浜辺の少年
日本海に面した小さな村。
少年は海が大好きだった。遊び場はいつも海だった。
砂浜はどこから流れ着いたのかも分からないゴミで溢れていた。そのゴミこそが少年の遊び道具だった。漢字しか書かれていない何かの容器や、ハングル文字が刻まれた板切。
汚い。
殆どは少年の興味をそそらない、ただのゴミだった。
しかし、時として少年の興味を引く、ゴミではない何かを見つけることがあった。
汚れたボール。
滑らかに風化した発泡スチロール。
乾いた流木。
少年にとっては宝物だった。
特に気に入ったものは家へ持ち帰り、大切に保管した。
少年の家族は浜辺で遊ぶことを禁じていた。年端も行かない少年のことを想えば当然のルールだろう。
それ故に少年は一人で浜辺へと遊びへ行くこととなった。
誰にも知られては行けないのだと思っていた。
小さな村は観光地ではない。人気は全くと言っていいほど無かった。特に冬場は人っ子一人いないと言っても差し支えないほどだった。
ただ少年がいるだけだった。
その日は違った。
一人の、二十歳前後と思われる女が一人、ベージュのロングコートに身を包み佇んでいた。その姿は寒さに震えている様だった。日本海の冬を侮っていたのだろう。コートはそれほど厚い生地ではない。寒さに震えている様ではなく、寒さに震えていたのだろう。それとも他に原因があったのかもしれない。
少年は冬の海が特に好きだった。人に見つかる心配は無いし、荒れた日本海はいつもより多くの宝物を運んでくる。もちろんゴミも運んでくる。しかし一番少年が気に入っていたのはその力強さだった。少年など一たまりもない。浜辺に打ち寄せるゴミと変わりない。激しく打ち付け、全てを攫う。生き物。
その生き物が少年に宝物を与えてくれる。恐怖と優越が少年を虜にしていた。
少年はその日もこっそりと浜辺で遊んでいた。
誰にも見つからないと思い。足下のばかり見ていた。
「何をしているの?」
心臓がコンマ一秒止まり、緩やかに脈打ち始める。
「何か探し物?」一人の女が前屈みになり、少年の目を見つめていた。
言葉も緩やかに脈打ち始める。
「お姉さん、何してるの?」女の目を仰ぎ見て少年は質問を無視した。心臓と言葉とは違い、思考は停止していた。
「わたし?わたしは海を見に来たの」少年の目から海へと瞳は移動した。
「お姉さん、海が好きなんだね」少年は女の横顔にそう声をかけた。
言葉は返ってこないかのように思われた。
「お家へ帰りなさい。風邪を引くわ」女は相変わらず海を見つめている。
「僕が一人でここにいたこと内緒にしてくれる?」
「もちろん。誰にも言わないわ」女はようやく少年の方を見た。その瞳には冷たいよな優しいような静けさがあった。
女が死のうとしていると言うことは幼い少年にも何となく、理解できた。
死のうとする理由は理解できなかった。
「僕もお姉さんがここにいたことは黙ってるよ」
「駄目よ」優しさはなかった。冷たい瞳と声だった。「これを預かってくれない」女は封筒を少年に手渡した。
「何これ?」
「家に帰ったら親御さんにこれを渡してちょうだい」もう少年を見ていない。「お願いね」女は初めて微笑んだ。
「…わかった」幼い少年は断る方法を知らなかった。
「それじゃあね」一方的な別れだった。
「これあげる」最後の抵抗だった。浜辺で見つけた滑らかに削られた茶色のガラスの破片を差し出した。
「ありがとう」女はそのガラスを、微笑みながら受け取った。少年にとって女が嬉しさから見せた笑顔は初めてだった。
「じゃあね」罪悪感がかえって少年を明るく振舞わせた。
「うん」それだけだった。
振り返らずに家へ向かった。
日は沈み、赤から黒へ空は変わり初めている。
家では母親が晩ご飯の支度をしていた。台所に立つ母親に少年は、女から預かった封筒を渡した。
「なぁにこれ?」母親はコンロの火を止めてから少年の差し出した封筒を受け取った。
「お母さんに渡してって」浜辺に行ったことは知られたくなかった。
母親は暫く黙ったまま封筒の中身の手紙を読んでいた。
少年にはその母親の姿から目をそらしてはいけにないように思えた。
母親の目から海が溢れた。
翌日、浜辺に男女の死体が打ち上げられた。
女は妊娠していた。
男は上半身と下半身が皮一枚で繋がった状態で発見された。
少年はいつものようにゴミの中から宝物を探している。