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封神草紙  作者: 野中
第一部/第二章
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第二撃  どこへでも

友人には、女の趣味が悪いと呆れられた。が、僕はすべてを差し出して男に殉じる女より、貪欲でしたたかに男を踏みつけて進む女の方が好きだ。

自然と苦く笑う僕。


「奪った、奪われた、とか言う色艶話じゃありませんよ。理性的な合意です」

喜んで口にできる会話ではないが、春菜とのことは、あの時に終わった。躊躇の枷にはなりようがない。

月子が口を挟んだ。

「…清貴には悪いけど、私は春菜さんが嫌い。打算的過ぎるから」

「珍しいですね、月子が誰かを嫌うなんて」

嫌いと言いつつ、月子の横顔には悪感情は見えない。

とはいえ、月子にも、嫌悪の感情があるのか。驚く僕。

生まれる前に、負の感情をとり忘れたんじゃないかと思える相手だけに、面食らう。

「僕を気遣ってくれてるんですか?やさしいですね。…いいんですよ、彼女はあれで」

何か言いたげに唇を尖らせる月子。宥めるように頭を撫でる僕。とたん、口を閉ざし、無表情ながら恥ずかしそうに月子は目を伏せる。嫌がる風ではないから、これでいいのだろう。


月子がいきなり大きくなって目の前に現れたものだから、僕だって少しは戸惑っている。なにせ相手は、年頃の娘だ。無頓着な僕でも、気を遣う。これまでも幾度か距離を測っていたのだが、幸い、昔と似たような態度で問題なさそうだ。


一旦蘇芳に目を戻す僕。

「なので、僕は宰相・如月氏に対して何の思惑もありません。顔を合わせるのは気まずいな、くらいですかね。お気遣いなく」

「ではそれは、国を出て行った理由には含まれないわけだな」

目を瞬かせる僕。

「…それは想像もしませんでした。そうか、そうも見えますか?ですが、春菜とのことは、出ていく一年前のことですよ。…というか、まだ気にしてたんですか、それ」

僕自身はたいして気にも留めてないが、思えば大なり小なり、これまでも理由を求められた。

国を出奔した理由だ。

僕には自明のことで、姉も月子も甥っ子も、東州王も一言も尋ねなかったから、他の皆も察しているものと思ってた。

そう言えば北斗も、…つい最近では風丸も僕に理由を尋ねた。


なぜ国を出たのか、と。


僕は苦笑。

「たいしたことじゃ、ありませんよ」

言った後、心の中で、他人にとっては、と付け加えた。

僕は知ってる。僕にとって何より替え難い重大なことでも、他者にとっては呆れるほど無価値なことにしかなり得ないってこと。

うっかり話して莫迦にされるのはいやだし、話すことで誰かを傷つける可能性だってある。


「単なる気紛れです」


気が向いた、そう言っておいたほうが、僕らしくていいんじゃないかと思うから、いつもそう答えてる。けど蘇芳は納得してくれない。

大概これで蘇芳は引き下がる。けど、今日はそうしなかった。一歩、踏み込んでくる。

「貴様がいなくなった少し前に起こった戦で…、貴様を陥れんとしたヤツの姑息さのせいか?」


僕は目を見張る。

まさかそういう見方をしているとは思わなかった。蘇芳の言い様では、国が僕を見捨てたんじゃなく、僕が国を見捨てたととらえられるじゃないか。

隣では、月子が困ったように首を傾げた後、話の邪魔にならないよう、遠慮がちに茶を啜った。

その気配に、我に返る僕。

(ああ、そうか)

やっと蘇芳の気持ちを悟る。

こうして落ち着いて話ができるのは、最後かもしれないと考えてるんだ、蘇芳は。

だから、食い下がった。彼にその質問をさせたのは、好奇心ではなく、誠意だろう。僕を買ってくれているがゆえの。雇い主に情報を渡そうとか、そんな下心は彼に微塵もない。

ならば。

ごまかしは不実だろう。

かと言って正直に答えるには、僕の本音ってのは子供っぽすぎて我ながら恥ずかしい。

だから、なんとなく、少しだけ照れて。

結局、言葉を濁す。

国を出ようと決意する前にモメ事があったのも事実だが、

「…だけじゃ、ありませんよ」

わずかだけ本音を見せる。これで、精一杯だ。



僕が国を出た理由。

色々事情はあるが、一番は、肉親のため。

そして、…疑問に感じた、っていうのもある。

王弟将軍と呼ばれ、戦場に立つことに。

分不相応だった、と言うべきなのか。間違ったところにいるような、違和感があった。


戦うことは、別に怖くない。否、恐怖はあれど、それを飼い馴らす術なら知っている。勝てないまでも、負けることはない。幼い頃は、そう思ってた。

それが間違いだったと知ったのは、はじめて戦場に立ったときだ。戦争はひとりでできるもんじゃないと始めて悟った。当たり前のことだけど、僕はそんなことも分かってなかった。

