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封神草紙  作者: 野中
第一部/第一章
11/87

第十撃  篭絡の、仕上げ

「聞かない。もういいから、清貴。自分の人生を、生きて?私は母上の遺言だったから、ここにきた。それ以前に、私が清貴に会いたかったから、ここにきた。けど、気にすることない。私は一人でも」



「――――割り込んで邪魔して、掻き乱していいんですよ」



告げれば、手の内にある月子の手が、震えた。怯えるように。

小刻みな…、何かに耐える、泣き出す寸前の震え。月子は隠してるつもりだろう。

けど、残念ながら、僕に月子の本心は丸見えだ。


強がっている。


どう言えば、月子は落ちるだろう?

余裕に見えたろうけど、僕も必死だ。






あとから思えば、その行動は、僕らしくなかった。

いつもなら、手を引いた。

月子は強い、僕なんかいなくても。


でも、心が叫んだ。



断ち切らないでくれ。






「言い方を変えましょうか。割り込んで邪魔して、掻き乱してください。僕が望みます」

崖っぷちぎりぎりで堪えてる月子が吐く息は、熱い。

いや、崖っぷちにいるのは、僕だ。

もう、一押し。

僕は、月子の前に心も身体も投げ打った。


篭絡の、仕上げに。




「いいですよ、月子なら。許します」




許す、と言いながら、…捨て身だ。

拾ってくれなきゃ、死ぬ。

拾ってくれる前提の、これは甘えだった。


なのに、拾う方は、おそるおそる顔を上げて。

甘やかされてるって顔で、石をも蕩かす笑顔になった。

「…うん。ありがとう」

「どういたしまして」

安心していいと確信するなり、目を逸らす僕。

騙してるみたいな心地がして、月子の顔をまともに見られなかった。

甘やかしてるわけじゃなくて、僕が甘えてるんだ。

こんな、ちいさな少女に。


逸らした視線の先には、風丸の強張った顔。

目が合うなり、顔を横に振る風丸。顔の部品が飛んでいきそうな勢いだ。

「ごめんなさい、もう見ぃひんから。前向いて、耳塞いでます」

そんな反応をされる理由も分からず、首を傾げる僕。


「…なんでです? 聞かれてマズいことは何もないですよ」

風丸は大きく嘆息、再度首を横に振った。

見ても聞いてもマズい、とか呟く。何が。

僕と風丸、両方の反応に、特になにも感じなかったらしい月子が、その場に遠慮がちな声を割り込ませた。


「本当は、渡すつもり、なかったんだけど…」


小さく前置きして月子は、懐から何か取り出す。

手紙。

僕に、差し出した。

受け取る僕に、月子は物静かに囁く。


「母上から」




僕は唐突に、手紙が熱を持った気がした。

そんなはず、ないのに。

――――姉上から?僕、に。

手が震えた。刃物を喉元に突きつけられた気分だ。


意識的に息を整え、手紙を開く。

月子を促し、つないでた手を放すと、僕の腕に掴まらせた。

自由になった手で、手元を照らすために小さな火をつけた。

もどかしい。震えが止まらない。

灯った頼りない火の下に、優美に並んだ字が見えた。

ああ。



姉の、字だ。



『拝啓 こちらは、そろそろ梅雨の季節も終わろうとしています。清貴、そちらはいかがですか?まだ雪と氷で閉ざされ、空には天輝が舞っているのでしょうか。私の方は、厳しい夏を前にして、体調の思わしくない身体を抱え、色々と覚悟が必要になってきました。次の本格的な夏を迎えられるかどうかは天の御心のみぞ知るところです。とはいえ、この手紙をアナタが読んでいるのなら、私は既にこの世から消えていることでしょう。

六年も音信不通で、いきなりこんな報せなんて、面食らったでしょうね?

