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烏之雌雄  作者: 妄執
9/11

四日目 -怨嗟と烏-


 部屋に一人となった私は、布団を被さり耳を押さえながら丸まって震えていた。耳を塞いでも聞こえてくるこの恨みつらみのこもった音は声は一体何なのだ、聞けば聞くほど私に向けられたものように思えて仕方が無い。


 あの泣き声は姥捨山だろうか……

 あの怒声は鍛冶場だろうか……

 あの呻きは香宗我部の妻だろうか……

 あの唸り声は旦那だろうか……

 あの破壊音は子供だろうか……


 未だこのアパート中に響き渡っている怨嗟えんさの音を聞かないように、ただその一心でひたすらに蹲り続けた。


 

 そうして一体どれほどの時間が経ったのか……あの怨嗟の声たちは止み、かわりに物音一つしない、二部屋向こうの姥捨て山の、階下の香宗我部たちの息遣いすら聞こえてきそうなほどの怖ろしい静寂がこの裏野ハイツに訪れる。

 

 静寂が支配してからまた幾刻いくときが過ぎた頃、私はきょろきょろと周りを確認しつつようやく布団から顔をだす。その時、顔にまぶしい光が当たって驚きと恐怖で思わず目を細めた――


 なんだ、と改めて目を細めながら眩しさの元を見ると、それは窓から入る美しい夕焼けの光であった。私は茜色の光に照らされていたのだ――


「ああ…………」


 私はその美しい光に心奪われる。とても神聖なモノのように思えて、無意識に窓へ向かって爪の無い手を伸ばす。何かを掴もうとして、何か掴めるかもしれないという期待を込めて、だがその手は何も掴むことなく空を切る。けれども何故だか、私はこの時この瞬間この空を切った腕に、この黄昏こそが私の記憶への答えを導く光に思えたのだ。


 目覚めてから出合ったこのアパートに住まう狂えるモノたち……響き渡る怨嗟の声……不条理……理不尽……傷……痛み苦しみ……黄昏の光……あと少しで思い出せそうなのに……何かが……何かが足りない…………


 ピーピーピーピーピーピー


 このアパートに訪れた不気味な静寂、私の懊悩おうのう、それらを破ったのはすぐそこから聞こえてくる雛鳥たちの鳴き声だった。


 ピーピーピーピーピーピー


 なんと可愛らしい鳴き声なのだろう……小鳥のさえずりとも違う純真無垢な本能のままの鳴き声……ただただ庇護者にすがりエサをねだるばかりの卑しい鳴き声……これこそが動物本来の衝動……


 そのみっともない無様な鳴き声に導かれるように、私はふらふらと立ち上がり隣の部屋へと続く引き戸を開いた――


 思えば初めて入ったこの部屋は洋室であってやはりモノが何も置かれていない。だが私はそんなことは最早どうでも良かった、今の目的は記憶を探すことでも夕焼けの光を浴びることでもない……私は洋間を抜けそこからベランダに繋がる戸を開きベランダへと出た。


 目覚めてから初めて外の空気を吸った――

 初めて外の空気を味わった――

 初めて黄昏を浴びた――

 黄昏に照らされ茜色に染まる住宅街――


 ああ……なんて美しくあやしく神々しいのだろうか……


 その黄昏が指し示す方向を見ると、入り口の上に、いまだ鳴き続ける雛鳥の入った巣があった。丁度置かれていた脚立を使ってその中を覗き込む。そこには殻を破ったばかりの、生まれたての雛鳥が六羽ほどばかり、天に向かって口を開けピーピーと鳴き声をあげていた。


 これか……

 そうか……多分これは烏の雛……

 私を起こしたのはこいつらの親鳥だったのか……


「……」


 巣をつつき振動を与えてみると、雛たちは私を親鳥と勘違いしたようで、口を大きく開きピーピーピーピーピーピと鳴いている。


「……」


 私は冷静に巣の中の雛鳥を三羽ほど掴むと

 思いっきり振りかぶってベランダの外へ放り投げた。


 そうだ、これでいいのだ。エサが欲しくば自分で取りにいくんだ。誰かがくれるのを待つなんて乞食のようなことをしては駄目だ。このまま落ちれば死ぬけど大丈夫。飛べれば落ちないから死なずに済むのだから。だから頑張って飛べ。飛べねば死ぬまでよ。死にたくなければ飛ぶがいい。飛んで逃げれば私は追い付けないのだから…………


