16‐1
暗闇の中をズルズルと這いずる音が聞こえる。
顔を上げると、2人分の顔を糸で無理やり1つに縫い合わせた何かが立っていた。
――ああ、先日倒したバケモノだ。
バケモノはこちらの首に手をかけると力強く締め付けてくる。抗おうとすればするほど、力はどんどん強くなる。
このままでは殺される。
息も絶え絶えの中、震える腕を無理やり上げ、手にしていた剣でその顔を貫いた。
すると、バケモノは悲鳴を上げ、首から手を離す。
力が抜け、がくりとその場にへたり込む。
激しくむせ込んだ後、荒い呼吸を繰り返しながら、再度バケモノの方を見やり――
「え」
そこにいたのは、顔を手で覆った桃色の髪の少女だった。
顔からぼたぼたと血が零れ、白いワンピースは赤く染まっている。
「ひどい……」
覆った手の間からか細い声が漏れる。
「ち、ちが……」
「ゆるさない……」
否定の言葉を上げようとするも、しな垂れた長い髪の間からのぞく憎々しげな片目がこちらをにらみつける。
無意識のうちに後ずさるも、立ち上がれない。
ザ、ザザッ
酷いノイズが脳内に反響し。
苦痛に悶えるラウダの耳元に。
「■■■■コ■シテ■■ル■カラ■■テ」
* * *
がばっと布団から跳ね起きる。
荒い呼吸を繰り返しながら、ラウダはゆっくりと部屋を見渡した。
薄暗い宿屋の一室。別のベッドではノーウィンとアクティーがそれぞれ眠りについていた。
――夢?
額からつっと汗が流れる。全身は汗だくで、服がぴったりと張り付いていた。
体は重く、ひどい頭痛がする。なんという夢を見たものだ。
ノイズに脳が支配されているような感覚がして、首をぶんぶんと左右に振った。
壁にかかった時計を見てみる。朝の4時半。
とてももう一度寝る気になどなれない。
しばらくぼーっとし、いくらか落ち着きを取り戻すと、気分転換に外の空気を吸いに出ることにした。
コートを羽織り、ピンを頭につけると、こっそりと部屋を抜け出し、1階に降りる。
受付であるカウンターをのぞくともぬけの殻だった。何とも不用心な宿だ。
きしむ床をそろりそろりと踏みしめ、外に出る。
通りには誰もいない。夜に建物内から響いていた声も今は何も聞こえない。
そういえばウィダンも似たようなものだった。昼間はアーティストと観光客でにぎわうが、深夜になるとぱったりと何の声も聞こえなくなるのだ。
今はそれがとても昔のことのように思える。
ラウダは大きく深呼吸をした。
ゆっくり、ゆっくりと何度か繰り返しているうちに目は覚めてきたが、どうにも気分が晴れない。
武器は部屋に置いてきてしまったし、心配されるのであまり遠出するわけにはいかないが、ここは城下町。武器なしでも近場ならいいだろうと、少し散歩することにした。
それにしてもこんなに朝早く起きるなどいつぶりだろうか。ローヴが知ったら槍でも降るんじゃないかと言われそうだ。
不意にお腹が鳴った。
昨日は不気味なバケモノを見てしまったうえに、自分だけ訳の分からない写真や少女の幻影を見てしまい、疲労困憊。食事をする気力も起きず、ラウダ一人早々に寝てしまったのだった。
お腹が減ったということは、それなりに余裕が出てきたのだろう。散歩と深呼吸の効果はあったようだ。
のんびり歩いていると、もう一軒の宿屋が見えた。白いレンガ造りの大きな宿屋。
王都に来たときから気になっていたが、あの宿屋は簡単に言えば富裕層のための宿屋だそうだ。
貴族はもちろん、金持ち商人なども泊っているらしい。
当然そんなところと無縁の傭兵や旅人などは泊まっていない――と思われたが、実はイブネスとオルディナがそこへ泊っていたということが分かった。
オルディナから、皆が同じ場所に泊まれるよう都合をつけようとしてくれたのだが、先ほども述べたように、傭兵や旅人にとっては無縁の宿屋。周囲の目もあることから、ただ居心地が悪くなるだけだと判断し、今回は別々のまま王都で過ごすことにしたのだった。
それにしても、やはり彼女は金持ちの娘なのだろうか。結局詳しいことは聞きそびれてしまった。
相変わらず眠る気は起きないが、そろそろ戻った方がいいだろうと、宿屋から視線をそらし――ラウダは硬直した。
視線の先。少し離れたところに後ろ姿だが、見間違えようがない。
桃色の、ふわりとカールした長い髪。白いワンピース。そして、薄もやの中でも分かる、透き通るような白い肌の少女。
鼓動が、早まる。
そんなはずはない。
だってここは現実なのだから。
ならば僕は今、幻覚でも見ているのか?
不意に少女がくるりとこちらを振り返った。顔ははっきりと見えないが、口元が笑んでいるのが分かる。
そして、何の前触れもなくたたっと駆け出した。
ラウダはここが夢か現実かなど確認するのも忘れ、その後を追う。
少女が角を曲がる。
同じように角を曲がるが、姿が見えなくなった。
辺りをきょろきょろしていると、少し離れたところでこちらを向いて立っていた。相変わらず顔ははっきりと見えない。
ラウダがこちらに気づいたと分かると、また背を向けてどこかへと駆け出していく。
さらに同じように後を追う。
そんなことを2、3度繰り返すうちに、ついに少女の姿はどこにも見当たらなくなってしまった。
無我夢中で後を追っていたラウダは息を切らしながら、再度あちこちを見て回るが、やはりいないものはいない。
もしかして似たような人が面白半分で遊んでいただけ?
