①よく出来た姉が死んだようです
私が10歳の時に姉が目の前で自殺をしてから、いろいろなことが変わっていったように感じた。
よく分からないけれど、とりあえず姉に続いて母も死にそうだった。
運動神経もよくて、頭もよくて、器量良しな姉は母の唯一の自慢で、アルコール依存症の父から開放できる希望みたいなものだったから、そんな姉をなくして母は今にも死にそうなぐらい首をうなだれていた。
そんな母を忌々しそうに見ていた父はやはりお酒で顔を真っ赤にしていた。
父のこの顔色だけは姉が死ぬ前から変わらない。
学校で私はまるで壊れ物のように扱われるようになった。
いや、もともとみんなの私への態度はよそよそしいものであったけれど、それがもっと、こう、博物館に展示されているよく分からない物を扱うような感じになったのだ。
学校の人たちは今までほとんど無視してくれていたのに、家族を亡くした私に好奇心を顔に貼り付けて話しかけるようになった。
ちらほら見える偽善ぶりが気持ち悪くて吐きそうになるのを必死でこらえていた。
「クラスの子たちと仲良くしてる?」
という担任の先生のおせっかいな言葉に「ええ、大丈夫です」とかなんとか適当に答えることが合計133回に達したところで私は無事に中学生になった。
その間、姉の死から立ちなおり始めた母が、姉の代わりに今度は私を自分の救世主に仕立て上げようとしていたので、私は0点のテストとか、へったクソな絵とか友達がいない事実とかをさりげなく母に突きつけていた。
それでも無駄に母が私に関心を寄せてくるので、食事を残すことが困難になった。
なにかすこしでも食べ物を残すと「どうして残すの? 調子が悪いの?」という鬱陶しい質問が何度も母の口から発せられるからだ。
だから私は残した食べ物をこっそりポケットに入れると、学校へ行く通り道にある祠にお供えしていた。
母にくどくどいわれることはなくなるし、なんか祠にお供えしてればいいこと起きるような気がするしで、自分的に名案だと思っていた。だけどポケットが生臭くなるのは唯一の難点だった。
中学生になって制服を着てみるとスカートだし動きづらくていやだな、とか愚痴ってみたけれど、そういえば私はあまり動かないほうだからたいして問題はないなと思い直して、特に制服に不満はなくなった。
けれど母はなにやらこの制服がすごくいやなようで制服を見るたびに眉を寄せて世界を恨んでいるような顔をした。
そういえば姉はこの制服を着て死んでいったのだ。どうせ死ぬならお気に入りの白いワンピースでもきてればよかったのにな、と思った。
これから通う中学は、私がもともと通っていた小学校と近くにある別の小学校の人たちと合体するかたちになる。それがなんともめんどくさいのだ。
なぜって私のことを良く知らない生徒は気安く私に話しかけてくる。
私は全然みんなみたいに友達とかを欲しがっているわけではないんですよ、と沈黙のまま教え込むにはなかなか時間もかかるのだ。
しかし必ず親切な人がいるもので、私のかわりに、「あの子はそういう子じゃないから」と、私を知らない人に教えてくれたりする。本当にありがたいことです。
「クラスの子たちと仲良くしてる?」
という担任の先生の言葉を中学生になって始めて聞いたところでやっと1学期が終わった。
いやあ、もう、ほんとあっついなぁ、とい季節に対する文句を55回ぐらい言ったところで私はふと、居場所が気になって仕方なくなってきた。
『ねえ、由紀ちゃん、私はね、居場所が欲しかったの』
と言ったのは姉だった。
「由紀ちゃん」と、姉が呼ぶときだけ私は自分の由紀という名前が好きになれた。
姉が言うとなぜか全てのものが透明になってキラキラ光りだすような錯覚がした。
居場所ね、居場所、い、ば、しょ~って意味もなく連呼してみたがそんなんでよく分かるはずもなく、とりあえず広辞苑あたりを引いてみるかと、さっきまでパタパタと活躍していたうちわを下において、姉の本棚から広辞苑を取り出すために立ち上がった。
姉の本棚とか、机とかはそのままの形で残されている。このままにしていればひょっこり姉が帰ってくるんじゃないかと母が妄想しているのだ。
広辞苑で居場所と言う単語を調べると、「いるところ。いどころ」というなんともアバウトな回答がかえってきて、少々面食らった。
姉はいるところが欲しかったのか? ちゃんと自分の部屋を持っていたのになぁ、しかも死んだ今もなおその場所は残されているのになぁ、きっと母は私が死んでも私の部屋をそのまま残すことはしないで、姉の記念館みたいなのに作り変えるような気がするなぁ、とか考えていたらいつの間にか外は真っ暗で、電気をつけずに部屋に居座る根暗な私が完成していた。
まあ、いいや、今日は居場所がなんだか分からなかったけど、今日はいいや。
明日分かればいいや。
ってぶつくさこぼしてその日は大人しく自分の世界に閉じこもって遊ぶことにした。
やっぱ、自分の世界は最高だわ。キラキラしてて、ふわふわしてて、もう、最高だわ。思わず頬の筋肉緩んじゃうわ。
って陶酔しきっていたところで、何かゴミみたいなのが私の気を引こうと外界から声をかけてきやがった。
人間か? 人間だとしても言葉が全然理解できないので異星人かな。
自分の世界に没頭しながらも頭の隅っこでそんなことを考えていたら、調子にのったそのゴミみたいな生き物が生意気にも私の頭を殴った。
ガンと叩かれて、もうしょうがないから外界に視線を合わせてやろうと、一生懸命目をくりくり動かして徐々にピントを合わせると、なんてことはない、私の目の前にいたのはたこだ。真っ赤なたこだ。
真っ赤なたこが私の首にその触手を撒きつけてなんかいってる。ぶっちゃけ日本語以外は全然分からないもんだから、とりあえずそのたこが言った言葉を繰り返してみた。
「サケカッテコイ」
意味もなく同じ言葉を言ってみた私が気に食わなかったのか、たこはまた私の頭を殴りつけてきやがった。
たことコミュニケーションを取ってやろうという寛大な私に対してなんて無礼なことをするんだ。
なんて乱暴なたこだ。こんなたこ初めてだ。憤慨だ。
とか思っていたら、またなんかよくわからない言語で怒鳴り散らして目の前から去っていった。
あたりには酒の匂いが充満していた。
あのたこめ、たこのくせに酒なんか飲みやがるのか、このたこめ。
と、たこが去っていったほうをみながら言った。