14‐5
ラウダたち4人は大図書館へと向かい歩いていた。
道すがら見つけた、移動用の車がついた屋台のパン屋。
ハムにタマゴにサカナを挟んだ種類豊富なサンドウィッチ、ナッツを交ぜ込んだパンに、フルーツを交ぜ込んだマフィン。切り分けられているのは甘い香りを漂わせるアップルパイ。
小柄ではあったが、並ぶ商品はどれも美味しそうで、思わず目移りしてしまうほど。
いくつか購入すると近くにあったベンチに腰かけ、簡単な朝食をとる。
フィッシュサンドを頬張りながら、ラウダは行き交う人々をぼんやりと眺めていた。
「人、多いね」
チョコレートが詰まったパンを食べながら、ローヴもまた同じように眺めていた。
「みんなどこに行くんだろう」
不思議そうにそう言うローヴの前を様々な人が通り過ぎてゆく。
上品そうな服を着た華やかな女性。集団で行く男たち。走る男の子に、それを追う女の子。
ウィダンの街でも多くの人々が行き交っていたが、それとはまた別のものに見えた。
「仕事に遊びに買い物に……まあ人それぞれだろうな」
狭いので一人立ったままベンチにもたれかかり、チキンサンドを食べるノーウィンが答えた。
セルファは無関心なようだ。気にすることなく、クロワッサンをサクサクと音を立て食していた。
ふとラウダはウィダンと違う点に気づいた。
「そっか、この町観光客が少ないんだ」
通るのは皆、ここで暮らす者たちばかり。とても遠出してきたと思えない服装もそうだが、これだけ広く入り組んだ町で明確な目的地を持って行動しているというのもその証拠だろう。
「観光か……今の世界の状況を考えると、そんなことをしている余裕もあまりないだろうな。よそから来るのは俺みたいな傭兵か、旅人……あるいはそういう人間に守ってもらう金のある人間ってところだな」
ここに来るまでに通ってきた街道。あそこを通る町民は馬車を使うと、以前アクティーが言っていた。
しかし、馬車が通ったような痕跡はどこにも見られなかった。原因は近年多発している魔物の凶暴化が大きいだろう。
それでもなお通ろうとなると、それこそ傭兵の出番だろう。
戦う能力がある人間がいなければ町を行き来するのも簡単ではないということだ。
それぞれ食べ終えたのを確認すると、そろって立ち上がり、再び人混みに紛れた。
* * *
目的地にたどりつくのにそう時間はかからなかった。
ノーウィンに案内されるまま歩いていると、大きな建物の屋根を見ることができた。
その入り口に立つ。
「うわあ……」
ラウダとローヴは同じように口を開けたまま、その建物を見上げた。
メルス大図書館。
石造りのそれは、図書館と呼ぶにはあまりにも大きく立派な建物で。それでいて荘厳。
ところどころに見えるひび割れや、欠けた箇所。
はっきりと見て取れないが、この建物が長い年月を経て存在しているということは理解できた。
ノーウィンが率先して階段を上ると、大きな木製の扉に手をかけ、開ける。
まるで未知の世界に足を踏み入れるかのように、胸が高鳴った。
同じように館内に入るセルファは、あまり気乗りしていないように見える。そんな彼女に続いてラウダとローヴも階段を上り、中へと入った。
ぱたん、と背中で扉が閉まった。
一面に本。
どこを見ても本。
入ってすぐ、ずらりと並んだ本棚が目に入る。
奥に緩い坂道。そこを上りきったところが2階ならば、その手前にある螺旋階段を上ったところは3階になるだろう。
壁面も全て本棚になっており、とても届きそうにない高さにまで本が収められている。
一応はしごはあるのだが、その長さはどう見ても安全面に問題があるだろう。
側にある木製の本棚に近づくと、なかなかの年季が入っていることが分かった。
少々ほこりっぽい図書館、その入り口側にはカウンターがあり、広く取られたその場所も積み重ねられている本で埋め尽くされていた。
ぐるりと辺り一面を見回したノーウィンが首を傾げる。
それを見てラウダとローヴが不思議そうな表情を浮かべた。
