8‐5
「ラウダ」
名前を呼ばれ振り返ると、彼女がいた。
一面ピンクのデルフィニウムの花畑。その真ん中で、こちらへおいでと手招きする。
「早く来て」
そう言う彼女の笑みは、とても優しく、見た者を温かく包み込むようで。
「ラウダ」
再度名前を呼ばれ、彼女の元へと足を動かそうとする。
動かない。
足だけじゃない。腕も、体も、何もかもが動かない。
くるりと背を向け立ち去ろうとする彼女。
待って、と言おうとするも、声が出てこない。
遠く離れた彼女が口に両手を当て、
「早く起きて」
と叫んだ。
「……起きる?」
「てやっ!」
威勢のいいかけ声と共に、手刀が額に放たれた。
そのせいで目がしっかと開かれた。
「お。起きたな」
そう言ったのはノーウィン。どこか楽しそうに笑っている。
「起きた?」
未だに横になったままの幼なじみの顔を、ローヴがのぞき込んだ。
「……おかげさまで」
目がさえてくると同時に、額の痛みがじんじんと響いてくる。
「ホント、ラウダってお寝坊さんだよね。こうでもしないと起きないんだもん」
そう言うと、ローヴはチョップの動作をして見せた。
辺りを見渡すと、セルファも既に起きている。いつもの如く、窓の外を見つめている。
「朝一番に出発するって、ノーウィンさんに言われたこと忘れたの?」
「さては夜更かしでもしてたな?」
2人に責め立てられ、深夜の出来事が思い起こされた。
結局あの後、何事もなく部屋まで戻り、ローヴをそっと、とにかく音を立てないように、寝かせると、自分もベッドに滑り込んだわけだが。
眠れなかったのだ。
天井の木目を数えてみたり、羊を数えてみたりしたのだが、考え事の方が多かったためか、全くと言っていいほど睡魔が来なかった。
できることなら、今ようやくやってきた睡魔に飲まれて、もう少し寝かせてほしいものだ。
しかし、3人はそれを良しとしなかった。
「さあさあ! 起きた起きたー!」
言うが早いか、ローヴは、ラウダから布団をひったくった。
昨夜のしょんぼりムードはどこへやら。まあ元気なのは良いことなのだが。
「うう……」
仕方なく抵抗は止め、渋々ベッドから起き上がった。
「そういや朝、村を散歩してたが……ビシャスの姿が見当たらなかったな」
はたと思い出したように、ノーウィンがつぶやいた。
「え、もう行っちゃったのかな……お礼言いたかったのに」
残念そうに言うローヴに、ラウダがあくび交じりの声で
「ああ、それなら昨日の真夜中に出ていったよ。急用ができたとかで」
と言うと、ローヴとノーウィンがばっとこっちを見た。
「何で知ってんの!?」
「さては……本当に夜更かししてたな?」
しまった。墓穴を掘ってしまった。
昨夜は何もなかった。自分はぐっすり眠っていた。という意見を貫こうとしていたのに。
「いや、その……トイレに行こうと思って部屋を出たら荷物を背負った師匠に出くわしたから……」
「ホントにぃ?」
仲間には言わない方がいい。
そんなビシャスの言葉を思い出しながら、平静を装いそう言ってみるが、ローヴのとがめるような視線が変わることはなかった。
「ほ、本当だってば」
「怪しいなぁ」
手を腰に当てると、ローヴはじっと目を見つめてきた。
ここでそらすと負けてしまう気がして、なんとかそらさずに見つめ返す。
「……まだ終わらないの?」
セルファが呆れた顔で、2人のにらめっこの様子を見やった。
彼女は荷造りも既に終わり、後は出るだけのようだ。
それに気づいたローヴが慌てて、ラウダに準備するよう急かした。
* * *
簡単に朝食をとった後、ノーウィンが宿を出るための手続きをしている間、ローヴが服の裾をちょいちょいと引っ張ってきた。
何事かと振り返ると、彼女はきょろきょろと辺りを見渡していた。
「何? セルファなら」
「しーっ!」
てっきりセルファを探しているのだと思ったラウダが声をかけると、ローヴが口に人差し指を当て、小声でささやいた。
彼女なら今外にいるはずだ。そのことを気にしているのだろうか。
不思議そうな顔をしていると、ローヴがこっそりと話しかけてきた。
「昨日の夜、師匠にあったんだよね?」
「え……んと、まあ」
昨夜寝ている彼女を運んでいたことがばれたのか。そのことを責められるのかと内心ビクビクしているラウダに、ローヴが続けて話しかける。
「……何か、言ってなかった?」
「……はい?」
「だから、その……怒ったりしてなかった?」
そこまで言われてようやく理解した。
よくよく考えるとラウダ以外、ビシャスとは、昨日の食事会以降会っていないのだ。
ローヴが気にしているのは、最後の彼の様子だろう。別れ際があの険悪なムードでは気になっても致し方ない。
「心配ないよ。だって、また会える、もっと厳しい修行をつけてやるって言ってたから」
ラウダがそう言うと、ローヴは胸をなでおろした。
それからくすくすと笑う。
「それ、いかにも師匠らしいね」
「うん。そう思う」
