14‐3
いつも通り顔面に枕をたたきつけられる朝を迎えた。
目をこすりながら体を起こし――
「もうっ! 相変わらず起きないんだから」
目が見開かれた。
宿を取った時、男女で別々の部屋に入った。だからここに、目の前にローヴがいるのはおかしい。
自分は男部屋で寝たのではなかったか。いやもしかしてここは女部屋?
寝起きの頭でぐるぐる思考を繰り返していると、ローヴが怪訝そうに顔をのぞき込んできた。
「もう一発たたいた方がいい?」
とりあえずそれは嫌なのでぶんぶんと首を左右に振った。
すると横にいたノーウィンが楽しそうに笑った。
「ラウダが起きないって言ったら部屋に入ってきてな」
よく見るとセルファも窓際にいた。
「アクティーさんもガレシアさんもとっくに出て行っちゃったよ」
ああそういうことかと納得していると、ローヴが腰に手を当てた。
「行くんでしょ、図書館! ほら早く早く!」
布団をはがされたラウダは、のそのそとコートを羽織り、星ピンを頭に、剣を腰に装備する。
そして急かされるままに部屋を出るのだった。
* * *
「ここに来るのは3年ぶりか……」
一人つぶやくアクティーの前には、まるで神殿のような、控えめでありながらしっかと存在を主張する装飾を施された、石造りの建物がそびえていた。
その様はこれだけにぎやかな城下町の中にあるというのに、空間が切り離されたように実に厳かだ。
深緑のローブを今一度びしっと着正し、身を整えると、ゆったりとした足取りで中へ入っていった。
世界治安協会シルジオ本部。
各地に存在する支部を統括する場所。そして原点とも言える場所。
数多の魔法使たちが憧れ、目指す、魔法使の最高峰。
厳しい試験を乗り越えた者だけが入れる崇高な場所。
しかし会員だからといって自由は許されない。重く厳しい規則を守ることができる者だけがここにいられる。もし規則を破った場合には厳重な処罰を与えられる。
そうは言っても実際に処罰された人間は見たことがない。
何にせよ自分には関係ないことだと思いながら、アクティーは端が赤く、中央が制服と同じ深緑のじゅうたんに足を踏み出した。
入ってすぐの開けた場所には、壁に沿っていくつもの甲冑が置かれており、真正面にはカウンターが設置されている。
そこには1人の女性が席に着いていた。
50代半ばといったところか。しかしそうは感じさせない気品さが備わっている。
アクティーに気が付くと、女は立ち上がった。
「ごきげんよう、ミズ・マード」
アクティーは仰々しく一礼をするとカウンターの側へ歩み寄った。
「プレートを」
それに答えることなく鋭い目つきでそう一言だけ発すると、彼女は手を差し出した。
そんな様子に何も言わず、アクティーは懐からプレートを取り出し手渡した。
マード・ホーネル。
彼女は長年ここを守り、念には念を入れた厳しいチェックを行い、クリアしないものは何人たりとも通さない。
ここだけの話、その厳しさとメガネの奥の鋭い眼光から、鉄鬼の異名で呼ばれている。本人がそれを知っているか知らないかは分からないが。
そんな何年経っても変わらない容姿と態度に、アクティーは内心で苦笑した。
「名前と階級、所属を」
事務的な言葉だけ淡々と発する。
「アクティー・グラン・ジェスト。階級は大佐。フォルガナ支部所属」
はっきりした声で答えた彼の言葉を聞くと、ミズ・マードは目を閉じ、プレートを手で覆い隠すように包み込んだ。その隙間から光が漏れ出す。
片手でマナを発しプレートへと流し込むと、もう片方の手でそのマナを吸い取りプレートに仕込まれた情報を読み取っているのだ。
ほとんどの魔法使はマナを別のものに変換し使用する。その理由はマナが柔いことにある。
元々空気中に漂うものを操ろうというのだ。うまく触れられなければあっという間に方々へ散らばってしまう。
それ故、魔法使たちは散らばっているものをそれぞれのやり方で集め、形にする。
だから彼女のように、マナを変換することなくそのまま自在に操れる人間はとても珍しく、貴重なのである。
漏れ出ていた光が消える。
彼女は目を開けると、顔を上げた。
「情報確認完了。お返しいたします」
手にしていたプレートを持ち主へと差し出す。