いえ、私は手紙を書きました。書き続けた。ずっと、ずっと。

誰かが握り潰すことなんて分かりきっていて、届かないと知っていても。

アナタはどうですか、清貴?なにか報せを送ろうと努力したかしら。

…しなかったでしょうね。お見通しですよ。生来、薄情者なんですから。

いえ、分かっています。アナタが東州を捨てた日に、覚悟していました』

黙って字を追う僕。

灯火のひかりは、はかない。

感動も後悔も悲哀も後回しに、心に急かされるまま、字を追う。貪欲なほど、必死に。


月子は無表情。

けどその視線はなぜか、僕の表情の変化を欠片も見逃すまいと神経質になってた。

気付いても、意味を考える余裕なんて、このときの僕にはない。


姉の手紙は続く。


『ただ、お姉ちゃんに悪いことをしたと、爪の先ほどでも思うなら、お願いを聞いてください。

最後の、お願いよ。






月子を守って。


近々、あの子の守護の法印が解ける――――そうなれば、間違いなく殺されます。

月子を邪魔に思う人たちがいるから。東州はあてになりません。

むしろ、彼らが用意した生け贄の祭壇に、進んで月子を捧げるでしょう。

なぜって?

それは、






月子が国守の娘だから』






「莫迦な」

思わず飛び出した言葉は、全否定。

嘘だ。あり得ない。

月子が国守の娘?

なら、姉が国守と通じてたというのか?

あり得ない。姉が、東州王を裏切るなど。

二人は愛し合っていた。

愛し合っていた。

確実だ。

確信がなければどうして、姉たちを置いて、国を出るものか。

第一、姉が懐妊した頃、彼女が国守に会っているはずがない。

その時はまだ、白鞘家に明確な身分などなかった。

東州王の妻の一族であっても、どこかの馬の骨と同じ存在・扱いだった。

そんな相手が、国守と会えたはずがないのだ。

そもそも、当時、国守が東州に出向いた事実はない。

これは、確実。

僕の記憶違いとか、知らなかっただけ、とかいうことは、絶対ない。

それだけ、国守という存在は、制約が多く、その存在・所在を誰かが見失うことなど、あってはならないからだ。

そこまで考えたところで、ふと気付く。

思えば姉は、それに関して、一言も書いていない。月子は国守の娘、と言い切りながら。

そのことは妙に、作為的だ。

文面の裏で、何を隠している?

月子と国守が親子だと言うことが間違いなければ、

(それが、揺るぎ無く真実なら)

どこかで別の何かを歪めなければならない気がした。

では、何を。

否定を投げ捨てた目で、これまで、ごく当たり前のこととして受け入れてた事実に、目を向ける僕。

おそらく、見るべきは、これまで僕が不変と信じてきた事実。

疑いようもなく信じてきたこと。


…その、今まで当然と信じていた何が、間違いということになる?

思うなり。

本当に、根本的で単純なことが頭に浮かんだ。






(姉上と月子に血の繋がりがなければ、)






僕は愕然。

だって。

なら。

そのとき、生まれたはずの、本当の、姉上の子供は、どうなった。


本能的に思考停止。これ以上は、だめだ。考えるな。

あの頃、確かに姉は懐妊していた。

そして、子を産んだ。

これも、疑いようのない事実だ。

それとも、このあたりから、捻れているのか。


どういうことか分からない。違う、そうじゃない。畜生。投げ出すな。

逃げたがる思考を、僕は意思の力で懸命に引き据えた。

とにかく、考えられるべきことから、考えよう。

見つめられるものから、見つめよう。

月子の出生については、ひとまず後回しだ。


姉の言葉は僕にとって絶対だ。

僕は、ひとつ、深呼吸。

壁にぶつかり、ヘバった思考に活を入れる。

まず、どこから考えればいい?

思ったところで、ふと、斜め下を見下ろす。視線を感じたからだ。そこには。

月子。

名前そのものの、月輪のごとく豊麗で凛とやさしい美貌。

表情はないが、双眸だけは、かわいそうなほど懸命に、いっしんに僕を見上げてる。

一度、強く目を閉じる僕。

…この子に、不安を与えるわけにいくか。

しっかりしろ、僕。


月子、そう、月子だ。

まずは彼女のことを考えるんだ。

姉が書いてるとおり、月子が国守の血を引くという下敷きで、状況を考えてみれば、どうなる?

