第一章:芽生え3
西域よりシルクロードと通って唐に運ばれてくる品々は数知れず、それらを運んでくる商人達の中には、東の国見たさに長い長い道のりをやってくる物好きもいた。
唐にいた殆どの西域人は、胡人と呼ばれたペルシア人であったが、中には西の西つまりフランク王国からわざわざやってくる変わり者の商人がいた。
その筆頭がフィリップ・ジェドウィックである。元々貴族だったフィリップの商人としての才能は、一流のものであったがそれ以上に溢れんばかりの好奇心の塊であった。
三十の時、彼は家族を連れてシルクロードを通って、唐に入った。
今でいういわゆる輸入の仲介人のような商売を始めたフィリップは、持ち前の商才を発揮させ、入唐して十年で唐でも随一の商人へとのし上がった。そのフィリップであったが、最近思い悩むことが多くなった。
跡取りの問題である。フィリップには、三人の息子がいて、その三人の内誰を正式な跡取りとするか決めかねているのである。
長男は唐で商人の娘のペルシア人の嫁を取り、店を一つ任せてある。
次男は唐の貴族の娘を一年前に嫁にもらい、今は実家で手伝いをさせている。
さて、問題は三男である。三男の名前は、エドワード・ジェドウィック、今年で十七になる。
『今、帰ったよ。』
陽気な母国語と共にドンドンとジェドウィック家の屋敷の門を叩いているのが、三男エドワードである。
両手をぴらぴらと振りながら、父親に寄ってくる姿など、まったく馬鹿そのものなエドワードが、なぜ跡取り候補になっているのか疑問になるところだが、フィリップは実は初め、エドワードを正式な跡取りにしようとしていた。
ジェドウィック家が入唐したて頃、まだ土地柄に慣れていなかったフィリップは、取引相手のペルシア人に騙されるという事件が起きた。
あせったフィリップは、なんとかそのペルシア人に会おうとしたが、のらりくらりとかわされしまい、失意していたところになんとエドワードがそのペルシア人の息子と友達になり、会談の場を用意してくれたのだ。
そればかりでなく、その家の事情から取引状況まで事細かに聞きだし、さっさと取られた額を取り返す算段をつけてしまった。
フィリップは仰天した。とても七つの子供に出来る芸当ではない。
フィリップはかくも商才のある息子を授かったことを心から喜び、将来はエドワードに任せてよいだろうと腹の中で密かに決めた。
しかし、成長するにつれてエドワードは商人としてジェドウィック家に関わるのを避けるようになっていった。
二人の兄に遠慮してか商人という職業に大した魅力を感じていないからか定かではないが、どちらにせよ本人にその気がないのなら、上手くいくものもいくはずないので、フィリップは跡取りについてもう一度考えなければいけなくなった。
まあ、嫌がっているならば、無理やりにでも跡継ぎに据えてしまえば本人もやらざるえなくなると思うのだが、そこは親心というものだろう、つい甘やかしてしまう。
しかし、今夜はそうもいかない。
『おかえり、エドワード。遅かったじゃないか。今日は、大事なお得意様を家族揃って迎えるから早く帰ってこいと言ってあっただろう。』
フィリップは、家でも唐語を使っている。
元々は、子供達を早く唐語に慣れさせるためだったが、今では使用人にもいるため唐語を使わざる得なくなっているからであった。
『悪かったよ、父さん。でも、今日は迷子を送ってきたから遅くなったんだぜ。』
エドワードは、いつになく厳しい物言いをする父親に少し驚きながら、言い訳をした。もちろん、烈天に寄ったことは秘密である。
『嘘を言え。さっき、麗杏がお前が烈天に入っていくのを見たと言っていたぞ。』
『げ、ばれた?』
エドワードは、おっかないという様子で首をすくめた。
忘れていた。あそこは麗杏のお気に入りの雑貨屋のすぐそばだ。
麗杏は、ジェドウィック家の使用人の一人で、自他共に認める雑貨好きであり、仕事が終わると雑貨屋を回るのが日課になっている。
年が近いため、エドワードとは結構仲がいいのだが、口が軽いのが難点である。
『エドワード。もう烈天には行くなと言ってあっただろうが。あんな気違いみたいな老人と仲がいいなんて、お前まで気が違ったと思われるぞ。』
『だから、それは誤解だって言っただろう。楊じいは気違いなんかじゃないよ。父さん、あの人は発明の天才だよ。今日だって・・。』
