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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ワインレッドの温もり

作者: 橘麒麟

僕は真冬の、静かなろうそくの明かりに包まれた街を歩いていた。


先程まで一人だった僕は今度、二人で帰り道を一歩一歩歩いている。


丁度、ほんの少しの散歩をしに夜の街へ繰り出した自分であったが、人気のない小道で、マッチを細々と売っていた少女を捕まえてきたのだ。


マッチの火は、雪の街を裸足で歩く少女と、気持ちよく響き合っていく。


大体十歩くらいごとに、彼女はその小さな手で訳もなくマッチの火をともした。彼女は僕にとっての合図、どうとも取れるお詫びの印として、少しばかりの間と共にかすれた音をなびかせて、火をともしていたのかもしれない。

そうかと思い、彼女の微かな体温と共に迫りくる炎の感触に、真冬の寒さとは似つかぬ物を感じて、幾度も立ち止まらされた。


ところで、このまま自分は少女と家へ帰って、何をするというのだろう、家には自分と妹の二人しかいないというのに。ただ彼女を無為に置いておくだけでは、あまりにも自分が軽率に見えてしまう気がするから、すぐにベッドに連れ込んでしまおうか。


自分の心の醜いことよ…


こんな寒い場所で、人の悲しみは嫌味ったらしいほど暖かい。


そんな暖かさが好きで、閑散とした町に、妹と二人だけで暮らしている。


寒いこの町では、どこにいるよりも、人の中にある何かが胸打って、溶け込んできそうな気がする。寒いということは、きっとそれでいて、それだけで一つの心揺さぶる風なのだ。


ところで僕と彼女は、まだ言葉を一言も交わしていない。


ただちょこんと座っていた彼女の頭を撫でてやると、彼女は自然とついてきた。僕はそれを望んでいたし、彼女をそれで良かったのであろうと、不思議な確信が彼女に触れた指先から、朦朧と自分の中に溢れたのである。


それは、恐らく彼女の頭に生えた一対の角のせいであっただろう。


それは端から見ると、中途半端に長い髪に阻まれてよく見えないが、凝視すると川の流れに対し屹立している岩のように立っている。

彼女を撫でたとき、崩れ落ちるような髪の流れの中に、それを見つけた。


寒さに火照った身体の温度とは隔てられて、異様にひんやりとしたその角は、僕の気に入った。一つだけ、身体でない部分がある彼女に触れるのは、気持ちが良い。それで、彼女はきっと人間とは違うから、寂しさを犯すどす黒い、もう一つの内にある寂しさを消し去ってくれるだろう。


ぶらりと入り込んだそんな思いがずっと、僕の中で引き続いている。


僕は、彼女にもらったマッチを無為に自室で擦りきって、眠ろうとしていた。


妹が、彼女に良い服を着せてやるだろう。暖かい食べ物もあるから、明日にはきっと彼女の笑顔も見られる。


消えないマッチの火があるとしたら、その炎さえも消してしまうほどの笑顔を彼女が持っている気は、前々から持っていたような。そんな風な音楽を僕はずっと待ち望んででいたような気がした。


それでいて、歩いていたときに彼女のともし続けた火は悲しいと感じてしまうのはなぜだろう。それでも、僕は眠りについた。

いつもは二人分の温みをたたえた部屋の中で、それがきっと明日からは三人分になる。

誰も真っ白で純粋、同じである様なこの世界で、僕は愛することを見つけた。そしてここは、落ち着いた、多くの人の温もりが加わっていく場所である。


ーーー


「私」は誰のものとも知れぬ、注射針と空っぽのマッチ箱を持って、夜更けを待った。


人の手が自分に触れたのはいつぶりか、天井を見上げることが出来たのはいつぶりか、それは知れない。

その間、私にとって不変のものであったものはマッチだけであったのに、それももうずっとお終いだ。


しかし、私自身もそれに連れられて、消えててしまう前にどこかへ行ってしまわねばならぬ。


私に触れた彼の妹は彼と同じく、とても優しかった。

冷たいはずの身体は、彼女の傍にいれば暖まったし、作ってくれたご飯は何よりも美味しかったと思う。それで彼女は間違いなく私にここにいて良いと行ってくれているようで、なんだか悲しい。


人からの好意というものは、途轍もない恐怖を私の胸に与え続ける。


いつ、どんな手違いで自分が彼女の、その気持ちを踏みにじってしまうかも知れないのだ。その悲しさに身を任せて、私は彼女の白く透き通った首筋を、丁度台所に置き放ってあった包丁で切った。


彼女は何も言わずに、そっと床へ倒れ込んだだけであった。


あまりにもあっけない人の最期は、私をほんの少し不安にさらした。


倒れた彼女の首筋に持っていた注射器で穴を開け、少しばかり血を抜き取った。元々、そのための注射器だったのだ。

誰かの血を抜き取って、どうにかしてしまおうと思っていたのだ。しかし、よくあることで、朧気な計画はあってもその目的は分からずにいた。ただ、見えずとも確実な何かが、それは自分にとって意味深いことに必ず成り得ると、告げていたのである。