アクティーは何も言わずそれを受け取ると、懐へと戻した。
「天高く夜闇に浮かぶ星はいくつ?」
唐突にミズ・マードが尋ねてきた。
普通の人間なら怪訝な顔をするだろう。
「13と7」
しかしアクティーはさも当然の如く、さらりと答えた。
「では、大空を舞うものは?」
ミズ・マードの鋭い瞳が相手を捕らえて離さない。
「クジラ……その名をザーグラー」
それに臆することなくアクティーはそう言った。
言葉はない。ミズ・マードはただまっすぐに相手の瞳を、その内にある心を読み取っている。
とはいえ実際に心を読み取ることはできないだろう。
彼女の長年の勘が、相手を探っている、といったところか。目が泳ぐなんてことは一発で見通せる。
しかし後ろめたいことなどない。ただ真実を述べたまでだ。
やがてその目をゆっくりと閉じた。
「よろしい。用件を」
ようやく認められ、相変わらず面倒な人だと心の内でつぶやいた。
まさかこの思いまで見通せられるとは思いたくない。
「最重要案件を報告するため、大元帥と面会させていただきたい」
アクティーの言葉に、ぴくりと眉が動いた。
大元帥。それはかつて世界治安協会シルジオを創設した者を継ぐ者であり、統括者。
そして協会の方向性を決定する最高責任者でもある。
そんな人間と面と向かって話ができるのは、その下にいる5人の元帥と各国の王くらいだろう。
それを、一都市を守るだけの大佐という身分の人間が面会したいと述べているのだ。
本来ならば厄介払いされるものだが、ミズ・マードは彼からただならぬものを感じ取ったようだ。
しばらく間を置いてから、小さなため息をついた。
「分かりました。手続きを行うので奥にある夜星の間にてお待ちなさい」
アクティーが一礼をしてその場を立ち去ろうとすると、
「ただし、必ず会えるとは限りませんよ」
そう一言だけ声をかけると、彼女は椅子に腰かけ、透き通った緑のティーカップ型の器を取り出した。
その様子をちらりと見やると、アクティーは颯爽と奥へ歩き始めた。
すれ違う者はない。それぞれ与えられた場所で与えられた仕事を進めているからだ。これもまた規則。
ぴりぴりとした空気が流れ、付きまとってくる。
こういうとき風雲の証という自分の能力を呪いたくなる。普通の人間が感じる以上に鋭いものが身に張り付いてくるのだ。
いくつもの扉の前を通り過ぎ、入り組んだ廊下を歩いていくと、やがて、生い茂るローレルが刻まれた大きな両開きの鉄扉の前にたどり着いた。
それを両手で思い切り開ける。
暗闇に包まれていたそこは、人が入ってきたことを感知すると、ランプに火を灯し、ふっと明るくなった。
しかし広さに対して明かりが少ないため、十分に行き届かない。
仄暗い空間。
夜星の間だ。
中心を軸にぐるりと円形に置かれたいくつもの椅子。それもただの椅子ではなく、ふかふかで座り心地が最高な、立派で、恐らくお高いものである。
この場所は会議を行う目的で設けられた場だ。
会員たちがその椅子に座り、中央にある台を見る。
ただしこれまたただの台ではない。1メートルほどの土台の上にはミルククラウンを模する青い石造り。
もちろんそんなものを鑑賞するためにわざわざ腰かけるわけではない。確かに芸術的ではあるが。
これには魔法使特製の仕掛けが施されている。それは台の下部に開いた穴から周囲のマナを集め、台の中心から吹き出すというものだ。
では吹き出したものをどうするのか。当然、形にするのだ。
ミズ・マードのようにマナを直接操る人間は希少な存在である。
この台はそれを補うため、吹き出し口にフィルターが仕掛けられているのだ。散らばったマナを塊として産出するためのフィルターが。
それによってマナを思うがままに形成することが可能になる。
そうして魔法使たちはここに研究成果のグラフ、被害を受けた地域、現れた魔物などの情報を立体化し、公開するのだ。
周りにある椅子はそれを見、意見するためのものなのである。
アクティーはその一つに腰かけると、ぼんやりと天井を見つめた。
一面が深い群青とも黒とも取れる色で塗り潰されている。そして中央を囲うように金の円形の枠が埋め込まれている。
そんな夕闇を思わせる天井にはいくつかの白い点が見える。外側に13、円の内に7。まるで星のようだ。
