11‐3
「何年ぶりだっけな……」
アクティーはグラスを傾けた。
それに合わせて氷が動き、からんと音がした。
「さあ? 忘れちまったよ」
酒場のカウンターで男女2人は隣り合わせに座っていた。
昼間、偶然再会したものの。せっかく2人きりで話ができる状態であるものの。
結局これと言って話題もなく。沈黙が続いただけであった。
「まだ旅人だったんだな。てっきりどっかで暮らしてるもんだと思ってた」
ジョッキをぐいと口に当て、勢いよくビールを飲むと、
「柄じゃないね、そんなの」
言いながら、だんっと勢いよくカウンターにジョッキを置いた。
「はは、だろうな」
軽く笑うと、アクティーもまたウィスキーを口にする。
「そう言うアンタこそ、随分と偉くなったもんだね」
お互い相手の顔を見ることなく、淡々と会話は続く。
「家にいたくなくてな。必死に勉強した」
「家にいたくない、ねえ……」
ガレシアはどこか遠くを見るように、ジョッキに映る自分を見つめた。
「……親父さんはどうしたんだ?」
ぼんやりとグラスの中の氷を見つめながら、アクティーがそう尋ねた。
しばしの沈黙。
いや、聞かなくても分かっていた。
父親思いの彼女が1人で旅をしているということは。
「死んだよ」
一言、そう返ってきた。
「……そうか」
指先で、グラスの中の氷をいじり始めた。
「あの人も死ぬんだなあ……」
「そりゃあ、いくら偉大な旅人でも人間だからね」
アクティーが力なく笑う。
「それで? ガレシアは1人になった今でも世界を周ってるのか」
ぐいっとジョッキの中のビールを飲み干した。
「父さんの敵を探してる」
「……何だって?」
そこで初めて、アクティーはガレシアの方を見た。
ガレシアの方は目を合わせることなく、話を続ける。
「父さんは殺されたんだ。アタシの目の前でね。でも、アタシにはどうすることもできなかった。父さんの手によって逃がされた後だったからね」
萌黄色の瞳が鋭く光る。
その様子を見て、ただならぬものを感じた。
「……どういう状況だ、それ」
「……それは一組織の大佐として聞いてんのかい? それとも――」
アクティーは小さくため息をつくと、
「……どっちもだ」
と答えた。
ガレシアは目を閉じると、思い出すようにゆっくりと話し出した。
「……7年前の話さ。その時もアタシら父子は旅人として世界各地を回ってた」
小さく首を横に振る。
「今になって思えば何であんな話に乗ったんだろうねえ……」
「何の話だ?」
本当は思い出したくないのだろう。話すことを渋っているようにも見えた。
しかし少なくともアクティーには知っておく義務があると思った。
それは先程彼女が言った通り大佐としてでもあり――
「天より降りし黒い石」
少し間を置いてガレシアが発したのはそれだった。
謎の言葉に思わず眉をひそめる。
「……石?」
「お宝の話さ……旅人の中でもごく限られた人間の中でまことしやかにささやかれる、ね」
そこでガレシアは目を開けた。こちらに合わせることはなかったが。
「父さんはその話に乗った。情報をかき集め、何とか場所を突き止めると、アタシを連れてとある小島へと渡ったのさ」
正面には酒瓶が並ぶ棚。しかしガレシアの目には違う風景が映っていた。
「元は祠だったんだろうねえ……ボロボロになって見る影もなかったけど。その地面を探ると、石板の下にまるで隠すかのように、地下へと降りる階段があったんだ……」
暗くて、じめじめしていて。四方八方を海に囲まれているからか潮臭かった。
そんな中、たいまつを手にした父さんの背を追うように、慎重に、階段とも坂ともつかぬ地面を慎重に下って行く。
壁を見ると、所々にふじつぼが張り付いており、海水が流れ出しているところもあった。
それが地面に水溜まりを作っており、その上をぱしゃぱしゃと音を立て踏みつけていく。
そうしてたどり着いた最奥には、何もなかった。
外れかと思った矢先、父さんはたいまつで地面をかざすと、突然掘り起こし始めた。
しばらくすると、鈍い光を放つ石が顔を出した。
驚き、肩ごしにのぞき見るアタシに構わず、地面を掘り続ける。
そうこうするうちに石は掘り起こされ、それはゆっくりと父さんの手に拾い上げられた。
「これだ……間違いない……」
それは父さんの手の中で鈍い輝きを放つ黒い石。矢じりのようなとがった形。黒曜石にも見えるがもっと黒く、深く、見ていると吸い込まれそうで。
何故だか胸騒ぎがした。
「よく覚えておけガレシア、これは――」
その時だった。
背後から殺気を持った人の気配がした。それも複数。
「もう気づかれたか……!」
もう?
