7‐5
「イグニぃースっ!!!」
諦めて目を閉じた瞬間、どこからともなく叫び声が響いた。
驚いて目を開けると、小さな何かが怪物の横顔目がけてぶつかった。
そのおかげで怪物の放った火炎玉の軌道がそれ、ラウダの真横へ飛んでいった。
「今のって……火炎玉……?」
小さかったが間違いないだろう。今のは紛れもなく魔法だ。
「ラウダァーーーーーっ!!!」
ああもう間違いない。
あの赤帽子は見間違えようがない。
「はは……本当に来た……」
ラウダは、こちらへ走り寄ってくるローヴの姿を確認すると、気が抜けて思わずその場に座り込んでしまった。
だが当然その間にも怪物は動きを止めない。
ローヴが近づいてきているのにもお構いなく、相変わらずラウダを標的にしている。
なかなか標的を仕留められないためか、大きく咆哮し、苛立ちを露わにした。
そしてさらに火炎玉をこちら目がけて吐き出してきた。
当たってやるつもりはない。
ラウダは剣の切っ先を地面を引っかけ、その勢いで大きく横へと転がり込んだ。
しかし怪物の方も譲るつもりはないらしい。直後息を大きく吸い込むと、今度は火炎玉を3つ同時に吐き出してきた。
避けられない。
「ラウダ!」
ローヴの悲鳴にも似た声が聞こえたのとほぼ同時に、ラウダの目の前に地面がそり返って壁となった。
眼前の出来事に驚愕していると、叱責の声が飛んできた。
「何してるの!? 死にたいの!?」
声の方を見ると村の方から地面が隆起し、何本もの柱となり、その上をセルファが軽々と跳躍していた。その後を追うように赤い髪の人物も見える。ノーウィンだ。
「みんな……」
安堵と同時に再度座り込みそうになるのをぐっと堪え、ラウダはゆっくりと立ち上がった。
ようやくたどり着いたローヴが、息を切らしながらもラウダの右腕に触れる。
そして息を整えながらも強く集中すると、ふわりと白く優しい輝きが放たれた。
するとたちまちラウダの右腕にあった傷は綺麗に消えてしまった。
「まだこれくらいしかできないけど」
そう言うとローヴはにっと笑って見せた。
以前までの、戦闘中の彼女のことを考えると大きな進歩か。
やはりビシャスは凄い人なのかもしれない、と改めて考える。
そこでふと怪物の動きがぴたりと止まっていることに気が付いた。
じっとこちらを見つめたまま動かない。
それを疑問視しているうちにセルファと、やや遅れてノーウィンが到着した。
「全く……どういうつもりだ? 俺たちのいない間にドラゴンと交戦しようなんて……」
呆れた表情のノーウィンに言われ、ラウダとローヴは顔を見合わせた。
「……ドラゴン?」
「……あの伝説の?」
ノーウィンとセルファが同時にため息をついた。
いくら異世界といえど、ドラゴンの存在くらいは知っている。
それこそおとぎ話で大々的に取り上げられていたような存在。
子供の頃に読んだ本では、悪いことをした子供をエサにする恐ろしい怪物で、いたずらをした際には脅し文句の常套句とされたものだ。だが、また別の本では世界を守るためにその身を犠牲にするほどの大きくて心の優しい存在だった。
それを読んだときには大人に文句を言ったものだが、どうやら真実は残念ながら前者だったらしい。
「ディターナではドラゴンまでいるんだね……」
ローヴが苦い顔で、恐る恐る怪物を見つめた。
「……滅んだわ」
「え?」
セルファは両手のダガーをしっかりと持ち直すと、相手の方を向いた。
「ドラゴンなんてこの世界にいない。遠い昔に滅んだって話だ」
同じくノーウィンも槍を握り直し、交戦体制に入る。
「だから俺たちも、あれの対処の仕方が分からないのさ」
どこか可笑しげにそう言うノーウィンだったが、その表情は硬い。
「武器はどれも効かないと思う。あいつの体、岩みたいで」
右腕が言うことを利くのを確認すると、ラウダもまた剣を握り直した。
「じゃあ、魔法なら対抗できるかな? さっきはひるんだだけみたいだったけど」
そう言うローヴの横顔を、ノーウィンが驚愕した表情で見た。
「使えたのか?」
「まだ初級魔法だけですけどね」
そんな彼女の顔は少し見ないうちにどこか凛々しくなっているような気がして。
それが何だか頼もしく思えて。
ノーウィンは思わず小さな笑みを零した。
「魔法なら私に任せて」
さすがのドラゴンでも足元を崩されたら態勢を崩すと判断したセルファが突撃しようと前に出る。
「待って。あいつ、どうも僕だけを狙ってるんだ」
「……それで、何? あなたはここで待っていれば問題ないはずよ」
そう言って自身が組み上げた土壁を見やり、ラウダの顔を見た。
相変わらず無表情なため感情が読み取れないが、何故か怒っているような気がした。
しかしそうだとしても。
「あいつ、飛ぶよ? セルファの魔法じゃ捕らえきれないかもしれない」
やはり忘れていたようだ。セルファが顔をしかめる。
それはそうだ。あんな岩石の塊のようなものが飛ぶとは、指摘されなければ忘れるのも無理はない。
「僕がおとりになる」
ぎょっとした表情が3つ。同時にこっちを見た。
あんな怪物相手にそう切り出すのは、まあ、正気の沙汰ではないだろう。
「ラウダ何言って」
「さっきも言ったけど、あいつは僕しか狙ってこない」
ローヴが必死で止めさせようとするのを、無視して続ける。
「僕があいつの側にいれば、あいつは多分飛ばない」
「……そこで私が魔法を使って態勢を崩すのね」
セルファの言葉に、ラウダは大きくうなずいた。
だがそのセルファも作戦に理解を示しても、納得はしていないようだ。
他2人に関しては呆然とした表情で、相変わらずこちらを見つめてくる。
沈黙。
誰が何を言い出すわけでもなく、それ以前にどうすればいいのか分からないのだろう。
それはラウダだって同じだった。
自分が何を言っているのか、自分でもよく分かっていない。
どうやら思いの外自分は馬鹿だったみたいだ。
「分かった。行ってこい」
沈黙を破ったのは意外なことに、ノーウィンだった。
「ノーウィンさん!?」
「武器が効かないのは承知の上だ。それでも、ラウダが危険だと判断したら俺が行く」
ノーウィンも魔法は使えない。今この戦いにおいては足手まといだと言っても過言ではない。
だがそれでも自分にはできることがある。
必死に戦おうとする仲間をサポートすること。
作戦が決まりつつある中、ローヴは未だ迷っていた。
幼なじみが自らおとりを志願している。
じゃあ自分は?
