10‐3
「グアアアアッ!!!」
アクティーの左手の上で小さく風が渦巻いた。
彼の発動した魔法で、吹き飛んだ魔物の群れが激昂して、起き上がる。標的をこちらに変えてくれたようだ。
くいっとメガネを押し上げ、剣を左手に持ち直すと、アクティーは楽しそうに笑った。
「自由に戦えるってのはやる気が出ていいねえ! 遠慮なんていらねえもんな!」
「怖いよ、アクティー……」
その言葉に若干退きながらも、ラウダも剣を構え直す。
発達した長い両手が特徴で、移動も足ではなく両手で行い、先には鋭い爪を持った魔物“スラッシャー”。例の如くノーウィンに教えてもらった。
ちなみにローヴの第一印象曰く、爪と凶暴性が無ければ毛むくじゃらで可愛いのに、とのこと。
正直その感覚は理解できない。
腕に力を込め、勢いよく飛びかかってきたスラッシャーの爪を剣で受け止めると、力いっぱい地面にたたき付け、その腹に剣を突き刺した。
吹き出した血が服を汚す。
それでもなお、暴れていたが、しばらくするとぴたりと動かなくなった。
「顔に似合わずなかなかグロいことするねえ、ラウダ君」
「ふざけてる場合!?」
ここにいるのは残り3体だが、ハウリングの時のように仲間を呼ばれるとたまらない。
ラウダは剣を抜き払うと、次なる標的へと視線を移す。
その隣で集中力を高めていたローヴが手のひらを突き出した。
「イグニス!」
こぶし大の火の玉が、駆け寄ってきた敵の顔をかすめる。素早い。
ひるむことなく、ローヴに飛びかかる。
鋭い爪が陽の光を反射してぎらりと光る。
思わず軽剣でガードしようとするが、そこへ勢いのあるかけ声が響く。
「はああっ!」
飛びかかってきた勢いのまま、槍の餌食となったスラッシャーはそこから抜け出そうと激しくもがく。
それを止めるために近場の木に鋭く刃を突き立てると、刺さっている心臓部に力を込めた。
暴れることを止めないスラッシャーだったが、唐突にがくりとうなだれ、ぴくりとも動かなくなった。
それを見計らって槍を抜き放つと、べったりとついた血を地面にまき散らした。
「あ、ありがとうございます」
「どうってことないさ。それより、まだ気は抜けないぞ」
簡単に言葉を交わすと、動きが素早く、魔法では対処できないと感じたのだろう。ローヴは剣を構えた。
一方、セルファはダガー一本のまま、木の枝に手をかけ、くるりと一回転して軽々と飛び乗った。
同じく木の上にいたスラッシャーが大きく口を開いた。
「グアアアッ!!!」
辺りに木霊する鋭い叫びは威嚇する時に発せられるものだ。
木の枝の上で舞い始めたセルファ。しかし敵はここぞとばかりに素早く木の幹に爪を立て、その勢いで木を飛び回り、彼女に切りかかった。
その力強い振りを、セルファは左手に携えたダガー1本で受け止める。だが舞は止まらない。
「すごい……あんな状況で集中力をかき乱されないなんて……」
頭上を見上げ、思わず感嘆の声を上げるローヴ。
木々が揺れる。
なおも諦めないスラッシャーは、今度は両手を振りかぶった。鋭い爪がぎらりと光る。
しかしそれは当たることなく。舞い終えた彼女は右手を敵の腹部に当てる。
「ロックニードル!」
大きなマナの渦が先の鋭い岩を形成し、手からまっすぐに発された。
勢いのあるそれは、敵もろとも正面の木の幹に突き刺さった。
「グアア……アア……」
発された声もやがて弱まり、物の数秒でがくりと力尽きた。
残り1体。
しかし逃げようともせず、仲間を呼ぼうともしない。
1匹になってもなお立ち向かってくる。
魔物とは皆こういうものなのだろうか。
だがよくよく考えてみると、人間もまた同じなのかもしれない。
1人になっても諦めない、諦めの悪さは魔物に劣らないだろう。
地面を手で強く殴ると、勢いよく宙を舞う。
もうもうと立ち上る土煙。
「甘いな」
敵の動きに合わせて風が変動する。
放射状に落ちてくるそれの位置を風が伝えてくれる。
アクティーは鋭い爪に臆することなく敵の腹部に蹴りを入れると、幅広の剣を左手で軽々と持ち上げ、 左上から右下へと深々と斬り込んだ。
その勢いで木に勢いよくぶつかったところに、とどめの一撃を突き刺した。
あまりの手早さに敵は抵抗することもなく、剣を抜くと、どさりと地面に落ちた。
「……あんたのその豪快な戦い方、傭兵に向いてるよ」
呆れたようにアクティーを見やりながら、ノーウィンは武器をしまった。
対するアクティーは再度メガネを押し上げる。
「そりゃどうも。嬉しかねーけどな」
武器をしまいながらにやりと笑った。
「大丈夫?」
ローヴが少女の方へと駆け寄る。
その後ろでセルファが木から、これまた軽々と飛び降り、もう一本のダガーを回収していた。
少女は見たところラウダやローヴと変わりない年頃のようだ。
ぽかんとした表情だったが、ローヴの声で我に返ったらしい。
「えーと……わたし、助けてもらったんですよね?」
そう言って首を傾げた。最初の反応がそれ。
今度はローヴがぽかんとなってしまった。
「あ、そ、そうです、ね?」
片言の言葉が口から出てしまう。
そんな片言でも安心したようだ。にっこりと微笑んだ。
