③居場所をさがして
「あら、由紀ちゃん、今日は帰ってくるの遅かったじゃないの。遊んできたの? 友達ができたの? ねえ由紀ちゃん」
何言ってるんですか、お母さん。
友達ならたくさんいますよ。私の中の世界にはたくさん友達がいるんですよ。
まあ、確かに現実社会と言うところには友達らしきものは皆無ですがね、ええ。
「ねえ、由紀ちゃん友達できたら、ちゃんとお母さんに紹介するのよ。おねえちゃんだってそうしていたでしょ? あとね、お姉ちゃんは家に帰ったらちゃんとただいまって言っていたのよ。だから由紀ちゃんもね、ちゃんと言うのよ」
私がただいま言ったって私は姉ではないし、私が友達紹介したって姉ではないし、とりあえず姉ではないし、なんでもないし。
とりあえず私は自分の世界に閉じこもりたいんですよ、母よ。もう邪魔しないでください。
後、今日はと言うか最近色々吐きそうなので夕食はいらないみたいです。吐きそうなんで、吐きそうなんで。
「ねえ、由紀ちゃん、もう部屋に戻るの? 夕食は? ねえ! どうしてあなたは真由美ちゃんみたいにできないの!」
その答えは簡単なことだよ、母よ。私は姉じゃないからだよ。
何でわからないかな、明らかに姉じゃないし、姉は死んだし。
そうだよ、居場所がほにゃららっていいながら死んでいったよ。知ってるでしょ? 居場所がほにゃららなんですよ。
「ちょっと何、ほにゃららって何? 由紀ちゃん、何言っているの? ねえ! もうやめてよ、本当にあなたは気持ちの悪い子ね」
気持ち悪い子ですが、何か問題でも? そりゃあ、人間さまから見たら私なんて気持ちが悪いですよ、ええ、そりゃあ、もう気持ち悪いでしょうよ。
しかしこちらからしますと、あなた方人間のほうが気持ち悪いわけですよ。
母よ、あなたは気持ち悪いよ、どうしてそんなに弱いのでしょうか。
もっと力強くなって救ってくださいよ、姉やら私を救ってくださいよ。
私らは天使になれても救世主にはなれないんですよ。勘弁してくださいよ。
ああああ、もう駄目だわ、早く部屋にこもって自分の世界に戻らなければ、引きこらなければ、もうやばいわ。
早く、戻らなきゃ、戻らなきゃ。
バタンと閉めた扉の向こうから、啜り泣きが聞えるのは気のせい気のせい。
だから無視すればいいよ、私は無視すればいいよ、そんなものにかまってないで早く世界に飛び立とうよ、思い切り飛び立とうよ、空想の世界へ。フリーダーム。
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居場所はどこにあるのっかな。あるのっかな。何処にもないよ、どこにもない。って意味もなくそんな歌詞を心の中でつけつつ鼻歌を歌っているからと言って、格別上機嫌と言うわけではない私は、今ひとたびあの人間の家にしのびこもうとしているわけです。
あの無残は敗北から一週間は立っています。さすがに一週間、あの家に会えないのは悲しすぎた訳です。
あれですね、恋ですね、私はあのボロ家に恋しました、ときめきました。
一週間あえないなんて耐えられないぐらいの切ないこの思い。
会えなくて震える、つまり中毒症状というわけなのです。
いまこそこの思いを届けにいくわけです。
あの家に行くと言うことはつまり人間と会わなくてはいけないと言うことですが、仕方ありません、恋する女は強いのでそれくらい余裕なのです。
私の突然の訪問に動じる訳もなく人間はにやりと笑って、「やっぱり、また見にきたのね。いいわよ、あがって」と言いました。
何がそんなにおかしいのやら。なぜにやにやするのだろうか。
と言うか「やっぱり」と言うことは私がこうして再びこの家に会いに来るだろうことがばれていたのだろうか、さすが人間、恐ろしや。
多少、そんな人間に警戒しつつも遠慮なくこのボロ家にあがりこんでみるとやはり、素敵な家のたたずまいにボーっとなってしまう訳です。あんたは最高だよ、ダーリン。