だから、まずは他者を理解するよう努めた。味方を。同僚を。部下を。…仲間を。

進んで輪に入っていくうちに、相手への呼び方も変わり、僕へ向けられる感情も変化した。

僕の物腰が今みたいになったのは、こうであるほうがウケがよかったからだ。東州王のほうが、よほどガラが悪い。

やがて、他人が僕の後ろを望んでついてきてくれるようにあったとき、僕は気付いた。

兵士たちの双眸に潜む狂熱に。


戦争は殺し合い。

よって戦場では、意図的にしろ無意識にしろ、兵士たちは自分のために自分を狂わせるものだが、アレは異常だった。

その眼差しに僕は、僕と言う存在が持つ異常をはじめて悟った。

彼らはほとんど渇望していた。喜悦に近い昂揚と共に。

僕と一緒に戦えることを、じゃない。…一緒に、死地に赴くことを。

共に生き残ろう、という意思でなく、この方と共に死のう、という強い意思がそこにあった。

例外はない。

ふと戦闘の狂乱から覚めたとき、僕はいつも感じていた。

これはきっと、性質が悪いものだと。




気付いていた東州王は言ったものだ。


「オレは覚えてるぜ。灰垣塚の戦いのときの、兵士どもの狂乱をな。姿を消したてめぇを必死で捜していた。なにせ…、そう、戦場でお前が掲げる時雨。あれは、まるで旗だ。てめぇの背中の強さと時雨の輝きに酔って、兵士どもは鬨の声を上げる。麻薬に酔ったみてぇによ。それが消えたとき、連中は慌てふためいた。とにかくてめぇさえ見つかればなんとかなるってよ、本気で信じて…いや、違ぇ。なんともならなくても、白鞘清貴ってぇ存在と共にあることがすべてだと…思ってるように見えた」

気怠げに呟くなり、東州王の暴君めいた苛烈な眼差しが、僕を貫いた。

「そんなふうに、有象無象に感じさせるものは、…さて、愚弟よ。優れた将か?愚劣な扇動者か?」

幼い頃から慣れた視線だ。僕は穏やかに笑って、言った。


「狡猾な凡人ですよ、僕は」




幸い、蘇芳は表向きの言葉ではなく、言いあぐねた僕の気持を察してくれた。

「…そうか」

ひとつ、頷き、引いてくれる。話題を変えた。

「では、以後は、…道中聞いたとおり、清音様のご遺言に従う、と言うわけだな」

「はい」

当然と応じるなり、はた、と月子を見下ろす僕。そう言えば、

「…月子はどうです?」

「私?」


「僕は僕の思った通りに動いているわけですが、月子の考えは聞いてなかったですよね。月子も、姉上と同じ気持ちと思っていて構いませんか?嫌なら、そう言ってください」


表情を改める月子。素直で健やかな瞳が僕を映す。

「母上の最期のお願いなら、聞く。逃げ回るより、真正面から乗り込むのがいいと思うのもあるし。なにより」

月子は言葉を噛み締める。


「清貴が一緒なら、どこへでも」


真っ直ぐな言葉に僕は言葉をなくした。とたん。


月子の目が、僕を素通り、丸くなった。


あ、と言ったのは、誰の声だったか。

月子が弾かれたみたいに立ち上がる。


しずかな声を置き去りに、駆け出した。

「置き引きだ」


僕が月子と逆の隣を見ると、立てかけてた銃剣がなくなってる。

人ごみに消える月子の背を見遣り、北斗が泡を食って立ち上がった。

足を一歩踏み出し、一旦停止。立場を思い出したらしい。

追う事もできず、歯噛みして僕を睨む。

「は!早く追えよっ!」

そう言えば、いつも賑やかに口を挟む彼が、蘇芳とのやりとりの時は珍しく黙っていた。彼なりに、気を遣ってくれたんだろう。

僕は微笑む。

「あの子は強いし、しっかりしてます。大丈夫ですよ。それに、どこにいたって、月子を見つけるのは、僕、得意なんです」

「…斎門どもの目もあるし、か?」

蘇芳に頷き、僕は荷物から自分と月子の食事代を出して、卓子に置く。

北斗が苛々急かした。

「のんびりしてんじゃねえよ…!」


「食後くらい、ゆっくりさせてくださいよ。ただでさえ、さっき月子に殺し文句言われて腰抜けそうなんですから」

「年寄りがっ。大体、アンタなら、盗人が近付いてるのくらい、気付いてただろ!?」

「月子との大事な話なのに、途中で腰折りたくないじゃないですか」

「ああもうっ、ムカつくなあ!」

地団太踏む北斗に、僕の頬が緩む。

「ありがとう」

「はああぁっ!?」

北斗は、頭おかしいんじゃないのって顔。

僕は言い直した。



「月子を心配してくれてありがとう」



とたん、北斗は燃えるみたいに真っ赤になって、絶句。

いつもながら、全力の感情表現だ。

代わりに、蘇芳が口を開く。

「月子様は、不思議なお方だ。そばにいるだけで、相手をやさしい気持ちにさせる。どうしても敵意をもてない。暗示で、己の心すら操る術に長けた自分や、…黒羽にしても、だ」

