9‐1
拝啓。
別居中の父さん、母さん。お元気でしょうか。
僕は理由も分からぬまま異世界へやってきて――まさに今、連行中です。
現行犯逮捕、だそうです。大罪、だそうです。
僕らは何もしていないのに。
このまま牢屋に入れられて人生を終えることになるのでしょうか。
* * *
太陽が真上に昇った頃、一行は新たな町フォルガナへと到着した。
リースの村から続くトンネルを抜けてからというもの、魔物に襲われることは一切なく――トンネルを出てすぐ謎の少年の襲撃には出会ったが――平穏そのものだった。
「前に話したろ、シルジオ。そこに所属する魔法使たちが一定範囲内に、魔物が嫌う法陣を展開しているそうだ。詳しいことはよく分からないが……」
そうノーウィンが説明してくれた。
フォルガナという町は、以前まで荒くれ者たちの集う汚れた町だったという。
しかし3年ほど前に現れた、シルジオに所属する若き大佐の手によって、法が作られ、法陣が張り巡らされ、あっという間に自然と調和する美しい町へと変貌を遂げたというのだ。
ちなみにこれもノーウィンから聞いた話である。
事実、町にたどり着いてすぐ辺りを見渡していたが、汚れ一つない、綺麗な町並みが広がっていた。
「その人、よっぽど頭がいいんだろうね。敏腕ってやつなのかな?」
ローヴが感心したように、近くの植え込みに咲く、桃色のサザンカをのぞき込んだ。
足元に敷かれた白い石畳にも、家を形成する白いレンガにも、少なくとも大きな汚れは一つも見当たらない。
そんな中を、今日の夕飯について楽しげに話す親子や、井戸の近くで噂話に花を咲かせる女性たち。
町の様子を始め、人々の様子を見ていても、とても荒くれたちが出入りしていた町とは思えない。
新たな地をもの珍しそうに見回すラウダの肩を、ふわりと風が通り抜ける。
「おっと、そこの坊ちゃん。悪いがどいて頂けるかな?」
花を見るのに夢中で気づかなかったようだ。
イーゼルにキャンパスを立てかけ、絵を描いていた老人に、ローヴが注意された。
「えっ、あっ、ごめんなさい!」
ローヴは慌ててその場を退いた。
「いやはやすまんなあ。ちょうど今から支部を描こうと思っていたところでね……この角度が一番いいんだ」
老人はそう言うと、びっと鉛筆を立て、町の中央部にある大きな建物を見つめた。
その周囲には一定の間隔で木が植え込んであるのだが、老人の位置からだとちょうど開けて見えるらしい。
「あの……支部って言ってましたけど、あれって何の建物なんですか?」
ふと浮かんだ疑問を口にしたローヴを、老人がまじまじと見つめた。
それがどうにも恥ずかしくて、思わず背筋を伸ばす。
「そうか、坊ちゃんは外から来た人かい」
納得したように大きく首を縦に振ると、老人は再度“支部”の方を見つめた。
「あれはシルジオのフォルガナ支部だよ。最年少で入団し、この町をこんなに素敵なものに変えてくれた、それはそれは素晴らしい大佐様がいらっしゃるんだ」
老人は今にも拝み出しそうな勢いで、じっと建物を見つめていた。
そんな老人と同じく、支部を見つめる。
周囲の民家よりも二回りほど大きい建造物。
入り口手前には4本の柱が横一列に立っており、その真上にはローレルの印が掘り込まれている。
その様はどこか町とは違う雰囲気を持ち、さながら神殿のような面立ちである。
ローヴは老人に簡単な挨拶をすると一行の元へと戻ってきた。
しかしそんな彼女に対して、ノーウィンは可笑しそうに小さく笑った。
「な、なんですか?」
戸惑うローヴに、悪い、と首を横に振りながらノーウィンが答えた。
「いや……坊ちゃんって言われてるのに否定しないんだな、と」
それを聞いた彼女はたちまち頬を膨らませる。
「だって……いちいち否定してたらキリがないじゃないですか。いつものことだし」
そう言うと、ぷいとそっぽを向いて、すたすたと歩き始めた。
「機嫌、損ねたかな」
困ったように頭をかくノーウィンに対し、ラウダは首を横に振った。
「大丈夫だよ。いつものことだから」
ローヴは否定こそしないものの、やはり男と見られるのはお気に召さないらしい。
表面上では平然としているが、実際には今のように機嫌を損ねることが多い。
とはいえそれもすぐけろりと元に戻るのだが。
「じゃあとりあえず、宿を取っておくか」