そう言いかけたエドワードをフィリップが制した。
『もう、やめてくれ。シモンが蔡家と縁談を結んだことでせっかく唐での地位も上がったのだ。あまり、奇行をとらないでくれ。』
そう言ってこめかみを押さえた父を見て、エドワードはしぶしぶ黙った。
赤や黄色の色鮮やかな提灯が連なっている間を縫うように、背の高い少女が走っている。
粗末だが、清潔感のある着物を身に着け、髪は頭の上すっきりとおだんごに結いあげられている様子から、少女が良家の侍女か大商人の使用人であることがうかがわれる。
年は十六、七くらいで、顔は少々つり目ぎみなのできつい印象を受けるが、器量よしの部類には 入るだろう。
少女は、両手に青梗菜をどっさり抱え、夜の大路を急いでいた。
彼女の名前は、麗杏。今日は世話になっている主人の家に大勢の客人を迎えており、材料が足らなくなってしまったので、急きょ麗杏が使いに出されることになったのである。
顔に似合わず、妖の類の話が苦手な麗杏は、人通りの少ない大路に入ると、足を速めた。
小さな寺の前を通り過ぎようとした時のことである、どこからともなく鈴の音が聞こえるではないか。
チリンチリンと規則的に鳴る鈴の音は、どうやら寺の中から響いてくる。
初めは気味悪く思い、さっさと通り過ぎようとしたが、その音色がどうにも悲しくて気になってしまい、とうとう寺に踏み込んでしまった。
そろりそろりと鈴の音が、聞こえてくる中庭の方へ回ると、そっと柱の陰から庭を覘きこんだ。
その途端、目の前に現れた幻想的な世界に麗杏は、息をのんだ。
一つない空に高く昇った月の下、一人の少女が、舞っていた。
いや、少女ではない。少年である。
鈴は少年の手首と足首につけられており、少年が揺れるたび、それに合わせて鳴っている。見たこともない舞であった。
唐のものとも西域のものとも違った。
繊細で優雅でそしてなんともいえない切ない舞であった。
取り巻くように吹きつける風はまるで少年の舞に合わせるかのようで、彼もまた自然の一つであるかのようだった。
月も風も空もすべて少年のためにあるかのようだった。
うっとりと見入っていた麗杏は、手から青梗菜が落ちるのに気が付かなかった。
気づいた時には、すでに遅く、青梗菜が音立てて、砂利の上に落ちてしまった後だった。
『そこにいるのは、誰?』
舞っていた少年は、はっと体を硬くして、声を上げた。
異国人特有の発音が、少年が異国からやってきたことを示していた。
『ごめんなさい。ちょっと通りがかって。』
麗杏は、落ちた青梗菜を慌てて拾いあげると、申し訳なさそうに柱の陰から出てきた。
『素敵な舞ね。』
驚いている少年に近づくと、麗杏は素直に感想を述べた。
近くで見ると、なるほど美しい少年である。
すっきりと整った目鼻立ちはどこか中性的で、大きすぎる僧衣に覆われた華奢な体は少女を思わせた。
年は、麗杏より三つくらい年下だろうか。
麗杏と同じ漆黒の髪は、麗杏より艶やかだが、肩の辺りでばっさりと切られ、首の後ろで結ってある。
『あ、ありがとう。』
わりと人懐っこい性格なのか、少年は麗杏の姿を確認すると、うれしそうに笑った。
あまりに可愛らしい笑顔だったので、麗杏もつられて微笑んでしまった。
笑うと、まるで幼い少女のようである。
『あなた、唐の人ではないでしょう。どこから来たの?』麗杏は、なんとなくうれしくなって尋ねた。
『倭国という国からだよ。四日前に長安に着いたの。』
『倭国って東にある国だったかしら。さっきの舞は倭国のもの?』
『えっと、倭国で踊っていたものだけど、ほとんどわたくしの自己流だよ。』
『ええ!すごいのね。』
麗杏は感嘆の声を上げた。こんな小さな少年が、あんなに美しい舞を考えたなんて驚きだ。
『そんなことないよ。気分に任せて舞っているだけ。』
少年は、白い頬を赤らめた。その様子も可愛らしくて、麗杏はますます少年を気に入ってしまった。
『ねえ、またここにあなたの舞を見に来てもいい?わたし、あなたとお友達になりたいわ。』
麗杏は、少年の白い手をとって言った。
『もちろん。それに、もう友達だよ。』
少年は、心からうれしそうに微笑むと、麗杏の手を握り返した。
『そうだ。あなたの名前は?わたしは麗杏というの。』
『わたくし?わたくしは、千太。』
月の光に照らされた少年の笑顔は、一輪の花のようだった。