「昔からですよ。女官や、武官・文官たちにも、好かれてました。ただ、上からの命令があるのか、距離を置かれていて…、事情を知った今となっては、納得ですけどね」

「行く前に答えろ。貴様、清音様の手紙を読んだ後、月子様をどう思っている」

蘇芳の口調は淡々。でもいつだって、嘘は許そうとしない。僕は苦笑。

「月子は月子ですよ。僕の可愛い姪っ子。今更、血がつながっていようがいまいが関係ありません。彼女は、特別です」

本当に、それは今さらのことだ。

それを理解してたから、姉はあの手紙を僕に書いたんだ。


納得した蘇芳を横目に、蜃気楼になった気分で、ゆら、と立ち上がる僕。

実のところ、六年、寒さに慣れた身体に、いきなり東州の夏はキツい。

顔を上げると、小さなモラドリが、皮膚に痛い陽光に身体をかがやかせ、枝の上で翼を休めてた。小鳥のいのちの強さに感心しながら、僕は被衣を目深に被りなおす。

「あの方だから、貴様を引っ張り出せたわけか」

蘇芳の呟きに、僕は口元だけで笑った。


思えば、蘇芳は言葉で洗脳する勢いで、僕に帰国をすすめてた。

それをどこ吹く風と知らん振りしてた僕が、目が覚めたみたいに意見変えたんだから、拍子抜けもするだろう。

それも、彼がまったく望まない形で。

蘇芳は諦めたみたいに口を開いた。

「忠告しておく」

「はい?」


「遊びの気分が抜けないようだが、真剣にやれ」


表情を変えない顔の裏側で、僕は感心した。

まったく、鋭い男だ。

死の寸前にもお遊戯気分の抜けない僕を見透かしてる。

ところが、この性質ばかりは僕にも手の施しようがなかった。踵を返し、呟く。

「むしろ、遊びでなければ、真剣になれません」

生きるも死ぬも。


何か言われる前に、僕は人ごみに紛れた。

二人とは、ここでお別れだ。

次に会った時は、戦わなきゃならないかもしれない。できれば、そうなってほしくないものだけど。

二人の姿が、視界から消える。別れってのは、呆気ないもんだ。

とはいえ、蜘蛛の巣みたいにへばりついた視線の束ははがれない。東州の斎門どもだ。

斎門自体はどうでもいいが、問題は操る相手。

繰り糸を掴んでるのは誰だ?

東州王当人か。多田羅か、それとも別の上臈たちか。いや、もしかすると、国守周辺の輩もいるかもしれない。


(北境辺土まで追ってきましたしね)


いずれにせよ、今のところ、手を出す様子はない。

なら、放っておこう。

さっさと切り捨てる僕。


優先順位が高いのは、月子だ。


風丸は、月子を追っていったようだが。

「…こっちか」

僕は、迷わず右へ曲がって路地を抜けた。通りを突っ切り、再び路地裏へ。そこの土塀をひょいと登り、そばの屋根を駆け上がる。一番高いところで足を止めた。


風が頬を掠め、被衣へ飛び込み、汗ばんだ肌を撫でていく。


微動だにせず顔だけ巡らせた。二つ向こうの大通りで、人垣が見える。

僕は、氷上を滑るみたいに、屋根を駆け下りた。

端へ至るなり、足元を蹴り、別の屋根へ飛び移る。


近寄るにつれ、しぃん、と凍った空気が氷柱みたいに皮膚を刺す。

声が聞こえた。

「だからよ、とっくに期限は過ぎてんだ」

「約束は約束だ。アンタも納得済みだろ。逃げんのは往生際悪ぃぜ」

「だ…っ、だからこれから金を作ろうと」

取り囲まれたのは、将棋の駒めいた体格の男だ。ヤツはじりじり足踏み。

男を囲むのは、金貸し家と見た。


この程度のモメ事は、巷にありふれてる。証文を書き交わしているのなら、逃げようはないが…今回の場合、どちらもあくどそうだ。

取り囲まれた男が胸に抱いた銃剣を見て、僕は思った。

刃が曲がっている。僕のだ。


それにしては、男を追った月子の姿が見えない。


やたら蒸したが、屋根の上、通りが見える位置にひょいと腰掛け、僕が通りを見渡したとき。

「ぼけてんじゃねえ。これから金策なんて、遅ぇんだよっ!」

痩せたイタチみたいな金貸し家が、銃剣を抱いた男に拳を振り上げた。

その身体が。

「…ぅおっ?」

ぐるんっ、と竜巻みたいに、横に二回転、目を回し、尻もちをつく。


いつ現れたのか、被衣を被った少女が、イタチ男を見下ろしてた。月子だ。

月子は拳の下へ突風みたいに滑り込み、当たる寸前、横へ払いのけてた。力の流れを変えられて、男は自分に振り回されたってわけだ。

周囲は何が起こったか理解せず、幻覚でも見る目を月子に向けてる。一番に我に返ったのは、月子に庇われた男だ。









「た、助けてくれ!このままだと殺される…っ」











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