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ボクたちのてのひら【旧版】  作者: 雨露りんご
第12話 まだ見えぬ世界の影
56/196

12‐1

 ぱたんと静かに扉を閉めると、年老いた医者が出てきた。

 廊下で待っていたラウダとノーウィンが立ち上がる。


「……どうですか?」


 恐る恐る尋ねるラウダに、医者は優しく微笑んだ。


「命に別状はありません。それどころか、話に聞いていた傷が綺麗さっぱりなくなっていて驚きましたよ」

「ラウダの魔法か……」


 ノーウィンが安堵のため息をつく。


「ただ、弱っていたところに海水を浴びたせいでしょう。高熱が出ています。今は薬で落ち着いていますが、2、3日は安静にさせてください」

「分かりました。ありがとうございます、先生」


 同じく待機していたアクティーが後ろから歩み寄り、医者に礼を述べた。

 医者は軽く礼をすると、ゆっくりとした足取りでその場を立ち去った。



 帰港すると、町中の人たちがまるで祭りのように盛り上がっており、船から降りるのにも一苦労した。

 というのもどこから聞きつけたのか、早くも巨大クラーケン退治の話題で持ちきりだったのだ。


「情報部のやつら……後できつーく叱っておかねえとな……」


 人混みに揉まれながら、アクティーが笑顔でそう言った。それはそれは恐ろしい笑顔だったが。


 船長の一喝と乗組員たちの声かけのおかげで、何とか人混みを逃れ宿へとたどり着いた一行は、アクティーの指示通り待っていた医者に、すぐにローヴを診てもらうこととなった。