ああ、天地が引っくり返っても認めたくない。

認めたく、ないが。

「…」


ろくな答えは得られない。

東州の跡目争いどころじゃない。

茨道だ。しかも、逃げ場がない。

読むことを拒否する目を、僕は無理に手紙へ落とした。




『国都へ行ってください、清貴。月子を連れて。国守と月子を会わせてほしいのです。名乗り合うだけでいいんです、互いに顔も知らないままなんて、かなしすぎます』




先ほど書かれた事実より、この姉の意思にこそ、僕はこめかみを全力で殴打されるに似た心地になる。くらくらした。


血の雨が降る願いだ。


その願いを実行に移したとき、どれだけの犠牲が出るか、姉が考えなかったはずはない。

もっと穏便なやり方が、彼女の好みだ。

そして、憐憫や一時の同情のみで感情に流され、愚かな選択をするほど姉は甘い人間ではない。もっと、現実的だ。そういった点で、おそらく彼女は僕よりよほど厳しく、合理的だ。

それなのに、こうも激しい選択をした理由は。

引っ込んでいられない事情があったということだ。――――それは。

…思い当たる節なら、あった。


とたん、僕の脳裏に浮かんだのは、冷酷無比な男の顔。


僕とろくでもない因縁のある男。




(ヒガリ国宰相、如月)




彼は、国守・久世周の一子、義治の後見人を務めている。

義治は今年、十四。月子より年下。

即ち。






月子こそ、国守の一の君。






僕は一度深く息を吐いた。

己を落ち着かせ、手紙の続きに視線を戻す。

『宰相如月氏と話す機会がありました。月子が国守の座を望まずとも、彼はあの子を殺すつもりです』

ああ、そうか。

僕は、納得。


逃げても隠れても、殺される。ならば。

打って出る、と姉は考えたのだ。

掌を指すように、僕には彼女の考えが読めた。


苦悩、葛藤がなかったはずはない。

想像できる犠牲の多さに、彼女は自身を疲れきるまで罵倒したはずだ。

それでも、選んだ。望んだ。

言い訳のひとつもなく、僕に。

否、苦しみながら、かなしみながら、それでも後を託す存在として、僕しか彼女の脳裏に浮かばなかったのなら、これほど誇らしいこともない。


書かれているのは、酷い願いのようで、その実、真心のこもった願いが、紙の裏に読み取れた。

生きろ、そのために、戦え、と。

彼女の願いを言い訳にしていいから、誰かを犠牲にしてでも生き残れ、と。

生きてほしいと痛切に、姉は祈ってる。

その祈願が多くの死と引き換えになることを承知で。


『繰り返します。月子を守ってください。自殺行為ですね、普通なら。でも最強の刀術士と、回天の力を持ってすれば、生きて碧翔郭への鉄橋を渡れると信じています。

自分勝手で、酷い願いです。

アナタも月子も、私を憎んでいい。許さなくていい。我侭だけど、私は私の大切なものが、ただ殺されるだけだなんて、耐えられません。国守と月子が対面すれば、状況もきっと変わるはず』

回天の力?

初耳だ。それはなんだ。どこかで、聞いた気もする。

いや、今はそれより。

僕は先を急いだ。火が消えかかってる。


『国都へ着いたら、軍の宇津木将軍を頼ってください。あの方なら、なんらかの知恵を貸してくれます。後はすべて、アナタに託します。

                                                  敬具






夫より、娘より、友人より、側近たちより、信頼する貴方へ』






ふ、と火が消えた。


細い煙が頭上へ上がってく。

はるか天空では、天輝が激しく舞ってた。

もとより僕とて、月子が殺されるのを見過ごすつもりはない。




ふと、国守が月子の事をどう思っているのか、と疑問が心を掠める。

なにより、こんな事態になったことを、彼は。

幾度か対話のかなった相手を思い出すなり、僕は緩く首を横に振った。

国守は、穏やかでやさしいが、かなしいほどひどく受動的で、自らは何も望もうとしない人だった。まるでそれが禁忌のように。

彼に何かを期待する・しないは最初から問題外だろう。そういう立場の人なのだ。

生きているのに人形のようだな、と痛ましく感じることすらあった。

第一、宰相が彼の気持を第一に考えることなどない。

彼が優先するのは、国家。

その永続。


しかし、宇津木将軍か。


息子の方とは、先刻、刃を交わしたばかりだが、父親とは立場が違うのか?