ああ、と声を上げると、彼はカウンターの方を見やった。
「本当ならそこに管理人が――」
ばさっどさどさっ
ノーウィンの言葉を遮るように、盛大に何かが倒れる音が聞こえた。
どう聞いても本が落ちる音だった。大方積んであったものが崩れたのだろうとそちらを見やる。
「痛たたた……」
本棚の陰。もうもうと立ち上るほこりの中から声が聞こえた。
驚き、そちらへと駆け寄ると、緑がかった金髪の少年が座り込んでいた――というよりも本に足を引っかけて尻もちをついた、というのが正しいかもしれない。
「だ、大丈夫?」
ラウダが側に屈むと、少年は顔を上げた。
緑色の瞳がラウダを見つめる。見た目から察するに年齢はラウダ、ローヴと同じくらいだろう。
「あ、大丈夫です……なんとか」
そんな少年に、ラウダは立ち上がると、手を差し伸べた。
少し驚いた顔を浮かべるも、少年はその手を借りて立ち上がった。
軽くズボンをはたき、乱れていたショールを整える。
「ありがとうございます」
少年はにこやかに礼を述べると、4人の姿を見比べる。
「えーっと……お客様、ですよね」
「うん、いろいろと調べものをしたくて」
ラウダがそう答えると、小さくうなずき、両手を広げた。
「ようこそ、メルス大図書館へ」
それから自身の胸に手を当てる。
「僕はキュレオと言います。お探しの本があればお持ちしますよ」
そんな彼を見て、ノーウィンが首を傾げた。
「君がここの管理人なのか?」
言われてみれば、世界で唯一の情報の倉庫。それがこの大図書館だ。
歴史あるこの場所を年若い少年が管理している。不思議に思うのも当然だ。
「実は本来の管理人はお年を召されたおじいさんなんですけど、最近作業中に骨折してしまいまして……」
キュレオは困ったように頬をかいた。
「元々僕は見習いでここに勤めていたんですけど、今は管理人代理というわけで」
なるほどと納得すると、ノーウィンはラウダとローヴを見やった。
「何から調べる?」
ラウダは腕を組むと、うーんとうなる。
この世界、ディターナの歴史。地理。魔法。そして、神話や伝承。特に証についてもの。調べたいことは山ほどある。
「とりあえず歴史、かな」
ディターナと、ラウダとローヴが暮らしていた世界、リジャンナ。全く異なる世界だが、貨幣や神話など一部共通点があること。
前々から立てていた“この世界が過去の世界”論。それが真実かどうかを知る必要がある。
「あの……いろんな本を注文することになると思うんだけど……大丈夫?」
ローヴが心配そうにキュレオの顔を見つめる。
一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに微笑み返した。
「大丈夫ですよ。何十冊でも何百冊でもお持ちします」
4人はキュレオに案内され、中央にある大きめの机へと向かった。
* * *
一体何冊あるのか。
どこに何があるのかさっぱり分からない一行が、欲しい本を注文すると、キュレオはどこかへ姿を消し、しばらくすると本を手にして戻ってくる。
大小様々な大きさの本をまとめて抱えて持ってくる様に、思わず手伝うよう申し出たが、大丈夫ですと言い、譲らなかった。
机に積まれていく本。
とりあえず手近な、古めかしい分厚い本を取り寄せ、開く。
そこには長い長い歴史が事細かに書かれていた。
前の方は一部すり切れていたり、くすんでいたりと字が読みづらい。
対して後の方は、紙の質も色も良く、あまり日が経っていないことが分かる。
どうやら年々、その年に起こった出来事を記した紙を順に挟み込み、新たなページとする本のようだ。
どこから読めばいいのか。ペラペラとページをめくっていると、
「ストップ」
ノーウィンがとあるページで声をかけた。
行き過ぎたので3ページ戻すと、皆が見えるように、机の上に大きく広げた。
アンデウソン暦2598年
干ばつによる領内の不作
物価の高騰化
奴隷の暴徒化
ともなう領民の反乱
奴隷解放宣言