 そんな中、気がつくとガレシアの姿はなくなっていた。

 アクティー曰く気にするなとのことだったが。


「……もう入っても大丈夫だよね?」


 念のため、アクティーに確認する。

 ローヴの元にラウダも付いていようとしたのだが、セルファとアクティーから「女性の診察に男が付くのは人としてどうか」と責められ、仕方なく廊下で待機していたのだ。


「ん。いいんじゃね?」


 軽い返事に気が抜けつつも、念のため扉をノックし、そろそろと入る。

 中ではベッドに寝かされたローヴに付き従うように、セルファが椅子に腰かけていた。

 ローヴの顔から苦しそうな表情はすっかり消え、今はすやすやと眠っていた。

 その様子にほっと胸を撫で下ろす。


「セルファ、ありがとう」

「……何?」


 唐突なラウダの言葉にセルファは首を傾げながら、振り返った。


「ずっとローヴに付いていてくれたこと。きっとローヴも同じこと言うと思うけど」


 そう言って微笑みかけるラウダから視線をそらすと、セルファは再びローヴの方へと向き直った。


「……彼女は私を助けてくれた。助けてくれた人間に恩を返すのは一族の教えだから」


 そんな彼女の横顔からは、それだけの理由で付き添っているわけではないような気がした。


「さて。一安心したことだし、風呂にでも行くか」


 不意にアクティーが声をかけてきた。

 言われてみれば、ここまで必死だったため、全身に海水を浴びたことなど忘れていた。すでに半分乾きつつある。

 急激に体が冷え込んできたような気がして、ラウダは小さくくしゃみをした。

 ノーウィンが小さく笑う。


「これ以上病人を増やすわけにもいかないし、そうするとしようか。……セルファ」


 名前を呼ばれると、セルファは小さくうなずいた。

 どうやら引き続きローヴを看ていてくれるらしい。

 それを確認すると、男性陣は部屋を出ていき、宿内にある風呂場へと向かった。


 扉がぱたんと閉められてからも、しばらくセルファはぼんやりとローヴを見ていた。


 仲間意識。


 それは上辺だけのものであり、ソルを守るということのためだけに生きてきた。それは今でも。

 あるとすればそれは一族に対してだけ。


 そのはずだったのに。


 セルファはうつむく。自身の胸に手を当てると、そっと目を伏せた。


「この胸に湧いてくる想いは何なの……? どうすればいいの……? 教えて……姉さま」


 静けさだけが、そっと返ってきた。


 *     *     *


 風呂から上がったラウダは、洗濯中の服の代わりに、宿屋の主人に貸し出された少しよれよれのシャツと半ズボンに着替えると、タオルで髪を拭いていた。

 そこでふと鏡に映った自分の姿が目に入った。


「また少し伸びたかな……」


 そうつぶやき、自身の金髪に触れると、拭ききれていない水滴がぽたりぽたりと零れ落ちた。


 風呂といえば、この世界では一般的に、広い浴場に設置された大きな湯船に複数人が入るものがほとんどのようだ。当然男性と女性は分かれている。

 リジャンナにもその文化は存在するので特に違和感もなく入っていたが、今思えば意外なところにも共通点があるものだ。

 そんなことをぼんやりと考えながら簡単に髪を結うと、脱衣所から出る。


「お待たせ」


 待っていたアクティーとノーウィン――同様に仮の服を着ているが、2人は長いズボンをはいている――に声をかけた。

 3人並んで廊下を歩き出すと、アクティーがやれやれとため息をついた。


「まったく……あのイカ野郎には困ったもんだ。大事なコートだってのに海水漬けにしてくれやがって……」

「シルジオの制服だよね。あれってもし破れたり失くしたりしたらどうするの?」

「そりゃあもちろん弁償。高い金払って新調しなきゃならないってわけ」


 ラウダの素朴な疑問に、すっかり威厳を失くした格好のアクティーが自慢げに答えた。もちろん自慢するところではないが。


「見たところ結構立派なものみたいだしな」


 風呂上りで長髪を団子状に結ったノーウィンが会話に交じる。

 それに対して今度は得意げな様子を見せる。


「そりゃ戦闘を考慮して作られた特製だしな。魔法も攻撃もなんでもござれってな」


 アクティーが自慢することじゃないと言いたいところを、すぐに言い返されると思い、ラウダは口をつぐんだ。

 そしてたどり着いた部屋の扉に手をかけ、開けた。

 と同時に凄まじい勢いで枕が飛んできた。三連打。


 ドゴォ


 枕とは思えない音を発して、3つ全てラウダの顔に命中。何かを言うことも許されずそのまま後ろに倒れ込む。

 ゆっくりと、音も立てずに扉が閉まる。


「……あー、大丈夫か?」


 呆れた顔で見下ろすアクティーが声をかけてきた。

 返事はない。意識はあるが、大の字に倒れたまま、目をぱちぱちと瞬いている。

 何が起こったのか分からないようだ。

 その様子を見て頭をかくと、ノーウィンは扉の方を見やった。


「セルファだな……あいつ中で何してるんだ?」

「とりあえず、入るなってことだろ。しかし3つとも確実に顔に当てるとは……さすがセルファちゃん」

「感心しないでよ……」


 ようやく言葉を発すると、ラウダはゆっくりと、顔面を抑えながら立ち上がった。

 心なしかぶつけられたところがひりひりする。


 仕方なく、廊下で待機すること十数分。

 内側からゆっくりと扉が開き、セルファが顔をのぞかせた。


「……もういいわよ」

「……本当に?」


 恐る恐るそう尋ねるラウダに、セルファは小さくこくんとうなずいて見せた。

 セルファに続いて3人は――ラウダは3つの枕を抱えて――部屋に入る。

 よく見ると、ローヴの服が別のものに取り換えてあった。見たところ、3人同様宿屋の借り物のようだ。見渡すと着ていたものは部屋の隅に干してある。


「……体、拭いておいた」


 何故か片言で小さく言ったセルファに、ラウダが驚いて見つめる。


「セルファがやってくれたの?」


 こくりと小さくうなずいた。


「珍しいな。セルファが他人の世話をするなんて」

「…………」


 ノーウィンが驚いたように声をかけるが、セルファはうつむいて黙りこくってしまった。


「しかし、2、3日安静ってことは当然俺たちも足止めってわけか」


 アクティーが顎に手を当て何気なくそう言うと、ばつが悪そうにノーウィンがそっちを見やった。


「ま、レディーのためなら当然従うけどな。どっちにしろ船もすぐには出せねえだろうし」


 対して気にも留めず、淡々と言ってのける。


 船と言われ、はたと思い出す。自分たちはここに定期便に乗りに来たのだったと。

 忘れていたわけではないが、ここまで色々なことがあるとどうしても本来の目的を忘れてしまいがちになる。

 彼の言うとおり確かに昨日今日まで機能していなかったものが唐突に動き出すわけがない。貨物船に至っては貨物の中身をチェックしなければならないだろうし、他の船同様定期便も整備が必要だろう。


 ということは。


「しばらく休息ってことになるのかな」


 ラウダがそう言って3人の顔を見やる。


「本当は休息なんてしている場合じゃないのに……」


 セルファが腹立たしそうに吐き捨てる。

 そんな彼女にノーウィンは首を横に振ると、


「そう言うな。ローヴだって大事な旅の仲間だろ?」


 笑顔で優しく諭した。


「とりあえず」


 再度黙り込むセルファに向けてアクティーが声をかける。

 苛立ちを露わにしたセルファが顔を上げ、彼の方を睨むように見上げた。


「まずは風呂に入ってくることだな、セルファちゃん」


 言われて初めて気づいたのか、表情が和らぎ、自分の体を見やった。

 海水をかぶったままの彼女は、ほとんど乾いているとはいえ、元は全身ずぶ濡れ。

 水分を含み重みを持った髪は湿り、ぺったりと体に張り付いた服は布の上からでも分かるほど、彼女の細身を露わにしていた。


 それまで気にも留めていなかったラウダは、急に恥ずかしくなり思わず目をそらす。

 しかし当の本人も含め、皆大したことではないと言いたげに堂々としている。

 ノーウィンは、まあ分かる。伊達に彼女の相棒をやっていないはずだ。

 アクティーは性格的な問題だろうか。付き合いを持って間もないが、フェミニストなのはよく分かった。

 問題はセルファ本人だ。こういう時女性は恥ずかしがって隠すなり何なりしないのだろうか。こうも堂々とされると、自分が間違っているようで余計に恥ずかしい。


「そうだな。風邪をひく前に入ってくるといい」


 そんなラウダの胸中に気づいているのかいないのか、ノーウィンが苦笑しながらセルファに声をかける。

 こくりとうなずくと、彼女はさっさと部屋の外へ出ていった。

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