今の私は彼女の温もりに真に触れたかったのであるが、それでも血を抜いた理由はまだ明確には知れなかった。もうマッチも蝋燭も灯らぬだろう夜の中を、私は淡々とかけていった。


ーーー


朝は、ひどく静かに迫った。


僕は、窓をいつも開けて眠るので、今日も布団に少しばかり雪が積もっていた。

日差しで身体は火照るのだが、雪のきりりとした臭いが鼻をさす。それが身体の中にたまって、外気と微妙なコントラストを保っている。


それに加えて、今日は血の臭いが微かにした。


その、鉄分の臭いも相まって、身体に染みいる冷たさは増した。


きっと、誰かが夜のうちにこの吹雪の中で死んだのだ。


彼女のマッチみたくすぐにその温度は奪われ、忘れ去られる。


二度と灯ることのない身体を残して、雪に溶けて、誰かの寂しさを冷たく拭い去る風になる。それでも、もし本当に人の死をマッチに例えてしまうのなら、人は死んで初めて熱を灯して、それでどこかへ煙のように旅立ってゆくだけなのかもしれない。


そうとは今の自分が思いたくなかったことに気づいて、後悔した。


僕は眠気の取れぬ重い身体を起こして、そのまま妹の死体をそっと見下ろして、確信を持って彼女は大事ないだろうかと心配したのだ。

きっと誰かが、妹を殺して彼女を連れ去っていったのだろうと、僕は考えるまもなく確信していた。そしてあろうことか、自分の胸の内で燃え上がった感情はそいつに対する嫉妬であった。そう知りながらも、それは自分の中でふくれあがっていった。


その夜、彼女はあっけなく帰ってきた。


ずぶ濡れの身体で、纏った臭いを少し違えて、一つくしゃみをした。

僕は直ぐに彼女を抱きしめた。


寒くなかったか、寂しくなかったか、怖くなかったかと僕は何度も聞いた。


これが、実のところの初めての会話だった。

それで、彼女も僕を抱きしめてくれた。


私を憎むか、怖くなかったか、憎むべきだと言った。


そうだ、何よりも僕は彼女が妹を殺したのだと知っていた。

それでも、殺したものは彼女自身ではなく彼女の温かさであることをも知っていたのである。それが、死んだ妹の温かさとほんの端っこの所を重ね合い、きしむ様にすれ違って悲鳴を上げる。


変わり果てた妹の姿、ただの死体であるという確信、そして泣いているような懐かしさが僕を殺人者への憎悪へと駆り立てる。しかしながら僕は、今でも殺人者と彼女の間に心の中で強固な壁を置いているーーー


僕は、今は彼女の帰りをただ嬉しく思いたくて、逃げるようにして食事を用意した。ただ今は、新鮮な彼女の声を聞いていたかったのだ。


ーーー


私は、泣きたかった。


暖かいこの家の臭いと彼の中からあふれ出る一粒ごとの音の全てに涙が出るようだった。


私はここへ、彼を殺してしまうためにここへ来た。私にはそうするしかないと思われた。お互いが愛を知ってこの先生きていくこととは、死ぬことなのだ。私は彼の用意してくれた食事の横に添えられた、赤の葡萄酒に取っておいた妹の血を混ぜた。


彼は、直ぐにそれを口にした。


ーーー


僕の中で、いつも快く思っていた悲しみの流れが氾濫した。


今、自分が口にしたものは紛れもなく妹だったのだ。今、自分の中で唯一、物質的に死んだ妹と繋がっているものの味だ。それは酔いとその氾濫に紛れて流れ込む優しさの形であり、妹の心の形であった。


驚きを隠せなかった僕の姿を合図とでもするかのように、彼女も僕と同じ物を口に含んだ。


そして、僕に口づけをくれた。


それもまた、妹の味であった。僕の中にある寂しさの形はもうすでに崩れ去り、そこには彼女の優しさの輪郭がくっきりと浮かんでいた。


音楽でしか聞こえないと思われたような景色が、彼女の回した手より伝わる温もりから広がってくる。


僕の手で彼女の髪に触れると、やはりお気に入りの角はそこにあった。


何よりも冷たいそれとは裏腹に、途方もなく暖かい彼女の腕。絶え間なく僕の形を捉え続ける、今にも消えてしまいそうな彼女の唇。


僕は、なんて彼女のことが好きなのだろう。


それが罪であることは、明白なのだ。


しかし、それは自分に許されぬ事であり、不可能であるということがこの際に僕を心地よくする。


自分の感じていた悲しみの美しさや、寒いことの快楽が全て丸められて、迫ってくる。それは、


この感じは喜びと呼ぶ他、ないものであった。彼女は、胸にしまってあった毒であろう粉末を口に流し込んで、もう一度僕にキスをくれた。

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