②机好き、そして友達の家
姉の言っていた居場所の意味が分からないまま私は夏休みをおえて新学期が始まった。
新学期の朝、私は祠の前でいつものように、昨日の夕食と今日の朝に残した食べ物をお供えした。
この場所は、よく姉と一緒に遊びに来ていた場所だった。この祠の少し向こうに、洞穴があるのだ。聡明な姉はこれを見て、もしかしたら昔戦争中に防空壕として使っていたのかもしれない、と言っていた。姉がそういうならきっとそうなのだろう。しばらくこの洞穴は私と姉との遊び場になった。
いい思いでもあったが、その分悪い思い出がひしめき合っている家の中とは違い、この洞穴の中では私と姉が二人で遊んだ楽しい記憶しかなかった。あの頃の私にとって、ここは、何処よりも私をわくわくさせて、安定させた場所だった。
けれど、今となっては、姉のいない今となっては、この洞穴に入ることはもうできない。一人で入るには、その洞穴は暗すぎて、冷たすぎで、静か過ぎた。
そんな祠を後にして私は現代社会の魔の巣窟、学校へ行くためにチャリにまたがった。
確かに学校にはたくさんの魔物めいたものがいっぱいあって、行きづらい場所ではあるが、学校は意外にも私のお気に入りの場所だった。
なぜなら私は学校の机が異常に好きだったからだ。むしろ愛していた。あのなんだかいろんなものが染みこんでいそうなところがすごい好きだった。おでんみたいで好きだった。
でもおでんは大して好きな料理ではなかったが、でも机のいろんなものが染込んでいる感じがおでんみたいで好きだった。
汚い机であればあるほどそれは私を虜にした。ときにはこの机となら結婚してもいいとすら思えるほどの素敵机と出会えることもあった。
そういうわけで友達のいない私にとっても学校は出会いの場所。
学校では机にだけ会えればいいのに、机とだけスキンシップが取れればいいのに、そう思っていたけれど、人間と言うのはどうやら私の邪魔をするのが楽しいらしく、ことごとく私が机と戯れているところを訪ねては、二人の時間に割り込んだ。
まったく人間と言うもんはホントメンドクサイわ。メンドイメンドイメンドリ。とかぶつぶつ思っている時も必ず人間はやってきて、バカみたいに語って、アホみたいに手を振って自分の席に戻っていく。
もう、我慢の限界だ。と言う言葉を心の中で100回ぐらい呟いたあたりで、人間が今日うちに来ない? と誘ってきた。
ははあ、挑戦状ですか。挑戦状ですね。私は素直に頷いてその挑戦にこたえた。今日こそ、ガツンと人間に言ってやる。ガツンといってやる。
そんなこんなで授業を終えて、下校の途中で私は人間のボロッボロの家に着いたわけです。
いまどき珍しいボロボロぶりを発揮しているその家の中もやはり古い感じで、汚い感じで、あれな訳です。メッチャ好みな訳です。
私はこの家大好きで、匂いとか色とか染みこみ具合とか最高なわけでもうメロメロな訳で自分の世界に引きこもらずにいられなくなったんです。自分の世界にこのボロボロな家を取り込むのです。
しかしね、なんといってもここは人間の住処ですから、あれです。当然妨害が入る訳です。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ話しかけて私の試みを阻もうとしています。うるさいうるさい。
「あなたは私と似ていると思ったの。同じ匂いがするって言うの? だからあなたにこれを見せるのはあなたが特別な証拠なのよ」
とかって無駄に得意げに人間は私に言ってきました。別に特別じゃなくていいです。無視してください、かまわないでください。って何度言えばわかるのかなぁ。
まあ、口にしてないから分からないのか。でも人間って時々口にしてなくてもなぜか思っていることが分かる時ってあるじゃん。今こそその不思議な力を使って私が思っていることを察して欲しいよ、人間。
とかって私が思っている間にも人間は私の思いに気付くこともなく、何かアルバムみたいな物を引っ張り出して私の目の前に示しました。
まあ、人間のぼやぼやした顔を見るよりは物を見たほうが見やすいし落ち着くので、素直にアルバムの中を覗いた訳だけど、もうビックリして吐きそうになったよね。
だって、アルバムの中に張られている写真は全部、あれなんです。手首とかをきった写真なんです。生々しい血が手首にはいつくばって、肉が切れて、涙を流すように血が傷口から、すっと、一筋流れ出……。
姉の白い手首から真っ赤な血が滴り落ちていた。
「ねえ、由紀ちゃん、私はね、居場所が欲しかったの」
そういいながら、私の目の前でどんどん顔の色をなくしていく姉を見ながら、この人はなんて残酷な人なのだろうと思った。何であえて私の目の前でそんなことをするのだろう、本当にひどい姉だ。なんてひどい姉なんだ。なんでそんな気味の悪い笑顔を見せてくるんだ。やめてやめて。
やめてやめて、思い出しちゃう思い出しちゃう。ストップストップ私の記憶よストップ。
危ない、このアルバムは危ない。私はこんな物を見るよりは人間の顔を見るほうがましだと思い直して、そいつの顔をじろりと見てやりました。
おかっぱ頭にメガネで不健康そうな青白い顔をしたメスの人間が、それはもう気持ちの悪い顔をニヤニヤさせて私を見ているではありませんか。気持ち悪さで吐かせるきですか、最近の世の中は全て私を吐かせるために回っているようにしか思えない今日この頃ですよ。
「ほらね、あなたなら気に入ると思ったのよ。あなたなら私を分かってくれると思ったのよ」
いやいや、分かりませんよ。なんですか、その意見は。妄想ですか? 勘弁してくださいよ、人間のことなんてわかるわけないじゃないですか、勘弁してくださいよ。
そんなこんなで私は脱兎のごとくこの素敵ボロ家から逃げ帰った訳です。
完敗です。ガツンのガの字も言えないままの帰省です。ああ、悔しいのなんの。