昔から、美里には人の話を聴かないところがあった。
容姿は大人びたが、やはり、根っこは変わっていない。
どころか、威力を増している。
友人が美里にどれだけ岡惚れか知ってる上に、口説く台詞まで一緒に考えさせられた身の上としては、遠い目にならざるを得ない。
見当外れの語尾に重なって、潜った暖簾の向こうで、日に焼けた男が振り向いた。
「…元気だな。今度は何を奪ってくるって?」
…今度?
耳にするなり冷や汗がにじんできそうな台詞を口にした男は、美里の後ろにいた僕と月子に、顔をしかめる。警戒。
顔を隠した相手が、裏口から自宅の作業場に入れば、誰もいい気はしない。
僕は気負いなく、目深に被ってた被衣を背に落とした。とたん。
相手の、顎にまばらな無精ひげの残る男くさい顔立ちが、みるまに強張る。絶句。
それがたちまち、紅潮した。怒りのためだ。
爆発寸前、今度は青白く血の気が引いた。
最後に残ったのは、ぎらついた、まるで親の仇を見る目。
それも当然か。
「…久しぶりですね、辰巳」
僕は、ほんの数日留守にした程度の気楽さで、挨拶。辰巳は、椅子を蹴倒し、叫ぶように口を開いた。けど、声はない。
夫の反応が予想外だったか、美里は小さくなって、おろおろ。
辰巳は、固く拳を握り締めた。また、殴るつもりか。
別にいい、と待つ姿勢で身体の力を抜いた僕を見て、辰巳は食いしばった歯の間から、火のような息を吐いた。
無言で踵を返し、家の中へ入る。後ろ手で、障子を閉めた。
それを追おうとした美里は、困惑の目で立ち止まり、振り向く。
「なんで、喧嘩の続きみたいになるのよ。アナタが戻ってくれば、喜ぶと思ったのに」
「そりゃ六年前、僕が理由も告げず二度とヒガリ国には戻らないと言ったからでしょうね」
美里は言葉を失った。大きな双眸が、にじむように責める色を浮かべる。
「あの時も、相当怒りました。それを放って、手前勝手なお願いまで押し付けて消えましたから、辰巳には殺されても文句言えないんですよ、僕は」
「…知ってたけど、アナタって最低だわ…」
なら安心だ。これ以上落ちるところはない。
心の中で呟き、僕は月子の肩に手を置いた。
「申し訳ありませんが、美里。少し、この子をお願いします」
「…いいけど、ちょっと教えて」
「なんですか」
「さっき、この子のこと、月子って呼ばなかった?」
「呼びました。この子は、僕の姪っ子です」
「ってことは東州王の一の君?」
美里は、幽霊でも見る目を月子に向ける。剛毅な彼女にしては珍しく、うなされたような顔になった。
「一の君は、数日前、ご崩御なされたって、聞いたわ」
思わず僕は、強く歯を食い縛る。
次いで、ゆるく息を吐き出した。
これで東州は、完全に月子と絆を断った。
ばかりでなく、死を装い、月子と言う存在を消した。
やってくれる。
まだ十六の子供に、酷い仕打ちだ。
いや。
…違う。
苦い気持を噛み締める僕。
東州王の心が、透けて見えたから。
表向きの行動だけ見て、彼の心を決め付けるには、僕は東州王を知りすぎてた。
(苦肉の策、ですか)
胸の中、義理の兄に声をかける。
月子が死んだ、とすれば、言い訳もできる。
月子への追っ手の動きが鈍い、言い訳だ。
死者を追えるわけがない、と。
無論、詭弁だ。月子が生きていることは、明白な事実。証拠に、僕らを襲ってきた黒羽ども。…おそらくは、宰相の手の者。彼らの動きは活発で、月子の動きは逐一報告がいっているだろう。
見え透いてた。
東州王は、本音においては、月子の無事を願ってる。
僕には、そう、断言できた。
蘇芳から告げられた、東州王は宰相の意向に従う、と言う言葉を聴いていても、…目に見える現実は、どうだ。
蘇芳たち、東州の斎門は、月子を手助けした。
今だって、見張ってはいるが、それだけ。殺気は欠片もない。
それに今、形だけにしろ、死んだ、と公表すれば。
月子は。
…死ぬまでは、れっきとした東州王の娘だった、ということになりはしないか。
僕は、深く嘆息。
月子を遠ざけながら、彼女に向けられる東州王の目が、いつも慈しみに溢れていたことを、僕は思い出す。…思い出して、しまった。
愛情の示し方を、こんな方法でしか取れない、彼は。
根っからの王で、そして、途方もなく不器用な男だ。
(まったく。本当に、お変わりないようだ…)
そう言えば、甥の陣にも、似たようなところがあった。
案じる心が焦燥に変わる前に、気を逸らそうと僕は月子を見下ろす。
拳を握り締め、顔を上げる月子。
彼女のやさしい声が、慰めの言葉もない僕の耳を打つ。
「私には、清貴がいる」
「はい、その通りです」
僕は返事に、力を込めた。
とは言え、間髪入れず答えたが、僕一人で、月子の心の隙間を埋められると思うほど、僕は傲慢じゃない。僕にできるのは、せめて裏切らず、二度と絆を断たないこと。
つらいだろうに、月子は微笑んだ。
この世の一切を許すように。思い遣るように。
その表情は、かなしいほどきよらかだ。ふと、不安になる。
この子は、我武者羅に何かを欲するということが、あるのだろうか。
その姿に、国守が重なった。
(…なんででしょう、ね)
国守と月子。
面立ちはまったくといっていいほど共通点はないのに、なぜか、かさなる。




