17‐3
もはや毎朝恒例のローヴの顔面枕たたきによってラウダは目を覚ます。
昨日真っ先に眠っていたというのに朝食の席でも目をしょぼしょぼさせていた。
食事を終えた後、荷物をまとめる際にガレシアが小言を漏らした。
「部屋がなかったとはいえ、次泊まるときは勘弁願いたいねえ」
「次は馬小屋だったりしてな」
アクティーはばさっと音を立ててコートを羽織る。
それも勘弁だと首を振るガレシアの横で、オルディナがぱっと顔を輝かせた。
「お馬さんと一緒に眠れるんですか? 素敵です!」
「……そこは喜ぶところじゃない」
馬小屋がどういうところなのか分かっているのかいないのか。恐らく家で飼うペットのような感覚であろう彼女に、敷布と毛布をたたみ終えたイブネスがぼそりとツッコんだ。
きょとんと小首を傾げる彼女を連れ、一行は宿の受付へと向かう。受付では小屋へ案内した男性が立っていた。
ガレシアの小言を知っているはずはないのだが、一行が何かを言うよりも先に彼は、宿代は安くしておくと言い、いくらか負けてくれた。
「あんたら、山の魔物に挑む気なんだろ?」
「どうしてそれを?」
もしかして例の女性が言ったのだろうかと思ったが、理由は至極簡単だった。
ここに泊まる人間は山を登る人間か、山から下りてきた人間だが、山道が塞がれている今、泊っているのは山を登りたいが足止めされている者ばかりだ。そんな中、足止めされているのにもかかわらず宿を引き払うのは大抵が魔物に挑まんとする人間ばかりだという。
「王都に引き返す人はいないの?」
ラウダがそう尋ねるも、男性は首を横に振った。
魔物が現れてから引き返した旅人は全くいないとのこと。血気盛んな旅人たちは戻るということを知らないようだ。
商人たちも、用もないのにわざわざ王都入りするつもりはないらしく、ここで連泊して日々を過ごしているという。
「あんたらがここへ戻ってこないことを祈るよ」
そう言う男性に向けて、ノーウィンは笑顔を返した。
「心配しなくても戻ってくるつもりはないさ」
宿を出ると、小さなリュックを肩にかけた銀髪の女性――ネヴィアが立っていた。
彼女はじっと山を見つめていたが、一行に気づくとこちらへと向き直った。
「すまん、待たせたか?」
いつから立っていたのかは分からないが、ノーウィンがそう問うと女性は首を横に振った。
直後、じっとノーウィンの顔を見つめる。
「ええっと……顔に何かついてるか?」
不思議に思い首を傾げるも、ネヴィアはまたしても首を横に振る。
「……赤い髪というのは珍しいと思ってな」
珍しいと言われ、ノーウィンは思わず自分の髪をつまんで見た。
確かにこの世界で赤髪というのは珍しい部類だ。しかしそのことをあまり言及されたことがないため、珍しいと言われること自体が珍しかった。
「俺からすれば銀髪っていうのも珍しいと思う」
そう言われ、ネヴィアは下を向き、後ろでひと塊だけ結んでいる髪にそっと触れた。
「……私は、あまり好きではない」
どことなく表情が暗い。
何がどう好きでないのかは分からないが、ノーウィンは思ったことをそのまま口にした。
「そうなのか? 綺麗な髪だと思うけどな」
ノーウィンにそう言われた瞬間、ネヴィアは目を丸くすると、顔を上げ、彼の顔を見つめた。
何に驚いたのかよく分からず、ノーウィンは怪訝な顔をする。
「あ、いや……なんでも、ない」
それに気づくと、彼女は目を背けた。
一行を見やる時にはすでに、昨日と同じ無表情だった。
「そろそろ出発しようと思うのだが、問題ないだろうか?」
「あ、ああ」
結局何だったのかよく分からないままノーウィンが承諾すると、彼女はさっさと歩きだしてしまった。
「変わった人、だね」
彼女を目で追うノーウィンの隣に立つと、ラウダもまた彼女を見つめる。
ああとだけ短く答えると、彼らもまた続いて歩き出した。
* * *
山道に入ると日の光は遮られ、内部に設置されたカンテラの灯が目に入る。
