8‐3
隣にいる男の寝息、隣のベッドで眠る2人の少女の寝息。
それぞれを確認すると、ラウダはこっそりベッドから起き上がり、荷物と一緒に置いてあった剣を手に、部屋の外へと出ていった。
宿の中も静まり返っている。経営者である老夫婦も眠りについたようだ。
そうと分かっていても、静まり返った闇夜の中を行動するのはなかなか緊張するもので。
抜き足差し足と、慎重に、一歩ずつ歩を進める。
ギシッ
古びた床を踏んでしまったようだ。
思わず石のように硬くなり、視線だけで周囲を見渡す。
(大丈夫、問題ない)
そう言い聞かせると、そのまま逃げるように宿の外へと出ていく。
ひやりとした風が肌をかすめる。
ラウダは無事外へと出られたことに安堵のため息を一つつくと、目的の場所へと歩き始めた。
「あのドラゴン……どの辺だっけ……」
村を出て、きょろきょろと辺りを見渡す。その間も手は剣にかけている。
魔物も人間と同じで夜は眠りにつく。
だが中には夜に活動する魔物も存在するという。
しかもそういうタイプの魔物に限って、凶暴だったり、特殊な性質だったりするそうだ。
「勝手に出てきたことがばれたら……怒られるだろうなあ……」
1人でぶつぶつつぶやきながらも、足を動かす。
と、そこで前方にて何か影が動いていることに気づく。
「だ、誰だ!」
若干うわずった声が出るが、そんなことを気にしている場合ではない。
いつでも抜けるよう、手は剣の柄を握りしめている。
「……ラウダか?」
返ってきたのは意外なことに、よく知った男の声だった。
「ビシャ……師匠?」
ドラゴン退治後に言われたことを思い出し、名前を言いそうになるのを堪え、相手を呼んだ。
背を向けていた相手はこちらへと向き直った。
「……お前、こんな時間に1人で何やってんだ?」
明かりがないため暗くてよく見えないが、目を凝らすと、荷物と大剣を背負っているのが分かった。
すぐにピンときた。
「朝に出立するんじゃなかったんですか?」
「急用ができたもんでな」
ラウダの言葉を否定することもせず、ビシャスは村とは反対の方角、ベギンを見やった。
相手が見知った相手だと分かると、ラウダは剣から手を放し、その側へと駆け寄る。
そこでようやく相手の顔が見えるようになった。
「傭兵なのに急がないといけないことなんてあるんですね」
てっきり傭兵というものは、気楽に、やりたいときに仕事をする職業だと思っていた。
それを聞いてビシャスは笑った。
「俺様は格が違うのよ。有名人だからあっちからこっちから引っ張りダコなわけ」
なるほど。
確かにドラゴンとの戦いで、剣での攻撃がこれっぽっちも効かなかったラウダと違い、ビシャスはあれを真っ二つにするほどの力と技を兼ね備えている。
様々な町や村から要請を受ける、というのも納得できた。
「ところで……ドラゴン、見ませんでしたか?」
「あん? ドラゴン……昼間のか?」
こくりと首を縦に振る。
そんなラウダを見て、不思議そうな顔をしながらも、腕を組み考える。
「そういや見かけねえなあ。というかお前、そんなの探してどうするんだ。あれはもう死んでるぞ」
「死んでるのは、知ってます。でも……」
ずっと引っかかっていたこと。
けれどただの空耳だったのかもしれない。
だから誰にも聞けずじまいだった。
しかし、長年旅を続けているというこの男なら――
「教えてほしいことがあるんです」
「なんだ? 言っとくが俺のプライベートに関してならノーコメントだからな」
そう言うと、彼は大声で笑った。
こういうとき、いつもどうすればいいのか反応に困る。
ジョークの一種だとは思うが、とりあえずスルー。
「笑わないで聞いてくださいね?」
この男なら笑いかねない。
「なんだ? もったいつけずにさっさと話せ」