それを止めるべきではないのだろうか?
でも仲間たちはそれをサポートしようとしている。
自分よりずっと戦いの場をくぐり抜けてきた仲間たちが。
――ボクの目の前では誰も死なせない
ふと、自分で言った言葉が思い返される。
――だからみんなのやってることは否定しない
そうだった。
このすぐ側に村がある。
今もそこにいる人々は恐怖に震えていることだろう。
――誰かがやらなきゃ、何も解決しない
昔誰かに言われた気がする。誰だっけ。
思い出せないけど、大切な人だった気がする。
「……分かった」
長い思案の末、ローヴも決意した。
「ありがとう」
その決意に、ラウダは礼を述べる。
しかしそんな彼の前に、びっと指を指し告げられた。
「戻ってきたら、1回、思いっきり殴るから」
なんで?
訳の分からないローヴの宣言に、隣でノーウィンが腹を抱えて笑っていた。
「……行くわよ」
半分呆れを含んだような、ため息混じりの声でセルファが告げると、一変して、全員の表情が硬くなった。
「じゃあ……行ってくる」
ラウダはそれだけ告げると、土壁から飛び出し、全力でドラゴンの下へと向かった。
それに続くようにセルファが駆け出す。
しかし、そんな一行に対して、ドラゴンは身動き一つしなかった。
ラウダは首を傾げつつ、走るスピードを落とした。
その赤い瞳には、確かに少年が映し出されているのだが。
そうこうしているうちにラウダは、ドラゴンの足元まで来てしまった。
飛ばない。吠えない。火炎玉も吐かない。
先程までめちゃくちゃに暴れていたドラゴンは、今はただじっと少年のことを見つめるだけ。
これではまるで小動物と変わりないではないか。
こんな様子では剣を突き立てるのもためらわれた。
困ったラウダは、ドラゴンの顔をのぞき込んだり、手を振ってみたりした。しかし無反応。
様子がおかしいのは、遠くから見守るローヴとノーウィン、そして駆け寄っていたセルファにも伝わった。
しかしここで油断して、ラウダを危険にさらすわけにはいかない。
土壁とドラゴンの、ちょうど真ん中あたりにたどり着くと、セルファは軽やかに舞を踊り始めた。
その瑠璃色の瞳に強い輝きが宿る。
そして標的の足元に両手を突き出すと、叫ぶように高らかに告げた。
「ロックニードル!」
地の中級魔法。敵の足元が砕ける。砕けた土は魔力によって敵の頭上に集い、いくつもの針へと形成した。
「行きなさい!」
セルファが両手を振り下ろすのと同時に無数の針が敵へと降り注ぐ。
足元が不安定になったうえ、上から連続しての攻撃。態勢を崩した巨体は斜めに傾き、うなだれた。
あたりに土煙が蔓延する。
それが鼻や口に入り込まないよう、左腕で顔を覆っていたラウダの耳に声が聞こえたのは、その時であった。
『タ――ケテ――』
「え?」
反射的に言葉を返すが、周囲には誰もいない。
『タ ス ケ テ』
子供のような、幼くて、今にも泣き出しそうな声。
「誰!?」
てっきり村の人間が近くにいたのかと辺りを見回すが、違った。
もうもうと立ち込めていた土煙が方々へと薄れていく。
「……え?」
そこで初めて、気づいた。
気づいてしまった。
こちらをじっと見つめる赤い瞳から、硬い皮膚を伝う水。
それは、大型生物なのにも関わらず、地面に一滴。跡も残らないような、小さな小さな水滴を零した。
その瞳には、信じられないとでも言いたげな、自分の顔が映っていた。
『たすけて――』
ドラゴンが、泣いていた。
ドラゴンが、助けを求めていた。
ドラゴンが、少年を見ていた。
唾を飲み込むと、ごくり、という音が自分の中で響いた。
『たすけて、くるしいよ――』
また一滴、水滴が零れ落ちた。
直接話しかけてきているわけではなかったが、間違いなかった。
頭の中に、幼い男の子の声が響いた。
何を言ったらいいのか分からなかった。どうすればいいのか分からなかった。
“彼”はただただ少年を見つめ続ける。
そのうち、一つの疑問が浮かんだ。
それを口にしようと
「君は――」
した時だった。
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオン
辺り一帯に巨大な破壊音が響き渡る。