奴隷制度撤廃条約締結
相次ぐ貴族没落
書いてあるのはどれも奴隷と貴族に関することばかりだ。
「アンデウソン暦?」
気になった単語を口にするローヴの横で、ラウダはページの隅に載っている、奴隷の暴徒化を描いた絵に嫌悪感を示した。
傷だらけの体にボロボロの布きれ一枚の男が、大きな赤い旗を掲げて歩いている。
それに続くのは、手を伸ばしすがろうとする少年。両手を上げ、天を仰ぐ女。いずれも体に傷を負っているか、一部がない、老若男女。
曇天から光が、まるでスポットライトのように男を照らしている。
絵の下に小さく題名がついている。
“希望を掲げる男”
この男は暴徒化の主要人物なのだろうか。
「ああ、それはかつてディターナを統一した王の名前から取られた年称さ」
「え? じゃあ今もこの名前が使われてるってことは……」
今なおこの世界は一人の王によって統一されているということか、と言いかけたところで疑問が生じた。
今いる王都メルス。そしてこれから向かおうとしているガストル帝国。
2つの国が存在している現状に、ローヴは首を傾げた。
その様子にノーウィンは小さく笑った。
「今は違うさ。けどこの年称が未だに続いてるってことは、各国の王は実は同じ血筋で、アンデウソン王の子孫だ、って説もあるな。あとは他に世界統一をした人間がいないからそのままだとか。まあ、もう2000年以上も昔のことだから、真相は分からず、だな」
ローヴは納得したようにふんふんと首を振った。
「……なんでこのページで止めたの?」
眉をひそめ、そう尋ねるラウダに、ノーウィンは困ったように小さく笑んだ。
「知っておいてほしかったからさ」
「……そう」
小さくつぶやくと、ラウダはページをめくっていく。
少しして再びノーウィンがその手を止めさせた。
アンデウソン暦2607年
ガストル王国、帝国へと改名
メルネル鉄橋崩落
世界各地で魔物の増加及び凶暴化
マルメリア、新魔法開発
フォルスティア村民全員失踪
目に飛び込んできた情報だけでも十分に物騒な文字列がずらりと並ぶ。
この項目に関連するページはいずれも新しく、先ほどまでのものと異なり、シミや汚れが少ない。
「今はアンデウソン暦2608年。そこにあるのは全部、昨年の出来事だ」
ノーウィンの淡々とした言葉にラウダは眉をひそめた。
平穏だった自分たちの世界とはあまりにも異なりすぎる世界の有様に、どれもいまいちピンとこない。
現実のものと思えないのだ。
「えっと、フォルスティアっていうのは村の名前なんですよね? この、マルメリアっていうのは?」
ラウダが悩む横から、ローヴがページを指さし、質問した。
「ああ、マルメリアは魔法都市の名前だ。しかし新魔法開発ってのは初めて知ったな」
「魔法都市……」
魔法があるのだから、そう呼ばれる場所があっても何ら不思議ではない。
果たしてそこではどのような文化が根差しているのだろうか。やはり魔法使たちが数多く存在しているのだろうか。日常生活で魔法を使用することは当然なのかもしれない。移動手段にも魔法を使用しているかもしれない。
さらなる未知の世界に、知的好奇心がローヴの心をくすぐった。
「……心配しなくてもマルメリアは嫌でも通ることになるわよ」
まるで心の内を見透かしたかのように、セルファにそう冷ややかに言われると、ローヴの頬が徐々に紅潮した。
そんな2人のやり取りを面白そうに見ていたノーウィンがページを指さす。
「それとこのメルネル鉄橋っていうのが、かつてガストル帝国がある島へ続いていた橋だ。ここにある通り、今は落とされてしまってもうないが……」
メルネル鉄橋を説明する項目の中に、『魔法大国マルメリアより、ガステリア島に唯一あるガストル帝国側から破壊され崩落した、と発表されている』と記載されていた。
「帝国は自ら孤島になる状況を作った……でも何でだろう。不便になるのは帝国側じゃないのかな……」
ラウダがぼそりとそう問うも、答えられる人間はここにはいなかった。