10‐1
アクティーを加えた一行はフォルガナを後にし、次なる目的地へと歩を進めていた。
緑豊かな平原。歩みを進めると、ちらほらと見える木々の数が増えていく。
しかしそれも今は目に入らない。
「で? おたくらの目的地は?」
信頼していた大佐が去ることに悲しみを見せていたフォルガナ支部。その様子を垣間見た一行の間には重々しい空気が満ちていた。
そして同時に明かされたノーウィンの記憶喪失。
いくら知らなかったとはいえ、無神経なことを言っていたのではないかと思い悩むローヴは、一段と落ち込んでいるように見える。
そんな彼らの沈黙を破ったのがアクティーの一言だった。
「……ガストル帝国よ」
誰も答えようとしないので、渋々セルファが答えた。
彼女の目的はあくまで勇者を導くこと。空気がどうであれ、いつもと変わらぬ様子だ。
「へえ、そりゃまた随分と物騒な所で。まあ今の世界状況の元凶を考えるとあそこしかないか」
ははっと笑いながらアクティーは、メガネの真ん中を押し上げた。
その笑いに返事はない。相変わらず、各々何事かを考えるように難しい表情のままである。
「あのさあ」
反応が悪かった作り笑いを止めると、ため息と共に言葉を吐き出す。
「お前らっていつもこうなわけ? 葬式してるんじゃないんだぜ? 暗すぎにも程があるだろ」
呆れ顔でアクティーがそう言うと、ローヴが顔を上げた。
「あの……アクティーさんは辛くないんですか?」
「んー……なんで?」
平然とそう言う様に、ローヴは驚きつつも言いづらそうに口を開いた。
「だって……支部にいた人たち、みんな寂しそうにしてたから……」
「あいつらはあいつら。俺は俺。それぞれ考え方ってものがあるわけよ。今のお前らみたいにな」
そこで初めてラウダとノーウィンも顔を上げた。
「よくそう簡単に割り切れるもんだな」
苦虫をかみ潰したような顔を見せながら、ノーウィンが言った。
ラウダとローヴからすれば、彼がそのように怒りや暗い表情を見せることの方が珍しかった。正直なところそれが不安の要因になっていたということもある。
そんなノーウィンに、アクティーはやれやれと肩をすくめた。
「これでも昔は苦労した身なんだぜ? 何なら俺の苦労話でもじっくり」
「そんなことより、あんたに聞きたいことがある」
アクティーの語り部口調をあっさりと遮る。
不快そうな彼の表情さえも無視して、厳しい顔つきでノーウィンは続ける。
「“黒い鎧を身にまとった騎士”の話を知らないか」
「黒い、鎧?」
聞き覚えのない言葉にローヴは首を傾げた。
間髪入れずにアクティーが説明と答えを返す。
「全身を黒い鎧に覆われた騎士、だっけか? 神出鬼没で世界各地で姿を見せるが、その行動、心理共に不明、と。残念ながら俺もうわさくらいしか知らねえな」
「そうか……シルジオの人間なら、と思ったんだが……」
そう言うとノーウィンは非常に落胆した様子で、肩を落とした。
「なんだよ、お前、そんなやつを追ってるのか?」
「ああ……死んだ親父の唯一の遺言だったんだ。『黒い騎士が』って……」
「お父さん、亡くなられてるんですか……?」
その言葉に反応したのはまたしてもローヴだった。今度はどこか驚いた様子で。
「ん、ああ、4年前にな……殺されたんだ」
「ふうん。殺したのは“黒騎士”ってわけか?」
アクティーの問いに、ノーウィンは首を横に振った。
「いや、分からない。さっきも言った通り『黒い騎士が』って遺言を残して死んだから、何か手がかりがあるのかと思って探しているんだ」
分からない。そうは言うが、その表情にはどこか決意のようなものが見て取れた。
敵討ちをしてみせるというような決意が。
「なるほどな。どおりでここ数年でディッセル・スティクラーの話を聞かなくなったわけだ」
すぐさまぎょっとした顔でノーウィンがアクティーの顔を見やった。
しかし相手は依然平然とした顔のままだ。
「死神は親父譲りだ、って言ったのはお前だろ? 死神で傭兵って言ったら“隻眼の死神”ディッセルしか思い当たらねえよ」
「それがノーウィンさんのお父さんなんですか?」
よく分からないまま2人のやりとりを聞いていたローヴが口を挟んだ。
「義理の、だけどな。記憶喪失の俺を拾い育ててくれた傭兵さ」
そう言うとノーウィンは笑いかけてきた。
だがその笑みは今まで見てきたどれよりも弱弱しいものだった。
それだけ彼が、たとえ義理だとしても、父親を愛していたということなのだろう。
「どれだけ人が死のうが、そいつだけは必ず生きて帰ってくる。数多の戦場を渡り歩いたという伝説の傭兵、だったか? 直接会ったことはないがシルジオ内部でも人気者だったぜ。よく話題に上がってた」
「……そういう風に言われるの、親父は嫌がってたけどな」
やれやれと、ノーウィンは首を左右に振った。
「まあ、周りが死んで自分だけ生きて帰ってくるっていうのを想像すれば、気持ちは分かるがな」
アクティーは、自分はそうはなりたくないとでも言うように、肩をすくめた。
そして唐突にラウダを指差した。
「で?」
「……え?」
あまりに唐突すぎて。思わずぽかんとした表情でアクティーを見つめると、彼は呆れ顔で答えた。