 あまりにも軽かった雛鳥たちは想像していたような放物線は描かず下に落下していった。

 

「うふっ……ふふふっ…………あはっ」


 次は左手に一羽右手に一羽を掴んで目の前に持ってくる。


 お前たちはなんて馬鹿なんだろうな? 自分を育てる親鳥と外敵である私の違いも分からないのか? 子供だからと雛だからという理由ではすまされないぞ? 何故ならお前たちは今、生死がかかっているのだから……天敵にほふられる、これが自然界における、全く以って正常な状態なのだ……


 グヂィッ

 

 握り潰した。

「ビベッ」という鳴き声と共に血だかなんだか分からないような液体と内臓が口や裂けた腹から飛び散る。


 最後の一羽はどうやってし止めようかベトベトに汚れた両手を見ながら考えていると「カーカーカー」という威嚇いかく的な鳴き声を上げながら二羽の親烏が私を襲ってきた。


「うわっ……!」

  

 まさに死に物狂いでバタバタと羽を動かしながらくちばしで頭や顔を突ついてくる。私は左手で顔を守りながら右手を振り回して追い払おうとするが、親烏は全く怯まずに攻撃を続けてくる。私は一旦冷静になると、むやみやたらに手を振り回したところで当たりはしないということを理解し、冷静に顔を守ながら今まさに私の顔を突こうとした一羽の烏に向かって思い切り裏拳を放つ。それが見事に命中し「ギベッ」という断末魔を上げながら落下していった。


 残りの一匹も片割れがやられたのをみて怯んだのか、動きが鈍くなった隙に私は右手で掴むことに成功する。必死に暴れ逃れようとしているため、私は両手を使っておもいっきり力を入れる。ペキペキっという音がして烏の抵抗が弱くなった、おそらく羽かあばら辺りの骨が折れたのだろう。つまり、私が勝ったということだ。


「強いモノが生きて弱いモノは負けて餌になる……これはお前が弱いからこうなったんだよ。そもそも人の家に断りもなく巣なんて作るからこうなったんだ。誰が許可した? 誰か作って良いと言った? お前は何か勘違いしてなかったか? 人間の全員が全員お前らに優しいわけじゃないんだぞ? この世界で一番危険で怖くて危なくて残酷なものは人間なんだよ……見せ掛けの上っ面に騙されて、その上にあぐらをかいたその傲慢さがお前と、お前の子たちを殺したんだ。野生の癖に鈍感だね? 誰が危険で誰か安全かも分からなかったのかい? ホントにバカだね」


 嘴から血を流しながら私を呪い殺さん瞳で見つめる烏。


「さ、生まれた場所にお帰り」


 私はその死にかけの親烏の口に、生き残っていた最後の雛烏を無理矢理突っ込んで遠くに向かって放り投げた。


もう奪えるモノが無くなってしまったので多少の満足感と爽快感を胸に部屋へと戻った。戻る間際、ベランダの下にいて私を見上げていた香宗我部の坊ちゃんと、鉄板が打ち付けられ中の様子が全く見えないようになっていた202号室が目に入ったが「まぁいいか」と高揚した気分で薬を飲み布団に着く。


 なんとなく手は洗いたくなかったのでそのままだ。ただでさえ小汚い布団が更に汚くなるが気にしない。眠るまでその手をずっと見ていたかった。だから電気は消さなかった。


 それに気付いたのは本当に偶然だった。もう意識が落ちかけ、手から視線を外してふと目に入った天井に空く不自然な穴。それは極小の穴で、染みに隠れて普段なら気づかなかっただろう。その時私は御手洗医師が話していた鍛冶場の話を思い出す。熱されたハンダのように不可解が溶け結論という回路に溶接される。


 ……ああ……そうか……鍛冶場が外にでない理由は……私の監視のためか………………


 またも意識と共にその思考も結論も雲散霧消せて眠りへと落ちた−−

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