『天高く夜闇に浮かぶ星はいくつ?』
ミズ・マードの言葉が思い出される。
万全の監視態勢を整えたここに部外者が入り込めるとは思えない。
あの質問はこの場に入ることが可能な、即ち会員でなければ答えられない質問だったのだ。
入会直後は皆この本部で何年か仕事を与えられることになるため、ここの存在は必ず知っている。
とはいえ“もしも”という可能性も否定できない。
そのために尋ねられたのがもう一つの質問だったわけだが。
「星、か」
ぼんやりと声に出す。
天上に散りばめられた13と7の小さな光。
星空などここへ入会してから久しく見ていない気がする。
いつからだったか。子供の時はよく見ていたものだが。
ふっと視界が暗くなった。
「だーれだ」
少女のようにどこか楽しげな声。しかしアクティーとっては聞き覚えがありすぎて呆れるくらいの声。
「もっと普通に伝達できねえのかよ……エリ」
ぱっと視界が開ける。
椅子の背に手をかけ、身を乗り出すようにしてアクティーの顔をのぞき込んだのは、明るくにっと笑顔を見せた女性。
「だってえ、3年ぶりの再会だよ? こう、サプライズ的なものが欲しいじゃん?」
ため息をつきながら、椅子から立ち上がったアクティーは後ろを振り返った。
肩ほどまである束ねた金髪。きらきらと輝く金色の瞳。
エリ・サッキナー。
入会したのはアクティーより後だが、年齢が近いということで何かと行動を共にさせられることの多かった人間だ。
「3年かあ」
そう言いながら相手をしげしげと見やる彼女はまるで変わっていなかった。
いや、細かいことを言えば少々胸辺りが大きくなった――気もする。
「なんだよ急に」
スカーフをきゅっと締め直すと、じっとこちらを見つめてくる彼女に視線を送った。
エリは腕を組むと、むーっと口を尖らせる。
「あたしがいない間に悪さしてたんじゃないでしょーね?」
それに対してアクティーはそっぽを向いた。
「さあ? どうだかなー」
「あ、なんだその態度! 怪しー!」
などというふざけたやりとりをすると、アクティーは真顔に戻り、彼女の方を向いた。
「で、本題だ。お前がここに来たってことは何か伝達事項を持ってきたってわけだな」
そんな真面目な彼を見て、エリはむすっとしていたがしばらくした後、口を開いた。
「大元帥に会いたいんでしょ。許可、出たから」
彼女は入会時から真面目なことが苦手だ。
いつもちゃらんぽらんで、しばしばアクティーを巻き込むこともあった。
なぜこんな人間が入会できたのか、今でも答えは分からない。
そんな彼女が内部伝達者という重役を任されているのだからこれまた不思議なものである。
「はい」
そう言ってエリは片手を差し伸べた。
「は?」
「手つないで行かなきゃ。迷子になったら困るでしょ?」
怪訝な顔をするアクティーに、エリはにっこりと笑った。
思わず大きなため息が出た。
昔と変わらない。
彼女は、子供がそのまま大人の姿になったかのようなむじゃきな性格で、そのくせお姉さんぶる。
アクティーは首を横に振った。
そんな彼の様子が気に食わなかったようだ。ぶーと口を尖らせた。
「3年も違う支部にいたんだよ? 道忘れてるでしょ。ほらほら」
言いながら手を伸ばし、催促する。
「あのな。7年もここにいたんだぞ? そう簡単に忘れるほどボケてねえよ」
アクティーにそう言われると、彼女はそれはそれは大げさに、残念そうにため息をついた。
手を下ろすと、むすっとした表情で先導し始めた。
束ねた長い金髪がその動きに合わせて大きく揺れる。
何故彼女に案内されなければならないのか。小さくため息をつくと、その後に続いた。
しかしそんな裏表のない彼女だからこそ、アクティーは気を許すことができた。
堅苦しい言葉や仕草を強いられる協会内で、表情を殺して上っ面だけで人と接してきた。
そんな時、彼女が入会し、上からの命令で何かと行動を共にさせられたわけだが、そのたび何か問題事を起こし、一緒になって叱られることもしばしばあった。
それでもなお楽しそうに笑う彼女。その前でだけ本来の自分をさらけ出すことができた。
「それにしても大元帥に会いたいーなんて、アーくんも無茶言うね」
ただこの呼び方だけは止めてほしかった。