「アルバム見に来たんでしょ? 今もって来るから」
いやあ、あの天井の染みみたいなのが美しいですなぁ。好きです。この世で一番か2番か10番ぐらいに好きです、そりゃあもう。
「持ってきたわよ、一緒に見ましょう」
白いアルバム、その中の写真。
やぁめぇてぇください。いやがらせはやめてぇ。
なんですか、あなたはなんですか。この写真を私に見せて私をどうしようというのですか。
なにを思い出させる気なんですか。そうなんですか、それで苦しめばいいと思っているんですか。
居場所についてもっと真剣に考えろっていっているんですか、だから血を見せるんですね。切れた手首を見せるんですね。
「ほら。見て、これが一番ぱっくりきれいに切れた時の写真」
ああ、あ。ああ。
姉の白い手首から真っ赤な血が滴り落ちていた。
「ねえ、由紀ちゃん、私はね、居場所が欲しかったの」
そういいながら、私の目の前でどんどん顔の色をなくしていく姉を見ながら、この人はなんて残酷な人なのだろうと思った。
何であえて私の目の前でそんなことをするのだろう、本当にひどい姉だ。
なんてひどい姉なんだ。なんでそんな気味の悪い笑顔を見せてくるんだ。やめてやめて。
「見つからなくて、自分の体を傷つけることで、どうにか居場所の蜃気楼みたいなものを見つけ出していたけれど」
手首にあるたくさんの昔の傷跡を何でそんな満足そうな顔でなでているのでしょう。
なでればなでるほど、ぱっくり切れている傷口から血がドバドバ流れてきていますよ。なんでそんな満足そうな顔をしているのでしょう。
閉じて閉じて、白いアルバム閉じて、思い出閉じて、記憶を閉じて。
勘弁してください。
ちゃんと考えるから、そうやって無理やりな形は勘弁してください。
ちゃんと居場所は見つけてみせるから、こういうのはやめてください。
ていうかこの目の前の人間はなんて顔をしてこのアルバムを見ているのか。
姉みたいな顔しやがって、満足そうに手首を切って。
そういえば姉が手首を切るのは死ぬ時のあの日だけじゃなかったよなぁ、それ以前から毎日切ってたなぁ、手首は傷だらけだったな。
この目の前の人間みたいに。そいえばこいつに居場所はあるのか、こいつなら居場所を知っているのか、なんか姉に似ているし、そこはかとなく似ているし。
「自分でもよく分からないけれど、止められないのよね。分かってるのよ、変なことしてるって、いけないことしてるってね。でも、止まらないのよ。すごくストレスたまっちゃうと、こうして傷つけて血を見ないとすっきりしないのよ。私はこうやって傷を作っていかないと生きていけないのよ。あなたもそうなんでしょ?」
違いますよ。私は痛いのはいやですよ。血は嫌いですよ。
「わかるわ。すごく気持ちいいものね。血が流れていくとなんとも言えないいい気分で酔えるのよね。一種のエクスタシーって奴ね。ほらなんだっけ? 有名な小説家が言ってた漠然とした不安? とかなんとかが全て吹き飛んでいく感じがするのよね」
はあ、そうですか。漠然とした不安とか何とかですか。そんで居場所とか、居場所とかはあるんですか? あなたは居場所を見つけたんですか?
「居場所? そんなんないわよ。私はね、居場所がないの、だから自傷行為で逃げているのよ。居場所がないからね。休めるところを知らないの」
ほーなるほど、だから姉は自分に手首を切っていたのか。
あれは逃げていたのか、そうなのか。手首切るとどうして逃げることになるのかが、さっぱりでございますが、ああ、なるほどね。
「なんか話したらすっきりしたわ、じゃあね」
いつの間にか私は素敵ボロ家の外にいて、人間に手を振られていますよ。
さよならですかそうですか。なんかあんまボロ家ダーリンとまったりできなかったよ、口惜しい。