山と言っても道中はずっと洞窟。てっきりもっと薄暗く、地は歩きにくいものかと思ったが、全くそんなことはなかった。
カンテラはかなりの数があちこちにつるされており、何人もの人が踏みしめた地面には木製の柵や足場が設置されているため、よほどのことがなければ道を踏み外したり迷ったりすることはないだろう。
かなり人の手が入っている内部には、すっと鼻を通り抜ける清々しいハーブのような匂いが広がっている。
「これ、何の匂い?」
ラウダは大きく深呼吸して辺りの空気を吸い込む。
「ああ、あれだな」
歩きながらノーウィンが指差した先には、地面から生えた一本の植物。
ぴんと伸びた茎は1メートルほどあるだろうか。途中何股にも分かれた先にはオレンジのラッパ型をした花がいくつも咲いていた。
「カゼノネユリって言ってな。このグラッティオス山だけに咲く花なんだ」
ラウダの方を向き、ノーウィンが説明する。
「ラッパ型の花が山に吹く風の音を奏でるってことからそんな名前が付いたんだと」
山の中を通り抜ける風が花を揺らす。
ゆらゆらと揺れる花からは、なるほど確かに音が鳴りそうだ。
「この匂いは魔物除けになるんだ」
ラウダとローヴは思わず顔を見合わせる。
それから上下左右前後と周囲を見渡すが、言われてみれば確かに魔物の気配がない。
「昔はこれを持ち帰って育てようとする人間もいたみたいだが、どうやらこの花はここでしか育たないらしくてな」
本体を持ち歩くことはかなわなかったが、この花の香りを魔法で閉じ込めて販売している店もあるという。その商品は一定時間内ではあるが、この場所と同じく魔物除けの効果を持つ。
「ただし、商品化していいのは特許を持った商人だけだ。ここにしか咲かないってことは逆にここのを全部狩り取っちまうと絶滅しちまうわけだからな」
アクティーの補足によると、この手の植物は絶滅保護として協会が管理しているとのことだ。勝手に取っていくのは犯罪に当たる。
入ってすぐの所に『無断採取厳禁!』と大きく書かれた看板があったのはそういうことだったらしい。
「ちなみに乾燥させた実から作る煎剤を、湿布にすると冷えに効果的。飲むと下痢止めになりますよ」
後方を両手に杖を持ち歩くオルディナが説明した。
「昔この山を登る方々は、そうして体を温めながら登られたようですね」
意外な知識に驚き、一行はにこやかに笑う彼女を見やる。
「……オルディナは様々な療法を心得ている。ハーブの知識に関しては特に」
イブネスがそう説明すると、オルディナは照れながらそんなことないですと謙遜した。
ちなみにその煎剤も特許を持った医者だけが取り扱えるらしく、これまた協会に申請しなければならないという。
「ふむ。知識が豊富な人間がそろっているのだな」
先導するネヴィアが盛り上がっている一行をしげしげと見やる。
「こんなことを聞くのもあれだが……一体どういう集まりなのだ?」
そう尋ねられて、一行は思わず顔を見合わせる。
“勇者とその一行”と言ってしまえば簡単だが。うかつに勇者などと名乗って厄介事に巻き込まれるのはもうごめんだ。
かと言って8人もの人間が趣味で集まっているとは思えない。なにせ中にはシルジオのコートを着ている人間までいるのだ。この人物がいなければ傭兵団として名乗ることもできたかもしれない。
一行が考えあぐねていると、ネヴィアが非を詫びた。
「すまない。余計な詮索をすべきではなかったな」
人にはそれぞれ事情があるものだと思ったのだろう。彼女はそれ以上言及しなかった。
しかしそれ以降一行の間に沈黙が流れてしまう。
「あの……ネヴィアさんはずっと1人で旅を?」
そんな重々しさに耐えかねたのか、ローヴが逆に問うてみる。
「ああ。ずっと1人だな」
ネヴィアはなんてことはないとでも言いたげに淡々と答えた。
「寂しく、ないですか?」
1人旅と言うと一見気楽なイメージがあるものの、これまでこの世界を旅し、魔物と戦ったり宿に泊まったり町を見て回ったりしたローヴにとっては、ラウダはもちろん、ノーウィンやセルファ、他の仲間たちといて安心することが多かった。
