15‐6
ただでさえ天井が高い建物だというのに、そこから落ちるなど重傷、下手をすれば即死ものである。
それをまぬがれ、全員が無事だったのはオルディナがかけた防御魔法のおかげだった。
「大丈夫か!?」
ノーウィンの声が辺りに響く。
床に思いきり体をぶつけたローヴとオルディナだったが、なんとか立ち上がる。
「だ、大丈夫です」
じんじんとする腰をさすりながら、ローヴがそれに答えた。
直後、獣のうなり声が聞こえ、思わず体が固まる。
もうもうと立ち込める砂ぼこりの中からゆっくりと黒い塊が姿を現した。
グガオオオオオオオオン!!!
「大広間まで走れ!」
相変わらず狭い廊下では戦うのに不利だと判断したノーウィンが大声で叫んだ。
言われた通り大広間へ向けて全力疾走する。
獣はその鋭い爪で豪華なじゅうたんをビリビリに破きながら、3つ首を順に前へ向けて突き出し、獲物をかみちぎらんとする。
あれほど長々と続いていた廊下に対し、1階の廊下は短く、すぐに大広間へと出た。やはり2階の廊下には魔法がかけられていたようだ。3人の子供たちが消えたことで魔法も解除されたのだろう。
そんなことを考える余裕もないローヴとオルディナが真っ先に廊下を飛び出し、続いてガレシアが駆け付けた。
直後、後方にいたノーウィンが通り過ぎるよりも早く、ヒビが入った柱が倒れてくる。
その下を何とか滑り込みくぐると、最後に柱を粉々に砕いて獣が大広間に入ってきた。
滑り込みの体勢から身を起こすとノーウィンは広間の中心を陣取ろうとさらに駆ける。同時に薄暗い大広間を見渡した。
この広さならば存分に戦える。
再度獣に向き合い、各々武器を構えるところを確認した彼もまた立ち止まり、槍を構えた。
獲物が立ち止まったのを見て、獣は足を止め、威嚇するように3つ首そろって大きく吠えた。
後方に移動したローヴとオルディナが集中力を高め、魔法の準備を始める。
ノーウィンは力強く地を蹴ると、自分に最も近い頭へと狙いを定めて槍を突き出した。
ガレシアも両手で力強く鎖を引っ張ると、敵へ向けて鎖を放つ。
獣は首を横へ向け攻撃をかわすと、猛烈なスピードで大きく反対側へと振った。
巨体がすさまじい勢いで迫ってきたところをノーウィンはとっさに槍で防御するも、勢いよく吹き飛ばされ壁に背をぶつける。
ほぼ同時に弾かれた鎖を手から取り落さないように力強く手元に引き戻すと、ガレシアは次の目標を目で追う。
「イグニス!」
そこへローヴの魔法が放たれる。左頭に命中した火の玉に、獣はぶんぶんと首を左右に振る。小さな火の玉ごときでは大したダメージにはならないようだ。
しかし、一瞬だが動きが止まったところをガレシアの目は見逃さなかった。
ブーツに隠していた短刀を素早く抜き放ち、投げる。空を切った短刀は左頭の目に深々と突き刺さった。
獣は痛みに耐えきれず、前足で顔を覆うような仕草をし、うつむく。
チャンスは逃さない。ガレシアはさらに鎖を力強く何度も打ち付ける。
「イグニス!」
そこへ、オルディナの魔法が解き放たれる。
ローヴのものと異なり、複数に分かれた火の玉がオルディナの頭上で円を描く。杖で指し示すと、鎖を打たれている頭目がけて次々と火の玉が飛んでいく。
完璧に魔法をコントロールしている。
普段のふわふわした雰囲気と異なり、敵をまっすぐ見つめる横顔にローヴは思わず息をのんだ。
切り裂き打たれた部分に高温の火の玉が連続して命中したことにより、左頭はがくりとうなだれ、そのまま沈黙した。
頭からは黒い煙がもうもうと立ち上り、辺りが焦げ臭くなった。
残された2つの顔が叫び声を上げる。怒り狂っているというよりかは、どこか悲鳴のようにも聞こえた。
そこへ体勢を整えたノーウィンが、わき目も振らず一直線に敵へ駆け寄り、右頭へ深々と槍を突き刺した。そしてその場に力強く踏みとどまると、そのまま思い切り抜き放つ。
血しぶきが辺り一面の床を汚す。
獣は口をパクパクさせ、小さくうめき声を上げた後、がくりとうなだれ何も言わなくなった。
残りは真ん中の頭だけだと思ったその時、獣が前足で地をこすり始めた。
相手が何をしようとしているのか、瞬時に察したノーウィンははっとなり後ろに向かって声を上げた。
「ローヴ! オルディナ! そこから離れろ!」
そこへ獣がものすごい勢いで突進し、突っ込んでいく。