「良かったあ。悪い人たちだったらどうしようかと思いました」
おっとりとした口調でそう言うと、身構えていた杖を両手で握り直し、碧い瞳を閉じた。
何事か聞き取れない、呪文を詠唱する。
すると一行を囲うように、地面に大きな光の紋様が浮かび上がった。
驚く暇もなく、少女はそっとつぶやくように告げた。
「スピリットブレス」
紋様から光が弾ける。それと同時にそれぞれが負っていた傷が綺麗さっぱりなくなった。
少女は目を開けると杖を下ろし、再びにっこりと、さらりと長い金髪を揺らしながら笑った。
「これくらいしかお礼、できないですけど……」
髪が揺れるたび、白と翠の石で飾られたサークレットに付いたレースがひらりひらりと揺れる。
「すごい……」
両手や全身を見渡しながら感嘆の声を上げるローヴの横で、アクティーが首を傾げていた。
「君、治癒法使か?」
「あ、いえ。わたしは魔法使ですよ。でも回復することの方が多い……」
そこまで言って何かに気づいたようだ。はっと口元に手を当てる。
それに対してノーウィンも何かしら疑問を抱いたようだ。
「魔法使が1人でこんなところに? 危険じゃないか?」
その言葉に、少女はしゅんとうなだれた。
ふと、ラウダの中で師匠、ビシャスの言葉が思い返された。
『魔法使ってものはその名の通り魔法に優れた存在だ。けどな魔法には発動するまでに時間がかかってしまうものが多い。中には短い時間で魔法を発動させる“大魔法使”ってえ存在が世界に数人いたとか。けどそれは例外だ。その時間に集中力を高め、マナに働きかけるが、逆に言えばその時間は無防備なわけだ。だから、魔法使は複数人、それも前衛で戦うやつと行動を共にすることが多い。』
このとき、ローヴに「決して1人で行動しようと思うな」と注意をしていたのも覚えている。
そういう理由もあって、魔法使が、しかも同じ年頃の少女が1人でこんな森の中にいるのは不思議だった。
「実は、剣士のお兄さんと旅をしていたんですけど、森の中ではぐれてしまって……」
「この森で?」
続いてラウダも首を傾げた。
見たところ、鬱蒼としてはいるものの、所々に陽の光は差しているし、2人一緒に行動していれば迷う要素など無さそうだ。
「綺麗なお花があったから……見ていたらいつの間にかひとりぼっちで……」
困ったようにそう言う少女を見て、一行は思わず言葉を失くしてしまう。
「天然……なのかな」
ローヴがこそっとラウダにささやいた。
「……多分」
ラウダもこっそり返す。
そんな風に言われているとは露知らず。少女はどこか泣き出しそうな顔をしていた。
そこでアクティーのフェミニスト精神が発揮された。
「んじゃ一緒に行きますかい? お嬢さん」
「え?」
ぽかんとした表情で、少女は顔を上げた。
対して、セルファがアクティーに睨みを利かせる。
しかし今回はローヴも、相変わらずしゅんとしている少女を見かねてか、後押しした。
「そうだよ! 1人じゃ危ないし、一緒に探そうよ」
その言葉に少女の表情がぱあっと明るくなった。
「本当ですか! わあ、嬉しい!」
セルファは呆れた様子で、しかしローヴを責めるようなことはしなかった。
ノーウィンもやれやれといった表情を浮かべたものの、こんなところに少女を1人置き去りにするわけにはいかないと判断したのだろう。
微笑みながら少女に尋ねた。
「それで、君と一緒に行動してた剣士っていうのはどんな人なんだ?」
「マント!」
即答。
さすがのノーウィンも思わず開いた口が塞がらなくなる。
「あ、あと恥ずかしがり屋さん……なのかな? ちょっと話すのが苦手で――」
「えーと……もう少し具体的な特徴はないのかな? 見た目とか」
何とか情報を聞き出そうとラウダが間に入った。
「見た目がマントなんですけど……」
見た目がマントとはこれいかに。
何故か世界に存在しない会話をしているような気がしてきて、ラウダは具体例を出すことにした。
「た、たとえば髪の色とか! あ、あと目の色とか!」
「あ、それなら藍色の髪に紫色の目をしてます。あと、髪の毛はすごく長くて、三つ編みにしてるんですよ。かわいいですよね」
「う、うん、そういうことを聞きたかったんだ」
にっこりと微笑む天然系の彼女には、さすがのセルファも呆然とした顔をしていた。
「うし、特徴も分かったことだし、さっさと探しに行きましょうか――っと」
そこまで言って、初めて気づいたようだ。
「お嬢さん、ちなみにお名前は?」
「え? イブネスっていうお兄さんですよ」
「いやいやお嬢さん本人のお名前ですよ」
本人という部分を強調している様子を見て、ラウダとローヴが後ろでくすくすと笑った。
「あ! ごめんなさい! わたし、自己紹介してませんでしたよね……」
口に手を当てて申し訳なさそうにそう言うと、胸元に手を当てた。
「わたしはオルディナ・メロストと言います。皆さん仲良くしてくださいね」
にっこりと微笑む少女オルディナ。
果たしてこの天然系少女と旅をしている通称マントとはどのような人物なのか。
一行は何だかもやもやしながらその場を立ち去るのだった。