そんな2人の後ろで、手続きを終えたノーウィンが出発の合図をかけた。
* * *
宿を後にした一行は、村の最奥、そびえる岩壁の唯一の通り穴の前に立っていた。
「いよいよですね……!」
少し興奮気味にローヴが言った。
魔法を覚えたせいもあってか、少し頼もしくもある。
ただ、別の言い方をすれば調子に乗っていることになるので、ラウダは内心不安を覚えていた。
「残念ながら、トンネル自体は大したことないけどな」
そんなローヴを、ノーウィンが苦笑しながら制した。
いつもの通り、セルファが先頭を行き、ラウダ、ローヴ、そして最後尾を守るためにノーウィンが続いた。
トンネル内部の壁には、ところどころランタンが設置しているため、思っていたよりも明るかった。
それでも住み心地がいいのか、魔物がいないわけではなかった。
「うわっ」
天井を見上げ、思わず驚愕の声を出すローヴ。
暗がりになっているそこには、びっしりと小型の魔物がさかさまにぶら下がっていた。
「バットか」
ノーウィンがそう言うなり、相手は敵対心を持って集団で飛びかかってきた。
ラウダはそれをなんとか手で振り払うと、剣を抜き、横に切り伏せた。
ピギャアという甲高い断末魔を上げて、そのまま地に落ち、動かなくなった。
ローヴも同じく抜刀。迫りくる敵を斬り捨てた。
平然と、とはいかないが、少なくとも以前よりはいくらか気はマシだった。
やらねばやられるというのは、修業のおかげもあって理解できている。
固まって攻めてきたところをノーウィンの槍が一掃する。
単体で散らばっている敵には、セルファの短剣が何度も斬り裂いた。
その間にローヴは自身の胸に手を当て、集中力を高めると同時に、周囲のマナを集める。
「マナってのはこの世界に充満してる……そうだな、空気と同じだと思えばいい。んで、人の体内にもマナはある。魔法を使えば使うほどマナは減少するが、少し休めば自然と周囲からマナを引き寄せ回復できる。よっぽど乱射でもしなければ倒れたりすることはねえよ」
これはローヴに魔法の手ほどきを教えていた、ビシャスの言葉である。
リジャンナにはなかったマナと呼ばれる存在。
しかし、身に付ければ誰でも、という言葉の通り、リジャンナからやってきたにも関わらず、ローヴには魔法を扱えている。
もしかすると存在自体はあったのかもしれない。だがそんな概念はなかった。
「イグニス!」
胸に当てていた手をまっすぐ敵へと突き出す。
マナが渦巻き、こぶし大の火の玉へと変わると、素早く敵目がけて飛んだ。
バットと呼ばれた魔物は、炎に焼かれ、もだえる。しかし抵抗も空しく、息絶え地へと落ちた。
その様子を見て怖気ついたのか、相変わらず甲高い声でキイキイ鳴きながら方々へと散って行った。
「大したことなかったね」
ラウダが剣をしまいながらそう言うと、ノーウィンは肩をすくめた。
「あいつらは集団で生活こそするものの、そもそも主食が虫だからな。勝てないと分かった相手には必要以上に手を出さないんだ」
「ゴブリンと違って賢いんですね」
ローヴはズボンの砂を軽くはたきながらそう言う。
それを聞いてノーウィンが笑った。
「そうだな。知識の高さでいえばバットの方が上かもな」
ふと気になったことがあり、ラウダはローヴに声をかけた。
「ローヴは呪文を唱えたりしないんだね」
「え? ああ、うん。師匠から、魔法はイメージだーって教えてもらったから」
以前、魔法というものは集中力がないといけないとビシャスから教わった。
セルファが舞で魔法のリズムを刻むのと同じように、ローヴは脳内で自身が魔法を使うところをイメージして発動させているらしい。
「僕もイメージすれば使えるのかな」
「無理無理!集中力を高める厳しーい修行をしないと」
ラウダのちょっとした期待を、ローヴはあっさりと一蹴した。
「けどラウダには証があるじゃないか。実際魔法だって使ってみせたし」
ゴブリン戦のことを思い出しながら、ノーウィンがそう尋ねてきた。
「そうだけど……あれってその……無意識だったし」
腕を組み、うーんと首を傾げるラウダを、けらけらとローヴが笑った。
「やっぱりラウダには才能がないんだって」
「……なんでそんなに自信満々なの?」
ローヴは腰に手を当て、胸を張ると、
「ボクはすっごくすっごく頑張ったからね!」
そう言い放った。
つまるところ、修業もしていないラウダに魔法を使われたりしたら自分のアイデンティティーがなくなると言いたいのだろう。
ラウダは小さくため息をついた。
そんな2人を笑顔で見ているノーウィンは、次にセルファの方を見やった。
彼女は何も言わず小さくうなずいた。
恐らく周囲の確認を行ったのだろう。
一緒にいるうちに、徐々にだが、2人のやりとりの意味が分かってきた気がする。
まだまだ、なんとなく、の域を出ないのだが。
「さて。先へ進もうか」
ノーウィンのかけ声を合図に、一行は再び歩み始めた。