そう言われると余計に話しづらい。
あれこれと前置きを考えるが、良いものが出てこない。
考えるのを諦めると、ラウダは単刀直入に切り出した。
「ドラゴンって、人語を話しますか……?」
今日の戦いの際、あのドラゴンは自分に助けを求めてきた。
それも、涙を流して。
やっとの思いで他人に打ち明けたが、果たしてこんな何も考えてなさそうな男に話しても良かったものだろうか。
しかし、ビシャスの反応は思っていたものと少し違っていた。
「はあ? んなわけ……」
そこでぴたりと動きが止まったのだ。
そして何事かを考えるよう、顎髭をいじりだした。
「師匠?」
やはり相談する相手を間違えたか、と思ったが、意外にもビシャスは真面目に答えを返してきた。
「魔物の中にはな、頭のいいやつもいる。ドラゴンなんかは絶滅した存在だって言われているが、昔はそりゃあ知能の高い魔物として人々から崇められていたそうだ」
修業の最中から観察していたが、この男、戦闘技術はもちろん、意外と知識もあるようだ。
何せ普段の姿ががさつで、絡まれると厄介なタイプなため、知らない人からすればそのギャップに驚かされることだろう。
さすがにラウダはもう慣れてしまったが。
「で?」
「……え?」
そんなことを考えていたので、唐突に話を振られ、ぽかんとする。
その様子にため息をつくと、やれやれという風に首を左右に振った。
「え? じゃねえだろ。お前、あのドラゴンの話を聞いたんだろ? 何て言ってたんだ?」
「え、ええと……助けて、苦しいって」
戸惑いながらも答えると、ビシャスはうつむいた。
「そうか……」
そこではたと気づく。
あのドラゴンを殺したのは、ビシャスだ。
もしかすると今の話を聞いて嫌な思いをさせてしまったのではないだろうか。
「……ごめんなさい」
そう思うと、自然と口から謝罪の言葉が出てきた。
「あん? なんで謝るんだ?」
「だって……嫌な思いをさせたかと思って」
だが当の本人は気にしていないらしく、大声で笑い飛ばされた。
「俺は長年傭兵をやってる身だぞ? そんなのいちいち気にしてられるかってんだ」
直後、少し小声で話し出した。
「この話、仲間のやつらにはしたのか?」
それを聞いて、ラウダも自然と小声になる。
「う、ううん」
「そうか……一応話すのは控えた方がいいかもな」
きょとんとした表情のラウダに、ビシャスが呆れたような表情で続けた。
「ローヴにこのことを話してみろ。きっとしばらく落ち込むぞ」
そこまで聞いてようやく納得する。
吹っ切れた様子ではあったものの、やはり戦いに抵抗があることに変わりはないようで。
夕食時、ビシャスに言われ落ち込んでいた様子を思い出す。
「さて」
かけ声と共に、ビシャスが腕組みを解き、荷物を持ち上げ直した。
何が入っているのか分からないが、皮袋はぱんぱんに膨れ上がっている。見るからに重そうである。
「俺はそろそろ行くことにする」
「もう行っちゃうんですね……」
実にやかましい男だった。
しかし2日間だけでも行動を共にしていたのだ。やはり別れは寂しい。
しょげた様子のラウダの頭を、その大きな手でわしゃわしゃとなでた。
「そんな顔するな。世界広しといえど、旅を続けていりゃ、またどっかで会えるだろうよ」
その顔は嬉しそうだった。
ラウダとローヴという弟子ができたからなのか。それとも別れを惜しんでくれる人間がいるからなのか。
「次に会ったら、また修業してやるよ。とびっきり厳しいのをな!」
そう言うとガッハッハと大声で笑った。
そんな師の様子が何だか嬉しくて、ラウダも小さく笑んだ。
「じゃあな。頑張れよ」
ラウダの頭から手を離すと、ビシャスは振り返ることもせず、そのまま立ち去っていった。
「……また、会えるといいな」
もう届かない言葉を、小さくつぶやいた。