今後の予定を立てるためにも、まずは拠点が必要である。
そう判断したノーウィンは先に行ったローヴに続くように歩み始めた。
それに続くセルファとラウダ。
だが、一行が家々の立ち並ぶ通りを歩いている時だった。
「見つけたぞ! あいつらだ!」
後方から男性の大きな叫び声が響く。
何事かと足を止め振り返ると、こちらを指差し、辺り一帯に何事かを触れ回っている若い男がいた。
年齢的にはノーウィンと同じくらいだろうが、体格は似ても似つかぬひょろひょろの細身。
かと思えば、今度は住宅街の隅から、老若男女問わずぞろぞろと人が出てくる。
そしてその手にはそれぞれおたまやら、サンダルやら、くわなど。
鋭いにらみをきかせながら、まるで軍隊のように、ずんずんとこちらへ歩み寄ってくる。
漂うのは負のオーラ。
嫌な予感しかしない。
先導していたローヴが後ずさって合流してきた。
完全に囲まれてしまった。
「ついに見つけたよ! さあ観念しな!」
ほうきを片手にした、ふくよかな女性の叫びを皮切りに、辺り一帯の人が次々に口を開いた。
「あんたたちがうちの金品を盗んだのね!」
「うちの家宝のつぼを返しやがれ!」
「あの指輪は大事な形見なんだ! 返してくれ!」
「ただでさえ貧乏なのにこの上まだ盗む気か!」
「この泥棒野郎! お前らなんかこのくわの餌食にしてやるわ!」
耳が痛い。
四方八方から声が飛んでくる。
どうやら元荒くれ者の町というのは間違いないらしい。人々のケンカ腰を見ればなんとなく分かる。
しかし彼らには悪いが、当然身に覚えがない。
誤解だ。その金品等を盗んだのは自分たちではない。
そう必死になって弁解するも、一方的に言われたい放題でまともに取り合ってくれない。というよりも相手の声にかき消されて声が届かない。
さらにじりじりとにじり寄ってくる人々に成す術もなく、4人は背を合わせる。
「な、なんとかしてよラウダ!」
「無茶言わないでよ!」
ローヴの必死な声に応えられるはずもなく。
このままでは身に覚えのない濡れ衣を着せられて、袋叩きにされてしまうだろう。
いや、もしかするとそれより酷い目に合うかもしれない。
何せここは、元・荒くれの町なのだから。
額からつっと汗が流れ落ちる。
その時だった。
「そこまでです!」
凛とした声が辺りに響き渡ったのは。
それを機に、直前まで大声でわめき散らしていた人々は一斉に口をつぐんだ。
ちらりと声がした方を見やる。
現れたのは青みがかった黒髪をおだんごにした若い女性。
だが、その服装は一般人のそれとは異なり、しわ一つない深緑のコート。どうやら制服のようだ。
左胸元に金糸でローレルの――先ほどローヴが見た建物、支部に彫られたのと同じ――刺繍が施されている。
女性は周囲にいる町の人々の顔を見渡すと、次にこちらへと視線を向けた。
その碧眼は、人々に向けたものと異なって、鋭く、厳しいものだった。
しかし何を言うでもなく、再度人々へと視線を戻した。
「皆さんのお気持ちは分かります。ですがここはシルジオ、フォルガナ支部の我々に任せて頂けませんでしょうか」
すると、女性が現れる直前まで騒がしかった町民たちから、怒りの念が消え、安堵の声が広がった。
「支部の人なら安心できるな」
「頼みます! どうかこいつらをこらしめてくだせえ!」
「奪った金品を取り返してください!」
女性はゆっくりと首を縦に振ると、後ろにいた男性2人に何事かを告げた。
1人は茶髪に黒い瞳で年若い男性。もう1人は同じく茶髪だが橙色の瞳で、体格の良い中年男性だ。
どちらも女性と同じく、ローレルの刺繍の入った深緑のコートをまとっている。
2人はうなずくと、一行の前に立ちはだかった。
「支部までご同行願えますかな?」
中年の男性が言った。
拒否権はない。
穏やかな言動とは裏腹に、笑っていないその目が、拒否することを許さなかった。
「そんな……僕たち……」
なんとか弁解しようとするも、隣にいたノーウィンに小突かれた。
今はあれこれ言わない方がいいという意味なのだろう。
周囲を取り巻く町民。すぐ側には偉いとうわさの支部の人間。
逃げ場などない。
不本意ながらも4人は、身に覚えのない罪で町の中央にある建物、シルジオ、フォルガナ支部へと連行されてしまうのであった。