月子が、悩む僕の腕を引いた。

「…なんて、書いてあるんだ?」

不安げな声。僕は目を見張る。

「北境辺土にくるまでに、読まなかったんですか?」

「人の手紙を盗み見るわけない」

おっとりした態度の奥に、傷ついた気配。月子は手を離そうとする。

僕は咄嗟に肩を引き寄せた。その身体が、不自然に緊張してる。

どうした、と問うのを自制する僕。聞けば、月子を頑なにしそうな予感がした。

僕は謝罪だけ口にする。

「すみません」


「…なんて、書いてあった?」

「月子は国守の娘だと書いてあります。それから、国都に行って、国守に会え、と」

「国都に…って! 敵陣に乗り込むつもりなんか、あんたら!」

振り向いた風丸が咳き込む勢いで叫んだ。それほど驚くことでもない。

僕は平然。

「遺言ですしね。ずっと追われるより、早いうちに決着つけるには、これが一番だと僕も思いますよ。この手紙に書かれているとおり、僕は月子に味方して動きます。姪っ子に逃亡者の経験を長く味わわせるつもりはありませんしね」

もう決めた。

決めたら、もう僕は迷わない。

「…え…ちょい待ち。姪っ子って」

胡乱な風丸の言葉を、月子の緊張した声が遮る。

「書いてあったのは、それだけ?」

「はい」

「そ…っか」

月子の身体から力が抜けた。

とたん、僕の勘が騒ぐ。


この事態には、まだ秘密が隠されてる。

それに。

(守護の法印に、回天の力…)

そして、月子の出生。

分からないことが、多すぎる。


とはいえ、言及するには、僕も月子も、些か疲れてた。

丁度いいことに、原生平野に出ていた僕たちの目に、場違いに一本突き立つ大きな杉が映る。

根元に、ふたつの影。

小さな方が、僕らに気付いて、拳を振り上げ、地団太踏んだ。

聞こえないが、叫んでるのは文句に決まってる。




今は、休もう。




空を見上げるのを怖がるように、俯いた月子が呟いた。

「…清貴から、死の気配が消えない」

僕はしずかに月子の頭を見下ろす。月子は、守ろうとするみたいに僕に身を寄せてた。

「どころか、たった今、濃厚になった。それでも?私と一緒にいてくれるのか」

「…そう言えば、国守の血は、斎門のように、星を読む力も備えているんでしたね」


「誰より先に、清貴の死を見たのは、私だよ」


風丸が耳をそばだたせ、背中を強張らせる。

「死の気配が近いんだ。明日死ぬかもしれない。それでも?」

「行きます」

「だけど」

「試しているんですか?…いくら試されても、僕は行きます。月子が嫌がっても」

無論、一緒にいれば、僕の死の気配を感じる彼女が、毎日その苦痛・不安と戦わなくてはならなくなることを僕は察している。察しているのに、こんな選択をするのは酷いだろうか。

…それでも、月子は、僕の許へやってきたのだ。なら、僕が取る行動はひとつ。


月子は黙り込んだ。何かに耐える沈黙だ。


来るな、とも、来てくれ、とも、月子は言わない。


多分月子にとって、どっちも本音で、どっちも嘘だ。

今の月子には、明確な答えがない。

僕は勝手についていく。

それでいい。


ついでにちょっと、引っ掻き回そう。

と、不埒なことを考えたのがいけなかったのか。






事態は単純に済みそうにないと、数日後、僕らは思い知ることになる。











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