それを全て1人でするということは、楽しさはもちろん、悲しいことや辛いことをその都度共感できる相手がいないということだ。
「そう思ったことはないな」
しかし対するネヴィアは首を横に振り、あっさりと返した。
それがなんだか気恥ずかしく。ローヴは顔を赤くし、うつむいた。
「ええと、傭兵ではないんですよね?」
そんな彼女の隣でラウダが尋ねてみる。
1人旅で腕も立ちそうだが、山を越えてカルカラへと芝居を見に行く風にも見えない。
「金に困ったときには仕事を請けるが、根は旅人だな」
ふうんとだけ答えるラウダを、彼女はじっと見つめる。
少年が何だか納得していないような気がして。
「さっきから何が聞きたいんだ?」
ネヴィアにそう問いを投げかけられ、ラウダはぎくりとする。
先ほど彼女が余計な詮索はすべきでないと言っていただけに、こちらからあれこれと質問するのは失礼だと思っていたのだ。
だが、気になるものは気になる。
おずおずと口を開いた。
「その……普段の姿が想像できないなと思って」
「普段?」
「なんていうか……趣味とか……」
ラウダにそう言われ、ネヴィアはあごに手を当てると、しばらく考える。
ガレシアなら酒。オルディナなら花。ローヴは――色々。アクティーなら人いじりだろうか。
それぞれ好きなものというのがあるはずだが、彼女からは何も感じられないのだ。
うまくは言えないが、あらゆることが想像もつかない存在。無。
「難しいな。これと言って思い当たらない」
そんなに難しい質問を出したつもりはなかったのだが、彼女は未だに悩んでいた。
本当に普段一体何をしているのだろうか。
「じゃあ目的とか……」
ラウダが質問を変えてみると、彼女は小さくうなずいた。
「ああ、目的ならないこともないな」
一体どんな答えが返ってくるのやら。少し怖い気もしたが、何なのか尋ねてみた。
すると。
「勇者、だな」
ラウダは面食らう。
そんな返答が出るとは誰が想像しただろうか。
後ろにいる面々も顔を見合わせる中、彼女は話を続ける。
「少し興味があってな。もしいるのならどんな人物なのか、どんなことを考えているのか。可能ならば同行してみたいとも思っている」
思いもよらない言葉に全員が言葉を失う。
「どうかしたのか?」
そんな彼らを振り返ると、ネヴィアは不思議そうな顔を浮かべた。
そこでラウダの中にとある興味が生まれた。
もしここで――自分が勇者だと明かしたらどうなるのだろうか、と。
「もし」
言いかけたところで、アクティーに腕をつかまれた。
どうやらバレているようだ。強くにらまれた。
王都で大喧嘩に発展したことを思い出し、ラウダは小さくため息をつき、口を開いた。
「ネヴィアさんは勇者を信じているんですね」
アクティーもまた小さくため息をつくと、腕を放した。
「そうだな……大抵の人間は勇者など存在しないと言う」
それを聞いて、セルファの眉がピクリと動く。ため息をついていたアクティーは、今度は慌ててそちらを見やった。
「だが、興味はないか? どのように世界を救うのか。どのように自分たちを救ってくれるのか」
自分たちを救う。その言葉がラウダの耳に引っかかった。
普段は興味がないと笑い飛ばして、肝心な時には助けてくれと口をそろえ、必要なくなればまた忘れる。
僕の都合など抜きにして。皆そうだろう、きっとそうだ。
ならば勇者である僕のことは誰が救ってくれるのだろう。
「ラウダ?」
うつむく幼なじみにローヴが心配そうに声をかける。
なんでもないとだけ言うと、ラウダは顔を上げ、もう一つ質問する。
「ネヴィアさんも何か救ってほしいことがあるんですか?」
ネヴィアが黙り込んだ。
もしかして聞いてはならないことを聞いてしまったのだろうか。
焦るラウダに、彼女は一言だけ返した。
「ある」
その後は口をつぐみ、何も話そうとしなかった。
やはり怒らせてしまったのだろうか。