「え、じゃねえだろ。ローヴちゃんとノーウィンの野郎の言い分は分かったが、お前は何でそんなに暗い顔してるんだって聞いてるんだよ」
「え、と……」
正直あまり言いたくない。
そう思うのはこれがわがままのようなものだと分かっているから。
散々考えた挙句、ラウダは渋々と口を開いた。
「アクティーは僕たちについてきちゃって、その、大丈夫だったの?」
「は?」
冷めた視線が痛い。
なんだか自分にだけ厳しい気がするのは気のせいだろうか。
「いやだから……ほら! 仕事とか役割とか、大佐だったらいろいろ大変でしょ?」
なんとか明るく取り繕うとするが、アクティーの態度は変わらなかった。
「仕事なら全部引き継いできた。まあ俺が来ちまったから、あの辺り一体の感知はできなくなって、魔物の駆除とか忙しくはなるとは思うけどな」
あっさりと答えを返された。
必死に次の考えを巡らせる。
「えっと……それじゃあ上の人には!? 勝手に出てきたら怒られるでしょ?」
「んなの事後報告で問題ねーよ。何せ伝説の勇者様が現れちまったんだから仕方ねえだろ」
伝説の勇者様。
上層部へ報告する内容にしては馬鹿げている。子供でもそんな言い訳はしないだろう。
「じゃあ――」
「お前、そんなに俺のこと嫌いか?」
冷たく言い放たれたその言葉に、紡ぎかけたものをぐっと飲み込んだ。
「そういうわけじゃ、ないよ」
視線をついっとそらす。
だが、アクティーからの痛いくらいの視線は外れなかった。
「それじゃなんだ。そんなに俺に来てほしくないわけか」
反射的にぎくりとなる。
つっと嫌な汗が吹き出す。
「図星か?」
恐る恐る視線を合わせると、アクティーは変わらず刺すような視線でこちらを見つめている。
さすがに大佐という地位にいるだけはある。洞察力は抜群のようだ。
それとも風の証を持っているからだろうか。いやそれ以前に彼の性格上の問題かもしれない。
どうやらこれ以上はお手上げのようだ。
ぐるぐると巡らせていた思考を止めると、重い口をゆっくりと開いた。
「……どうして、ついてきたの?」
「言っただろ、使命だって。聞いてなかったのかよ」
大したことはないとでも言いたげに冷たく言い放った。
もちろん聞いていなかったわけではない。ただラウダからしてみればそれが問題なのだ。
「使命だ使命だって言うけど……それってそんなに大事なこと?」
苦々しい顔でそう言うラウダを、変わらず冷ややかに見つめ、アクティーは告げた。
「何が言いたいんだよ? はっきり言ったらどうだ?」
目を伏せると、ラウダは諦めたようにため息をついた。
自分の中の正直な気持ちを引っ張り出すと、答えた。
「僕、勇者なんて自覚ないよ。そんな人間に、簡単に全部放り投げて、使命だからってついてきていいの?」
ラウダの本音を聞いて、アクティーもまたため息をついた。
「僕は、僕のせいで自分のことを放り出されるくらいなら――」
「俺のことは考えなくていいって言ったよな?」
「でも!」
ばっと顔を上げたラウダを、アクティーの目がじっと見つめていた。
そこにはもう、冷たさはなかった。
「そういう運命なんだよ。これは」
そう言ってアクティーは自分の左手を見せた。
ほんのりと浮かび上がった紋様は緑色の輝きを放つ。
同様にセルファの左手も黄色い光を放つ。
すると意図せずラウダの右手もまた、白銀の光を持って輝き出した。
「ただの言い伝えだと思うかもしれねーけど、現に俺たちはこうして出会った。俺は本来、運命なんてものを信じない性質だが……証が言うんだよ」
「……ここで別れても、また出会う」
次いで小さな声でセルファが告げる。
それを見て、アクティーは大きくうなずいた。
「俺もセルファちゃんも証を持ってるからこそ、ただの言い伝えなんかじゃないって分かってる。だからいつか来る日のためにずっと昔からあれこれと準備してたわけだ」
「……準備って?」
「道具だったり、剣術あるいは魔法だったり、それから……覚悟、とかな」
覚悟。
セルファの顔を見る。
表情こそ変えないが、彼女もまた覚悟の上でここにいる。そう告げているように見えた。
それからアクティーの顔を見やった。
一見軽い性格に見えるが、その内面には強く秘めたものがある。
自分には背負えるだろうか。
そんなにも重く大きなものを。
「ま、それだけ分かっとけって話。別に今すぐどうこうしろとは言わねーよ」
光は収まり、アクティーもまた手をおろした。
するとそれまでの真面目な表情から一変、薄ら笑いを浮かべた。
「ほれ、さっさと進まねえと日が暮れちまうぞ?」
「……それもそうだな」
ノーウィンもいつものように笑みを浮かべると、先に進み出した。
その様子に安心したのかローヴもうなずき、それに続く。
ラウダは自分の右手を見やると、ぎゅっと握りしめ、前へと歩み出した。
「ったく、世話が焼ける。ねえ、セルファちゃん?」
そんな一行の後姿を見やりながらセルファに声をかけるも、彼女は相手にすることなく、すたすたと歩き去ってしまった。
やれやれと肩をすくめると、アクティーもその後に続いた。