それとも僕の見間違い?
いやそれにしても――
ラウダは大きなため息をつくと、宿屋に帰ることにした。
彼女がいるはずなどない。きっとまだ疲れているのだ、と。
顔を上げて――あることに気が付いた。
「……ここ……どこ……?」
迷子になっていた。
王都であることには間違いないのだが、見渡す限り木造の家ばかり。どれも今にも崩れ落ちそうだ。
早朝にも関わらず、それぞれの家の前にはちらほらと人が見える。
誰かに声をかけてみようとラウダは歩を進めるが、すぐにそれは止めた方がいいと判断した。
というのも、どの人の服も王都の人間とは思えないほどボロボロで、皆一様に痩せ細っているのだ。
中には地面で横になっている者もいるが、どの人もけだるげで、生きる気力のようなものをまるで感じられない。
何気なくこちらが向こうを見ていると、向こうはジロジロと見返してくるだけでなく、どことなく敵意を感じた。
明らかにここは自分が来るべき場所ではなかったと気づくがもう遅い。ラウダはその場を立ち去ろうと足を速める。
すると、家の前で何事かを話している少年少女がいた。歳は10にも満たないだろう。
少女がこちらに気づき、不思議そうに見つめてくる。
こんな所に子供もいるのかと不憫に思っていると、一緒にいた少年がこちらへ駆け寄ってきた。
「同情すんじゃねえよ!」
少年はぺっとラウダの足元に唾を吐きかけると、少女を連れてどこかへ行ってしまった。
あの歳の子がそんなことを言うものかと驚いたが、それ以上にやるせなさを感じ、ラウダはさらにスピードを上げてその場を立ち去るのだった。
さらに先へ進むと、今度は女性ばかりが目に留まるようになった。
わらを足元に敷きつめ、何かを待っている様子の彼女たちは、ラウダが来たのを見るや否や、そそくさと髪を手ですいたり、着ている服を整えたりし始めた。
怪訝に思いながらもそのまま歩いていると、突然女性に話しかけられた。
「こんにちは、お兄さん」
見ると、さらりと長い茶髪にしゅっとした顔立ちの女性が隣に立っていた。
何事かと首を傾げると、女性は素早くラウダの腕を取り、怪しげな笑みを浮かべる。
「ふふっ。ねえ、私と……いいこと、しない?」
柔らかな胸を腕に押し付けながら、ラウダの顔をうかがう。
「え、ちょ」
「もちろんもらうものはもらうけど、ね?」
首元が大きく開いた服から、胸元がちらりと見える。
思わず釘付けになり、ごくりと唾を飲み込む。
「あっ、のっ……」
このままではいけない。
そう思って身を引こうにも、なかなか手放してくれない。
柔らかそうな唇がゆっくりと迫る。
そこへ突然、反対側の腕がぐいと引っ張られた。
驚きそちらを見やると、見慣れたマント姿の男が立っていた。
「行くぞ」
一言だけ発すると、力強くラウダを引っ張り、女性から引きはがす。そしてそのまま足早に歩き出した。
後ろでちっと舌打ちの音が聞こえた。
しばらく行くとようやくイブネスはラウダの腕を放し、先導して歩き始めた。
「……ここは王都の中でも貧民街と呼ばれる場所だ」
イブネスがぽつぽつと話し出す。
「金がない者、病で仕事ができなくなった者、親が亡くなった者、後ろめたい訳ありな者……そういった人間が流れてくるのがここだ」
人々の様子から何となくそんな場所だとは察していた。
リジャンナにそんな場所はない。
そもそもリジャンナには貧富の差というものがほとんどない。金がなくても病にかかった者は病院で診てもらえるし、親が亡くなった者は教会で面倒を見てもらえる。
制度とか政治とかそういう難しいものではなく、昔からそうなのだ。それが当たり前なのだ。
「先ほどの女は娼婦だ。あれだけではなくここにいるほとんどがそうだ……それを目当てにここまで来る物好きも少なくはない」
「でも僕、お金なんて持ってないよ」
「……お前の服装はどこからどう見ても貧民街のものではない。旅人か、あるいはどこかの坊ちゃんにでも見えたか」
確かに今着ている服はリジャンナでの私服だ。見ようによっては旅人には見えなかったかもしれない。
「彼らは王都に住んではいるが、王都に見捨てられた存在だ……だからといって要らぬ同情はするな……身ぐるみをはがされ奴らの一員にされるぞ……」
先刻の少年の言葉を思い出す。彼らには彼らなりのプライドもあるのだろう。それを傷つけられたとあっては頭に来るのも仕方がない。
「ところで、イブネスはどうしてここに?」
「……宿にローヴが来て、ラウダが来ていないかと問われた」
どうやら心配して探しに来てくれたようだ。
何せ昨日の今日だ。皆が心配するのも無理はない。
皆。
思わずラウダは顔をしかめた。
「……イブネス、1つお願いがあるんだけど」
「……なんだ」
相変わらずこちらを向くことなく淡々と話す彼に、ラウダは何と言ったらいいものか少々悩んでから、声を落としてお願いを伝える。
「……さっきの件はみんなに言わないでくれる?」
イブネスが立ち止まり、こちらを振り返った。
「特に……アクティーには」
今回の件、知られると一生いじられそうで、一番知られたくない相手だ。
もちろん知られたくない相手としてはローヴも同じなのだが。
困ったようにそう言うラウダの目を、イブネスはしばらく見つめていたが、突然ふっと笑った。
「……承知した」
それだけ言うと、彼は再び前を向いて歩き出した。
イブネスが笑ったのを初めて見たもので、彼も笑うのかと少し驚いたが、慌ててラウダも後を追うのだった。