突然名前を呼ばれたためにとっさに体が反応せず、一瞬硬直してしまう2人だったが、どうにか無理やり体を動かす。
全力疾走からの大ジャンプで何とかその場を逃れると、ローヴは立ち上がりつつ後ろを振り返った。
獲物のいなくなった場所で、獣がうなり声を上げている。そして、ゆっくりとこちらへ振り返った。
――目が合う。
グガオオオオオオオオン
一際大きな叫び声で、なんとなく分かってしまった。
自分が標的になってしまったと。
「ローヴ!」
同じくそれに気づいたノーウィンが名を呼ぶが、それよりも先に獣が突進し始めた。
さっきとは違い、距離が近い。体力があるノーウィンならばいざ知らず、彼女が再度飛び退くのは至難の業だろう。
ならば――
ローヴはごくりと喉を鳴らすと、剣を逆手に持った。
怒涛の突進を止められるはずもなく、名前を呼ぶ間さえなく、獣はあっさりとローヴを巻き添えに、壁にぶつかっていった。
「ロ、ローヴさん……」
オルディナがその場にへたり込む。
少しでも早くローヴを助け出さねばと、ノーウィンとガレシアがそれぞれ武器を手に、獣のもとへと駆ける。
だがその途中、おかしなことに気が付いた。
壁にぶつかってから獣がピクリとも動かないのだ。
眉をひそめていると、眼前で獣がゆっくりと横に倒れ込んだ。
その勢いでもうもうと立ち上る砂ぼこりの中、せき込む声が聞こえた。
「ローヴ!? 無事なのか!?」
「はいい……なんとか……」
ノーウィンが声をかけると、なんとも情けない声が返ってきた。
やがて舞い上がった砂ぼこりが静まると、その場に座り込んだローヴの姿、そして額に深々と剣が刺さった獣の死体が確認できた。
「ローヴがやったのかい?」
驚いた表情で駆け寄ってきたガレシアがこれまた驚いた声を上げた。
「逃げられないならってとっさに思いついたんですけど……」
どうやら剣をとっさに逆手に持ち替えて、突進してきた獣に突き刺したらしい。
さらに減速した獣がクッションになり、壁に背が付いたものの、大きなけがを負うこともなかったようだ。
ずっと魔物を殺すことに抵抗があったローヴがまさか獣にとどめを差すとは思いもせず、ノーウィンは思わず笑いを漏らした。
「何笑ってるんですか、ノーウィンさん」
「いやなに、ラウダみたいなことするなと思って」
「ボク、あそこまで無謀じゃないです!」
じゃあ何か策があったのかと問いたいところを我慢して、むすっと頬をふくらませるローヴにすまんと笑いかけた。
そんな2人の様子をやれやれと見ていたガレシアのもとにこれまた情けない呼び声が聞こえた。
「ローヴさぁぁん……」
見ると、オルディナがこちらへ走ってきていた。
彼女はローヴのもとに駆け寄ると、同じようにその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか? ケガしてませんか? 骨が折れているとか、どこか血が出ているところとか、というか死んでませんよね!? 生きてますか!?」
「お、落ち着いて」
あたふたとすごい勢いで問いかけてくるオルディナをローヴがなだめる。
無理もない、この状況ですり傷だけで済んだのは奇跡に近いのだから。
「よ、よかったですぅ……わたしもうローヴさんが……ううっ」
涙目になりながら、オルディナはローヴの手を握ったまま離そうとしない。
なんとか彼女が落ち着くようあれこれとローヴがなだめるのを横目に、ノーウィンとガレシアは小さく笑っていた。
* * *
「すみません、わたしすっかり取り乱してしまって……」
ようやく落ち着きを取り戻したオルディナに、ローヴは何度目か分からないが大丈夫と言った。
「それじゃあ探索再開とするか。みんなとも合流しないといけないしな」
ノーウィンのかけ声に、全員がうなずいた。
2階へいたる階段が家具で塞がれてしまっているため、まずは上へ上がる手段を探さねばならない。
他にどこに階段があるだろうかと話し合う中、ローヴは獣の側へ立つ。
「ごめんね」
そう小さく謝ると、額に突き刺さったままだった銀の剣を抜き放った。
その後、オルディナと出会った兵舎はきちんと確認していなかったこと、その流れから、兵舎に階段があったことを思い出したオルディナの言葉に従い、先へ行ってしまったであろう皆を追いかけるために、急ぎ足でその場を立ち去るのだった。