第九撃 誤魔化されてくれない
黒羽の少年を、じっと見詰める月子。探るってより、珍獣を観察するみたいな目。
対する珍獣の反応は、というと。垂れ目を一層垂らして、気弱に微笑んでる。
ふむ。
僕は、月子の頭を撫でた。
「連れていっても問題ないと思いますか?」
くすぐったそうな顔で頷く月子。彼女のこういう勘に、間違いはない。
その上、妙なことを言い出した。
「キミは、いつも離れた場所で、私を見てたよね。たまに、手助けしてくれたこともあったっけ」
「え!…き、気付いとったんか…っ?」
「時々姿も見えてたよ。他の皆、気付かないふりしてたから、そういう遊びかと思ってた」
「普通、見えんモンなんやってっ! ボンヤリさんや思うてたのに、気付くモンやなぁ…隠形見破られるとは…あかん、評価変えないかんわ」
なるほど。
結論を下す僕。
思惑は知れないが、敵ではないだろう。
少なくとも、今は。
まったく、誰の手の者だかしらないが、妙な時に出てくる。
差し向けた相手に、心の中で毒づく僕。
ただし、表向きは平静。
「キミ、名前は?」
歩き出し、僕は尋ねる。
小柄な黒羽の少年は、顔の部品全部使って笑った。
「ボク風丸言うんや。ヨロシク!」
「なら、風丸。僕たちの前を歩いてください」
「はぁ? でも道、分からんし」
「指示します、後ろから。とりあえず、東へ」
僕の指示に肩竦めて、風丸は従う。
「まあそうでないとな。いきなり信用される方が気味悪いし。ところでさっきの話聞いとったんやけど…兄さん、清貴って、あの白鞘清貴?だったら教えてぇな。なんでいきなり隠居したんや?白鞘清貴ほどの刀術士なら、栄達思いのまんまやん」
矢継ぎ早の質問と共に、好奇心にきらきらかがやく双眸が振り向いた。
今度は僕が珍獣か。
無言で微笑む僕。心底、思った。
ああ、面倒くさい。蹴ったら、黙るかな。
僕が気長に接することができるのは、家族だけだ。
胡乱な目になる風丸。
「面倒、思てるやろ、今」
「察しがいいようで、助かります」
「白鞘清貴言うたら、清廉潔白、品行方正の優等生な刀術士って言われとったけど…あかん、こっちも評価変えないかんわ」
僕は名案を提言。
「別人って考えた方が、気が楽になりますよ」
「できるわけないやろ!月子様が広い大地で頼れるのはもう、灰垣塚の英雄、白鞘清貴しかいないやんか。守護の法印が消えて、白鞘清音が亡くなった今、」
「風丸」
声を荒げたわけでもないのに、力任せに扉を閉ざすみたいな、月子の声。
戸惑って、口を閉ざす風丸。
彼らを見ながら、思考停止する僕。
いや、止まってる場合じゃない。考えろ。
風丸は、今なんて言った。
守護の法印、とか聞き慣れない単語が出てきたけど、そんなことより。
そう。
白鞘清音が亡くなった、と言った。
白鞘清音、…姉が。
死んだ?
足元に、奈落の穴が開いた気分。
面食らう風丸に、悪気はない。
分かってるが、一瞬殺したくなった。
「はえっ?ちょ、なに、き、清貴さ、ん…っ?」
真剣に死の危険を覚えただろう風丸に、形だけの謝罪をする僕。
「…ああ、すみません。月子?」
そして、姪へ目を向けた。
とたん、つないだ月子の手が震える。
僕の殺気に怯えて竦む風丸には、先へ進めと手振りで促した。
僕らを気にしながら歩き出す風丸。
その背に続き、僕は隣の月子にしずかに尋ねた。
「姉上が、亡くなったんですか」
「うん」
「いつ?」
「一ヶ月、前」
「理由は?」
「…病死。ずっと、胸を病んでて…清貴に手紙、書いてたみたいだから、知ってると思ってた」
「こちらにきてから、一度も手紙をもらったことはありません」
「え?でも、確かに」
「ええ、わかっています。…おそらく、姉上が出しても、途中で握り潰す者がいたんでしょうね」
そしてきっと、聡明な姉も、薄々それに気付いてたはずだ。
心当たりなら、腐るほどある。
月子が、傷ついた顔をした。
「そんな…っ。人の手紙だぞっ!一体、誰が」
怒りに震える月子の前に、僕はそっと手をかざす。
そんな顔をさせたいわけじゃない。
「いえ、それは、もういいんです。月子、大事なことを聞きます。教えてください」
「…分かった。なに?」
「姉上は、殺されたんですか?」
月子は息を呑む。直後、力いっぱい、首を振った。横に。
「それはないよ。絶対。…誰からも、愛された女性だった。死んでからも」
月子の保証に、僕の吐いた息が、震えた。
それなら、いい。
愛されたなら、いい。
しあわせだったなら、いい。
こうなることなんて、東州を出たときに分かってたじゃないか。
ただ、予測と現実とじゃ、重さが違う。
真実、彼女はこの世から消えた。消えてしまった。
魂が、砕けそうだ。
――――姉上。
眼裏に閃く、やさしい笑顔。最後に見たのは、泣き顔だったけど。
僕の全部を捧げた、ただ一人。
たとえ、僕が知らないときに、天へ飛び去ってしまったのだとしても。
今も愛してる。
なのに、僕は生きてる。呪いで、ボロボロなのに。
僕なんかが生きてて、姉のような人が病で夭折したのはなんでだ。
整理のつかない心を持て余し、上の空で尋ねる僕。
「それで、姉上が亡くなることで、なぜ月子が僕のところへ来ることになるんです?」
次期東州王に、後ろ盾が一人もいないはずがない。
頼るのが、こんな、早々に一つの人生降りた負け犬だけになるはずなかった。と言うのに。
「母上の遺言」
言った月子は、取り返しつかない失敗したみたいな顔で口を閉ざす。僕への気遣いに全神経が集中してて、その油断が、ついこぼした声みたいだ。
どう解釈すべきか分からず、僕は目を瞬かせた。
反応したのは、風丸だ。
「へえっ!なら、清貴さん巻き込もう言う考えは、東州王の亡き奥方のモンなわけやね?慎ましい美人さんやったけど、激しいこと考えんなあ」
「巻き込む?何に、です?」
「…えぇーっと、さっきからの反応からして、もしか、清貴さん、なんも知らん?」
恐る恐るの風丸の言葉を、月子が強い語調で遮った。
「言わないと、ダメか」
大人びた、真摯な表情。
僕は少し、戸惑った。
子供の月子しか知らない僕は、月子のそんな顔をはじめて見るから。
月子の中に、見知らぬ他人が棲んでる気がして、戸惑うって言うより、置いてけぼりを食らった気分。
自業自得ってのは、分かってるけど。
寂しくなる。
特に、今は。
気を取り直して、尋ねる僕。
「言いたく、ないんですか。なぜ?」
つい弱くなった僕の声も消し去るみたいに、月子の眼差しは揺るぎ無い。
「もう、清貴には清貴の人生がある。目的がある。割り込んで邪魔して、掻き乱すのは間違ってる」
「月子」
声を挟む僕。けど、月子の声は止まらない。
「清貴は、最強の刀術士だった。でも、なりたくてなったわけじゃない。なんとなく、私には分かる。私たちのためだろう。白鞘の名を上げることで、…母上と、私と、陣の地位を固めようとした」
「…僕は、人殺しが好きなんですよ」
大きく、首を横に振る月子。肝心なことはいつも、誤魔化されてくれない。




