8‐1
「えっ? 明日出る?」
突然のことに驚き、素っ頓狂な声が出た。
しかし相手はさして重要でもないと言いたげに、皿に盛られたソーセージにフォークを突き刺した。
「俺様だって暇じゃないのよ」
それを口へ運ぶと、くちゃくちゃと音を立てながら食した。
ドラゴンを退治した後、ノーウィンとセルファが救い出したという少女とその家族の強い要望もあり、ビシャスを含めた一行は夕飯をごちそうになることとなった。
小さな村なだけあって、行方不明の少女救出、ドラゴン討伐という大きな功績は瞬く間に広まった。
その勇姿を一目見ようと、家の周りには、小さいながらも人だかりができていた。
少女の母親に、どうぞお召し上がりくださいと言われても、窓の外からの視線が気になって、なかなか手をつけられなかったほどだ。
「お芝居やってる時は気にも留めないのにね」
そう言うローヴの笑顔は、どこか清々しく見えた。
成長したとかそういうのではなく、恐らく彼女なりに吹っ切れたのだと思う。
いや、それを成長というのだろうか。
そんな中、ビシャスが翌朝の出立を告げたのだった。
「この村にも、なんだかんだで一週間近くいるしな」
それを聞いて、宿屋の老主人の顔を思い出した。
よく食べ、よく飲む彼の様子を見ては、いつも困った顔をしていた。
確かにこんなのに長居されたら、この小さな村にある食料は全て彼の胃の中に取り込まれてしまうことだろう。
「あの……結局修業ってどうなったんですか?」
ローヴが尋ねると、ビシャスは食べる手を止め、きょとんとした顔で見つめてきた。続けて呆れたような顔を浮かべる。
「お前らなあ……あのドラゴンを倒したんだぞ? これ以上修業が必要か?」
「でも倒したのって……」
紛れもない、ビシャスだ。
むしろ彼がいなければ自分たちはおろか、村も、何もかもがあの巨大な火の玉に飲み込まれていたかもしれない。
「そんなに修業を続けたいなら俺と一緒に来るか?」
分厚いベーコンを歯でかみ千切ると、くちゃくちゃと音を立て食す。
その口元はまるで悪だくみをしているように笑んでいた。
この男、さっきから肉ばかり食べているような気がする。
「遠慮しておきます」
きっぱりとそう言うと、ラウダは野菜を煮込んだスープを口にする。
「なんだよ、つれねえなあ」
そうは言うが、返事は分かっていたようだ。残念そうな素振りなどどこにもない。
そこでノーウィンが首を傾げた。
「あんた、トンネルを通ってフォルガナへ行くんじゃないのか?」
「残念。俺はベギンに行くんだよ」
外れたことをからかうかのように、ガハハと大声で笑った。
しかしノーウィンは、そんな冷やかしを無視し、話を続ける。
「じゃあベギンへ行くために一週間もここにいたのか?」
商業都市ベギンと農村リースの間は半日もあればつけるはずだ。現に4人は1日足らずでここまで来た。
この世界の地理に疎いラウダとローヴは黙って2人のやりとりを聞いていた。
「まさか知らないわけじゃないだろ? ここ最近の世界の変わりようを」
それまでまるっきり無関心で、細々と食事をしていたセルファが、ぴくりと反応した。
「魔物の増加及び凶暴化。各地で相次ぐ何者かによる襲撃、壊滅。度々うわさされる隕石の話。そして――」
「それと同時期に、急激に力をつけてきているという帝国の話」
ビシャスの話に、食事の手を止めたセルファが割って入った。
いつもと同じ無表情のはずが、今回はどこか暗く感じさせた。
次々と挙げられるこの世界の現状に、ラウダとローヴは顔を見合わせた。
世界が勇者を必要とする理由。その片鱗が見えたような気がした。
「嫌な世の中になっちまったって嘆く輩は多いが、俺みたいな傭兵は正直美味しいと思ってるわけだ」
「そんな……」
人の命が奪われている。それを良かれと思っている人間がいること。
ローヴは手にしていたフォークをそっと置いた。
そんな彼女を、ビシャスは見逃さなかった。
それまでの冗談めかした雰囲気は消え、初めて出会った時のように厳しい顔へと変わる。
「ローヴ、だからお前は甘いって言うんだよ。魔物の命を奪いたくない。人の命が奪われるのも嫌。お次はなんだ? 今口にしてる肉や魚にまでかわいそうって言うのか?」
「それは……」
思わず今食べているものを見て、吐き気に襲われる。
人は他のものの命を犠牲にして成り立っている。そんなこと知っている。分かっている。
「やめろよ」
ノーウィンがきっとビシャスをにらみつけた。静かなものだったが、語調は強い。
怒っている。
いつも笑顔でいる彼も、怒ることがあるのかと少し驚いてしまう。
当然のことと言われるとそうなのだが。
「やれやれ……甘ちゃんのままじゃ、この先の世界で生きていくのは辛いぞ? まあそれも、人それぞれってことか……」
興を削がれたのか、ビシャスは立ち上がると一家に簡単な礼を述べ、扉を開いた。
家の前にいた人々がそそくさと道を開ける。
一行には何も告げぬまま、大きな背中は闇夜に消えていき、その姿を遮るように、扉が音もなく閉まった。
「ごめんなさい、ノーウィンさん……」
ビシャスが立ち去るのを見届けると、ローヴが小さく謝った。
食欲をなくしてしまったのか、置いたフォークを取らず、手は膝の上。
「どうしてローヴが謝るんだ。俺は、自分が気に食わなかったから、ああ言っただけさ」
先程までの怒りに満ちた表情から一変、優しい笑みを浮かべている。
しかし、ローヴはそのまま黙り込んでしまった。
ノーウィンは困ったように頭をかいた。
一方、セルファは左手にフォークを持ったまま、じっと扉の方を見つめていた。
扉越しに、闇夜へと消えた、男の姿を見つめるかのように。