でもそれを問う暇なんてなくて。
「ガレシア! 行くぞ!」
父さんは大切そうにその石をしまうと、武器を手にして元来た道を駆け出した。
黒い服に、黒い面をつけた謎の集団が次々と襲いかかってくる。
でも父さんの手にかかれば雑魚同然だった。
地上に出ると辺り一帯を囲まれていた。アタシも必死で応戦したけれど、キリがなかった。
どうにか突破口を開いて、父さんは乗ってきた船とは反対の方へと駆け出す。
船の方向からは煙が上がっていた。
すぐに分かった。沈められた、と。
反対の方向には入り江がある。ここへたどり着いてすぐに隠しておいた小舟がある入り江が。
何とか敵を振り切ってたどり着くと、父さんは後ろを確認し、アタシを先に乗せた。
そして、船を出した。
「父さん!?」
何も言わないまま、父さんは懐から取り出した小箱を投げた。
アタシは飛んできたそれを受け取ると、父さんの方を見た。
どんどん船が島から遠ざかるのに、父さんが乗ろうとする気配はなかった。
アタシは船を飛び下りて、泳いで父さんの元へ行こうとした。
「行け! ガレシア!」
そう言われてアタシは動けなくなった。
船はさらに離れていく。
そのうちに黒服の男たちが父さんの元へたどり着き、さらに船に乗ったアタシを追おうとする。
「お前たちの求めているものはここだ!」
父さんはそう叫んで、さっきの黒い石を取り出して掲げた。
黒服たちに取り囲まれて戦う父さん。
アタシはずっと父さんを呼び続けるしかできなかった。
「一対多数……勝てる見込みがない戦いだなんて分かってたさ……でも、生きててほしかった……」
ガレシアの目には棚に並ぶ酒瓶が映っていた。
ゆっくりとうつむく彼女の姿はどこか寂しそうで。だがアクティーには何と声をかけたらいいのか分からなかった。
「……父さんが最期に渡した小箱には、ネックレスと、手紙が入ってた」
言いながら、自分の首にかけてあるいくつもの石を連ねたネックレスを触った。
昔から着飾ったりするような性格でないことは知っていた。だからこそ不思議に思っていたが、ここでようやっと理解できた。
「……形見なのか」
「正確には母さんの、らしいけどね……手紙に書いてあったんだ。自分が死ぬときは母さんの形見を渡すことに決めていたってさ」
「……それはつまり」
彼女の父親は自分が死ぬことを分かっていた。
しかしそれ以上言うなとでも言いたげにガレシアは強く首を振った。
「……で? どうなんだい? 大佐殿は石について何か知ってるのかい?」
ガレシアは顔を上げ、カウンターに頬杖をつくと、それまでの暗い雰囲気を払拭するかのように、強気にそう尋ねた。
「……いや。悪いが、俺はその話は初めて聞いた」
「はっ。んなこったろうと思ったよ。……話して損したね」
言うなり、ガレシアは椅子から立ち上がった。
「ガレシア?」
「言っとくけどね」
ばさっと白いシャツの上に黒いコートを羽織る。
「アタシは、アンタが大佐として何か情報を握ってないか、それを聞き出そうと思っただけさ」
そして、アクティーの後ろを通り過ぎる。
「約束を破るやつは嫌いなんでね」
そのまま酒場を出ていった。
結局最後まで目を合わせてくれることはなかった。
1人残されたアクティーはカウンターに頬杖をつくと、ぼんやりとグラスを見つめた。
「やっぱ根に持ってんのな……ま、当然だわな……」
顔を上げると、残っていたウィスキーを飲み干す。
そして彼もまたコートを羽織り、金を置くと、酒場を後にした。